大学教員資格更新テスト(論述)

主要な研究不正には捏造・改竄・剽窃と三つの類型があるけど、なぜサイエンスでは捏造と改竄が問題となりがちで、人文系では剽窃が問題となりがちなのか。それはおおざっぱにゆうて前者は主に事実に焦点がある学問であり、後者は主に事実を解釈した表現に焦点がある学問だからです。

このtwitter発言にある「捏造・改竄・剽窃」は、文部科学省の研究活動の不正行為への対応のガイドライン

2 研究活動の不正行為等の定義:文部科学省

が列挙する「捏造・改ざん・盗用」の不正確な引用であると考えられる。

21世紀の研究倫理という観点から、この事態を分析、考察してください。

増田聡さんはネットで議論をしないんじゃなかったんですか?

(あと、週末は家族サービスに徹してtiwtterしない、と奥様あたりから厳命されていたのではないか、と書き込みのタイミングから推測していたのだが、違ったのか。)

言いたい放題、エエ調子やね。

昔、樋口光治という人がいた。農家の跡取りが高槻高校(私学進学校)から関学に進んで、谷村晃が阪大に移るのを追いかけて関学卒業後に阪大に学士入学。大学院の博士課程で年限ぎりぎりまで粘って助手に引き上げてもらい、谷村晃が大阪芸大に移ったときに同校講師になった。いまも大阪芸大で教えているのではなかろうか。谷村時代の音楽学研究室の宴会部長で、末期には、「助教授山口修」とその周囲の人たち(現同志社女子の仲さんとか)を酔っ払って(いや素面のときも)延々とdisるのが定番だった。(現在の倫理で測ればパワハラである。)

こういう芸風の人が、昭和生まれには一定数いるのです。

平成生まれの皆さん、覚えておきましょう。

そしてようやく、「演歌的」情実人事の解明に向けて

制度に問題や破れが生じたときには、まず、制度的な手順に沿った修復を試みるのが順当だろう。

任意団体が開催した行事におかしな点があるなら、その行事の主催者が責任を問われる。学会のシンポジウムが妙な展開になったとしたら、そのシンポジウムの企画運営者が責任を問われることになるだろう。

輪島祐介がここ数年の間に提起した研究課題としては、(1) 演歌の言説史 (2) ニューリズムに着目した昭和期の舞踊と流行歌の関係の見極め (3) カタコト歌謡というカテゴリーの提唱、の3つが世に出ていて、(2)は課題としての広がりが豊かで、これを踏まえた関連研究が次々出てきそうな予感がある。(3)は、まだ海の物とも山の物とも知れない。そして(1)は、既に流行歌研究に対する発見的な効果の賞味期限が切れつつある(輪島自身もシンポジウムの冒頭でそのことをほぼ認めた)。

今後の将来性・成長可能性という観点で言うと、

(2)が本命で、(3)は大穴、(1)は無印

ということになるかと思う。そしてそうであるにもかかわらず、敢えて今(1)を学会の場で話題として取り上げるのは、「不出来な子ほど可愛い」という親心に見えてしまう。だから私は、そんな温情でシンポジウムをやっていいのか、という懸念を開催前に指摘した。

シンポジウムの登壇者の顔ぶれには、ひとりだけ、演歌研究に直接携わっていない者が入っていた。そして案の定、この人物がシンポジウムでは不規則行為で暴れ回った。

この人物が輪島祐介の学生時代からの「友人」であることは周知のことで、実際、この人物はtwitterで「輪島君」などとなれなれしく輪島祐介を呼んでいたのだから、情実人事が見事に失敗した、という風に総括するのが、一番簡単な決着だろうと思う。

でも、どうして今このタイミングで輪島祐介が情実人事に手を染めてしまったのか、その動機がまだはっきりとは見えない。

増田聡は最近全然勉強していなくて、学生時代のツレであった仲間のなかでは、「輪島君」や吉田寛(彼もまた輪島祐介を「ワジマ先生」と妙な表記で呼ぶ)とは随分差がついている。

以下は私の推測だが、シンポジウムを企画した段階で輪島祐介にそのことは当然わかっていたはずで、彼は、「不出来な子ほど可愛い」の論理で演歌研究をテーマに設定したときに、だったらここでいっそ、「不出来な友人への救いの手」をさしのべようと思ったのではないか。

もうひとつよくわからないのは、なぜ輪島祐介がほかでもなく日本音楽学会の関西支部でシンポジウムを企画することになったのか、ということだ。

推測に推測を重ねることになってしまうが、ひょっとすると、学会の例会幹事から何かやってくれと頼み込まれたのではなかろうか? そして、「不出来な学会」からの依頼に一肌脱ぐのであれば、「不出来」つながりということで自分の研究課題のなかで一番不出来なものへのどうしようもない愛着を表明することにして、ことのついでに、友人たちのなかで一番不出来な奴を呼ぼう、ということだったのではないか?

(あと、これも現時点では当事者が事情を明かしてはいないので想像の域を出ないが、新書ブームに乗って演歌論の出版が実現する過程で、ひょっとすると増田聡が何かの役割を演じたのではないか、と私は思っている。そういう若き日の「借り」を、しがらみゆえに断り切れない学会行事の機会に返してしまおう、ということだったとしたら、ほんとにどうしようもない公私混同ということになると思いますが、これはあくまで私の想像でしかありません。)

そうではないかもしれないけれど、そのように勘ぐられてもしかたがないくらい念入りに「不出来」感が重なってしまうようなイベントは、仮に「炎上商法」だったとしても、わたくしは二度とやっていただきたくない、と考えます。

日本音楽学会会員 白石知雄

討論の作法

一連のエントリーで書いたことの概略は、既に先の学会の最中にシンポジウムを聴きながら考えたことである。(斎藤さんの著書を持って行っていたので、本の余白に書いたメモが残っている。)

映画で知る美空ひばりとその時代 〜銀幕の女王が伝える昭和の音楽文化

映画で知る美空ひばりとその時代 〜銀幕の女王が伝える昭和の音楽文化

シンポジウムの最後にフロアからの質問を受け付ける時間があったが、そこで発言しなかったのは、既に時間が延びていて私もさっさと帰りたかったのと、2人目の質問がぼんやりした内容で、いかにも、これでもう終わり、という空気になったのと、司会の輪島祐介の口調のハシバシが好戦的で、こんな司会者が取り仕切る場で質問したら紛糾して生産的な話にはならなさそうだ、面倒くさいと思ったからである。

それに、登壇者のうちのお二人は非会員のゲストであり、わざわざお時間を割いてくださっていることに礼を失しない振る舞いはいかにあるべきか、ということも考え合わせねばならないだろう。(この点では、増田が異種格闘技風に食い散らかして「お客様にたいする失礼ポイント」が既に十分に高くなっていたわけだから、負債をきちんと返して残り数分できれいに会を締めくくるのは難儀なことだったと思うし。)

先に「朝ナマ」みたいだ、と形容したが、かつて文芸誌をにぎわせたような「座談」には座談の作法があり、研究会の討論には討論の作法があり、テレビショウの異種格闘技風のライブには異種格闘技ライブの作法がある(と私は思う)。増田聡は、司会の輪島がある方向に話を進めようとすると、それをさえぎって自説を展開したり、自分から誰かに問いかけたり、というように異種格闘技ライブの作法で振る舞っており、その態度は、例えば斎藤が体現していたような研究討論の作法とは違いが際立っていた。

端的に言って、私は異種格闘技ライブの観覧チケットとして日本音楽学会の会費を支払っているわけではないし、周囲が研究討論のつもりで準備して登壇している場で、ひとりだけ異種格闘技ライブを演じて、どうだ参ったかと周囲をマウンティングしたとしても、そんなものは、本物のチャンプではないと思うし、研究討論の限界を突破した新展開でもないと思う。

研究討論の場は、「空気を読む」のとは別の仕方で淡々と適切にコメントすればそれでいい、という作法で臨むのが通例だろう。

しかし、司会者の態度と、フロアの質問から推察される期待値と、残り時間とを考えて、ここで何かを言っても無駄打ちになると思えば、黙って帰る権利は誰にでもあるだろう。

そういう風にならないためにはどうすればいいか。

研究の活性化を求めるのであれば、この寒々とした状況を直視するところからはじめるしかあるまい。

Q. As usual, you don't shy away from contention. I don't think anyone will call this an objective history. How, as a historian, do you stand on the matter of objectivity?

A. There are contentious aspects to the way I tell the story, but I actually don't believe the term ''objective'' is without meaning. I try to write nonpartisanly. But if you raise social questions, you're accused of partisanship. I don't actually take a side in many of the debates that I report, but I do report them.

CLASSICAL MUSIC - DEBRIEFING - A History of Western Music? Well, It's a Long Story - Interview - NYTimes.com

Q: 客観性に関して、歴史家であるあなたはどういう立ち位置なのでしょうか?

リチャード・タラスキン:私の語り口には論争好きな一面があります。しかし私は「客観性」が意味を失ってはいないと信じます。私は無党派的に書こうと試みました。それでも、社会的な問題が起きれば、党派性を糾弾されるでしょう。私は、自著でたくさんの論争を報じました。こうした論争で、私は特定の側に加担しません。それでも、その論争を報じます。

懐柔の作法

オレはネットでは議論しない。ネットに書いたことに言いたいことがある人とは対面でお話しします。

こういうことを「ネットで」宣言するとか、実に見え透いて馬鹿らしいことである。

そういえば、先日学会の休憩中に廊下ですれ違ったときには、妙に大げさに「いやあ、お久しぶりです!!!」と抱擁せんばかりの勢いで増田聡のほうから話しかけてきたが。

(私は、うっとうしいから、「トイレどこ?」とだけ訊いてその場を離れた。)

中堅大学教員による情報統制の閉塞感

増田聡とその仲間達には、何かを面白く物語る能力が決定的に欠けている。問題、問題、と言い募るだけではうっとうしくつまらない、という局面が到来することに気付いていないようだ。

今の若い人たちは、大して面白くはない物語が飽和して出口がない状態で溺れているように見える。

ところが、問題・問題で頭がいっぱいの中年層には、陳腐な物語に溺れる若者達に手をさしのべるための基礎体力がない。さしずめ、人文知の不幸とはそういうことだろう。

(物語る能力について誰かがおずおずと語り始めたとたんに、「それはヘイドン・ホワイト問題だ」と吉田寛がこれを官僚的に問題化して潰しにかかる、というような内ゲバが続くようでは処置なしである。そもそも、岸という立命館の新任教員が紡ぐお話たちは、本当に面白いのか。芥川賞の選考では箸にも棒にもかからなかったようですが(笑)。)

タラスキンが長い長い音楽史の物語を紡いで、「文学伝統における音楽」を打ち止めにしてしまった先には、そういう光景が見えている。

ビジネス話法よりも、むしろそれに抵抗しているとされる人文家の「問題提起」話法のほうが、いわゆる「戦時中の軍人のアジテーション」に似ているんだよね。

学位を配給する権限を握って若者のキャリア形成・生殺与奪の鍵を独占する大学教員は、ちょうど、かつて紙の配給を差配して言論を統制する軍人たちがそうだったように、公然とつまらんことを言っても許されているわけだ。

國學院を出た高校教師を父にもつ増田聡が人文青年将校の最右翼として振る舞うのは、実に象徴的な2018年の風景である。

「大坂の陣」シンドローム

我が国に犯罪者が多すぎるかどうか、という議論は、犯罪の専門家であるところの犯罪者自身にしか許されていない

のだろうか?

高等教育の現場担当者であるところの増田聡氏の詭弁は、専門家という概念と当事者という概念を故意に混同して、話をミスリードしている。

何でもいいからとにかく頭数を揃えてそれらしい形を作って籠城する、というのを、最近、大阪の色々な場所で見かけるが、あれは何なんだろう。「大坂の陣」シンドロームとでも名付けるべきだろうか。

真田丸 完全版 第四集 [Blu-ray]

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リアルに大阪生まれ大阪育ちの小説家が書いた「プリンセス・トヨトミ」は、そういう話じゃないんだけどなあ。

プリンセス・トヨトミ (文春文庫)

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当事者こそが専門家という籠城論は、京橋のアパッチみたいな50年代60年代の議論に想像力が後退してしまっているのではなかろうか。

日本三文オペラ (新潮文庫)

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日本アパッチ族 (ハルキ文庫)

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夜を賭けて (幻冬舎文庫)

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聴衆の消滅:第三者の審級について

シンポジウムの企画・進行係とパネリストの関係が曖昧だったり、記録・報告を登壇者自身がやったり、というのは、とてもわかりやすい「第三者の審級」の消滅、渡辺裕の著作をもじれば、「聴衆の消滅」だと思う。

今では多くの任意団体でその風習が失われつつあるようだが、「戦後民主主義」という理念が有効であった高度成長期は、1930年代に中井正一が構想した「委員会の論理」をそれなりに実践する形で任意団体が新体制に対処した時代であったと言いうるように思う。日本の「学会」「研究会」には、ルネサンスのアカデミーとか寺子屋とかという遠い過去の想像的な起源とは別に、そのような近い過去の実証可能な起源がある。

そのような戦後の「委員会」タイプの任意団体の風習のうち、会則を設けて、運営組織を整備する、というような記録が明確に残る部分は、多くの任意団体が顕在的・潜在的に「法人」に再編されつつある21世紀にも継承されているが、記録にはあらわれにくい「会合=イベント」本体の風習のうち、どうやら「第三者の審級を立てる」という発想は、なしくずしに失われつつあるように見える。

往年の「委員会」タイプの会合は、議長と記録係を運営サイドとは別に立てる、というのが通例である(であった)。今でも、官公庁系の会合や株主総会など、形を崩すわけにはいかない会合はその風習を残しているが、個人の自発的な意志で成り立つ任意団体の多くは、今ではそのような「第三者の審級」を会合の場に設定する力がないようだ。

「第三者の審級」が要請される(された)のは、

「人は自らの声を自らの耳で聴くことはできない/人は自らの姿を自らの目で見ることはできない」

という認識が基礎だと思う。委員会的な「会合」だけではなく、イベント全般、ライヴ・パフォーマンス全般の基礎にあると長らく信じられてきた格言ですね。

でも、一方で、

「録音があれば、誰が会合の記録を作っても同じことだ」

というのが、おそらく、1970年代以後のメディア環境で育った者のぶっちゃけた考えなのだと思う。

録音と動画があればいい。環境が許すようなら、リアルタイムのストリーミングとタイムシフト試聴ができるようにしておけば、もう、記録係なんていらなくね、ってなことかと思う。

でも、実際に会合を有料で動画配信して会社化している東浩紀が「観光」と言いだしているのは、第三者の審級が要請されるし、やっぱり生成されてしまう、ということだと思う。

写真・録画・録音についても視聴覚文化論的検証がさかんで、ジョナサン・スターンのけばけばしい文章をざっと読むだけでも、録音とその再生・聴取は、「自らの声を自らの耳で聴く」のとは異なる、相当人工的な信念・前提・仮定の上になりたつ「文化」なのだとわかってきますよね。

第三者の審級を立てない任意団体は、「聴衆を消去」することで全能感を謳歌しているわけだが、まあ、普通に考えたら、むしろその団体のほうが先に滅びるでしょうね。第三者がそこに関与することなく閉じているわけだから。

聞こえくる過去

聞こえくる過去

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

そして今から振り返れば、聴衆は本当に「誕生」していたのか、ってことになりそうだよねえ。

聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化 (中公文庫)

聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化 (中公文庫)

観光都市京都であるとか、西宮北口・梅田あたりに新たな拠点が形成されつつある阪急沿線文化とか、柔らかい個人主義のほうは、「女子力」の支えで今もしっかり存続していますけど、渡辺裕の「東大男子力」は分が悪そうだね。

舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー

(ちなみに、70年代以後の「千里文化圏」構想に乗ってそれなりの存在感を誇っていた日下部吉彦さんは、同志社出身というだけでなく京都生まれだったことを、先の葬儀で知りました。大変立派な発声の法然院のご住職が日下部さんの葬儀に執り行っていた。

千里丘陵の未來は先行きが不透明だけれど、「千里に賭けた京都人」は梅棹忠夫だけじゃなかったようですね。)

自称フィクサー

ネットをカチャカチャ検索して思いつきを喋る増田聡は、上杉隆に似てきた。

数学者や自然科学者がその場で思いついた数式を取って出しで学会発表して検算を他人に任せる、とかありえへんやろ。そんなん、プロの研究者のやることやないで。何様のつもりやねん。調子こいとったらあかんで。(という切り返しで終わってしまう事態なのではなかろうか。ノスタルジーの諸相については、文学でも音楽でも、既にしかるべき先行の議論があるのだから、下調べして欲しい。)

大衆とテクノロジー

テレビを話の枕にするポピュラー文化研究のお作法のまねをすることになりますが、

2017年のドクターXは、シリーズとしての完成度を高める職人技に感心する一方で、最近話題のAIがスターウォーズ風の「ロボット」として登場したのは、既に老人向けメディアになって久しいテレビの限界なのかなあ、と残念だった。

出版とアングラ文化運動の親和性、流行歌/流行歌手の取り扱いにおける映画とテレビの差異、カラオケとノスタルジー、歌謡の情報社会的データベース消費(検索・コピペetc.)はなぜ戯画的に堕落するか? 等々、音楽をとりまく様々な行動(ミュージッキングですか?(笑))のメディア特性がテーマとして浮上して不思議ではない討論の場で、登壇者がそろいもそろって、MicrosoftやAppleの手先みたいにパワーポイント/キーノートでお茶を濁して紙の資料等を一切配布しなかったのは、現在の大学の人文学が、アラフォー中年(パソコンとAV器機が大好きな)に向けた週末の午後の serious leisure (←覚えた言葉を早速使う!)に成り下がっていることを示すのかも知れない。

20世紀の大衆文化、そして20世紀にふさわしかったのであろうグローバルな知の提案としての民族学・人類学は、いずれも、旧来型のアートとは比較にならない規模と広がりで、ニューメディアを活用したわけですよね。

(20世紀型の間接民主制という「新体制」は、ニューメディアとハイテクなしには不可能なしくみなのだから、当然といえば当然かもしれませんが。)

写真・蝋管蓄音機にはじまって、民族学者・人類学者はその時代ごとの最新機材を使いこなして成果を出している。ちょうど、手先が器用じゃないと医者(外科医や歯科医)になれないように、ハイテクをのりこなす才覚がないと、民族学や人類学はやれない。そういうものだったように思います。

そういう積み重ねがあるからこそ、ベルリンのダーレムや万博後の大阪千里にあるような20世紀後半の人類学のミュージアムは、旧来の美術館(アートの神殿)を乗り越える新しい博物館の形を提示することができたのだろうし、

現在の日本で、電子音楽に関する資料調査と啓蒙活動で最も優れた成果を出している人の本業がお医者さんなのは、たぶん、偶然ではないでしょう。

(そして学会のホスト役になった同志社女子の教授先生は、阪大時代にPC98の前に終日貼り付いていたりして、たぶん器用ではないけれども、根性で時代のハイテクにしがみつく人だったから、おそらく、今もそのように機材の面倒を引き受けているのでしょう。昨日の会場での行動を見る限りでは。)

一昨年くらいまで、聴覚文化論と称して、音楽と知覚とテクノロジーという問題系がそれなりに流行りそうな気配があったのに、あれはどうなったのでしょうか? ジョナサン・スターンのように妙にけばけばしいのに拐かされてしまった失敗体験、たった一度の挫折でへなへなと崩れ落ちる程度のものだったのでしょうか? キラキラと揶揄された程度でへこたれてどうするか、という話でしょう。

先のドラマでは、

「患者に寄り添うだけでは病気は治せないよ」

なるハードな台詞がありましたけれど、

大衆文化論が、大衆への愛みたいな優しげで思い遣りにあふれる「内容/コンテンツ」をどれだけ備えていたとしても、それだけではダメに決まっている。

「こたつ産業」という言葉があるそうですが、大学のアラフォー先生たちが茶の間でテレビを眺める周囲1m四方をどれだけ快適にしたって、それだけでは、20世紀の大衆文化には届かない。

たしかに「演歌」という表象が1970年代の家庭の茶の間にテレビを通じて届けられたけれど、そのようなテレビ的表象は、そこで完結しているわけではない末端/端末だったわけですよね。