東大生は「誤配」を司る

礒山雅は、音楽ホールのスタッフからのメール(彼を誉める文面であったらしい)を、「その書き方では逆の意味に受け取られます」と添削したことがあるのだとか。添削された当人は大いに感銘を受けたようだが、細かいところまで気を張りすぎるオーバーワーク…

反動のレッテルを恐れぬサロン音楽論のしたたかな構え

ショパン、リスト、クララ・シューマン、メンデルスゾーンらは、パリのサロンをスプリングボードとして利用しながらも半私半公の社交界に批判的なスタンスで、この「批判的なスタンス」こそが近代の意味での「芸術」であり、彼らの構えは、「音楽(器楽)の…

大学教授が関西の音楽ホールをプロデュース

前にも書いたが、恩師谷村晃が日本音楽学会会長を退任する最後の執行部の会合(常任委員会という名前で今もこのしくみは続いているようだ)が阪大であったときに、次年度から海老沢敏の国立音大に執行部が移るというので、引継ぎの意味で礒山雅がオブザーバ…

CDの劣化、オーケストラにとっての「シューベルト体験」

メロス四重奏団(ロータス・カルテットの師匠ですね)によるシューベルトの全集を講義で使おう思って久しぶりに棚から取り出したら、盤面が劣化していてショックを受けた。が、同じ音源をiTunes Storeですぐに買えることがわかって、もうCDの時代じゃないん…

ポスト冷戦時代のシューベルト

週末にシューベルトの「未完成」についてお話をさせていただく予定になっています。色々考えて、使いたい演奏を並べてみたら、ミンコフスキーのピリオド・アプローチをベースにして、(シューベルトを演奏しているわけではないですが)バーンスタイン、クラ…

モーツァルトとロッシーニ:レチタティーヴォの唱法、「緩から急へ」の起源

朝日新聞が大阪国際フェスティバル名義でやったロッシーニ「チェネレントラ」は藤原歌劇団のプロダクションをもってきたもので、巨大な本から人物たちが出てくる演出についてはひとしきり何かを言えるのでしょうし、脇園彩が出るのが注目、ということで普段…

家庭とポストモダン

21世紀への転換期の日本でポストモダンが流行ったのは、ポストモダンと呼ばれる運動の実質が1960年代の新左翼なのだから、その子ども世代が親たちの文化資本を元手に打って出た(「失われた20年」世代にはそれくらいしか文化資本の元手がなかった)という核…

フィクションとヴァーチャルの混同、神話と歴史の混同、欲望と自由の混同

20世紀から21世紀の転換期に出てきたどことなく胡散臭い文化論を総括するとしたら、この3つが手がかりになるんじゃないかという気がする。たぶん、フィクションとヴァーチャル、神話と歴史、欲望と自由は欧米語では別の文脈・系譜を背負った言葉だからそう簡…

近代昭和の南禅寺外交

ブラタモリで、南禅寺界隈には今も財界人所有で非公開の邸宅が並んでいるのが紹介されていたが、そういえば、茂山家の人々が出てくる谷崎潤一郎「月と狂言師」も南禅寺が舞台ではなかったか。(南禅寺周辺ではなく寺の境内での月見だけれど。)大正末から昭…

ジェミニアーニ、コルンゴルト、バルトーク

……ということで、先月の京フィル定期と今月の間フィル定期の解説を書かせていただきましたが、京フィルでは、山田和男(一雄)のサティ「パラード」みたいなシンフォニエッタとともに、ジェミニアーニの面白さを教えてもらった。コレッリの弟子が英国に渡っ…

空気を読まないシェーンベルクとサラサラ流れるコルンゴルト

ドイツに1年いて帰ってきた頃、一足先にドイツから帰国して阪大の助手になった岡田暁生が学生数人を誘って交響詩の勉強会をやったことがある。シュトラウスの音詩について彼がAfMwに論文を投稿した時期だったので、自分が勉強しつつあることを話したかった…

オッサン臭い「職場」は息が詰まる - 大栗裕生誕100年に思うこと

大阪の4つのオーケストラが集まる演奏会のプレトークイベントで、大栗裕が大阪国際フェスティバルのために書いたファンファーレ(3曲ある楽譜のうちの2曲)が演奏されました。この曲について、プログラムに寄稿させていただきました。*楽譜を発掘して、本…

死んだ過去としての20世紀と生前の思い出としての20世紀

21世紀に生まれた人たちが既に18歳になろうとしているわけだから、20世紀が今生きつつある者とは直接関わりのない「過去」(奥行きを書いた事実の記録)として扱われるのは、これはもうしょうがない。その一方で、かつて20世紀が「同時代」であった頃の記憶…

懸命にもがく見世物は「人間的」か?

自然主義リアリズムや私小説がドロドロした現実から目をそらさない近代の芸術だと言えるのは、それが諷刺・告発・批評として機能するからだと思う。でも、懸命にもがく姿それ自体を興行・見世物にするのは、要するに奴隷と猛獣が闘うコロシアムを見物してい…

飯森範親はチャラいマエストロというより手堅いカペルマイスターではないか

日本センチュリーの指揮者に就任したときは東京から司会にテレビのアナウンサーを呼んだり、いきなり定期演奏会を2日公演にしたり、毎回コンサートの帰りに「おみやげ」を配るスポンサーが付いていたり、ケバケバしく大量の花火が打ち上げられるのに辟易し…

黙殺と誇大広告のあいだ - 関西(の)弦楽四重奏(団)

1月に関西弦楽四重奏団のベートーヴェン全曲演奏企画の2回目があって、3月にロータス・カルテットがドイツから里帰りして後期四重奏全曲を神戸、シューマンの全曲を京都でやるのだから、今は「関西(の)弦楽四重奏(団)」の話をする恰好のタイミングだろうと思…

没後100年

今年はドビュッシーの没後100年になるらしい。第一次大戦末期に亡くなったことは知っていたが、第一次大戦から100年なのだから、なるほどそういうことになりますね。ドビュッシーは没年より生年の印象が強い。1962年生まれだから、ほぼ自分の100年前に生まれ…

文学・音楽・造形

うた・メロディーは言葉に寄り添う行為・現象だから、音楽のかなりの部分は文学との関係で捕捉することができそうだけれど、20世紀の「前衛/現代音楽」が閉鎖的で孤立した奇妙な袋小路に見えてしまうのは、これが文学(言葉)から遠ざかって造形芸術と連帯…

記録の重要性

インターネット上で2018年3月12日以前に増田聡さんが人文学とは「詳細に記録しておくこと」と「その解読」の仕方を学んで身を守るための技術である、という趣旨の主張を行った記録を私は知りません。(ないことの証明はできないので、「ある」と言うならそち…

制度設計の要諦

もしも上から不当に「嘘をつけ」と言われても(比較的に早期の段階で)きちんとお断りしておいた方が後々全体にとって(下から上まで)よい、という認識がこれを機に共有されるのはよいことでしょう。 加えて、事故・過失の際に当事者を特定して詰め腹を切ら…

張源祥の系譜 - 関西の美学者・音楽学者の批評

前のエントリーに揚げた1962年の音楽クリティック・クラブ結成を報じる記事を見ると、結成時のメンバーに張源祥がいる。京都帝大で美学を学んで関西学院に美学科を作った人だ。大学教員が批評を書くのは、(いつからそれが当たり前になったのかわからないけ…

劇場・報道・批評

具体的な批評作文はこれから考えますが、先週末のびわ湖ホールのワルキューレを2日観て、この劇場は本格的に機能しはじめたなあと思った。オペラは洋楽受容という文脈で日本に入ってきたので長らく(制度や興行としても言論での取り扱いとしても)「音楽」…

相手に届かない言葉

前にも書いたが、朝日新聞の朝比奈隆追悼文について伊東信宏さんに感想を述べたら、「こういうことは、生きているうちに書かくのでなければいけないのだけれど」という趣旨のことを言われた(伊東さんはこういう口調で話す人ではないから、私の記憶のなかで…

子育て・滞納・批評 - 「願い」について

子育ては費用対効果の悪い贅沢なのか、そうではない、驚異的に費用対効果の良い投資かつ遊びなのだ、という話題が拡散しているのを見て、そこに、自らの意志でコントロールできない存在の行く末に対する「願い」の視点が欠けていることにぎょっとした。私に…

事実と伝聞

官公庁(警察・消防など)の発表をもとに事件の概要を記述したり、主催者のプレスリリースをもとにイベントを紹介するのも、「伝聞のみによる報道」に分類されるだろう。人間が把握するこの世界は、「伝聞」を取り去ったところに「事実」という直接体験が姿…

お客様に親切な音楽家たち

片山杜秀の建国記念日エッセイを読んでから、山田和樹・樫本大進が日本センチュリーと共演した演奏会に行ったのだが、客席・ロビーをみわたすと、片山の嘆きとは違って、白髪のお客様ばかりではなかった。そういえば、先日のやたらとオーボエ吹きが聴きに来…

適正規模

片山杜秀の建国記念日の寄稿は、「適正規模」というワードに軟着陸する。クラシック界の未来 片山杜秀 :日本経済新聞そういえば、先週末は「攻めの広報」で一世を風靡した音楽ホールの現代音楽演奏会に行って、安定した運営ぶりに感心したのだが、あれは、…

車輪の再発明 - 感嘆詞の哲学

自分が関心ないことは無価値と判断しがちだし自分が関心あることは価値があると判断しがちである。なので全く自分が関心ない物事に「うお!これ凄え!」と価値を認める人は結構大人物かもしれない(単にいい加減で調子が良いだけかもしれない。だが想外の大…

多様性ベースの世界観

輪島祐介が演歌の言説史研究(創られた日本の心云々という長いタイトルの新書)の最後で多様性の擁護のようなことを書いたのを読んだときに、いきなりこの結論に飛ぶのは甘いのではないか、と思った。音楽を同一性ベースで読み解く構えは、楽曲分析から社会…

無限の多様性と幸福の総量

価値が4と6のものを、0と10と認識するのは非常に大雑把だけど、5と5だと認識するのも真実ではないよね。 回路が通電するかしないか(on = 1 / off = 0)の区別を基礎にして計算を進める機械を使用するのであれば、4 と 6 の関係を補足するときには、 4 と 6 …