大阪フィル@おとな会

~オトナ度ちょい増しTV~おとな会 | MBS

昨夜の録画をみたら、とてもいい番組だった。大阪フィルのどこに着目するか、というだけでなくスタジオのタレントさんたちのリアクションが興味深い。

大阪の情報バラエティ番組は、橋下維新を育てた張本人と決めつけられて、「言論が現実を作る」みたいなポストモダン風のアングルで散々悪口を言われたが(そして「大阪の政治はメディアが戦犯である」という論調の口火を切ったのは東大を出たジャーナリストさんだったわけだが)、むしろこの空気感が大阪のテレビだと思う。(MBSとよみうりの違いというのも多少はあるかもしれないけれど。)で、朝比奈さん(実は彼も東京育ちだ)や朝比奈さんが作った楽団のキャラは、つかず離れずに、その空気のなかにあって、でもそれは、そこに染まると堕落していく悪しき共同体(「勉強の哲学」が忌み嫌うような)というのとも違うと思う。

まあ言うたら、私もこの空気のなかで育てていただいた人間である、と、やっぱり思います。それは、大阪フィルがいいオーケストラかどうか、という客観的な評価の話ではなくて、大阪という街にオーケストラがあるというのはどういうことか。もしかしたら別の団体から教わる可能性があり得たかもしれないけれど、事実として、それを教えてくれた/教えてくれるのは大フィルだなあ、ということだと思う。いちいち口に出していわんでもええことかもしらんけど。

番組は、1週間ホームページで無料配信されている。このあたりも「オトナ」ですなあ。

(そのうえで、先の定期の英雄の生涯の演奏には、私は納得していないけれど。)

「余は如何にしてポモとなりし乎」

Kindle版をスクリーンリーダーで聞き終わったときに、そういう言葉が思い浮かんだのでメモしておく。内村鑑三の著作(1895年刊行というから阪神大震災と地下鉄サリンの95年の百年前か)は読んだことがないので、読まずにパロディではあるが。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

半生の自伝といっても、自伝と呼ぶにはエピソードと経験がちょっと薄い。そして経験が薄い人が書くハウツー本は、普通は信用されないわけだが(「信用」は本書後半の大きなテーマのひとつになる)、足りない信用は著者が哲学研究者&有名大学の教員であることを担保に積んで補填されている。最終章はほぼ大学教員としての指導案のサンプル集だ。いわば、大学から金銭の助成を受けるかわりに大学名と肩書きを質に入れたようなものだから、著者自身が懸命に宣伝するのは質草を取り戻すために働いているのだろう。

そう考えると、同時期に出た経験豊かな「社長東浩紀」の掛け売りなしの現金取引な自主製作とは、ペアといっても反対の極かもしれない。

雇われ人の人生において、自由とは心の問題であり、言葉の問題になる。ものは考えようだから、ものの考え方を豊かにしよう。そうやって、上流と下流への分断が指摘される21世紀に雇われ人の中間社会を再生もしくは再編しようという提案なのかなあと思う。戦後20世紀後半の日本の中間社会発展期の評論家たち(音楽でいえば吉田秀和とか)が、旧制高校的な教養主義をサラリーマン読み物(音楽でいえばレコード鑑賞指南)に再編したのを思い出す。

(増田聡先生みたいな立ち位置の人こそが、こういう後進を断固応援しなきゃいかんのじゃないかな。死に舞をイジメ抜いた失敗を繰り返してはいけない。九州の増田や茨城の千葉が支えて吉田が高いところへ上がる、みたいのが美しいチームプレイだろうと思う。

思えば、スターとして天寿を全うしたフーコー、デリダと、復習教師から始めて役割を終えたと判断したときにこの世から自ら身を引いたドゥルーズの関係もそういうものだったんじゃないか。日本で「未来学」が言われたのとほぼ同時期のフランスに登場したポストモダン思想は、現在から振り返れば、「体制」「右翼」はもちろん「反体制」「新左翼」からもきわどく身を翻したところが受けているように思われ、だからポスト冷戦で帝国化した北米でも安心安全に使えた。ポストモダン思想は、ヨーロッパにも、日本と同じく北米の庇護の下での高度成長期があった証拠みたいなものかもしれない。だとしたら、21世紀の中間社会再生論として使うのが具合がいいんじゃなかろうか。レヴィ=ストロースのようなレジスタンスとレヴィナスのような宗教家が足を引っ張り合っていた戦時中の話をほじくり返すのは、もういいよ。浅田彰が、色々思うところはあるだろうけれども千葉雅也に合格を出したのは、『構造と力』を書いたころの鬱屈を思い出して、出口はそこだ、ようやくそこに気付いたね、と思ったんだろう。)

学芸員はどのように勉強するか

為政者に反抗することが正義である、という立場を採用すると学芸員を人文家がこぞって擁護することになるのだろうが、学芸員には、キモさを発症することなく勉強した人たちが少なくない気がする。

そして、「学芸員はガンだ」という話法は、むしろ、「文科省はガンだ」と公言してはばからない大学人の物言いとよく似ている。(日本会議の運動が新左翼を「勉強」して成功したようなものである。)

敵の敵は味方だ、みたいなオセロゲームをやっていると、議論はどんどん錯綜する。白黒入り乱れての内ゲバである。

どちらにしても、博物館法に沿って業務を進めている人たちには、あまり関係のない話なのではないか。

勉強の哲学 来たるべきバカのために (文春e-book)

勉強の哲学 来たるべきバカのために (文春e-book)

(iPhoneのスクリーンリーダーで「聴く」のに丁度良い文体で書かれていますね。)

参考:

……というエントリーを何かのリンクでいきなり訪れた人には、何がなにやら意味がわからないだろうから、3つ前に遡ってリンクを張っておく。

日本を「法人化」したい人々 - 仕事の日記
キモいバカの話 知と言語と共同体 - 仕事の日記
ビジネスの哲学 来たるべきビジネス・バカのために - 仕事の日記

ビジネスの哲学 来たるべきビジネス・バカのために

もしかすると、共同体から身を引きはがしてビジネスを勉強すると、2つ前のエントリーで書いたようにキモいカタカナ言葉と機械の自動返信のような受け答えをするようになったりするのだろうか。

だとしたら、一刻も早くそこを突き抜けた「来たるべきビジネス・バカ」に育って欲しいものである。というより、企業体(正確には公的機関や学校などのあらゆる組織を含む)の皆様におかれては、新入社員が十分なバカに育ってから外との対応に使って欲しいものである。敬語とか、他者へのアイロニカルな演技ではない敬意とか、そういう若者たちにとっては「キモい」のかもしれない事柄をちゃんと勉強しないと、来たるべきバカにはなれないよね。

(ビジネス啓蒙書に触発された千葉雅也の哲学=21世紀版の「オラ東京さ行くだ」を、アイロニカルではなくユーモラスにビジネスの現場に還流させるとしたら、たぶんそういうことになるはずだ。)

キモいバカの話 知と言語と共同体

疑問1: 周囲の共同体とは異なる知性の在り方を模索するのが「勉強」なのだとしたら、なるほどそれはキモさを発症しそうだが、周囲の共同体に備わっている知性を習得することを「勉強」と呼ばない理由はどこにあるのだろう。

疑問2: 知性が常に特定の言語と結びついている、と本当に言えるのだろうか。

疑問3: キモさを発症させたほうが、勉強している者とそうでない者を見分けるのに便利ではあるけれど、そこは常に色分けされていなければならないのだろうか。

日本を「法人化」したい人々

文章を売り買いするときには、個人が法人と対峙する必要が生じる。(大学や公的機関も、個人と組織の関係は「法人」と同じようなものでしょう。)

直接やりとりする担当者が「法人を代表した個人」としてふるまわないと、そういうやりとりは円滑に進まないわけだが、最近ときどき、「法人としての都合」をあたかも無生物主語の自動返信のような語法と文体で返すだけの人がいて、気色悪いなあ、いまどきの法人は社員教育・社会人としての躾けをちゃんとできないのかなあ、と思っていたのだが、

「マイナーはメジャーにすがって生きるしかないのだ」といわんばかりの発想をする大学教員、とか、「法人への所属や肩書きに紐付けることのできない振る舞いを示す個人などというものは、本来ありえないのだから、そのような個人の名前を覚えたり、文章に記載したりする必要はない」といわんばかりの社長体質の評論家、とか、そういうのが出てくるに及んで、症状は悪化しているのだなあと思わざるを得ない。

たぶん、大国が他の大国や同盟国と周到に段取りをして「敵」を包囲して、おとなしく服従させてしまう、というような世の中の事態と、どこかで同調しているつもりなのだろうし、個人をエンパワーしないような「法人化」に舵を切ることが、とりあえずこの島では、そこそこの人材でそこそこの成果を出して一息つくのに役立っているのだろうと思う。

でも、そういう風に個人をエンパワーしない状態で体裁を整えるだけだと、「シン・ゴジラ」がそういうのを戯画的に描いていたと伝え聞きますが、トップの判断を迅速に実装するように各部署が動く、とはならないに違いなく、ということは、彼らが「長いものには巻かれるしかないのだ」の好例だと思っているかもしれない直近の世の中の動きとは、似ても似つかない状態だと思われる。

21世紀になっても「国家」がクリティカルな場面で円滑に機能することがあるのだなあ、という風に見るのがよさそうな事態を前にして、「やっぱり長いものには巻かれるのが一番だねえ」という日頃の信念を強化する、というのは、この島が、島内事情に都合がいいように輸入品をアダプトして、手品のような「翻訳」でツジツマをあわせてきたこれまでの経緯の最終形態なのかもしれませんね。

グローバリズムという言葉さえもが、ローカルに翻訳されて、法人の看板の影に個人が身を隠す処世術の意味になるとはねえ……。

都市では「住民=市民」が「国民」であるとはかぎらない

ギリシャのポリスあたりを参照しながらナショナリズムをリベラルの側から批判的に吟味するときには、そういう視点からやるのが常道だったような気がするのだが、

だとすると、19世紀のヨーロッパの音楽文化でいえば、ワーグナーでナショナリズムを考えるというのでは不十分で、リストのようなコスモポリタン(その信奉者が提唱した「新ドイツ派」ではなくリスト本人)に焦点を当てるのがよかったんじゃないのかなあ、とふと思う。

「オレはフランツ・リストの名前は断じて口にしない」といわんばかりの傲慢気質のほうが「失われた20年」にふさわしい態度であった、ということはあるかもしれないけれど……。

ここ数年、大学の授業や社会人向け講座でオーケストラ(とその楽器)のことを主に色々考えてきて、この仕事も継続しますが、これに加えて、今年は、久々にピアノ音楽について、まとまったことをお話できる巡り合わせになりそうです。

他の都市のオーケストラの大阪来演

広島交響楽団の音楽監督が秋山和慶から下野竜也にかわって、お披露目の大阪公演があった。金曜の夜のシンフォニーホールでブルックナーの8番。色々な意味で大阪のオーケストラの最近の路線の逆を突く形になっていて、新鮮でした。

まず、大阪のオーケストラは、大阪フィルやセンチュリーが定期の2日公演をはじめて、2日のうちの1日は土日の昼間にやることが増えているわけですね。その結果、ウィークデーの夜は週に5回あるけれど週末は2日しかなくて、しかも、(本当にこれが有効な判断なのかどうかわからないけれど)給料日以後の月の最後に定期演奏会をやりたがるので、週末の同じ日にシンフォニーホールとフェスティバルホールといずみホール、さらには京都のコンサートホールやロームシアターや滋賀のびわ湖ホール、兵庫の芸文で公演が重なることが増えている。しかも、年度予算を消化するべく公共施設は3月に公演をやることが多いので、3月の週末は大変なことになっていた。

広響の公演がウィークデーの夜になったのは、本当は週末にやりたかったのに週末は大阪の地元団体に押さえられていた(もしくは自分たちが自分たちの地元広島で別の公演を予定している)、ということだったのかもしれないけれど、結果的に、昔ながらのウィークデーの夜公演になって、実際に行ってみると、やっぱり、都会のクラシックコンサートにはナイトライフが似合う、かえってこのほうが落ち着いて音楽を楽しめて、いいんじゃないか、という気になった。

しかも他のオケの公演が手薄な月の中旬は、他と重ならないから行きやすい。

(福島周辺は、全盛期に比べると、ホテルや放送局がなくなって寂しくなったけれど、それなりに新しいお店もできているようだし、終演後は梅田に出たっていいわけですしね。)

広響は、定期演奏会の大阪公演という位置づけで、11月にもまたシンフォニーホールに来るらしい。(ストラヴィンスキーの例の新発見の曲を追加でやるらしい。)

そういえば、京響は随分前から年に一度大阪で演奏会をやっているし、讀賣日本交響楽団も年に数回来ますね。山形交響楽団はいずみホールに来る。下野竜也は、讀響と契約していた頃、このオーケストラと大阪公演をやったこともあったと記憶します(聴きに行くことはできませんでしたが)。

N響の地方巡業は放送局主催の独自ルートなので、何がどう動いているのか外部からわからない状態ですが、他の国内都市のオーケストラの大阪公演が次第に増えつつあるようです。

オーケストラにとって、同じ演目を何度も再演することは、経営・労力の面でも、音楽を熟成させるという意味でも、色々メリットがありそうだが、地元の街で同じことを何回もやったら飽きられそう。大阪フィルなどは、2〜3年に一度同じ曲を再演するくらいのペースでレパートリーを回しているように見えるけれど、これも十年二十年続くと、いつも同じ、と思われかねないですよね。他の都市に遠征するのは、そういう意味で、うまいアイデアだよなあと思います。

(国内にオーケストラの数が少なかった頃には、東京のオーケストラも大阪フィルもあっちこっちに巡業していたわけで、オーケストラという事業体は、ひとつの街に拠点を置きつつ、その街のなかで自己完結するには規模が大きすぎるのかもしれませんね。)

で、結果として、10年来、「大阪に4つもプロのオーケストラがあるのは数が多すぎる、統合しろ」という無責任な声がずっとあったわけだが、今起きていることを眺めていると、実は4つでも足りないくらいの多様性が求められているのではないか、という気がしてくる。広島や山形や讀賣響が、そういう、地元のオケがくみとることのできていない需要を満たしつつあるんじゃないか。

かつて大阪フィルで修行して、讀賣響と一緒に来阪した経験のある下野竜也が、広島響と契約したとたんに大阪公演を積極的に打つのは、偶然ではなさそうに思えますね。

お客さんを囲い込んで、手を変え品を変えおもてなしして逃げられないようにする、というだけでは、一定の水準を超えられない限界に達する。そういうことをすり切れるまで続ける「負のスパイラル」にはまりこむと、その先は「希望は戦争」(そうすれば街の人口・住民が劇的に変化する)みたいな極論になるのでしょう。ひとつの土地に特定の作物を休みなく植え続けると、土地がやせるようなものです。(農家の生まれの母がよく言っている。)土地がやせたときは、土を入れ替えないとダメですよね。

とはいえ、オーケストラの場合、お客さん=街の住民の入れ替えは不可能なので、お客さんに自分たち以外の団体を楽しんでもらいつつ、自分たちは他の街へ出て行くことになる。そういうことなのかな、と思います。

工業製品としての「音楽の散文」の現在

あらゆる音の断片がハリウッド映画音楽の様式でDTMされるところまで来ているのですね。

フィレンツェのカメラータのモノディがナポリでリブレットとコンティニュオ(和声づけ)の手工業的な分業で量産されるようになって、グルックが鍵盤楽器の代わりにオーケストラの伴奏(アコンパニャート)を使って話題になると、マイヤベーアがこれをパリ・オペラ座のブルジョワ向け高級娯楽劇音楽として生産する体制を整える。マイヤベーアの助手あがりのワーグナーがそうした「散文的」なオーケストラ・サウンドにライトモチーフを流し込むことに成功して、この技法が亡命ユダヤ人によってハリウッドの映画音楽に持ち込まれ、ほぼあらゆる音の断片をライトモチーフ扱いでオーケストラ化する音楽工場が完成する。で、DTMが工業製品を個人の趣味で製作する可能性を開いて、いまここ、なわけだから、400年がかりの何段階ものイノベーションの堆積ですね。

(ところで、岸田繁の交響曲第1番がそうだったけれど、DTMで製作したオーケストラ・サウンドをオーケストレーターが人力オーケストラに書き直したもの(書き戻したもの?)をライヴで演奏しても、いまいち面白くないことがある。リスナー目線で「ここにこういう音が欲しい」という発想で音を並べたDTMサウンドは、そのままでは人間(オーケストラのプレイヤーたち)が弾いて面白いパート譜にならない、ということだと思う。舞台劇の群衆シーンの演出と、映画でいかにも群衆がうごめいているように思わせる演出とは別物だ、というのに似ているかもしれない。ワーグナーですら、管楽器の2番奏者の譜面は機械的で吹いても面白くないことがあるようで、佐村河内/新垣や岸田がお手本にしたブルックナー(オルガン奏者でオーケストラをあとづけで勉強した)のシンフォニーは、ワーグナーに比べると、さらにパート譜がつまらないらしい。映画音楽は、通常、録音・編集されたサウンドトラックとして納品されるので、シンフォニーより、かなり敷居が低そうですね。)

変数と観察

「空の範疇」とは、要は数学の解析で言う変数 variable の設定のことではないか。中性子の予想は、まさにそういうことですよね。データの解析において設定された変数(あるいは代数方程式で言う未知数)を裏書きする現象があとから発見された、と。(電子や中性子は五感でキャッチできないので、科学哲学上の議論を巻き起こしてはいるけれど。)

そういう手続きに empty の語が導入される文脈は、ちょっとよくわからない。ヒトが解析アナリシスにおいて新たな変数を導入したり補助線を引いたりすることができるのは、空の範疇が知性にアプリオリに装填されているからだ。ギブソンが言うアフォーダンスもこれを指し示す。と言うようなニューサイエンスの基礎論なのでしょうか。

逆に、どう解析するか、ということを後回しにして、人はどんどん観察してデータを蓄積することがある。

失われた20年は、複数の島宇宙にデータが渦巻いていたから動き過ぎないクールな理論が要請されたが、巧みに動いてデータを獲得する技、何かを動いて取りに行く態度か不要になったわけではなかろう。

空の範疇とデータの過剰の両方が揃わないと、知・科学は回らないんじゃないかな。

(前に少し書いたリバーダンスの話を舞曲史の授業の導入に使おうと準備しながら、ふと、そういうことを考えた。理論と観察・フィールドワークの関係のイロハを話そうと思うのです。手付かずのフィールドというユートピアを期待できない21世紀の状況を前提にして。)