2016-10-15から1日間の記事一覧

実存なのか立ち位置なのか

やっぱり吉田寛はポケモンGOが嫌いなのか……。(彼は、元来が学者気質なのにジャーナリスティックなあれこれについ口を挟んでしまう、というのではなく、ジャーナリズムに行きそうなうさわ好きの軽い男が諸般の事情で学者をやっているケースではないか、とい…

小物感

ロックは芸術(もしくは芸術を愛好するスノッブ)への反抗だ、と言うのであれば、芸術に対して授与されてきた賞をシレっとロックに与えて、賞の延命を図ろうとする北欧の財団を叱ればいいのに。頭を撫でられたら尻尾を振って、そのうえで、媚びる姿を写真に…

リベンジの構造:19世紀の私憤と20世紀の私怨

私小説や自然主義リアリズムもそうだろうし、ベルリオーズが失恋体験を標題音楽に昇華する、というように、近代のロマンチシズムがモダニズムにつながっていくラインには私憤を公憤に接続する回路が装填されていて、ワーグナーもおそらく私憤の塊だったのだ…

記号と知能

森羅万象を記号に置き換えて操作するのは、人間(そしておそらく高等生物全般)の有力な武器で、20世紀の記号をめぐる議論が先鞭を付けた情報社会のヴィジョンは、記号操作の可能性を極限まで押し広げることで人類を新たなステージに高めよう、という話だと…

聴きつつ歌う

声とピアノの関係に画期的な変化をもたらしたのが近代ドイツ歌曲だとされている。聴き手は歌曲の声とピアノ(器楽)を両方同時に聴くことができるわけで、聴き手こそがこのような声と器楽の関係(の変化)の立会人(耳の問題なので「目撃者」とは言えないか…