1年

何かが終わった。

分断・友敵関係の正体

研究については「博士号以前」の透明人間であることになっているらしいので、私は音楽の話をする。 研究会→音楽会にケチをつける人間と、翻訳→海外音楽家の招聘にケチをつける人間は、等しく下らない。少なくとも(音楽会運営も呼び屋も)自分でやった経験が…

Externality

どう考えても、文科省職員は天下りで大学に来るのではなく、再教育の単位履修のために授業料を払って大学に来るべき。 これからは、そういう風に社会人が大学に学びに来るのを「天下り」と呼ぶことにしてはどうか。経済学に外部性という言葉があるが、大学と…

踊るダンスと見るダンス:宮廷外交、ナショナリズム/異国趣味、モダニズム

19世紀のナショナリズムと20世紀の民族主義の違いが昔からずっとピンと来なかったのだけれど、ダンスのことを整理してようやく腑に落ちた。踊るダンスと見るダンスの区別が鍵になっていて、19世紀のナショナルな舞踊=民俗舞踊(ドイツのワルツ、ボヘミアの…

中高年大学教員が「負けるが勝ち」話法に傾く理由

「私以外のすべての人は賢い」という命題は嘘つきのパラドクスと違って自己言及を含まないけれど、この命題が真であることを証明するのは、「私は世界で一番賢い」を証明というか実現するより難しい。他人を誉めておけば指弾されることはないだろう、という…

近所の大学とグローバルな大学

「世界で闘える博士を育てないでどうするか」と、東大生が耳元で叫ぶのを正直うっとうしいなあ、と思ってしまうのは、私が、路線バスで通える家から一番近い大学に行ったに過ぎないからかもしれない。(それじゃあ、いま自分が大学生だったら立命館茨木キャ…

夫婦別姓論と博士号至上主義

小谷野敦が、夫婦別姓論は、一見リベラルに個人の尊厳を主張しているようだが、実態は家名存続を願う保守主義だろうと繰り返し発言しているが、大学・高等教育のヒューマニティーズ、リベラル・アーツを博士号至上主義で再編せよ、という主張も、同様に、博…

ショパンとスクリャービン

小学生の頃、団地の別の棟に住んでいた先生にピアノを習いはじめたのは、妹が習いたいと言うので「だったらついでに」ということに過ぎず、はじめてみると凝り性なのでそれなりに進歩したが与えられた曲を次々こなすゲームや遊びのようなものに過ぎなかった…

構造と価値転倒:モダニズムという名のサイコロのからくり

バレエ・リュス(春の祭典)でストラヴィンスキーが学んだのは、常識・因習を反転させるとパリの観客が大喜びする、ということではないかと思う。発想・技法としては、コロンブスの卵である。それ自体としては、いかにもいつか誰かがやりそうなことだが、プ…

バレエにはワーグナーがいない

ワーグナーは台本執筆から作曲、指揮、演出、劇場設計まで全部ひとりでやってしまったが、バレエにはそんな風にすべてを掌握する「王」はいない。ディアギレフは、逆に自分では何もしないことによってバレエ・リュスにインプレサリオとして君臨できたのかも…

バレエという「20世紀の」舞踊

研究では、新しく得た知識を寝かせてから出力すべきなのかもしれないが、日々の授業では、取ってだしじゃないと追いつかないことがある。バレエ・リュスを「ブーメラン」(パリで撒かれた種がロシアで花開いて「バレエ・リュス」として西ヨーロッパに戻って…

「ごん狐」の脚色

大栗裕が関西学院大学マンドリンクラブのために音楽を付けた「ごん狐」の朗読台本は新美南吉の原作そのままではなく、放送作家の上原弘毅が脚色している。上原の台本では、合唱(大学の混声合唱エゴラド)が村人役を演じて、前半から兵十をからかう。いかに…

オペラの巡業、19世紀南米の音楽と劇場

以前、細川周平先生から、大阪弁で歌うモダニズムといえば笠置シヅ子だろう、というヒントをいただいたことは大変ありがたく、いつか学恩に報いなければと思っていますが、今度はブラジル音楽についてのお話をお伺いする機会があり、再び色々考えさせられた…

バレエの考古学

マリインスキー劇場がプティパ時代のバレエをステパノフ方式で記録していた、というのは重大なことのようですね。少し調べただけでも、解読結果がまとまってくれば、従来ざっくり「プティパ版」と呼ばれていた振付のどこがプティパ時代のもので、どこがプテ…

前衛音楽で踊る

岡田暁生は朝日新聞の批評でクセナキス&ダンスを「観ながら聴く」ことができなかったことを告白している、というか、「観ながら聴く」という態度を拒否しているが、ジャズで人が踊ることを彼はどう考えているのだろう。ジャズはいいけど前衛音楽で踊っては…

音楽批評にとっての音盤と放送の恩恵

先日ふとそんな話題になったのだが、関西在住で関西に軸足を置く音楽評論家、というのが可能だったのは、第一に20世紀後半のLPレコードによる音楽鑑賞の普及。これのおかげで、どこに住んでいようと、グローバル(当時の言葉で言えば「コンテンポラリー」)…

Google検索実習:アルディッティ弦楽四重奏団と白井剛の初共演はいつですか?

先の京都ロームシアター公演は事前に当世風の「攻めの広報」が展開されて、 好評だった2008年の『アパートメントハウス1776/ジョン・ケージ』以来の顔合わせ という文言を色々なところで何度も目にすることになった。だが、この文言は少々ミスリードだと思…

洋装の囲碁、和装の将棋

競技とアートの境界領域はスター主義を発生させやすい性質があるようで、フィギュアスケートは近年の大成功を収めた鉱脈なのだろうと思う。で、これはまだ国別対抗戦(いわゆる「グローバル」)なのでニッポンのローカルな盛り上がりへの一定の歯止めがあり…

Graphvizで「創られた説」の資料を作った

去年覚えたGraphvizを授業の資料作りに使ってみた。 やや誇張混じりのおおざっぱではあると思いますが、こういう風に資料の現状をまとめて、バレエの組み立てを整理して論点を追い込んでいくと、バレエ・リュス/モダン・ダンスの先で20世紀に復興したクラシ…

殺風景な1970年代

小谷野敦が、帰ってきたウルトラマンの1971年を私小説の要素を交えながら「暗かった」と書いていたが、ドル・ショックとか企業テロとか赤軍とか、世界史的に1970年代前半は殺風景な時代だったのではないか、という感触がある。ルパンIII世第1シリーズの最初…

歴史と歴史学、SFと宇宙物理

歴史好きは史学科に行ってはいけない、と煽る人がいるようだが、この理屈を敷衍すると、SF好きは宇宙物理学科に行ってはいけない、ということになりそうだ。でも、SF好きの宇宙物理学者は珍しくないよね。歴史好きな歴史学者も普通にいそうだ。歴史好きと歴…

抑圧の解除法

クララ・ヴィークが、奇人変人としか言いようのない独身時代のロベルト・シューマンのピアノ音楽をどう受け止めたのか、という話の最後に、「子供の情景」第1曲をクララの晩年の弟子が弾くのを聴いて、この曲の一見平易だけれども繊細に考え抜かれた書法を簡…

ショパンとドイツとフランス官僚

ロベルト・シューマンをクララ・ヴィークの側から捉え直すのに続いて、パリのショパンについては、「ドイツ派の亡命ポーランド人」と見るのがいいのではないかと思っている。ワルシャワにおけるショパンが「ドイツ派」だった、という指摘は以前からあるし、…

誰が中世を「闇」だと考えたのか?

ギリシャ神話は紀元前に栄えた文明の古層だが、ローマ帝国/中世キリスト教会のラテン語文化で育った知識人たちにとってギリシャ語古典文献の解読はキラキラ輝く刺激的な「新しい知識」であり、神々と英雄たちの活躍をキリスト教的な世界観に組み入れること…

格言

一斑を見て全豹を卜す(たまたま最近あった事件に言及して総合的判断をせず「だから日本の警察は」と言う類) -- via twitter 小谷野敦 SNSのコメントのテンプレートだな。

結果を面白がる前に

タイトルと内容紹介から判断すると、こっちの本が政治学としての立場や方法を明示した出発点なのだろうと思われる。本気で「音楽学者も負けてはいられない」と対抗意識を燃やすのであれば、そのような成果をあげることができた前提、先方の装備を具体的に知…

サロンのささやきとエコー・チェンバー

エコー・チェンバー(反響室)に閉じ込められてしまったときに、どうすればいいか。故事を繙くとしたら、キリスト教の典礼は城壁で囲い込まれた中世都市(=ジェントリフィケートされたゲーティッド・シティの原型だよね)に石造りのワンワン響く建物を造る…

バレエの歴史の断絶に耐えること

こういう風に表にすると、パリのバレエがルイ14世から連綿と続いているとは言えないことがわかる。(今回は、まだ18世紀のバレエが抜けている状態だが。)ポワントで立つ技法をタリオーニ父子が1831年のオペラ「悪魔ロベール」と1832年の「ラ・シルフィード…

市民の面前で芸術を華麗に暗唱すると嫌われる

宮廷の楽人たちは貴族の御前で詩や音楽を暗唱した。一方、19世紀の自由人芸術家は、市民の中で自らも市民として詩や音楽を黙読する。その態度を可能にしたのが出版文化の整備・発展なのでしょう。現代の情報社会が直接の対面ではなくスマホの凝視を強いるよ…

ロベルト・シューマン・パブリッシング:19世紀出版バブル時代の「外国」「読書」「批評」「哲学」

再び時間がないので各々簡潔に。(1) 贅沢な留学細かいことはともかく、幕末の幕府ご一行の洋行や長州の若手の隠密行動から先ずっと、公費であれ私費であれ、「生存のため」でない留学、単なる蕩尽である自分への投資として留学がなされた例は、それほど多く…

ワーグナーに先を越されるシューマン

Clara Wieck described the performance in a letter to her later husband Robert Schumann dated 17 December 1832:"Father [ Friedrich Wieck ] went to the Euterpe hall on Saturday. Listen! Herr Wagner has got ahead of you; a symphony of his was…

労働集約型産業

かつて日本の農業は労働集約型で、北限の気候で無理矢理行われている稲作はその典型だと言われたけれど、情報産業、情報社会への「ニッポン」の対応も、相変わらず「労働集約型」ですよね。(というのが、ひとつ前のエントリーのざっくりした要約かもしれな…

映像と「時間割」:データの量と密度の混同

今年度に入って、授業のたびに前日は毎回ほぼ徹夜で iMovie の映像を編集している。舞踊だけでなく、音が関わるパフォーマンスは、ピアノもオラトリオもオーケストラも、今となっては、その姿を見せながら説明するのが一番効果的だし、そのための素材が揃っ…

国家は面の支配を実現できない

SNSで広告以外に残っているのは草の根情報で、これを、国家の末端がいかにずさんであるかの現場報告とみなし、政権批判につなげるテンプレートがあるわけだが、軍事制圧であれ平時の行政施策であれ、通常、国民国家は面の支配ができないサイズで運営されてい…

今話題の反響室 (echo chamber) は共鳴箱とは別物です!

飯尾洋一さん、echo chamber は反響室で、オルゴールや音叉の振動を増幅する共鳴箱 resonance box ではありません。ソーシャルメディアが小さなメッセージを増幅するのが問題だと言っているのではなく、閉じた空間で織りなされる複雑な反響が問題になってお…

切断の作法

コミュニケーションの回路を切りたいときに、後腐れなくシャットダウンできる文章力があるかどうか。哲学者は一般に啖呵を切るのが下手だったりするのだろうか、と思う事例をみかけた。少なくとも、ニーチェは対話の切断が下手そうたよね。

ロマンティック・アイロニーとは無縁なクララ・シューマンの19世紀

クララ・シューマンの晩年の弟子 Adelina de Rala (1871-1961) の演奏やスピーチをYouTubeで発見した。(1951年生まれのシルヴァン・ギニヤールのお祖母さんはクララ・シューマンに教わったらしい、と、前に大井浩明に言ったら、「それ年代が合わんやろ」と…

見聞録

関西音楽新聞の最新号が届いて、今回から、というわけではないのかもしれないが、批評欄が「見聞録」という表記になっていることに気付く。興行の主催者が販売する入場券を消費者が購入した段階で売買契約が成立しており、その契約が興行という形で遂行され…

睡眠と覚醒

ヒューマニティーズは睡眠と覚醒を短い周期で繰り返すしかない、というのがクレーリー『24/7』のいわば生物学的前提だろうと思うが、リベラルアーツは冬眠ができる仕様なのだろうか。24/7 :眠らない社会作者: ジョナサン・クレーリー,岡田温司,石谷治寛出版…

「モオツアルト」再考

小林秀雄のモーツァルト論は、道頓堀で天啓のように交響曲40番の終楽章が聞こえて来る、という書き出しからして通俗だ、ということになっている。私もそう思っていた。「ニッポンの批評」のはじまりなのかもしれない柄谷行人、浅田彰、蓮實重彦、三浦雅士の…

ソナタ形式の理論

現行の通俗的なソナタ形式の理論は、ハイドンやベートーヴェンが預かり知らないところで後世19世紀以後の音楽愛好家や理論家が作りあげたもので、たとえば、そもそも18世紀末や19世紀初頭にはソナタの冒頭楽章の構成を「三つ部分」に分けて捉える考え方すら…

舞踊と文明

音楽学が万能ではないのは当然で、近代の作家作品研究は、ほぼ美術史の発想や方法を借りて整備されているし、このやり方では器楽の自立、いわゆる絶対音楽が有利になりすぎるという批判には、詩歌・演劇・物語を取り扱う文学研究を参考にして、歌やドラマや…

Robert le diable

名前は有名で、音源は前から持っているが、ようやく人に説明するときに使えそうな映像が見つかった。マイヤベーアのグラントペラは本当に復権しつつあるようですね。ただし今回は、オペラ史ではなく舞曲史・バレエの歴史の説明で使います。隔年開講の舞曲史…

落ち穂拾い

時間がないので、いくつかの思いつきを短くメモ。(1) ロジェストヴェンスキーのブルックナーブルックナーの5番を色々な演奏でまとめて聴く、ということをやるとしたら、シャルク版が面白かろうと思うのだが、どうして正面切って面白がる人がいないのだろう。…

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ここに来れば いつでも本当の自分になれる本当の仲間に会える世界最高品質のエコー・チェンバー...twitter powered by Google[追記]「真由子ブログ」が原点 “ブラック部活”と“やりがい搾取” | 文春オンライン高等教育も、「遊民的」に運営すると「やりがい搾…

留学のインセンティヴが乏しかった世代の不幸

1990年代に入って、大学院改革のまっただ中にいた大学生・大学院生たちは、その前の世代に比べて留学する者が少なかったように思う。専任教員になってからようやく在外研究の機会を得た人が、「幸運にも私が海外で知り得た事実を日本国内の一般大衆は知らな…

聴衆を急かす昨今のレセプショニストたちの反時代性

最近の音楽専用ホールでは、開演5分前にベルが鳴ると、レセプショニストたちが会場のあちこちで、開演したらすぐには会場に入れなくなるから急げ、と(まだ5分もあるのに)お客さんを急かす。路線バスでは車両が完全に止まってドアが開いてから席を立ちまし…

無音室と反響室

世界的な高度経済成長が一段落した20世紀の最後の30年、ジョン・ケージからサウンドスケープへ、という音のエコロジーの議論でケージの無音室体験が神話的に語られてきたわけだが、反響残響という現象に関する知見は、今では音楽専用ホールという窮屈な人工…

ヒューマニティーズとリベラル・アーツ

ある会社のAIが囲碁の対戦から撤退(「引退」と擬人化して言うべきか?)したあとも、人間は囲碁を打ち続けて、アルファ先生/マスター先生の着手は「新定石」に登録されて研究され続けるし、別の会社が囲碁AIを開発し続けたりすることだろう。懲りない人間…

婦人ピアニストの系譜

ポストモダニズムを物理学者がからかった90年代の事件と同じ次元で、2017年のフェミニズムへの悪戯に快哉を叫んでいいはずだ、という判断に私はどうにも同意できないのだが、いまのところ、これは直感的なことで、うまく説明できない。*鍵盤音楽史の授業で…