研究・機関

個人の能力主義への対案は、普通に考えれば集団主義、複数の人間でチームやシステムを組んで事案に当たることだろう。別にそれは今の変わってはいなくて、個々人がそれぞれの課題に取り組んでくれたらそれでいい、というようなチーム・システムを組むのは、…

学歴:実力主義と同胞意識

小谷野敦が、学歴は能力の証だから、学歴によって扱いに差が出るのは当然だ、と主張するのは、当人の生き方を含めて能力主義・実力主義を提唱しているんだな、と納得できるが、大学教員が「学位のない者は大学に関わるな」と主張するのは、能力主義・実力主義…

阪神間山手モダニズムとキリスト教

巻末の謝辞には、取材先・資料提供者として、高島忠夫や飯守泰次郎と並んでわたくしの名前が入ってしまう巡り合わせになっておりますが、本文を読むと、留学までの神戸、関西学院時代で既に、惜しげもなく次々登場する名前に圧倒される。関西に限定されない…

プロとアマの境界に花開く都市文化の可能性

関西(とりわけ大阪)のクラシック・コンサートが減って、地元の「プロ」と呼んで良いのかはっきりしない手弁当団体と、東京や国際市場につながった公演の配合比率は、なんだか戦前・昭和前期に戻ったような感じがするが、そうなってみると、大阪の特性は手…

うた・楽譜・物語/ドラマの役割:クラシック音楽もまたその大半はダンス・ミュージックであるわけだが

おそらくポピュラー音楽はその大半がダンス・ミュージックである、と言ってしまったほうが生産的なのだろうし、バレエ(音楽と舞踊)が現在のような姿になる経緯を追うと、クラシック音楽もまた、バロック時代のタクト・リズム/調的和声の標準化以来、ほぼ…

現代性と同時代性

喫茶店でメモしたこの手書きの図をパソコンで清書するのは面倒そうだけれど、とりあえず、これがバレエの歴史の私なりのまとめでございます。ダンスを「見る/踊る/聴く」、という区別が明確になったヨーロッパ(学生さんから「見るダンスと踊るダンスの区…

クラシック・バレエと20世紀の身体、クラシック音楽と20世紀の聴覚文化

音楽と舞踊、結局、半期の授業では20世紀に入って「クラシック・バレエ」が確立したところまでしか扱えなかったが、「バレエ」と呼ばれるヨーロッパの劇場舞踊は、歴史的にはバロックまで起源を遡ることができるとしても、歴史的な連続性を言うことはほぼ無…

ヤンキー都市大阪vsネオリベ都市東京:大阪の「紙の文化」はどうなっているのか?

先日、バーンスタインのミサのロビーで、知り合いに「どうして大阪は不良っぽい企画が好きなんですか」と訊かれた。なるほど、現在の大阪の民間ホールのオーナーや看板企画(とその旗振り役の人たち)の顔ぶれを見ると、大阪維新の政治家と似たような「ヤン…

科学と職人

21世紀に“洋ゲー”でゲームAIが遂げた驚異の進化史。その「敗戦」から日本のゲーム業界が再び立ち上がるには?【AI開発者・三宅陽一郎氏インタビュー】なるほど今のゲーム開発がそういう風になっているのであれば、「ものづくりニッポン」の代表として(博士…

日本の大学と学会

日本の学会の多くは大学の当該学科設置後に大学教員が集まって作ったもので、現状では大学が学会に教員の評価をアウトソースするような関係にはないと思う。学会がそのような格付け機関を目指している気配はあるし、今後はより積極的に、明確な制度としてそ…

出力を発信元に還流させない

最近のイベント広報では、エコーチェンバーなSNSを利用して「お客様の声」をリツイートやいいねでフォローするのが流行っているが、私はあれがどうにも好きになれない。オーディオ・音響設計で言えば、スピーカーからの出力や会場内の反響をふたたびマイクで…

いま何が巨大化しているのか?

少し前にこういうことを考えて、いまいちだと思って引っ込めたが、 テレビを灯けると強くて巨大な生き物が映し出されて、それに立ち向かうのがヒーローだという世界観で制作された物語が展開されていたが、あれをみた人は、最も大きく最も強い存在に立ち向う…

分断・友敵関係の正体

研究については「博士号以前」の透明人間であることになっているらしいので、私は音楽の話をする。 研究会→音楽会にケチをつける人間と、翻訳→海外音楽家の招聘にケチをつける人間は、等しく下らない。少なくとも(音楽会運営も呼び屋も)自分でやった経験が…

Externality

どう考えても、文科省職員は天下りで大学に来るのではなく、再教育の単位履修のために授業料を払って大学に来るべき。 これからは、そういう風に社会人が大学に学びに来るのを「天下り」と呼ぶことにしてはどうか。経済学に外部性という言葉があるが、大学と…

踊るダンスと見るダンス:宮廷外交、ナショナリズム/異国趣味、モダニズム

19世紀のナショナリズムと20世紀の民族主義の違いが昔からずっとピンと来なかったのだけれど、ダンスのことを整理してようやく腑に落ちた。踊るダンスと見るダンスの区別が鍵になっていて、19世紀のナショナルな舞踊=民俗舞踊(ドイツのワルツ、ボヘミアの…

中高年大学教員が「負けるが勝ち」話法に傾く理由

「私以外のすべての人は賢い」という命題は嘘つきのパラドクスと違って自己言及を含まないけれど、この命題が真であることを証明するのは、「私は世界で一番賢い」を証明というか実現するより難しい。他人を誉めておけば指弾されることはないだろう、という…

近所の大学とグローバルな大学

「世界で闘える博士を育てないでどうするか」と、東大生が耳元で叫ぶのを正直うっとうしいなあ、と思ってしまうのは、私が、路線バスで通える家から一番近い大学に行ったに過ぎないからかもしれない。(それじゃあ、いま自分が大学生だったら立命館茨木キャ…

夫婦別姓論と博士号至上主義

小谷野敦が、夫婦別姓論は、一見リベラルに個人の尊厳を主張しているようだが、実態は家名存続を願う保守主義だろうと繰り返し発言しているが、大学・高等教育のヒューマニティーズ、リベラル・アーツを博士号至上主義で再編せよ、という主張も、同様に、博…

ショパンとスクリャービン

小学生の頃、団地の別の棟に住んでいた先生にピアノを習いはじめたのは、妹が習いたいと言うので「だったらついでに」ということに過ぎず、はじめてみると凝り性なのでそれなりに進歩したが与えられた曲を次々こなすゲームや遊びのようなものに過ぎなかった…

構造と価値転倒:モダニズムという名のサイコロのからくり

バレエ・リュス(春の祭典)でストラヴィンスキーが学んだのは、常識・因習を反転させるとパリの観客が大喜びする、ということではないかと思う。発想・技法としては、コロンブスの卵である。それ自体としては、いかにもいつか誰かがやりそうなことだが、プ…

バレエにはワーグナーがいない

ワーグナーは台本執筆から作曲、指揮、演出、劇場設計まで全部ひとりでやってしまったが、バレエにはそんな風にすべてを掌握する「王」はいない。ディアギレフは、逆に自分では何もしないことによってバレエ・リュスにインプレサリオとして君臨できたのかも…

バレエという「20世紀の」舞踊

研究では、新しく得た知識を寝かせてから出力すべきなのかもしれないが、日々の授業では、取ってだしじゃないと追いつかないことがある。バレエ・リュスを「ブーメラン」(パリで撒かれた種がロシアで花開いて「バレエ・リュス」として西ヨーロッパに戻って…

「ごん狐」の脚色

大栗裕が関西学院大学マンドリンクラブのために音楽を付けた「ごん狐」の朗読台本は新美南吉の原作そのままではなく、放送作家の上原弘毅が脚色している。上原の台本では、合唱(大学の混声合唱エゴラド)が村人役を演じて、前半から兵十をからかう。いかに…

オペラの巡業、19世紀南米の音楽と劇場

以前、細川周平先生から、大阪弁で歌うモダニズムといえば笠置シヅ子だろう、というヒントをいただいたことは大変ありがたく、いつか学恩に報いなければと思っていますが、今度はブラジル音楽についてのお話をお伺いする機会があり、再び色々考えさせられた…

バレエの考古学

マリインスキー劇場がプティパ時代のバレエをステパノフ方式で記録していた、というのは重大なことのようですね。少し調べただけでも、解読結果がまとまってくれば、従来ざっくり「プティパ版」と呼ばれていた振付のどこがプティパ時代のもので、どこがプテ…

前衛音楽で踊る

岡田暁生は朝日新聞の批評でクセナキス&ダンスを「観ながら聴く」ことができなかったことを告白している、というか、「観ながら聴く」という態度を拒否しているが、ジャズで人が踊ることを彼はどう考えているのだろう。ジャズはいいけど前衛音楽で踊っては…

音楽批評にとっての音盤と放送の恩恵

先日ふとそんな話題になったのだが、関西在住で関西に軸足を置く音楽評論家、というのが可能だったのは、第一に20世紀後半のLPレコードによる音楽鑑賞の普及。これのおかげで、どこに住んでいようと、グローバル(当時の言葉で言えば「コンテンポラリー」)…

Google検索実習:アルディッティ弦楽四重奏団と白井剛の初共演はいつですか?

先の京都ロームシアター公演は事前に当世風の「攻めの広報」が展開されて、 好評だった2008年の『アパートメントハウス1776/ジョン・ケージ』以来の顔合わせ という文言を色々なところで何度も目にすることになった。だが、この文言は少々ミスリードだと思…

洋装の囲碁、和装の将棋

競技とアートの境界領域はスター主義を発生させやすい性質があるようで、フィギュアスケートは近年の大成功を収めた鉱脈なのだろうと思う。で、これはまだ国別対抗戦(いわゆる「グローバル」)なのでニッポンのローカルな盛り上がりへの一定の歯止めがあり…

Graphvizで「創られた説」の資料を作った

去年覚えたGraphvizを授業の資料作りに使ってみた。 やや誇張混じりのおおざっぱではあると思いますが、こういう風に資料の現状をまとめて、バレエの組み立てを整理して論点を追い込んでいくと、バレエ・リュス/モダン・ダンスの先で20世紀に復興したクラシ…

殺風景な1970年代

小谷野敦が、帰ってきたウルトラマンの1971年を私小説の要素を交えながら「暗かった」と書いていたが、ドル・ショックとか企業テロとか赤軍とか、世界史的に1970年代前半は殺風景な時代だったのではないか、という感触がある。ルパンIII世第1シリーズの最初…

歴史と歴史学、SFと宇宙物理

歴史好きは史学科に行ってはいけない、と煽る人がいるようだが、この理屈を敷衍すると、SF好きは宇宙物理学科に行ってはいけない、ということになりそうだ。でも、SF好きの宇宙物理学者は珍しくないよね。歴史好きな歴史学者も普通にいそうだ。歴史好きと歴…

抑圧の解除法

クララ・ヴィークが、奇人変人としか言いようのない独身時代のロベルト・シューマンのピアノ音楽をどう受け止めたのか、という話の最後に、「子供の情景」第1曲をクララの晩年の弟子が弾くのを聴いて、この曲の一見平易だけれども繊細に考え抜かれた書法を簡…

ショパンとドイツとフランス官僚

ロベルト・シューマンをクララ・ヴィークの側から捉え直すのに続いて、パリのショパンについては、「ドイツ派の亡命ポーランド人」と見るのがいいのではないかと思っている。ワルシャワにおけるショパンが「ドイツ派」だった、という指摘は以前からあるし、…

誰が中世を「闇」だと考えたのか?

ギリシャ神話は紀元前に栄えた文明の古層だが、ローマ帝国/中世キリスト教会のラテン語文化で育った知識人たちにとってギリシャ語古典文献の解読はキラキラ輝く刺激的な「新しい知識」であり、神々と英雄たちの活躍をキリスト教的な世界観に組み入れること…

格言

一斑を見て全豹を卜す(たまたま最近あった事件に言及して総合的判断をせず「だから日本の警察は」と言う類) -- via twitter 小谷野敦 SNSのコメントのテンプレートだな。

結果を面白がる前に

タイトルと内容紹介から判断すると、こっちの本が政治学としての立場や方法を明示した出発点なのだろうと思われる。本気で「音楽学者も負けてはいられない」と対抗意識を燃やすのであれば、そのような成果をあげることができた前提、先方の装備を具体的に知…

サロンのささやきとエコー・チェンバー

エコー・チェンバー(反響室)に閉じ込められてしまったときに、どうすればいいか。故事を繙くとしたら、キリスト教の典礼は城壁で囲い込まれた中世都市(=ジェントリフィケートされたゲーティッド・シティの原型だよね)に石造りのワンワン響く建物を造る…

バレエの歴史の断絶に耐えること

こういう風に表にすると、パリのバレエがルイ14世から連綿と続いているとは言えないことがわかる。(今回は、まだ18世紀のバレエが抜けている状態だが。)ポワントで立つ技法をタリオーニ父子が1831年のオペラ「悪魔ロベール」と1832年の「ラ・シルフィード…

市民の面前で芸術を華麗に暗唱すると嫌われる

宮廷の楽人たちは貴族の御前で詩や音楽を暗唱した。一方、19世紀の自由人芸術家は、市民の中で自らも市民として詩や音楽を黙読する。その態度を可能にしたのが出版文化の整備・発展なのでしょう。現代の情報社会が直接の対面ではなくスマホの凝視を強いるよ…

ロベルト・シューマン・パブリッシング:19世紀出版バブル時代の「外国」「読書」「批評」「哲学」

再び時間がないので各々簡潔に。(1) 贅沢な留学細かいことはともかく、幕末の幕府ご一行の洋行や長州の若手の隠密行動から先ずっと、公費であれ私費であれ、「生存のため」でない留学、単なる蕩尽である自分への投資として留学がなされた例は、それほど多く…

ワーグナーに先を越されるシューマン

Clara Wieck described the performance in a letter to her later husband Robert Schumann dated 17 December 1832:"Father [ Friedrich Wieck ] went to the Euterpe hall on Saturday. Listen! Herr Wagner has got ahead of you; a symphony of his was…

労働集約型産業

かつて日本の農業は労働集約型で、北限の気候で無理矢理行われている稲作はその典型だと言われたけれど、情報産業、情報社会への「ニッポン」の対応も、相変わらず「労働集約型」ですよね。(というのが、ひとつ前のエントリーのざっくりした要約かもしれな…

映像と「時間割」:データの量と密度の混同

今年度に入って、授業のたびに前日は毎回ほぼ徹夜で iMovie の映像を編集している。舞踊だけでなく、音が関わるパフォーマンスは、ピアノもオラトリオもオーケストラも、今となっては、その姿を見せながら説明するのが一番効果的だし、そのための素材が揃っ…

国家は面の支配を実現できない

SNSで広告以外に残っているのは草の根情報で、これを、国家の末端がいかにずさんであるかの現場報告とみなし、政権批判につなげるテンプレートがあるわけだが、軍事制圧であれ平時の行政施策であれ、通常、国民国家は面の支配ができないサイズで運営されてい…

今話題の反響室 (echo chamber) は共鳴箱とは別物です!

飯尾洋一さん、echo chamber は反響室で、オルゴールや音叉の振動を増幅する共鳴箱 resonance box ではありません。ソーシャルメディアが小さなメッセージを増幅するのが問題だと言っているのではなく、閉じた空間で織りなされる複雑な反響が問題になってお…

切断の作法

コミュニケーションの回路を切りたいときに、後腐れなくシャットダウンできる文章力があるかどうか。哲学者は一般に啖呵を切るのが下手だったりするのだろうか、と思う事例をみかけた。少なくとも、ニーチェは対話の切断が下手そうたよね。

ロマンティック・アイロニーとは無縁なクララ・シューマンの19世紀

クララ・シューマンの晩年の弟子 Adelina de Rala (1871-1961) の演奏やスピーチをYouTubeで発見した。(1951年生まれのシルヴァン・ギニヤールのお祖母さんはクララ・シューマンに教わったらしい、と、前に大井浩明に言ったら、「それ年代が合わんやろ」と…

見聞録

関西音楽新聞の最新号が届いて、今回から、というわけではないのかもしれないが、批評欄が「見聞録」という表記になっていることに気付く。興行の主催者が販売する入場券を消費者が購入した段階で売買契約が成立しており、その契約が興行という形で遂行され…

睡眠と覚醒

ヒューマニティーズは睡眠と覚醒を短い周期で繰り返すしかない、というのがクレーリー『24/7』のいわば生物学的前提だろうと思うが、リベラルアーツは冬眠ができる仕様なのだろうか。24/7 :眠らない社会作者: ジョナサン・クレーリー,岡田温司,石谷治寛出版…