管弦楽史のなかのマーラー

くるりの岸田の交響曲を聴いた夜に、明日の授業の準備(この調子だとまた徹夜)でアバドのルツェルンでの一連のマーラー(演奏もさることながらYouTubeにあがっている映像の出来映えが素晴らしい)を見る巡り合わせになっております。

「文化史のなかのマーラー」の隆盛を私が意固地に嫌うのは、院生の頃、ドイツ語の勉強を兼ねて原書で読んでいた Dieter de la Motte の Musikalische Analyse (入野義郎の訳が全音から出ている)にマーラーの交響曲第7番のセレナードの精緻な分析があって、マーラーはこういう水準で語らないとダメなんじゃないか、という思いがずっとわだかまっているからだと思う。

今年から受け持っている管弦楽史の授業でマーラーの話をすることになって、管弦楽の歴史におけるバンダと特殊楽器の意味、という切り口を設定すると、ウィーンのユダヤ人をめぐる文化史が、ありふれたものと個性的なものの関係を反転させる異化的作曲技法の分析とつながるかもしれない気がしている。第7交響曲は、ハロウィンの怪物大集合という感じに特殊な楽器を次々投入して、天上界を暗示するバンダとは別の種類の他者・異界を舞台裏ではなく舞台上に出現させる作品ですよね。

オルタナティヴを見届けようとしないポピュラー音楽学者たち

明日の演奏会の予習で、くるりをひたすら聴いている。Apple Music 大活躍、これまでの人生でこんなにたくさんロックを聞き続けるのは始めてである。

ジュビリーはムーンリバーだ、とか、Let it be なカレーの歌とか、そういうのは、聴いたらすぐにわかるように作っているわけだから、「すべての創造はパクリである」というような存在論の転倒を仕掛けるときには、むしろ、こういう音楽は不向きだと思う。オリジナリティをガチガチに標榜している音楽のコアの部分から「パクリ」を抽出しないと、議論がヤラセになる。……というような90年以後のポピュラー音楽論壇へのツッコミは、もうどうでもいいのだが。

しかし、岸田繁がシンフォニーを発表する、という奇怪な行事の当日に立教大学の学会なんぞに行っていられるか、と、京都に駆けつけるのがロック学者の根性というものではないのだろうか。対象をとことん追い詰める気概のない者たちが学者を名乗って肉を食って喜んでいるようでは、人文キラキラ学問が滅びるのはやむを得まい。本番を聴きもしないで、あとで、あーだこーだ言うようなら、奴らはクソであり、軽侮されてしかるべきだと予め言っておく。

この行事がどう成り行くか、という予想をしたいのではない。結果を見届けて直視する精神なしに、学問は成り立つまい、ということである。

(増田聡准教授は「ワルツを踊れ」のどこがどういう風にクレズマーなのかわかっているのだろうか? 大和田や輪島はわかっていそうだが、南田という社会学者はどうなのだろう?)

伸び悩み対策

井上道義は、京響が市の直営で、指揮者は2期6年まで、という暗黙の慣例があった時代に在任3期目に入ったことで市政を批判したい議会でやり玉に上げられて揉めた。逆風のなかでの8年だ。

一方、広上淳一は、京響が財団化して人事を市の慣例から切り離すことができるようになった状態で契約を更新し続けている。経営側としては、財団化が成功であったことをアピールするためにも、いい人に長くいてもらえたほうが好都合なわけだから、順風が吹いていることになる。井上と広上を、在任期間の長さだけで比べるのは、あまり意味がない。

大友直人は、常任指揮者は2期6年だが、井上時代とそのあとのウーヴェ・ムント時代に正指揮者の肩書きで京響に関わり続けて、広上時代も桂冠指揮者として京都コンサートホールのシリーズなどを続けたので、市との軋轢が生じない範囲で、実は京響と一番長く関係を保った指揮者かもしれない。楽団員の世代交代を乗り切ったのは、井上でもなく広上でもなく、大友直人なので、彼は、数字に表れないところで転換期の京響に貢献した。

最近の京響の演奏は、ちょっとヌルい。広上に持ち上げられて、のびのび元気いっぱいだった新しい人たちが伸び悩んでいるように見える。10年を越える長期政権では、3年6年の短期決戦とは別の能力が求められる。広上淳一にその力があるのか。10年を越えるとなると、広上自身がオーケストラとともに変わっていかないと無理だと思うが、彼はそこまで「自分を開く」覚悟があるのか。そこが問われることになるだろう。

財団システムには、指揮者を交替させるしくみがまだちゃんと備わってはいないので、惰性でズルズルになるか、新しい展開を自ら見つけるか、ここからが正念場、運命の分かれ道、「危険な時間帯」だと思う。

(お隣の大阪で、大植英次は、在任10年の「危険な時間帯」を迎える直前に音楽監督を降りて、その後は、なんとなく「自分を開かない人」という印象を与えてしまっている。一方、井上道義は、京都から金沢、大阪と居場所を変えることで、できることが次々変わっていくことを楽しんだように思われ、それが結果的に「現役感」の維持につながっている。彼があのまま京都に居座るのは、京都にとっても井上にとっても、今から振り返れば得策ではなかったと思う。)

後追いによる自己満足

少し前のことだが、関西の歌手を何人か招いたオペラ公演を東京の評論家たちが聴いて「やっぱりイマイチだったね」と言い合う、というような出来事があったらしい。

何が起きているかというと、なるほどその人たちはある時期関西でいい仕事をしていたのだが、評判が定着するのに時間がかかって、残念ながら既にもう旬を過ぎている、というようなことであるようだ。現地で取れたての鮮魚を食べると美味いが、その魚を東京に取り寄せても、鮮度が落ちてしまう。そういう魚を築地市場の食材と比べるのはナンセンスなわけだが、東京人は「やっぱり築地は世界一だ」と思い込む。そうやって東京人の自己中心主義が維持される。

高度成長世代は引退しない

トランプを論じるときに、どうして人々は社会階層の話ばかりして、彼が70歳の老人であることに着目しないのだろう。

トランプが大統領に選ばれたことを日本に引きつけて考えるとしたら、高度成長期に育った70過ぎの老人のなかで引き際を考えない(考えられない)人たちが、「やっと俺たちの時代が来た」と勘違いする一大勢力として可視化されつつある、ということではないだろうか。

モラルや思想の問題というより制度設計の隙を突かれた気がします。

ポスト朝比奈世代

「大阪にラテン音楽を!」の井上道義が大阪フィルにいてくれると2018年の大栗裕生誕100年に好都合じゃないかと漠然と(&勝手に)思っていたので、やや梯子を外された感はありますが、井上道義がワンポイント・リリーフなのは、常任指揮者等の肩書きを固辞して首席指揮者の称号を彼が選んだときから明らかではあったので、遅かれ早かれ、ということなのでしょう。

関西フィルが飯守泰次郎、大阪響が外山雄三、大阪フィルが尾高忠明ということで、大阪にポスト朝比奈世代がずらりと顔を揃えることになる。外山と尾高は、若杉弘(故人)、秋山和慶(東京や広島のポストを次々後進に譲っている)とともに、朝比奈隆から大植英次に代替わりする間の空白の1年、2002年の大阪フィルを支えた指揮者だから、時計の針が15年分逆回転した感は否めない。もしかすると、オーケストラに定期会員として実際にお金を払う人たちが高齢化して、こういう名前を出さないとついてきてくれない、という経営判断なのかもしれない。

秘かに、道義の次は外国人指揮者と契約するんじゃないかと予想していたのだが、こういう形に決まったのであれば、各々が敬老精神を発揮して、お爺さん方の最後を看取る役回りを大阪が引き受けることになるのでしょう。高齢者に優しい街大阪、である。現役世代はショッピングに便利な西宮北口の芸文、あるいは、スタバやツタヤで優雅に過ごせる京都のロームシアターに行け、と。

(フェスティバルタワーは、近年若者がカジュアルに入れる店が増えている北新地に隣接して、恰好の現役レジャースポットだと思うんだけどなあ……。中之島はいいポケモンも出るのに(笑)。)

追記:

尾高の父、尾高尚忠は日本人指揮者が最も多く登場した戦後の数年間のN響を支えた人で外山、岩城は当時まだ学生で、大栗裕もホルン奏者として数年間N響にいた。大栗裕が指揮者としての朝比奈隆に出会ったのもこの時期のN響においてだったようです。この機会に尾高尚忠を顕彰する、というのは、アリかもしれない。誰かが尾高家の物語を書いてもいいんじゃないか。これからしばらく大阪のオーケストラを担うことになるのであろう後期高齢者「団塊さん」の原風景の発掘である。

追記2:

とはいえ、さしあたり2017年度のプログラムは今年の延長に見える。バーンスタインのミサを井上道義が上演するなど、創立70周年は、短かった井上道義時代の総仕上げになりそうですね。音楽監督が尾高忠明に代わっても、新しいフェスティバルホールという器にどういう可能性があって、私たちが何をやらねばならないか、井上道義が示したヴィジョンが忘れられることはないだろう。掘り割りや石垣が全部埋められた徳川の世になっても、大坂城は太閤はんのお城や、という記憶が残るようなものである。

(しかし、若杉弘没後の新国に乗り込んだり、今度は大阪にやって来たり、尾高という人は、いったいどういう勢力を背景に動いているのか不気味である。)

決定的な細部

瞬間の効果に固着するか、さもなければ全体の粗雑な把握以上に踏み込めない、という症状は、両者をつなぐ決定的な細部を探り当てていないピントはずれの饒舌なわけだが、決定的な細部を見つけられるかどうかは運や才能や偶然の問題なのだろうか。それとも教育教養経験の問題なのだろうか。それとも、最近はやりの制度的な格差なのだろうか。

要するにアートとは何かという話なわけだが。

オーガニック

有機化合物 organic compound に生命の神秘が宿るという18世紀以来の自然哲学は、21世紀を生き延びることができるのだろうか? セレブリティの永遠のアイドル、プチ・トリアノンのマリー・アントワネットを連想させてしまうわけだが。

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そして、脳という名の有機化合物と、物質というより形式であると目されるAIを競争させる商売が流行っているが。

生存の技術と統治の技術

文系学部談義が相変わらず荒れているようで、この話題が、乱世にしか生きられない戦国武将の残党みたいな人たちのレゾンデートルになりかかっている様子にうんざりするわけだが、とりあえず、LとGの話は、技術といっても生存のための技術と、統治のための技術は違う、というそれ自体としてはまっとうな区別が発端のような気がします。

音楽の周囲に補助学としての楽理科が設置されるのと、音楽という営みを社会や文化のなかにどう位置づけるか、という哲学的・文化論的・社会科学的な議論が発生するのは別のことで、東京芸大楽理と東大美学の処遇を同じ枠組で議論しても、話がこじれるにきまっている。

生存の技術(補助学)と統治の技術(大局的議論)の分離・分業は昔からあることで、音楽(そしておそらくアート全般)は、むしろ、実技を知らない空論(まるで英語を読み書きできない英文学者のような存在)が油断すると過剰に増殖しがちな分野なので、実技を知らない空論家が、あたかもその分野の専門家であるかのように文系学部の将来を憂うのを見ても、こういう輩はいつの時代にもいるんだよね、ということで話は終わる。

多少なりとも新しいといえそうなことがあるとしたら、公教育という制度が浸透した結果、その分野の生存・存立に直接関わりそうにはない議論であっても、その議論が教育制度のなかに場所を得ると、そういう議論を行う当人にとっては、そのような議論(しばしば空論)を展開することが、当人にとっての生存の技術(食い扶持を得る手段)に転嫁してしまう、ということかもしれない。

ひょっとすると、これは公教育の堕落と制度疲労の兆候かもしれないので、技術の伝承をなんでもかんでも「学校」という枠組に押し込んでいると際限がなくなってしまうのではないか、と疑問を呈してよさそうに思う。

というより、文系学部談義というのは、まさしくそういうことじゃないのだろうか。

「学校」が農村のすべてを抱え込む農協みたいになっていることの功罪に、多くの人が既に気付いているんだと思う。でも文系学部談義で騒ぎたい人は、そこから話を逸らす。

(田舎(ほぼ過疎地)から都会(正確にはベッドタウン)に転勤した学校教師の息子である私は、「農協」的公教育と関わり合いになるのは剣呑だと思って育ったのだが、田舎の学校教師の家に育つと、「農協」的存在のアップデートに躊躇してしまうのだろうか。)

スクリーンショットの役割

バトルに参加する気がない者にはほとんど意味がないけれど、手元にメタが4匹いる。同じ場所からそれぞれ2匹ずつなので、出るところからは何度も出て、いないところにはいないんだろう、ということで私は納得しているのだが、メタに関して、ポケモンGOでは珍しく派手にガセネタが出回ったのは、スクリーンショットが取りづらいからなんでしょうね。「おや?」が出た時点で、それまで何に化けていたかのか、来歴情報が消えてしまう。画面の推移は素敵だと思いますが、嘘の温床になるのは、作り手としては痛し痒しでしょうね。

追記:

5匹目で「おや?」を撮れた。

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私好みのcp10だ。

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