言説史の彼岸

大栗裕の自筆譜研究や大阪の祭り囃子の調査、遺品として残された録音の解析をこれまでやってきて、それはつまり、西欧流音楽学、民族音楽学(比較音楽学)、ポピュラー音楽の基礎にもなりそうなニューメディア論を参照しながら大栗裕にアプローチしてきたこ…

オペラあってのオーケストラ

高校生の頃、大阪フィルに入った吹奏楽部の先輩が「今はオペラに興味がある」と言って、家に行くとずっとオペラのLPをかけていた。1983年、朝比奈隆が関西歌劇団のオペラから手を引く前後の頃だと思う。それまでずっと関西歌劇団のオペラ公演は大阪フィルが…

千人の交響曲の「演出」

びわ湖ホールが開館20周年記念公演で千人の交響曲を取り上げて、(1) カトリック典礼文による第1部を「序曲」風に純音楽的にまとめて、ファウスト終幕による第2部を所作と衣装のない音楽劇(オラトリオ風の)として盛り上げる。(だから、客席奥のバンダのブ…

ゴールを見失った演出、好発進だったのに

びわ湖ホールの「魔笛」は既に日生劇場でやったプロダクションだそうなので、今さら演出について何か言っても仕方がないかもしれませんが、前半はほぼ完璧と思えるくらい周到にひとつひとつのシーンを作り込んでいたのに、後半でそれらのアイデアがほとんど…

リアリズムの条件:オペラの20世紀/テレビの20世紀とのつきあい方

一連のエントリーで考えたことは、リアリズムといっても文学(自然主義)と演劇(いわゆる新劇)と放送(実況中継)は、互いにリンクしているけれど存立条件が違っている、ということかと思う。19世紀に隆盛を誇ったオペラ劇場が20世紀に凋落したときのてこ…

読み替え演出のパントマイム的な演技

オペラの読み替え演出は言葉(歌詞)が指し示すのとは別の物語が進行するわけで、そういう舞台を見て何がどのように読み替えられているのか観客が受信できるのは、言葉なしに所作(と舞台美術)からドラマを読み取っているからだと思う。所作(と舞台美術)…

テレビ世代の口パクに対する特異な感受性について

ラジオとかテレビとか新聞とか、団塊ならびにそのジュニアの感性に縛られていてダルいよね。*ミュージカル映画の歌やダンスのシーンはトーキー初期からずっと口パクだし、アニメーションは歌だけでなく台詞も全部口パク(アフレコ)なのですが……。むしろ映…

フェアネスの実践:「相互補完的なヒエラルキー」の成立条件

長木誠司『オペラの20世紀』のケージ「ユーロペラ」を論じた節、625-626頁には、増田聡『その音楽の〈作者〉とは誰か?』で展開された「近代美学」批判に対する批判的な読解が含まれている。(初出は、未確認ですが『レコード芸術』の連載だと思われます。)…

演奏史譚「第三十五話 大阪にオペラを〜朝比奈隆と武智鉄二〜」

東京の人がこの話題を事実関係等についてノーミスで書いているのを初めて読んだ。読むべき資料に全部目を通していないと、こういう言葉遣いでこの話を書ききることはできないと思う。朝比奈隆の欧米視察の力点がオペラにあったことをさらりと書ける人って、…

有産階級の言論

一昨日ゲンロンカフェでの対談後、東さんや土居さんと深夜二時過ぎまで呑んで話して(私は時折寝落ち)改めて気付いたんだけど、二人とも話の前提が「経営者」なんですよね。話題に上る人達(津田さん等)も同様。「被雇用者」は私だけw。対話や交流に値す…

ショパンとサンド

ドラクロワが描いたショパンの肖像とサンドの肖像が、もともとは彼のアトリエから没後発見された一枚の絵で、ピアノを弾くショパンの背後にサンドが寄り添う構図だったらしい。シルヴィ・ドレーグ=モワン『ノアンのショパンとサンド』(原書1988年)では、…

大著が次々出る

ゼロ年代には学者が薄い書き下ろしの新書を量産したけれど、(そして岡田暁生の本は単行本もこうした新書同様に一晩で読み切ることのできる分量・文体なわけだけれど、)西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)作者: 岡田暁生出版社/メーカー: 中央公論…

世界史のなかの西欧音楽

学生さんたちのレポートを採点しながら、現在のグローバルな情報ネットワークの海を検索ツールでサーフィンしながら「クラシック音楽」(東アジアのひとたちが20世紀後半に参入しようと夢見た「音楽の国」ですね)について語ることは極めてお手軽簡単なこと…

大栗裕「管弦楽のための協奏曲」の謎

本日神戸で大栗裕「管弦楽のための協奏曲」が演奏されました。資料からわかること、推測できることは解説に書かせていただきましたが、実際の音を聴くと、なぜ大栗裕はこの時期にこういう曲を書いたのか、改めて色々気になることが出てきました。1960年代は…

グイード・ダレッツォと上原六四郎:理論と実践の間に分け入る人類学は、「学問vs批評」という政治談義とは別物です

「平均律」と訳されているバッハの Wohltemperiert (Well tempered) は物理学(音響学)や機械工学(楽器の改良)を導入して考案された equal temperament とは別物で、調的和声の音楽は、バロックから19世紀前半までと、19世紀後半以後(改良楽器の使用に積…

「クラシックの迷宮 浪速のバルトーク~作曲家・大栗裕の生誕100年」

片山杜秀のNHK-FMの番組でも大栗裕が取り上げられましたね。NHK大阪でやった歌劇「夫婦善哉」の最後の場が放送されり、放送用音源や「大阪の秋」国際音楽祭での「擣衣」管弦楽版など、こういう機会でなければ電波に乗らなさそうな貴重な音源が放送されていま…

「演奏:大阪府音楽団 指揮:大栗裕」

樋口幸弘さんの連載エッセイを読んで、大栗裕が指揮した「小狂詩曲」のCDを買いそびれていたことを思い出して、早速、中古で入手。樋口さんの文章には、昭和40年代(1960年代後半から1970年代半ばのことなので昭和で区切るのが便利)に国内レコード各社が競…

大栗裕生誕100年企画(吹奏楽)

7月に入って、吹奏楽関係でも大栗裕特集の動きがあったようです。* NHKFM 午前7時20分~ 午前8時10分 吹奏楽のひびき ▽作曲家 大栗裕 生誕100年 中橋愛生楽曲「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」 大栗 裕(おおぐり・ひろし):作曲 (指揮…

FM OH! おしゃべり音楽マガジン くらこれ「大栗裕特集」

7月1日深夜25:15〜26:15(7月2日1:15〜2:15)既に放送は終わっていますが、radiko.jp で1週間聴けるようです。●使用音源リスト 山田耕筰(大栗裕編曲)「この道」、弘田龍太郎(大栗裕編曲)「浜千鳥」 朝比奈隆(指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団、197…

ミューミュージコロジーの前提:北米の知識人がヨーロッパにアイデンティファイした時代

ニュー・ミュージコロジーのアンソロジーにしばしばタラスキンの論文が収録されているのが、前から疑問だった。タラスキンがロシア/ソ連の音楽に関する知見をベースにして展開する議論は確かに的確で、その前の世代を乗り越える視点を含むとは思うけれど、…

大阪フィルと大栗裕

大栗裕の没後30年記念演奏会は2012年の命日(4月18日)に近い4月20日にザ・シンフォニーホールで大阪フィルと大栗裕記念会の共催で行われましたが、今年は生誕100年で、誕生日(朝比奈隆と同じ7月9日)に近い7月11日に大阪フィルが神戸の演奏会で「管弦楽の…

書物は、なるほど「産みの苦しみ」を伴うだろうが、所持・保管するのも大変です

6月18日朝の居間の写真。左に見える大栗裕と関西の洋楽関連の資料ファイルの棚は無事でしたが、「近代日本をカルスタ・ポスコロ!」系統の本をまとめて収納している本棚が倒れた。家具調にガラスの引き戸(もちろん粉々に割れた)が付いていたので、復旧に手…

『物語のディスクール』の人類学的ディスクール

ジュネットの Discours du récit という本が日本では『物語のディスクール』の題で訳され、英語では Narative Discourse と訳されているようだが、ジュネットの序文をとりあえず日本語訳で読んでみると、やはり récit という言葉が問題であって、これは直訳…

文字も読めるし楽譜も読める vs 文字は読めないが楽譜は読める

無文字社会が紙と出会ったときに、文字の読み書きはしないが楽譜(音の記譜)は読み書きする、というように、文字と音が別立てで紙に記載される文化が成立した、という事例はあるのだろうか。そういう事例が存在すれば興味深いことだと思うし、ひょっとする…

芸術と修辞:「論理がないならレトリックを使えばいいじゃない?」

前のエントリーの続きです。東大や京大の「文学部」が(かつて?)そうであったように哲学の一領域として美学・芸術諸学を立てるときに、美学、感性論が哲学の一領域だということは(本当にそうなのか吟味しはじめるとややこしいにせよ)なんとなく納得して…

言葉で遊ぶ/パーソナル・コンピュータで遊ぶ/携帯通信機器で遊ぶ

ビデオゲームをめぐる議論に小説論を介して弁論術の概念が移植されて有望視されているらしい、と聞くと、話のつながりがすぐには見えないからびっくりするが、弁論術や小説(文学)とは言葉で遊ぶことである、と言ってしまっていいのだとしたら、人類の遊び…

歌手・言葉が前にせり出す「歌謡曲」の起源

「J-POPは歌謡曲と違ってサウンドの快楽を優先する」というのを、曲が先にあってあとで歌詞を付ける製作プロセスとリンクさせると、なるほど、と思えてしまうけれど、今ではむしろ、「かつて歌謡曲では歌手・言葉が前にせり出してバンドのサウンドが背景に退…

承前:アメリカ合衆国が移住先に選ばれた理由

去年、女性ピアニストの系譜を整理したときに、マイラ・ヘスとかワンダ・ランドフスカとか、戦後LPを通じて日本でも名前が知られていた鍵盤奏者たちが、どうやら第二次世界大戦中に、ナチスと闘う聖女、のイメージで喧伝されていたらしいことを知ったのです…

北米のパトロン:ダンバートン・オークスのロバート・W・ブリス

ダンバートン・オークスというと、音楽好きにはストラヴィンスキーのコンチェルト・グロッソで、現代史好きには国連憲章の草案が作成された実務者レヴェルのダンバートン・オークス会議。外交官のロバート・W・ブリスが引退後の住居として広大な土地を購入し…

21世紀の「曲目解説」 - ニュー・ミュージコロジーと生涯学習の間

カルスタ・ポスコロ・ポストモダンを取り入れた視点で「クラシック音楽」を語り直すのが北米流のニュー・ミュージコロジーというスローガンだったのだろうと思いますが、ふと気がつけば、西洋音楽史の授業でハイドン(ハンガリーからロンドンへ、そしてヘン…