情報理論的な知と情報器機の利便性の混同

科学的推論に、「信念」(私はしかるべき経験からこれを信頼する)という内在的基礎付けの堂々巡りから抜け出す外在的な基礎付けを与えようとする試みのひとつとして、「信頼性」を情報理論的に定義する動きがあったことを知る。

シャノンの通信をめぐる理論にしても、こうした知識の基礎付け論にしても、情報理論が指し示す風景は、情報理論の成果であるに違いないコンピュータ・ネットワークの現状での最大の効用、利用価値であるかのように言われている「データベース化」や「高速検索」、ネットを賢く使ってお気楽生活、みたいのとは随分違うようだ。

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)

情報の流出・炎上とか、何でもコピペとか、集合知による徹底検証とか、ネットが世間で警戒される大きな原因になっている現象は、まだその端緒が見えてきただけなのかもしれない情報社会の未来の予兆というよりも、既存素材の分析・編集・反復という20世紀の(19世紀的な教養に寄生する)知の在り方の最終堕落形態とみるのがよさそうだ。

変数Xの消失

ギリシャ古典(翻訳だけど)を本棚の左上に置くと収まりが良かったので、そこから順に、文学、視覚文化(美術・マンガ・ゲーム)、演劇、放送・マスメディアとジャンル分けして、歴史・哲学関係は文学のつづき、社会科学は放送・マスメディアの続き、科学数学は視覚文化の続きに配置してみたら、ゼロ年代を席巻したように思われたキラキラ文献は固有の場所をもつことなく霧散してしまった。(東浩紀は文学とみなし、宮台真司は社会学とみなす等という風に処理した。)

方程式をあれこれ変形しているうちに、ひとかどのものかと思われていた変数が消えてしまったかのようだ。

まあ、そういうことだったのだろう。

オペラの原作(これも翻訳ですが)は文学の棚に収める。少しずつ買いそろえていたら、結構揃ってきた。

オペラがどこに原作を求めるか。時代ごとの変遷は面白いですよね。シラーをはじめとするドイツの戯曲の翻訳は、オペラの原作になっていなかったら、もう誰も読まないんじゃないだろうか。

辺境と交易

人類の記号操作において、韻文と物語、二次元・三次元の図像・造形、演劇等が長い伝統をもつ古典を形成するのに比べて、マンガやアニメーションが周縁的であったり、文化的な価値を認定されるのが遅れた後発であったりするのは確かだろうし、文化と呼ばれるこの種の記号操作を知や政治や宗教と組み合わせる「文明」の地球上の配置を考えたときに、アフリカ・エジプトとヨーロッパと中東の交差点のような地中海であるとか、東アジアの一番豊かな地域を押さえた中国であるとかとの位置関係、シルクロードやユーラシア大陸の南側沿岸海域での日常的な交易、大西洋と太平洋を横断する冒険的な大航海といったことを考えたときに、日本と呼ばれる列島は地政学的に周縁・辺境だろうと思う。

でも、地政学的な周縁・辺境は、文化・記号操作においても周縁的な作業に専念するのが望ましい。もしくは、好むと好まざるとにかかわらず、そういうところに落ち着くものだ。というのは、交易・経済の原則から考えると、決して自明ではないんじゃないか。帝国主義がどういう経緯で瓦解したか。臣民・領民は、システムの自壊と為政者の油断をただひたすら待っていたわけではないと思うのだが(=「ガラパゴス」論への素朴な疑問)。

20世紀の何がたそがれたのか?

批評の基準としての「新しさ」とか、カリスマの崇拝、活動の教団化とか、というのは、20世紀の「音楽」の問題というより、「シリアスでアーティフィシャルな音楽」がマイノリティとして大衆消費のマジョリティのなかへ乗り出す際の戦略に属する事柄だと思う(大久保賢へ)。

教会の祈祷・宮廷の儀礼・市民の娯楽

西洋音楽史の概略を限られた講義時間で一覧しようとすると、美術の場合と違ってルネサンスは独立した時代ではなく、中世の「オマケ」(和声に3度が加わっただけ)、ロココ・古典派はバロックから宮廷の趣味が変化しただけの「宮廷音楽後期」程度の扱いで十分な気がしてくる。そして20世紀の前衛・実験が19世紀の市民たちの音楽(=いわゆる「クラシック音楽」)の「分析・編集・反復」で成り立っていると言えるとしたら、西欧芸術音楽の1000年の歴史を、1. 教会音楽(前期:中世、後期:ルネサンス)、2. 宮廷音楽(前期:バロック、後期:ロココ)、3. 市民音楽(前期:ロマン主義とナショナリズム、後期:前衛的実験主義と大衆消費)という見通しのいい三分割にまとめることができそうだ(シラバスが求められる年度末)。

ルネサンスは中世よりはるかに短く、ロココはバロックより短い。そして短いのに華々しい。20世紀が短く、にもかかわらず華々しいのは、また同じことが繰り返されただけなのかもしれない。

追記:

(1) ヨーロッパ亜大陸で「声の宗教」を信奉する部族が、自らの宗教上の聖地と思い定めたエルサレムに侵攻してイスラムと接触したことで、ラテン語文化に先行するギリシャ文字の文化をアラビア文字経由で再発見して、科学と世俗文化に目覚めたのがルネサンス。

(2) 勢いづいた世俗君主が「声の宗教」を押さえ込んで専制化して、アジアや新大陸に進出したのはいいが、知識人たちが人類学的に覚醒して啓蒙思想を唱えるようになるのがロココやウィーン古典派の時代。

(3) 専制君主に代わって、啓蒙された教養市民が議会制で国家を経営して、産業を振興したら、都市に労働者・大衆が流入することになり、文明の形を再編せざるを得なくなったのが20世紀のモダニズム。

ルネサンスと啓蒙とモダニズムは、まるで新しい知が社会を変革したかのように思えるから文化の歴史では輝かしく礼賛されるけれど、その効果は先行する時代状況とワンセットだから、それぞれ、教会が強かった時代の後期、宮廷が強かった時代の後期、市民が強かった時代の後期、という扱いでいいように思う。

日本は「ゾウガメの島」であると主張する人々

日本は「辺境」であり、その文化風土は「ガラパゴス的」である、という内田樹と梅田望夫の抱き合わせみたいな言説は、学問的、書誌学・文献学的に検証されて使用可能な状態になっているのだろうか。日本特殊論の一種で、素性の怪しいバズワードだと思うんだけどなあ。

この島にも宗教や儀礼や文化や経済が、「歴史」と言いうる資料が残っている時期だけでも数千年存続していて、それは、何らかのしかたで世界システムに組み込まれているはずだが、世界システムにこの島が組み込まれるやり方を「辺境」の一語で総括しうるのかどうか。高度成長後のこの島の都市文化(佐々木敦が何の定義も説明もなく「ニッポン」と表記する時空)においてその「辺境」性が際立っているとする根拠は何なのか。そしてそのような「辺境」性を仮に認定できるとして、その「辺境」性が、太平洋の反対側の進化論上の特異性で知られる島々の名前で呼ばれる根拠は何なのか?

「極東の島」と自然主義的に名指してもよさそうな地域を、期間限定のジャーナリズムや金儲けの語彙に安直にすり替えたままで知的言説を構成するのはとても危うい気がします。それは、「進歩史観」というバズワードを自説の根幹に埋め込んでしまった失敗の二の舞じゃないか、という懸念をぬぐえない(吉田寛へ)。

追記:

ガラパゴス諸島(ガラパゴスしょとう、スペイン語: Islas Galápagos [ˈizlaz ɣaˈlapaɣos]、英語: Galápagos Islands)は、東太平洋上の赤道下にあるエクアドル領の諸島。Islas Galápagos は「ゾウガメの島」という意味で、スペイン語でゾウガメを意味する galápago からきている。正式名称はコロン諸島(スペイン語: Archipiélago de Colón)で「コロンブスの群島」を意味する。

ガラパゴス諸島 - Wikipedia

「ガラパゴス」は通称で、行政は別の名前を採用しているんですね。

分析・編集・反復

20世紀の「シリアス」(ほぼ「アート/アーティフィシャル」と同義)と形容される音楽から、それを「シリアス」であるという設定でプレゼンテーションするコンテクスチュアルな技術を取り去ると、音を音楽として構成する「それ自体で閉じた」技法は、音・音楽のパラメータ分析(無調・十二音技法、セリエリズムやスペクトル楽派がその代表か)、既存素材の編集(新古典主義やコラージュ、モンタージュ)、反復(ミニマリズム)くらいしかないような気がする。過去のアートとの連続性を確保したり、外部の「シリアス」ではない音・音楽たちとのつながりを確保しながら音を操作しようとすると、この3つの手法くらいしか出てこないということかと思う。

無調表現主義と新古典主義・折衷主義とミニマリズムは、20世紀のオペラの三大手法でもありますね。

(偶然性は、「作品」を根本から疑う理念ではないかと期待されて、いまだにジョン・ケージは神話的な名前だけれど、「管理された偶然性」はほぼ断片の反復のヴァリアントだし、ケージ派の偶然性は、楽譜や奏者の意図以外のどこかから、所定の記号処理やルール設定で音・音楽のパラメータを読み出すわけだから、実はパラメータ分析の変種だと思う。)

分析と編集は、それぞれシェーンベルク、ストラヴィンスキーというビッグネームと結びついて20世紀の初めからその姿勢が鮮明で、一方、反復だけで音楽を作るミニマル・ミュージックが脚光を浴びたのは1960年代だから、反復・ミニマリズムは戦後の新動向のような感じがあり、なおかつ、民族音楽との結びつきが指摘されたりするけれど、あのトリップ感が成り立つのは厳格なBPM(メトロノーム)があってこそですよね。

厳格なBPMを実現するビートを鳴らし続けることでリズム(反復)に関心を集める、というのは、本当に民族音楽由来なのだろうか? 打楽器(ドラム)が一定のリズム・パターンを反復してノリを作る、というのは、むしろ、20世紀の都会のダンス・ミュージックに固有の手法のような気がするのですがどうなんでしょう?

(少なくとも西欧では、和声的調性が成立して以後、ダンスのステップは、音を打つことではなく、ハーモニーの変化と関連づけられるようになって久しく、特定の楽器がビートを打ち続けることは、マーチにおいてすら、あまりなかったように思う。そして20世紀の新しいダンスのビートを打ち続ける手法は「黒人の太鼓」と認識されていたのではないかと思うのだけれど、だとしたら、ミニマル・ミュージックのBPMは、わざわざ民族音楽と言わなくても、既にジャズによって西欧・北米=北半球の音楽シーンにインストール済みの体験だったことになってしまいそうなのですが……。

ミニマリズムの起源が気になります。ここをうまく説明できると、音楽の20世紀の「短さ」がはっきりすると思うのです。)

ワーグナー・チューバは芸術音楽の「短い20世紀」を準備したか?

「短い20世紀」と言うけれど、芸術史の20世紀は、政治史の20世紀よりさらに短く、そこで提示されたアイデアは数行で要約できそうなくらい貧弱だったのではないか。それにもかかわらず、百花繚乱に豊作であったかのような体裁を整えることができたのは、諸民族の音楽やフォークロア、大衆音楽を取り込む回路を巧妙に組み立てたからではないか。20世紀のアートを「技術」と呼びうるとしたら、それは閉じた「作品」の精度の問題ではなく、外部と接続する回路の巧拙にこそ「技術」が発揮されたのではないか。

とりあえず、オーケストラという装置に関して言えば、パリの人たちが民族音楽風のアイデアを投入して、ウィーンの人たちはフォークロアのアイデアを入れるのを好んだと言えそうに思う。ガムランのリズムの堆積はアンサンブルのシステムを更新するためのモデルを提供したのだろうし、20世紀の合奏音楽の編成が小さくなるのは、知的な意味づけを括弧に入れると、村の楽隊に接近しようとしているように見える。

マーラーのオーケストラにおけるバンダ(別働隊)は姿が見えず手の届かない天上の響き、舞台上に陣取る特殊楽器は俗世ですれ違い得る異界・異物・異人、と考えるとうまく整理できそうだし、世紀転換期の合奏音楽における「特殊楽器」の異化効果は、20世紀の合奏音楽における「特殊編成」に継承された、と考えると、話をスムーズに組み立てることができそうだ。

(特殊編成の極北に思える打楽器アンサンブル(ヴァーレーズの「イオニザシオン」とか)は、あらゆる楽器をメトロノームの支配下で「リズム楽器」化するミニマル・ミュージックを経て、ガムランに接近していくわけで……。)

そういう風におおざっぱな見取り図を描いてみると、それじゃあ、マーラーの一世代前のワーグナーが特注して、使徒ブルックナーがうやうやしく後期作品に降臨させた「ワーグナー・チューバ」はどういう位置づけになるのか、気になってきた。

あれは、マーラー以後のオーケストラにおけるような「特殊楽器」(マーラーのカウベルやマンドリン、チャイコフスキーのチェレスタ、ビゼーのアルト・サックス)と同列に「特殊」と呼べるのか。それとも、ヴァルヴ・システムを積極的に導入したようなオーケストラの近代化なのか。あるいは、サン=サーンスが大英帝国アルバートホールの委嘱で、教会のオルガンを世俗オーケストラと共演させて、ハープでは足りないところをピアノで増強したような「世界の統合・総合」のために不可欠な特別な声だったのでしょうか。

デューク・エリントンとストラヴィンスキー

ジャズバンドで最初にスターになったのはルイ・アームストロングのトランペット。このあと1920年代にデューク・エリントンやカウント・ベーシーなどピアニストがリーダーになるバンドが大都会に進出して、1930年代スウィングの時代に、サックスの甘いサウンドが受ける。そして40年代のビバップは、余分なものを取り去って、トランペットとピアノとサックスをウッドベースがサポートするミニマムな編成になる。

ジャズバンドには、おおよそこういう「楽器法」の変遷があるんだ、と菊地成孔が解説していたけれど、だとすると、ガーシュウィンがピアノとジャズバンドのコンチェルトを書いたり、ラヴェルがジャズバンド風に管打楽器をにぎやかに鳴らして、ピアノがブルースを弾くコンチェルトを書いたのは、エリントンやベーシーが「ジャズ」を代表していた時代ならではの副産物ということになるんじゃないか。

ダリウス・ミヨーがハーレムでエリントンの演奏を夢中で聴いていた、という話があったかと思うが、既にペトルーシュカで「オケなかピアノ」を試していたストラヴィンスキーが、管楽器のシンフォニーズを応用して管楽器とピアノのコンチェルトを書いたのは、世間のこういう動向を横目で見ながら、美味しいところを盗んだのかもしれない。

1920年代に「ピアノの打楽器的用法」とともにピアノ協奏曲が再生するのは、結構具体的にジャズの影響なんじゃないか。

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

北米に移住してVIPになったストラヴィンスキーは、ベニー・グッドマンとはコラボできたけれど黒人とはたぶん一緒に仕事をしていない。そのあたりが時代の限界、白系ロシア人ストラヴィンスキーの限界で、白人と黒人のコラボレーションは、ガーシュウィンの黒人オペラからバースタインへ、というロシア系ユダヤ人コミュニティのその後の活躍を待たねばならない。(黒人音楽に「世界の創造」を幻視したダリウス・ミヨーもユダヤ人だ。)

ブルックナーの和声進行

オーストリアの教会オルガン奏者の伝統のなかで育ったブルックナーは誰もが認めた即興演奏を可能にする自らの和声法に絶大な自信を持っていた形跡がある。(その絶大な自信でブルックナーは帝都を「全力で押しとおり」、ウィーン大学講師の職を得た。)そしてブルックナーのハーモニーがバッハやワーグナーを思わせると同時にときおりシューベルト風(もしくはドヴォルザーク風)に動くのは、ブルックナーとシューベルトの共通分母になるような教会のオルガンの伝統がハプスブルク領内に伝承されていたのではないかという気がしてならない。

ブルックナーの演奏は、パワフルなサウンドが鳴り響き、各パートが無傷だったとしても、和声進行や声部進行が混濁したら台無しなんじゃないか。そういうのは、三和音が濁った状態でコスプレ風にロココのふりをするモーツァルトと同じくらいキッチュなマガイモノなんじゃないだろうか。

(例えば管楽器のB-durの和音の上声にd音が響いて、次の小節で弦楽合奏がd-mollの和音を鳴り響かせるときに、ヴァイオリンがG線の太い主旋律でこのd音を引き継ぐ、というようなときに、サウンド(音色)の切り替えだけを意識して、d音が持続していることを意識しないで音のピッチやタッチの連続性が途切れてしまうと、どんなに根性や気合いを入れても、音楽が切れて台無しなのではないか。

日本のオーケストラが、性能は良くても音楽がダメだ、と判定されがちなのは、このあたりに具体的・技術的な原因がありそうな気がする。サウンド重視で音程・リズムといった西欧流のソルフェージュがおろそかになる傾向は、メンバーが代替わりして、近年むしろ助長されている気がするのです。)

ブルックナーは「田舎者」だったかもしれないが、彼の音楽の「田舎者」ぶりは、ブラスバンド風にサウンドのパワーで押しとおるところではなく、ペダンティックに和声と対位法の力を信じたところにあるんじゃないか。地方の由緒ある神社の世襲の宮司が、やたらと神道祭祀に詳しいようなもので……。

ドミナントのあとにゲネラルパウゼがあって、それを受けるコーダが主調のトニカではじまる場面で、ゲネラルパウゼが「完全な停止・沈黙」になってしまうのは、ブルックナーが属した文化的伝統とは無縁な東洋人の無知蒙昧だと思う。

(ちなみに、オペラなどでの用例をみるかぎりでは、19世紀に仏教の受容で知識人に知られるようになった「東洋的な虚無」は、沈黙=休符ではなく、音程が不定なドラの低く複雑なノイズで表象されていたようだ。深淵・ブラックホールは、西欧音楽において「無音」ではない。そして西洋音楽における無音・沈黙は、「無意味」ではなく、音楽的にはっきりした「意味」と「機能」がある。)