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問題提起と問題解決

人文学は何の役に立つのか? - 道徳的動物日記

答えをはぐらかすから人文は信用されないんじゃないか、という指摘は、一般化すると、問題の「提起」ばかりで問題の「解決」への道筋が見えない議論に、世間はうんざりしている、ということかと思う。

有望な若手の萌芽的研究を支援する、とか、学位論文は研究者としての将来性を感じさせるものであればいいんだから、とりあえずできたところまで書いて出せ、とか、そういう構えで「若手」に投資していると、「問題提起」型の議論が量産されがちになる。

問題の「解決」への道筋を世に問うと、すぐさま検証作業がはじまって、その成果物の評価をかなり明快に出すことができる。査読に代用されるいわゆる「性善説」の研究者コミュニティは、この作業を円滑に進めることができるように編成されているはずだし、学会のような研究者コミュニティの一番の存在意義は、成果物の的確な検証ができることにあると言っていいような気がします。

一方、「問題提起」型の議論は、まだ結論が出ていない提案・予想なのだから、原理的に、研究者コミュニティが「検証」という得意技を発動できない。

じゃあどうなるかというと、「将来性」への「期待」による青田買い・先物買いの市場が開設されることになる。既に学者として一定の成果を出した人物による推薦状が研究者コミュニティで重要な役割を演じるのは、そのせいだろう。成果物ではなく、問題を提起した「人物」が評価(推薦)の対象になってしまうわけだ。

日本の最近の大学・大学院改革は、特に人文では、その種の青田買い・先物買い的な「将来性」への「期待」を推薦等で保証する、という属人評価が表に出すぎる結果を生んでいるのではないか。そしてこの風潮を逆手にとって、「とりあえず人目を引く問題提起を打ち上げ花火のように炸裂させればどうにかなる」という輩が横行した懸念があり、だから、世間から不審の目を向けられて、管理者が「検品」「在庫整理」に乗り出したのではないか。

「問題の解決」(成果)の道筋はどうなるんですか、という問いを世間が「問題提起者」に突きつける流れになるのは、だから、理不尽とはいえないし、むしろ、大筋としてはそれでいいんじゃないかと思う。

twitterの闇

それは、公的機関のうち在留外国人と関わりの深い部署は、日本を訪れる可能性の高い外国人が使用すると想定される世界中のあらゆる言語(もしくは主要言語)で応対できるべきである、という実現不可能だし、やらねばならないのか定かではない無茶な要求を掲げるクレーマーの発言なのか。

あるいは、日本の公的機関がこの島の公用語である日本語で応対するのはいいとして、日本に滞在する外国人がその部署と関わらねばならないことが当該外国人に周知徹底されているべきであろう、という指摘なのか。

そしてその場合、そのような周知徹底を誰が何語で行うべきなのか。公的機関のどこかの部署が担うべきだ考えるのか、それとも、民間の外国人向けサーヴィスとしてなされるべきだと考えるのか。

具体的な制度設計を考え始めると、話が見えず、わからないことだらけなわけだが、そういうことを伏せたままで、なんとなく日本の役所はダメだ、という雰囲気だけが醸し出されるのだから、twitterの140文字は、部外者にとって「闇」ですね。

『キーワードで読むオペラ/音楽劇研究ハンドブック』

(1) 384頁 第1段落6〜7行目:

清水脩が作曲した《修禅寺物語》である(放送初演はこの前年におこなわれていた)。

  • 修禅寺物語の放送初演は、関西歌劇団による舞台初演(1954年11月6日)の直後、1954年11月18日(朝日放送、文部省芸術祭放送による参加)です。
  • この作品の放送初演を1953年としている資料は、私の知る限り、昭和音楽大学オペラ研究所『日本オペラ史1953〜』(水曜社、2011年)の以下の記述のみです。

「民間放送のABCは、開局3周年記念で清水脩(1911-1986)に委嘱した《修禅寺物語》を1953年11月18日に放送して芸術祭賞となり、翌年11月4〜6日に大阪朝日会館で初演。」(33頁)

  • 朝日放送の社史、文部省(現文化庁)芸術祭の公式記録では、この作品の放送と芸術祭賞受賞は1954年となっています。上の引用は、修禅寺物語の放送初演を1953年であると誤って認識して書かれた事実とは異なる記述であり、今回の記述は、二次文献の誤った記述を検証することなく孫引きして、誤りを再生産しているように思われます。

(2) 同頁 同段落10〜11行目:

小倉裕の《赤い陣羽織》(木下順二の台本)

  • 1955年に関西歌劇団が初演した「赤い陣羽織」の作曲者名は大栗裕です。

(3) 同頁 同段落最後の2行:

[関西歌劇団は、]邦楽器を使用した清水脩《炭焼姫》(宇野信夫の台本)などを上演した。

  • 私の知る限り、関西歌劇団が20世紀の間に「炭焼姫」を上演した記録はないと思います。
  • 私はこの作品の詳細を知りませんが、一般的には、1957年にNHKラジオで放送初演、同年に二期会(研修生卒業公演)で舞台初演、とされているようです。

偶々、私が集中して調査している時代・地域・ジャンルに関する記述なので誤りを正確に捕捉できてしまったに過ぎないかとは思いますが、学生・研究者を読者と想定して、オペラ研究の活性化を目指して刊行された著作なのだとすれば、日本におけるオペラの受容/変容は、日本の研究者が一次資料に遡って厚い記述を実現できる恰好のテーマではないかと思われます。

研究の活性化の恰好の起爆剤となりうる箇所、たったひとつの段落に、校正漏れと思われる固有名の誤記(上記(2))、先行研究の不十分な検証(上記(1))、おそらく執筆時の混乱と思われる当該オペラ団体とは無関係な作品の記述の混入(上記(3))が集中していることを、私は大変残念に思います。

東京の研究会、東京の出版社の方々にとって、関西のオペラは、中世・ルネサンス期のイタリアや20世紀の北米・ハンガリーよりさらに遠い「未開の僻地」である、ということでなければよいのですが。

予約席の取り扱い

あれはドイツ国内だけの決まりだったのかヨーロッパ(大陸?)の鉄道全般に通用したのか、そして今もDBはそういうルールが有効なのか、私はよく知らないけれど、留学していた1991/1992年のドイツの列車の座席の予約は、実際に列車が走り出して30分過ぎてもその席が空席のままだと失効することになっていた。コンパートメントの入り口に「Reserviert」と表示がある座席であっても、30分過ぎたら勝手に座ってよかったのです。

どういう理屈でそういうルールになっているのか、大げさにいえば、「場所(座席)の占有」をめぐる法概念の問題であると思えなくもないけれど……、

未だ実現していない未來に運行する列車の特定の座席を確保する、というヴァーチャルな契約が、実際にその列車に乗車してその座席に座るリアルな行動を伴っていなければ失効する、というわけだから、少なくとも、ドイツ人は観念的であるとか、という漠然としたイメージでは説明できそうにないルールだと思われ、私は、なかなか良い制度だと気に入っていた。

コンサートの座席の予約も、同じルールで運用したらいいのに、と思うのです。

というより、一昔前の大らかなコンサートホールであれば、常連客は阿吽の呼吸で、人が来なさそうな座席に途中で移動していましたよね?

コンサートの座席というのは、実際に座ってみないとどんな具合なのかわからないことが多いし、高額の席や招待席が満足度の高い場所だとはかぎらない。未だ到来していない未來を予測して特定の場所を確保する「予約」という行為が、実際のイベントの終了まで一切変更不能に有効である、というのは、あまり健全な場の運用ではないと思うんですよね。

先日、事情があって演奏会の開演に間に合わず、1曲目の楽章間に大慌てで会場に入って、その曲を一番後ろで立ち見することになった。まあ、そういうことになるだろうと思っていたので、それはいいのです。

客席を見渡すと、ちょうど最後列の大半が空席だったので、だったら2曲目からここに座ればいいと目星を付けた。

(渡されたチケットは随分前方の座席だったので、私は、もし開演前に会場に着いたら、どの道、最後列に移るつもりだったので好都合だ、とも思っていた。)

そして1曲目が終わって、さあ座ろうと思ったら、そのホールでは、職業意識に燃えるレセプショニストさんが、どうやら無線か何かで遅刻してきた人間の「正しい座席」の場所を受け付けから伝えられていたらしく、私のチケットには目もくれることもなく、「お席までご案内します」と言うので驚いた。私が「ここでいいです」と言うと、あたかも私がルールをルールとも思わない無法者であるかのように、「そのお席にはあとでお客様がいらっしゃるかもしれませんから」ときっぱり言い放って、さあこちらへ、と誘導するのである。

案内されたのは、最後列から延々通路を下って、客席中央の会場全体から丸見えの座席(初演コンサートで作曲家が座って、演奏後に指揮者から呼ばれて大急ぎで舞台へ駆け上がるのに丁度良さそうな場所)だった。曲間で舞台転換もない時間に、いい晒し者である。(そうなるのがかなわないから、最後列でいい、とこちらは言っているのに。地元のオーケストラの週末の午後の定例的なコンサートで、前半のコンチェルトだけ聴いて帰る人はいるだろうけれど、前半をパスして後半のシンフォニーだけ聴きに来るお客さんが10人以上いるとは思えないし、こっちはそれをわかって言っているのに……。)

コンサートの座席は、特定の人物に「販売」した以上、そのコンサートが終了するまでは、たとえその人物が実際にはコンサート会場に現れなかったとしても、その人物以外が決して座ってはならない。

そういうルールを設定して運用する、というのであれば、それはそれで、主催者やホール運営者の自由ではあるけれど、このルールは、実際に会場にいる者を随分不自由な状態に押し込める。

未來を先取りするヴァーチャルなルール(座席の予約・割り当て)と、実際のコンサート空間の状況は、必ずしも一致しないに決まっているのだから、はじまってしまえば、会場に実際にいる人たちでお互いが納得するように運用すればいいし、そのほうが、はるかに「ライヴ」だと思うんですけどね。

たぶん、コンサートの在り方としては、そっちのほうが本来の姿であろうと私は思う。それは嫌だ、という人が大多数なのだとしたら、ヴァーチャルなルールをどこまでも押し通すローカルな「新しいコンサート」を推進してもいいですけど……。

(コンサートホールは、もはや、コンサートがはじまってしまえば、そこから先何かが起きたら演奏家と聴衆が臨機応変に対応すべし、みたいな自由な個人の空間ではなくなっていて、客室係さんが飛行機の客室乗務員のように「管理」するべきだ、という思想が推し進められて、来るところまで来つつある、ということかと思う。「クラシック専用」を謳うコンサートホールは、今そんな感じですね。実はそれほど古いことでもなく絶対そうでなければならないとは言いがたい慣習を、かくあるべし、と杓子定規に思い込む運用が、局所肥大している感じがします。

契約は明朗にしたほうがいいんじゃないか、という、ひとつ前の記事と逆のことを言っているわけではなく、コンサートのチケット販売は、必ずしも指定された座席の占有権への対価という形じゃないなくてもいいだろうに、ということです。「クラシック専用ホール」は、座席指定へのこだわりが戯画的なまでに強いですよね。あれは何なのか。クラシック音楽はそうでなければならない、というものではなく、20世紀の大衆化した自由市場の機会均等の上に「高級感」を接ぎ木するねじれではないかという気がします。コンサートホールの座席は、飛行機で言えば、全席エコノミーみたいなもので、そういうものが求められた大衆化の20世紀特有の構造なのだから、reserved seat のスペシャル感の演出を過剰にしようとすると無理が出る。)

[追記]

いずれにせよ、暗い客席での一瞬の微妙なやりとりへの違和感ではあるわけですが、私は遅刻していたので、場の雰囲気を壊さないようにほぼ間違いなく空席のままになるであろう最後列でいいだろうと示唆したわけで、いわば、それがその時その場にいる「お客様」の意志だったわけですね。

「このお客様を指定の座席まで誘導するのが私の務めである」とか、「もしかするといらっしゃるかもしれないお客様のためにこの席は空けておくべきである」とか、と言うときの「お客様」は、その場に実在しないわけで、客室係さんの脳内には、目の前にいるお客様とは別の次元で、抽象的な「お客様」像が巨大に君臨していている感じがした。彼女は、目の前のこのお客様ではなく、脳内の不在の抽象的な「お客様」への心遣いを優先する不在の抽象的な使命感で動いていたんでしょうね。そのような「極上のサーヴィス」で「よろしかったでしょうか?」と念押しされてしまいそうな状況は、いかにも現代日本らしいことではありました。

知と契約

書く時間がなかったが、遊牧と僧院の比喩の件には私なりの続きがある。

知・学問が社会・共同体とは本質的に適合しない営みであり、だからこそ、外部へ出たり、山奥に引きこもるしかないのだ、という判断が、私には実はよく理解できない。むしろ、知や学問は、社会・共同体にそこそこ役に立っているし、これからも役立てたいと考えている人が大多数なのではないか。

例えば、大学を設置し運営する人たちが、日本でも最近は明文化された雇用契約を教員・研究者と交わすことになっていて、これが体の良い首切り・リストラ、経営陣の独断専制の武器になる、というので概して評判が悪いようなのだが、契約を交わすことは、雇用される側の義務を明文化するだけでなく、雇用する側の義務を明文化することでもあるのだから、利害が真っ向から対立する敵対関係にあるのでない限り、むしろ、協力・協働関係を明確化して、おおむね、いいことだろうと私には思える。

遊牧や僧院にこだわるのは、社会・共同体との利害の対立を和解しえない不適合へと一足飛びに過激化する物言いで、あまり生産的ではないと思うんですよね。

知を契約に落とし込むために知性を働かせる、ということがあってもいいんじゃないか。高等教育機関における雇用契約の在り方が、その国のどの法人よりも先進的で、あらゆる勤め人の規範になる、そういう状態を知識人が目指すことは、十分ありうるだろうと思う。

現時点で知識人がいまいち尊敬されていないとしたら、それは、まっとうな勤め人であれば顔をしかめそうな雇用形態に唯々諾々と従ったり、契約関係がいいかげんな状態を放置しているからなのではなかろうかと思うのですが、どうなんでしょう?

熱狂の日をめぐる情熱と冷静

井上道義が、彼の預かり知らないところで金沢がLFJから外れることになったと書いているのを知り、大津のLFJに、当初はマルタンと並んで記者会見に臨んでいた沼尻竜典がある時期から参加しなくなったのとは、また違う事情があるのかな、と思った。

もちろん具体的なことはわからないし何も知らない。

大津(滋賀県)がLFJブランド推進勢力と上手につきあいながら破談にならない落としどころを見つけたのに対して、金沢(石川県?)は、そういう落としどころを見つけられなかった、というだけのことかもしれないし……。

ダンスと音楽 躍動のヨーロッパ音楽文化誌

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タイトルだけ見て、舞曲史の授業の恰好のサブテクストになるかと思って購入したら、昨年のナチュールに続いて、LFJの長い檄文のような書物だと買ってからわかった。LFJがこういう檄文を掲げて突き進むムーヴメントなのはわからないではないけれど、私が欲しかったのは、大言壮語になりがちな講義を補完する冷静な最新データ集だったので、私のニーズには合致しない。

ともあれ、twitter には、ルネ・マルタンの言葉とされるものを宗教的カリスマか、あるいは、自己啓発本なのか、と思わざるをえない文体で切り出してつぶやくアカウントがあって不気味である。

大阪ビジネスパーク界隈の室内楽をめぐる3年に一度の情熱と冷静の日々は、今週末からはじまる。今回は、フェスタが平日、週末に予選・本選があるので、私としてはむしろ予定を組みやすくて助かる。

遊牧から僧院へ:創られた高等遊民神話の現在

80年代ニューアカ・ブームでは、スキゾの語とともに、「逃走」のシンボルとして遊牧・ノマドへの憧れが語られた。柄谷行人が垂直の形而上学ではなく水平・横断的な世俗批評を唱えたのもその文脈だろうし、サントリーがテレビCMにランボーを登場させたりした。小泉文夫や梅棹忠夫は、そうした「遊牧」株の高騰で、事後的にノマド論の先駆者に祭り上げられた。(桑原武夫は、京大人文研に君臨して、そんな梅棹らの新京都学派を統括するボスだった。)

でも、「遊牧」の理念上の舞台である中央アジアは、実際には北のロシアや南のイスラム圏、西の中国と複雑に折衝する地域だし、1990年代以後にイスラム原理主義が台頭して、ソ連崩壊後のロシアも覇権主義が露骨だし、中国は逆に市場経済を大幅に導入したので、中央アジアは、楽天的に「遊牧」を語る場所ではなくなった。今わたしたちがモンゴルでイメージするのは、80年代のイメージCM風の遊牧ではなく、日本人力士をなぎ倒したヒール的な外国人横綱、朝青龍だろうと思う。

(高見山から曙まで、外国人力士といえば日米友好のシンボルみたいなハワイ出身と相場が決まっていたのが、時代は変わりましたよね。お相撲は、日米安保の傘の下から一足早く出たかのようだ。)

90年代からゼロ年代に、「図書館」(水村美苗が叡知の殿堂として賞賛した)や「僧院」(北米分析哲学には中世スコラ哲学を再評価する含みがあるらしく、中世の修道士たちの生き様こそが哲学を加速すると思われている節がある)がしきりに語られるようになったのは、学者もしくは大学人が、領域を横断して「動く」のではなく、研究室に引きこもるほうが有利である風向きになったせいだと思うが、しかしどうだろう。

西洋史では、ローマ帝国、特にその後期末期の歴史(=中世初期)が最近ではあれこれ研究されているようで、修道院は、その成立経緯を踏まえると、「薔薇の名前」でエーコ/アノーが描いたような推理小説風の密室、図書館と一体化した瞑想・黙想の場であったとは言えそうにない。そもそも、ヨーロッパには、キリスト教が誕生してから1000年くらいの間は、現在のような「紙」はほとんどなかったわけですよね。修道院が「書物の殿堂」になったのは、おそらくせいぜい中世後期からだと思う。

(山崎正和は、映画「薔薇の名前」を公開当時に絶賛したと聞いているが、どうやら、知・書物を欲望する聖職者、という「創られた僧院神話」の文脈ではなく、ディテールの積み重ねが中世の雰囲気を見事に生み出している、というアナール派的な態度に共感したようだ。評論家としての山崎正和は、「不機嫌」とか「気分」とかに着目して文学を読む人だったように見える。このように、「薔薇の名前」ですら、公開当初は、必ずしも「修道院への憧れ」を掻き立てる文脈に置かれていたわけではないことを覚えておきたい。)

ついでに言えば、日本の寺も、しばしば天皇家や有力な公家の跡目争いと連動して、世俗に残しておくと火種になりそうな者が高位の僧侶になるのだから、機会均等といいながらも実際にはそれなりの家の出じゃないとフル装備の大学教授として活動するのが難しい現在(明治以後)の日本の大学と事情は大して変わらない。浄土真宗(本願寺)のような後発の宗派は、世襲の後継者をいったん公家の養子にして体裁を整えたのだから、教育機関に官僚が天下りするのと似たようなものだろう。僧兵の活躍は有名だし、最近出た『応仁の乱』では、奈良の寺が荘園の経営者に見える。日本の中世の仏僧は、およそ「研究室に引きこもる大学教員」とは似ていない。

「僧院/修道院」を学問の故郷として憧れる、というのは、たぶん、「創られた神話」であり、これを「アジール」と呼ぶのは、80年代「ノマド/遊牧」信者の残党がここに逃げ込んでいる証拠ではないかと私には思われる。

(ハイデガーが何か言っているそうだが、フランスのポストモダン批評は、ニーチェとハイデガーを輸入して自国の哲学伝統に接ぎ木したフランスにおけるドイツ派であったと言われますよね。ポモ的な遊牧とコンサバ風の僧院がここでつながる。)

かつて僧院/修道院とはそういう場所であった、という確定的な言い方をするのではなく、現代のサラリーマン大学教員にとって、自らがサラリーマンであるがゆえの根無し草な心性が、僧院/修道院という想像的なユートピアを要請してしまう、という物悲しい精神分析が要るんだと思う。


1983 サントリー ローヤル

改めてサントリーのランボーを見ると、天使と大道芸人とランボーなんですね。うーむ。

遊牧とか僧院とかに憧れて大学に残る、というのが、正直言って、わたしにはよく理解できない。サントリーがウィスキーを「文化」にしようとしたのは、サラリーマンのナイトライフの充実に勝機を見いだしたのであって、市場経済からの逃走とか、そんなプログラムはここには装填されていない気がするのだが。

アジアの半島問題の歴史的深度

ATMを求めて連休の谷間にイオン・モールに行ったら、駅から続く歩行者専用道路を家族連れがのんびり歩いて、随分快適な空間であることに気付かされた。

東浩紀は随分前からそう言っていたが、郊外のショッピングモールは、もはや「ファスト風土」というような「失われた20年」のデフレ・スパイラルの象徴とは異なる何かに変貌しつつあるのではないかと思った。

そして、ふと、このようなショッピングモールでゴールデンウィークを過ごしながら、同時に、「国際的緊張の高まり」が報道される状態は、核の脅威を先方がちらつかせているからといって1940年代の総力戦のアナロジーで考えるのは違うのではないか、むしろ、1960年代の高度成長期に勃発したインドシナ半島の戦争とのアナロジーで捉えていいのではないか、と思いついた。

私たちは、ポストモダンの語を受け入れるにせよ受け入れないにせよ、このところ、現在の出来事を1960年以前の「遠い過去」と照らし合わせて恐れるのが思考の習慣になりつつある。1990年代のヨーロッパのグレゴリオ聖歌ブームのなかで、北米主導のグローバリズムと中東の対立を「中世」になぞらえて「帝国」の復活と形容したり、「維新」という明治の王政復古や昭和前期の青年将校の未遂に終わったクーデターを連想させる語彙で日本経済の停滞と再生へのプログラムを飾ったり、そうかと思えば、こうした動きを庶民の目線で批判するときには、総力戦・総動員という20世紀前半を特徴づける「(新)体制」の復活もしくは強化を警戒する構えになる。

でも、私たちの消費行動は、本当に1960年代の向こう側を参照しなければ説明できないほどに変化しつつあるのだろうか。実は私たちは相変わらず1960年代から地続きの場所にいるのではないか。

だから安心しろ、というのではなく、この程度では「向こうの世界」にアプローチすることができないくらい1960年代以後に築き上げられたものは頑強だ、というのが、一番恐ろしいことではないのだろうか。

その実体は、ごく単純に、「団塊世代」という数で前後の世代を圧倒してしまえる層の問題に過ぎないかもしれないけれど……。

ベトナム戦争反対は日本の左翼運動のなかで唯一、ウーマンリヴと並んでまともだった、みたいな総括を見直す近い過去の再検討が、遠い過去を呼び出すよりも、むしろ大事なことではなかろうか。

お金と数字が他力本願な文系人のお務め

その1:

大学改革が難しい理由 - みたにっき@はてな

大学教員は自営業に喩えられると言うが、大学という施設の土地・建物・すべての資財と消耗品の維持管理費を含めた経理、監督官庁とのやりとり等を大学教員が個人がやっているのだろうか? 大学という法人は、その程度の規模なのだろうか?

大学教員は、商店街の自営業者(はそういうことをぜんぶ自前でやるよね)ではなく、大学というショッピングモールの店子に過ぎないと思うのだが、違うのか?

その2:

その1で述べた構図は、

「フィボナッチ数列をありがたがる人は、たいてい、自分で数えてはいない」

という「神秘のからくり」と何かが似ている。

もちろん、数学的なアイデアが、生物学の問題の解決、それも非常に根本的なレベルでの解決につながることは十分にありうる。
生物学史上最大の発見であるメンデルの法則は、歴とした数理モデルであるし、チューリングの反応拡散モデルは形態形成の理解に必須のものになりつつある。
しかし、そういう極めつけの成功例には、前提として「現象の本質を見抜く目」が必須であり、道具としての数学の役割はそれほど大きくはないのだ。
そこんトコロを解っているのだろうか?

[……中略……]

ヒマワリの種の場合、らせんの数が少ない時(40以下)は大抵フィボナッチになっています。それ以上の場合は、らせんが途中で乱れ、数えにくくなります。筆者の知人の数学科の先生が、学生に数を勘定させてところ、1000ぐらい数えて、ほとんどフィボナッチになっていた、という結果だったそうです。しかし、話をよく聞いてみると、数えにくい花、すなわちらせんが乱れた花は全て「数えにくい」と言う事で除外していた事が解りました。筆者がネットで見つけた「大きなひまわりの花」で試したところ、どれも一部にらせんの分岐があり、正確にフィボナッチ数であった物は10%以下(0/10)でした。

http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/fibonacchi.html

その3:

学問は宗教として生き残るしかないのではないか、というつぶやきを少し前に見つけたが、

それは本当に、知と信念が深い絆で結ばれているということなのだろうか。

日本の現在の状況では、知・学問が「経済効率」の旗印で攻撃されている一方で、宗教を名乗るとそこまで攻められないから、相対的に有利である、ということではないのだろうか? 大学人が、実際には自営しておらず、自分でお金と数字を管理しない他力本願なものだから、羽振りの良さそうなテナントとしての宗教に頼りたくなってしまう、というだけのことではないのだろうか?

(桑原武夫の蔵書1万冊の話だが、図書館が自前の「蔵書」として環境を整備しようとするとラベリングして目録に登録するだけでたぶん数百万かかるだろう、という指摘があった。信仰心が濃いか薄いか、の話ではなく、こういうときに数百万をポンと出せるのは、いまでは宗教法人くらいだろう、ということだと思う。

あと、京都府立図書館の人が「うちではそういうやりかたはありえません」とコメントしていたが、京都市と京都府は伝統的に不仲で張り合っているので、これは、敵失を捉えた京都人らしいイケズだと思う。)

舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

山崎正和が、職人は仕事の成果を「稼ぎ」と言うが、サラリーマンの仕事は「お務め」と呼ばれる、そして「お務め」は、もともと宗教行為ですよ、と言ってますね。

大学教員は研究をなりわいとしているが、だからといって研究で「稼いで」いるわけではないですよね。問題は、研究という「お務め」が既にサラリーマンの「お務め」と同等に世俗化しているのに、あたかも「宗教的なお務め」であるかのように装ったり、「お務め」とは異なる何かであろうとすることでしょう。

「世俗化したお務め」をそうではないと言い張ろうとするから、意固地になったり、日々歯を食いしばったり、酒を飲みながら愚痴を言ったり、キモさをひけらかしたりしなければならなくなるのではないだろうか。

問答無用な東国文化を柔らかい個人主義で論評する

山崎正和が、サントリー文化財団設立当時を回想して、当時の東大の先生たちの権威主義(目上の研究者を「先生」と呼ばずに「さん」付けすると烈火の如く怒る、とか、どこかで無礼者を問答無用に切り捨てる感じがあるわけですね)を指摘するのを読むと、彼がどうしてサラリーマンに人気があったのかわかる気がする。学生として接してもピンと来ないところがあったが、山崎正和は、年功序列な「組織」に入った人たちに染みる話ができたんだと思う。

思えば、関西文化人(←関西財界に元気があった昭和期にはこういう立場があり得たのです)のなかで、小松左京とか梅棹忠夫とか、万博をもり立てた大正世代が戦後のボスで(今話題の桑原武夫もここに含まれるのだろうか?)、山崎正和は営業課長めいた社交的な中間管理職の雰囲気がある。