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情報は足で稼ぐ

阪急宝塚線から見えるこの野球場は、第1回と第2回の全国中等学校優勝野球大会が開催された豊中球場(そもそも場所が別で現存せず、今はメモリアルパークになっているらしい)ではない。きれいに整備されて、伊丹空港A滑走路に着陸する中小型旅客機が良い感じ…

音楽の出演料と著作権

「作曲者」に認定されないミュージシャンは著作権料の恩恵にあずかることができないから不平等だ、という議論をポピュラー音楽学者が仕掛けているようだが、プレイヤーは出演するごとにギャラが入るんじゃないの? 楽譜を準備した者は、プレイヤーと違って演…

♀の進化、性徴とクール・ジャパンの感性学

♀のピチューを進化させたら、ピカチューもライチュウも尻尾の先が尖っていない。 属性で外見を変える実装。今もこの種は先進的(は言い過ぎかもしれないが、十分現役)であるようだ。*マンガ、アニメ、ビデオゲームはニッポンの戦後的価値観の最良の部分の…

お笑いジョウト

落語家風に正座するキャラクターが関西テレビの周囲に多く出現しているが、ハリセンは確定申告で税務署へ行く途中に、嘉門達夫の実家の近所で見つけた。そのあと、マンタが出たようなので旧茨木川跡の散歩道(ここを歩くのは高校3年の妙見夜行登山以来では…

sports は何がどのように desportare なのか

スポーツはビデオゲームに先駆けて随分前から大学にポストを確保しているし、メディア・イベントとしての隆盛を受けて、スポーツ(自ら競技しない観戦を含む)の社会学もさかんなようだ。遊びの社会学の井上俊先生が武道とスポーツの社会学に進んだのがその…

競技音楽の時代

ゲーミフィケーションというキラキラ用語で言われていることを、game という言葉を外して言い直すとどうなるかの一例だが、ここ数年の日本のクラシック音楽で何が起きているかというと……、補助金漬けの体質を脱して自活せよ、という明示的・暗黙的な大号令が…

脱・序曲

今度の大河ドラマのテーマ音楽は、シリアス音楽の作曲家たちが映画音楽の応用で踏襲してきた「序曲」の文法をすっかり外してしまったんですね。ブラスの盛り上げ方は吹奏楽っぽい。菅野よう子か。

自己模倣と革命歌の引用

ショスタコーヴィチの交響曲第12番は第5番の焼き直しのような自己模倣。第5番自体がベートーヴェンとチャイコフスキーを掛け合わせた一種のパロディなのだからコピーにコピーを重ねて、ストーリー展開はスムーズだし、能力のある作曲家が12曲も交響曲を書い…

ゲームと競技、ゲームと科学、ゲームと経済……

英語のように play と game を区別する言語は他に見当たらない、という意見があるようなのだが、日本語の競技・競争に相当する言葉を多くの言語に見つけることができるのではないだろうか。だから、英語の特徴は、遊びとゲームを区別することにあるというよ…

「大英帝国2.0」の euphonia と性差

拡張現実がピンク色に染まるところまでは、日本産のキャラクターをこのように意味づける21世紀のオリエンタリズムが発現した(=ジャパニメーション/クール・ジャパンは21世紀のグローバル情報社会における新種のエロチシズムだよね)ということでいいとし…

憂国のようなもの

山田和樹が本気で取り組むとしたら柴田南雄だろうとは思うけれど、柴田南雄によって代表される文化や地域というのがあるとしたら、それはあまり幸福な共同体ではないかもしれないなあと思う。*柴田南雄は作曲家としても音楽学者としても一流であった、と留…

プッチーニと三木佐助と日本音楽の五線採譜史

「蝶々夫人」はカルスタ・ポスコロの恰好の題材で、ロティ「お菊さん」やオペラ「ミカド」などを参照しながらロングの小説、これにもとづくベラスコの戯曲(これをプッチーニはロンドンで観た)を読むのが流行っているが、「蝶々夫人」が、宮さん宮さんやお…

好奇心

その1:春先に何度か通ったはずだと思い、写真を探したらあった。市議会議員さんが国からの売買契約の情報開示を求めた土地の上空を飛ぶANAのボーイング767。exif情報によると、2016年4月26日14:55。着工前ですね。その2:2匹目が誕生したので、ピカチュウ…

有袋類?

イベントといわれると乗せられてしまう。

商業誌の記事を個人サイトが先行無料配信する

東条は、個人サイトとは「別稿」を雑誌に売る、というのを面倒になってやめてしまったようだが、こういう自堕落なやりたい放題を放置して、『音楽の友』はどこへ向かっているのだろう。東条は日本のトランプなのか?

リバーダンスのヘクサメーター

楽譜をはじめて見たのだが、デュオのところは 6/8 と 4/4 が交替する変拍子。 -uu -uu | -u -u -u -u | -uu -uu | -u -u -u -u | -uu -uu | -u -u -u -u | そしてフレーズの最後だけ 6/8 + 6/8 + 4/8 に変わって、 -uu -uu | -uu -uu | -u -u | つかめそうで…

ジャコパス

10数年前にジャズのライブによく通った時期があるが、それは個人的なきっかけからのことで、岡田暁生と張り合おうとしたわけではないし、ちょうど『憂鬱と官能を教えた学校』が刊行された頃だが、この本を読んだのは少しあとだったように記憶する。(岡田暁…

1943年のブルース行進曲と1981年の盗賊行進曲

サミー・ネスティコの周辺を調べていたら、ジョン・ウィリアムズまで話がつながってしまった。*ジャズの解説には、カウント・ベイシー楽団のアレンジャー、サミー・ネスティコが空軍バンド(US Air Force Band)出身だ、としか書いていないが、それじゃあ、…

クワイン登場

認識論と論理学を鍛え直そうとすると数学基礎論を参照することになって、その先で知覚の心理学に逢着せざるを得ない。そういうストーリーでクワインが登場した。知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)作者: 戸田山和久出版社/メーカー: 産業図書発売日: 2002/06/2…

サミー・ネスティコ

コモンウェルス・ヴァージニアの地図上の位置を確認して、次はサミー・ネスティコである。ビバップからクールの50年代に低迷したカウント・ベイシーがクインシー・ジョーンズらをアレンジャーに迎えて60年代に復活して、その流れで空軍バンドからスカウトさ…

コモンウェルス・ヴァージニア

NHKのお昼のニュースが、大統領令差し止めを受けて「南部ヴァージニア」の動向を取材して、大統領はいま「南部フロリダ」の自宅にいると報じていた。ヴァージニアは確かに南北戦争で南軍についた激戦地だそうだけれど、川を挟んでワシンドンD.C.に接している…

琵琶湖

琵琶湖ホテルの前からiPhoneのパノラマで撮ってみた。湖畔に音楽ホールがあって、年に数回ずつこの景色を眺めることができるのは有り難いことです。(今日の小菅優のリサイタルも、後半は、武満徹「雨の樹I, II」「エステ荘の噴水」「イゾルデの愛の死」と水…

三角形は固いのか? ステレオフォンと3Dモデリングのアポリア

淀川河川敷を iPhone のパノラマで撮るのがあまりにも面白かったので、少し考えてみた。*大栗裕が遺したオープリンルテープのモノラル録音を整理したり、BT無線イヤフォン(片耳)を便利に使っているうちに、「ステレオシステム」は聴覚体験として自然とい…

アイデアの枯渇

全共闘がベトナム戦争反対のスローガンをもちだして延命した50年前の「成功事例」(なのか?)に倣って、SEALDs的な「運動」を反トランプで延命させようと考える人たちがいる、という理解でいいのだろうか。20世紀的な既成素材の「分析・編集・反復」にしか…

ケルトの深度

リバーダンスの発端になった1994年の7分間のパフォーマンスの映像を見た。ダンス・コンテストのテレビ中継が世界的なヒットの発端だったんですね。短い20世紀がバレエ・リュスの「春の祭典」ではじまったとしたら、21世紀はリバーダンスで幕を開けた、と言え…

大阪の「外陸」部

地形を語るときに山側を「内陸部」と言うけれど、70年代以後の宅地開発は、海に面した都市を「外」へ開く意識があったんじゃないだろうか。下関から大陸につながっていた瀬戸内海の交易ルートのドンつまりの大阪の場合、とりわけ、その感じが強いように思う…

淀川という大きな裂け目

東の上流にJR東海道線の上淀川橋梁、西の下流に阪急電車の新淀川橋梁を望む新御堂筋・新淀川大橋あたりの堤防から梅田のビル街を眺める。河口から8.0kmの距離標まで来ると、左に新御堂、右に阪急、正面に大阪駅ビル、川面も見える。最寄りの南方駅と新大阪駅…

比喩が成り立たない世界に背を向ける者

岡田暁生のメロドラマ論は、メロドラマ様式のオペラのヒロインたちの生き様を「まるで宗教的カリスマ(巫女)のようだ」、「まるで芸能界のようだ」と言うが、大栗裕の仏教洋楽のことを調べて、来年はミュージカルの歴史を授業で担当する立場になると、この…

聴覚文化の疲弊と視覚文化の未成熟

20世紀は「言語論的転回」を達成した記号の時代であった、という言い方があるけれど、その実体は、文字によるコミュニケーションがコモディティ化して、もはや文化・文明における特権的な位置を占めるものではなくなった、ということに過ぎないかもしれない…

情報理論的な知と情報器機の利便性の混同

科学的推論に、「信念」(私はしかるべき経験からこれを信頼する)という内在的基礎付けの堂々巡りから抜け出す外在的な基礎付けを与えようとする試みのひとつとして、「信頼性」を情報理論的に定義する動きがあったことを知る。シャノンの通信をめぐる理論…

変数Xの消失

ギリシャ古典(翻訳だけど)を本棚の左上に置くと収まりが良かったので、そこから順に、文学、視覚文化(美術・マンガ・ゲーム)、演劇、放送・マスメディアとジャンル分けして、歴史・哲学関係は文学のつづき、社会科学は放送・マスメディアの続き、科学数…

辺境と交易

人類の記号操作において、韻文と物語、二次元・三次元の図像・造形、演劇等が長い伝統をもつ古典を形成するのに比べて、マンガやアニメーションが周縁的であったり、文化的な価値を認定されるのが遅れた後発であったりするのは確かだろうし、文化と呼ばれる…

20世紀の何がたそがれたのか?

批評の基準としての「新しさ」とか、カリスマの崇拝、活動の教団化とか、というのは、20世紀の「音楽」の問題というより、「シリアスでアーティフィシャルな音楽」がマイノリティとして大衆消費のマジョリティのなかへ乗り出す際の戦略に属する事柄だと思う…

教会の祈祷・宮廷の儀礼・市民の娯楽

西洋音楽史の概略を限られた講義時間で一覧しようとすると、美術の場合と違ってルネサンスは独立した時代ではなく、中世の「オマケ」(和声に3度が加わっただけ)、ロココ・古典派はバロックから宮廷の趣味が変化しただけの「宮廷音楽後期」程度の扱いで十分…

日本は「ゾウガメの島」であると主張する人々

日本は「辺境」であり、その文化風土は「ガラパゴス的」である、という内田樹と梅田望夫の抱き合わせみたいな言説は、学問的、書誌学・文献学的に検証されて使用可能な状態になっているのだろうか。日本特殊論の一種で、素性の怪しいバズワードだと思うんだ…

分析・編集・反復

20世紀の「シリアス」(ほぼ「アート/アーティフィシャル」と同義)と形容される音楽から、それを「シリアス」であるという設定でプレゼンテーションするコンテクスチュアルな技術を取り去ると、音を音楽として構成する「それ自体で閉じた」技法は、音・音…

ワーグナー・チューバは芸術音楽の「短い20世紀」を準備したか?

「短い20世紀」と言うけれど、芸術史の20世紀は、政治史の20世紀よりさらに短く、そこで提示されたアイデアは数行で要約できそうなくらい貧弱だったのではないか。それにもかかわらず、百花繚乱に豊作であったかのような体裁を整えることができたのは、諸民…

デューク・エリントンとストラヴィンスキー

ジャズバンドで最初にスターになったのはルイ・アームストロングのトランペット。このあと1920年代にデューク・エリントンやカウント・ベーシーなどピアニストがリーダーになるバンドが大都会に進出して、1930年代スウィングの時代に、サックスの甘いサウン…

ブルックナーの和声進行

オーストリアの教会オルガン奏者の伝統のなかで育ったブルックナーは誰もが認めた即興演奏を可能にする自らの和声法に絶大な自信を持っていた形跡がある。(その絶大な自信でブルックナーは帝都を「全力で押しとおり」、ウィーン大学講師の職を得た。)そし…

価値の霊的・宗教的な擁護

経済万能に対抗して宗教的、霊的な態度に立てこもるのが前の世紀からの転換期に幅をきかせたけれど、やっぱりそれは筋が悪い。(大久保賢のブログを久しぶりにまとめて読んで、改めてそう思った。音楽史は聖人列伝ではないし、クラシック音楽を礼拝崇拝の対…

Timpani という複数形

ティンパニーという打楽器は、楽器学的には半休の銅の開口部に膜を張るケトル(なべ)の形状がそのアイデンティティである、ということになりそうで、たしかに、筒の両側に膜を張る大小の太鼓や、中東によく見られるらしい片面だけに膜を張った太鼓とは、音…

罪悪感につけいる人生

商売人が「金儲けして何が悪いか」とネオリベ的なメンタリティで生きるようになったことでメセナは滅びた。高度成長期には、企業人に営利追求への罪悪感があったから、文芸・批評誌に金を出したのだろう。というような荒っぽい文言が東浩紀の「ゲンロン」に…

バッハの混合趣味の下部構造

音楽大学の管楽器や打楽器の院生が学位を取ろうとすると、たいてい実演と論文の両方を求められて、管楽器や弦楽器について論を立てることになるのだけれど、テーマ選びにみんな苦労するようだ。楽器への知的アプローチというと全体を整然と分類する楽器学が…

科学と民主主義

定職を得てしまうと、「ゲーム」とか「オレらしさ」とか、そういう半径1mの事柄だけが残ればいいというところに撤退してしまうらしいのだが、科学(知)と、あともうひとつ、民主主義は21世紀にも残るようにしておいたほうがいいんじゃないか、と、昨夜、知…

前衛音楽史を大衆音楽史で包囲する

シュトックハウゼン「グルッペン」の批評(日経大阪版夕刊)では、放送や映画のステレオシステムが始まりつつあった時期にこの曲が作られたことを軽く指摘した。エリートによる実験が大衆文化をリードしたわけではなく、むしろ、大衆文化におけるイノヴェー…

準備と実践

趣味判断は、なるほど道徳を準備するかも知れないけれど、「観察者」(ジョナサン・クレーリー)による万全すぎる準備は、実践をむしろ頓挫させるのではないか(=批判哲学批判)。

趣味判断と道徳

カントの判断力批判は、文明化の過程(奢侈や社交)それ自体を肯定しているわけではないし、ルソーの古代人がそれに対する批判として機能することを認めてはいるけれど、でも、文明化の過程は道徳を準備すると考えていた。小田部先生がカントをそういう風に…

法とルール

これは批判ではなく概念の整理だが、ゲームがルールなしには成り立たないことがゲームの倫理的な要点であるとして、ルールと法(jus と rex)の関係はどういうことになるのだろう。ビデオゲームを例に取れば、コンピュータのアプリケーションとして動くゲー…

東大美学の科学哲学的な位置づけ

科学の文パラダイムから意味論的なモデル構築への移行、という話はとても示唆的だと思う。科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)作者: 戸田山和久出版社/メーカー: 日本放送出版協会発売日: 2005/01メディア: 単行本購入: 20人 クリ…

タッチパネルのアクセシビリティ

去年は一眼レフとかビデオゲーム(スマホだが)とか、私には似つかわしくない視覚文化に深入りした。色々な発見があったが、さすがにそろそろ眼の負担を気にした方がよさそうなので、画面のズームや読み上げなど、Apple が「アクセシビリティ」と呼んでいる…