ハイネ歌曲をどう見るか?

最後は着地点に苦労しているように思えた。中期のロマン主義はどこまで届いて、どこから先には届いていないのか、具体的には、ハイネ歌曲でシューベルトは何かが変わっているのか、変わっていないのか、そしてそのような変化(もしくは変わらなさ)には将来性があると著者が判断するのか、将来性なしと判断するのか。そのあたりがこの話の着地点だったのではないかなあ、と思いました。

啓蒙と幻想

観念論哲学(教養)と関連づけながら19世紀前半のドイツ語圏の音楽を考えようとするときには、この対概念は、ナショナリズムという19世紀後半にせり上がってくる主題や、影響の不安という20世紀の文芸批評用語より、はるかに音楽に即して使い勝手がよさそうだ。

堀朋平は、ドイツのメランコリアとファンタジアをめぐる議論をも上手に歌曲論に組み入れて、刈り取ってしまった……。

母をめぐって

「お前のかあちゃん、デベソ」

と囃し立てられた少年の母が本当にデベソだった場合、私達はどうすればいいのか、というような話を蓮實重彦が書いたのは、私の記憶違いでなければ、彼が凡庸と愚鈍の差異を好んで書いていた時期の田中角栄についてのエッセイにおいてだったと思うのだが、その政治家が所属した政党の職員の息子が、蓮實重彦を総長に選んだ教育機関に学んだのち、2016年に「オマエのかあちゃん……」という罵声をVR(とは何か?)に対して投げつけるのを目撃したとき、私達は、偶然を笑って見過ごせば良いのか、あるいは、輪廻転生風の因果を仏教めかして哀れむほうがいいのか、あるいは、精神分析風に下意識のうごめきを推測したほうがいいのだろうか。

今では中年になった自民党職員の息子は、「オレは人を役割・肩書きで見るなんてことは中二で卒業した」とうそぶくわけだが、その発言から、「中二以前」の、まだ人を役割や肩書きで見ていたのであろう頃の少年の姿を即座に想像して恐怖した私は、「オマエのかあちゃん……」という文言を「中二以前」と結びつけたくなってしまうのだが、そういうことは精神分析に任せよう。

中学生までの私は、「オマエのかあちゃん……」式のからかいの対象にしばしばなったような記憶があるが、その種のからかいに対して、基本的には「カエルの面にションベン」で通しており、そのことが、私をからかいたい少年たちのお気に召さなかったようで、これもまた、どうでもいいことである。

全国漫遊批評における公務と私用の区別

芸術祭の審査員には、審査対象の公演に関して、プログラムに執筆したりプレトークに出演する等の行為はもちろん、事前に見解を個人として公表することも控えて欲しい旨が文化庁から通達される。

どうやら、公演団体への補助金申請を査定する仕事に何らかの形で関わっている人物が、視察と称して各地を漫遊して、なおかつ、それに対する所感を「批評」と称して個人として公開する行為がここ数年露骨にまかり通っているようだが、このケースについても、管轄の公的機関が、この人物に、公務と私用を分けるように通達したほうがいいんじゃないか。そうしないと、公務を笠に着た権力の私的濫用の疑いが生じると思うのだが。

クラシック音楽にも時は流れる

実際に、たとえば第1幕第2場の「手紙の場」の歌詞は、わずかの削除と補筆こそあるものの、原作の第3章・第31節の文章をほぼそのまま歌詞としたものである。

エフゲニー・オネーギン (オペラ) - Wikipedia

手紙を書いているうちに夜が明ける、というのは、プーシキンの有名な戯曲(メトのライブビューイングのインタビューで、ゲルギエフは「ロシアの学校ではこの戯曲を暗唱させられる」と言っていた)の有名な場面なわけで、ドン・キホーテといえば風車だ、というように、オネーギンといえば徹夜のラブレターだ、とわかった上でチャイコフスキーはこの作品のオペラ化を決めたと思われる。

ということは、何か成算があったと考えるのが自然だろう。

このあたりは、ほぼ間違いなくオペラ研究で誰かが既に精密に論じているだろうと思うけれど、深夜に恋心に悶々とするうちに時が経過する、というのは、ワーグナーっぽい気がする。チャイコフスキーがトリスタンを見たのかどうか不明だが、オネーギンのオペラ化の話が彼の元にもちこまれる数年前、1874年にバイロイトに行っているので、ワルキューレの双子の兄妹が語り明かす場面は見ていることになる。「Lenz!」とか叫んで、トネリコの剣を引き抜いたりする濃密な夜は二重唱だが、ロシアの地方のお嬢さんが、(憧れのヨーロッパの誇らしげなデュエットではなく)片想いのモノローグで夜を明かす、というのは、ワーグナーとの対比で考えるのが面白い気がする。

ゲルギエフは、そのあたりを全部知って、実際に上演もしている劇場の人だし。

「芸術の自律」は、貴族の享楽(美しい生活に芸術を埋め込んでしまうような)から芸術を切り出そうとする19世紀の新興ブルジョワにとっては一種の希望の原理だったのだろうけれど、20世紀の大衆社会にあっては、「頭でっかちなお勉強は要りません、芸術は先入観なしにハートで受け止めればいいのです」という感じになった。そのようなスローガンに乗るほうがむしろ社会の運営が安定する、というような状態を指して反知性主義と言うのだろうけれど、オペラ・アリアで時間が止まるのを避ける動きは、それこそ「芸術の自律」が言われ始めた19世紀初頭から様々にあったことくらいは知ってからチャイコフスキーを見たいものだ。

シェーナ・カンタービレ・カバレッタと続く大がかりなアリアの合間に合唱を挟んだり、新たな情報が舞い込んで状況が転換したり(←ここにもまた真田丸のサスケに似た「伝令」のドラマトゥルギーがある)、というのは既にロッシーニもやっているし、ベッリーニやドニゼッティを経て、ヴェルディでは、例えば椿姫の È strano! 以下の第1幕の幕切れでヴィオレッタの心は大きく揺れ動いて棒立ちのダ・カーポ・アリアとは全然違うわけだし、チャイコフスキーよりあとだが、ミミとロドルフォがそれぞれにソロで歌う場面は、逆にそこでは時が止まってくれないと困る風に物語が仕組まれている。そういう色々な試みのなかにチャイコフスキーがある。

19世紀半ば以後の段階では、何かに夢中になっているうちに時が流れている、という状態は一流の音楽劇作家たちにとって既知のパターンになっていて、ヴェルディやワーグナーやチャイコフスキー(あの特徴的なカンタービレのオーケストレーションを見るだけでもこの人がシンフォニーより劇場の人なのは明らかだ)やプッチーニは、それぞれのやり方でこれを自作に実装した、ということだと思います。

(昭和30年代の音楽之友社の雑誌や啓蒙書の記述であれば、イタリア・オペラのアリアは時間が止まる、チャイコフスキーはアリアで時間が経過するところが素晴らしい、でよかったかもしれないけれど、もはや国内でこれだけ色々なオペラが上演されている2016年に、チャイコフスキーをいきなりダ・カーポ・アリアと対比するのは、話の粒度が粗すぎるだろう。)

実存なのか立ち位置なのか

やっぱり吉田寛はポケモンGOが嫌いなのか……。

(彼は、元来が学者気質なのにジャーナリスティックなあれこれについ口を挟んでしまう、というのではなく、ジャーナリズムに行きそうなうさわ好きの軽い男が諸般の事情で学者をやっているケースではないか、という疑いを最近私は深めて、急速に興味を失いつつある。学問の装いはフェイクなのではないか、ということだ。昭和の大学文学部は、そういう風に、文人になりたかったけれどもなれなかった文学者の巣窟だと言われているから、わかりやすく古風な事例ということになりそうだし。)

小物感

ロックは芸術(もしくは芸術を愛好するスノッブ)への反抗だ、と言うのであれば、芸術に対して授与されてきた賞をシレっとロックに与えて、賞の延命を図ろうとする北欧の財団を叱ればいいのに。頭を撫でられたら尻尾を振って、そのうえで、媚びる姿を写真に収めようとすると、「テメエ、何撮ってんだよ、ぶっ殺すぞ」と取材陣(主催者ではなく)に対してすごむ、みたいな面倒くさい昭和の芸能人を思わせる。こういうのをフェイクと呼ぶのか? 歌手本人と関係ない場外で何やってんだ。

リベンジの構造:19世紀の私憤と20世紀の私怨

私小説や自然主義リアリズムもそうだろうし、ベルリオーズが失恋体験を標題音楽に昇華する、というように、近代のロマンチシズムがモダニズムにつながっていくラインには私憤を公憤に接続する回路が装填されていて、ワーグナーもおそらく私憤の塊だったのだろうし、これは、そういうことが文化や芸術に登録される時代や環境がかつてあった、ということだと思う。

(アートがそういう風に私憤を昇華する回路を装着してしまっているが故に、後世の研究者が、シューベルトの友人たち(学校の先輩でエリートだとはいっても所詮は20代の若造である)の手記を丹念に読んだり、パリのボヘミアンたちのぐちゃぐちゃした人間関係を読み解いたりしなければならなくなっている。)

一方で、最近はあまり表に現れなくなっている気がするけれど、「クラシック音楽嫌い」というのがある。新時代のクラシック音楽マンガとして歓迎されたように見える「のだめカンタービレ」にも、子供の頃のピアノのレッスンでのトラウマ、というのが出てくる。

相対主義の観点から特定の国の都市文化のみを正典視するのはおかしい、とか、アートがマスカルチャーに敗北するのは世の趨勢である、とか、その他様々な理屈で公論化されているけれど、事柄の性質上、どうもこういうのは、個人として私的にかつて何か嫌なことがあったケースが多いような感触がある。19世紀のブルジョワに私憤を公憤に昇華する物語があったとすれば、20世紀の大衆には、私怨を公的弾圧に昇格させる欲望がある、ということなのかもしれない。

個人的に嫌な体験があって、それが原点だ、というケースは、(公然と不特定多数にその体験をさらけ出す必要はないかもしれないけれど)他者がアクセス不能なブラックボックス(黒々とした欲望)に育てる前に、私的な体験として整理しておいたほうがいいような気がする。

おそらく21世紀は、私怨を公的弾圧に昇格できてしまうような「体制」を解体する方向へ進むだろうから。

私怨に基づく公的弾圧(まあいわばイジメだよね)を無事解除できる目処が立った暁には、たぶん、誰がどのような私怨にもとづいて動いていたのか、ということが、ちょうど19世紀の芸術家の私生活を後世が実証的に調べ上げたように、逐一検証されることになるだろう。

(既に政治史では、「人類に対する罪」と公論の水準で糾弾されてきた第二次世界大戦期の「体制」の指導者たちの、ほぼ「私怨」と見ることのできそうな欲望の動き、ヒトラーやスターリンやマッカーシーの小物ぶり、が語られ始めているように思う。100歩譲って、フォーク・ロックシンガーに平和を希求する財団が賞を与えることに意味があるとしたら、このような20世紀の「体制」の機微を突くには、文学よりポピュラーソングのほうが有効な局面があったことに改めて光を当てた、というようなことになるのかもしれない。)

20世紀に対する「後世の歴史家の判断」は、そういう手続きを含むことになりそうな気がします。

私怨で動くタイプの人は、そういうことを一応想定しておいたほうがいいと思う。

(私怨は、私怨以上でも以下でもなく、「人間とはこうしたもの」とか、そういう風にはならんと思う。)

記号と知能

森羅万象を記号に置き換えて操作するのは、人間(そしておそらく高等生物全般)の有力な武器で、20世紀の記号をめぐる議論が先鞭を付けた情報社会のヴィジョンは、記号操作の可能性を極限まで押し広げることで人類を新たなステージに高めよう、という話だと思う。IQテストを見てもわかるように、既に知能とはほぼ記号操作の能力のことであると見られているようで、教育は記号操作の訓練・習熟に焦点を合わせて編成されているので、大学人のような記号操作能力で地位を築いた人たちに未來予測をさせると、情報社会の推進を待望することになるのは、それこそ「再帰的」に当然かもしれない。そういう社会が来れば、自分たちはまず食いっぱぐれないだろう、と思えるからだ。

でも、記号操作のみに特化して習熟しているだけの人材がいまいち使えない、というのは、世間の経験則であるだけでなく、教育・大学関係者も、身近な現象なので、たいてい気付いているところですよね。

記号操作能力は、バカやハサミと同じように「使いよう」で、人間社会の唯一特権的な原理というほどのものじゃなさそうだ、という感触・経験則は、情報社会をいくら言っても、そう簡単には揺るがないんじゃないかなあ、という気がします。

記号操作能力という視点から見れば理系と文系の区別というのは大した問題ではなさそうで、その種の「賢さ」をアピールすれば生きる道はあるだろう、というのが知の擁護の本線と目されているような気がするのだけれど(官僚制もまた記号操作の体系という一面があるのだし)、でも、それで世間が納得するのかどうか、そこはよくわからない。

聴きつつ歌う

声とピアノの関係に画期的な変化をもたらしたのが近代ドイツ歌曲だとされている。

聴き手は歌曲の声とピアノ(器楽)を両方同時に聴くことができるわけで、聴き手こそがこのような声と器楽の関係(の変化)の立会人(耳の問題なので「目撃者」とは言えないか)ということになるが、それでは、歌手は、そのような事態を聴いているのか、一般に、歌う者は周囲の音をどのように聴く(聞く)のか?

展示音楽と参加音楽という区別でよく言われるが、中世や近世の社交のポリフォニーは、自分たちで歌いながら楽しむものだった(=歌わずに全体を聞く立会人は想定されていなかっただろう)と考えられている。周囲の声と自らの声が近づいたり遠ざかったり、絡まったり、響き合ったり、対立したりする様を歌いつつ聴いていたのだろう、とひとまずそういうことになりそうだ。人間は「聴きつつ歌う」ができる、という想定である。ポリフォニーとはそういうゲームだ。

一方、能では、謡いも舞いも囃子方も、周りに合わせてはいけない、と教えられるらしい。懸命に自分の「間」で進めば自ずと合う、というわけで、雅楽や近世邦楽のヘテロフォニーを考え合わせると、あたかも日本には、「聴かずに舞う/謡う」を推奨する技芸があったかのように見える。少なくとも、伝統芸能で言う「間」というのは、周囲に追随するのとは違う状態を指しているようで、「つながり」の人々が再評価しつつあるように見える「空気を読む」とも、またちょっと違っているようだ。

ただし、こういうのはすっきり分けられるわけではなく、シューベルトやシューマンの歌曲で、歌手がピアノの何をどのように聴くか、リズム・テンポを聴くか、それとも、声と重なったりズレたりする音程を聴くか、それだけで歌い方(とアンサンブル)が随分変わったりするのだから、「周りに合わせないヘテロフォニー」というのも、決して一枚岩ではないと思ったほうがいいかもしれない。西洋流のハーモニーでは不協和が協和との関係で表現に貢献するように、ヘテロフォニーには、ノリとアワズの区別と使い分けがあって、近世の浄瑠璃や三曲合奏は、そこがかなり微細に洗練されているようです。

何の話かというと、中田喜直なのです。

彼は東京音楽学校のピアノ出身で、戦前の山田耕筰あたりと比べると、ピアノパートが格段に洗練されて、あっちこちにショパンから印象派までの(ときにはもうすこし先の20世紀の)ピアノ文献を参照した形跡が明瞭にあるわけですが、その充実したピアノパートは、堀朋平がシューベルト歌曲に関して好んで使う言い回しであるところの「声(詩)への介入」という感じがしないんですね。声のパートも、畑中良輔が生前に熱く語っていたように、山田流の一音節一音のデクラメーションではなく、気持ちよく語ることができる譜割り(団伊玖磨などとともに戦後の日本の歌曲・歌劇作曲家が共通に取り組んだ課題ですね)になっているのだけれど、ピアノパートは、流暢な声の背後で響いているゴージャスなサウンドトラックに聞こえる。声は声でお客様に語ってください、ピアノ=私は私で楽しくやりますから、という風に、声とピアノが交差・干渉しない2つのレイヤーになっている。そしてこれは、声のタイミングにピアノが付ける、という風な書き方が基本になっているのとワンセットだろうと思います。

このスタイルは、フランスのダンディたちの歌曲を参照したところがあるのだろうとは思いますが、こういう譜面の歌曲で、歌手はピアノをどのように聴くのか、ひょっとすると、歌手がピアノをあまり聴かずに自前で気持ちよくなって、ピアノはピアノで鍵盤上で楽しく遊ぶ、みたいなことになっていたりはしまいか、と、心配になって、でも、それが戦後日本の「うた」だったのかなあ、と思ったりもする。

それは、戦後的な「新しさ」だったのかもしれないし、聴衆の耳には調和して聞こえるけれども声とピアノの現場はヘテロフォニックである、というように、二重のディスコミュニケーションを仕掛ける恐ろしい構造であるように見えなくもない。

(ゲオルギアーデスが、シューベルトは古典的に素晴らしくシューマンは堕落している、と主張したときの論法の焼き直しみたいな話になってしまって、こういう見立ては、近代歌曲論ではありきたりだから、もうちょっとよく考えて理屈を組み立てないとダメなのだろうとは思いますが。)