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アイデアの枯渇

全共闘がベトナム戦争反対のスローガンをもちだして延命した50年前の「成功事例」(なのか?)に倣って、SEALDs的な「運動」を反トランプで延命させようと考える人たちがいる、という理解でいいのだろうか。20世紀的な既成素材の「分析・編集・反復」にしか…

ケルトの深度

リバーダンスの発端になった1994年の7分間のパフォーマンスの映像を見た。ダンス・コンテストのテレビ中継が世界的なヒットの発端だったんですね。短い20世紀がバレエ・リュスの「春の祭典」ではじまったとしたら、21世紀はリバーダンスで幕を開けた、と言え…

大阪の「外陸」部

地形を語るときに山側を「内陸部」と言うけれど、70年代以後の宅地開発は、海に面した都市を「外」へ開く意識があったんじゃないだろうか。下関から大陸につながっていた瀬戸内海の交易ルートのドンつまりの大阪の場合、とりわけ、その感じが強いように思う…

淀川という大きな裂け目

東の上流にJR東海道線の上淀川橋梁、西の下流に阪急電車の新淀川橋梁を望む新御堂筋・新淀川大橋あたりの堤防から梅田のビル街を眺める。河口から8.0kmの距離標まで来ると、左に新御堂、右に阪急、正面に大阪駅ビル、川面も見える。最寄りの南方駅と新大阪駅…

比喩が成り立たない世界に背を向ける者

岡田暁生のメロドラマ論は、メロドラマ様式のオペラのヒロインたちの生き様を「まるで宗教的カリスマ(巫女)のようだ」、「まるで芸能界のようだ」と言うが、大栗裕の仏教洋楽のことを調べて、来年はミュージカルの歴史を授業で担当する立場になると、この…

聴覚文化の疲弊と視覚文化の未成熟

20世紀は「言語論的転回」を達成した記号の時代であった、という言い方があるけれど、その実体は、文字によるコミュニケーションがコモディティ化して、もはや文化・文明における特権的な位置を占めるものではなくなった、ということに過ぎないかもしれない…

情報理論的な知と情報器機の利便性の混同

科学的推論に、「信念」(私はしかるべき経験からこれを信頼する)という内在的基礎付けの堂々巡りから抜け出す外在的な基礎付けを与えようとする試みのひとつとして、「信頼性」を情報理論的に定義する動きがあったことを知る。シャノンの通信をめぐる理論…

変数Xの消失

ギリシャ古典(翻訳だけど)を本棚の左上に置くと収まりが良かったので、そこから順に、文学、視覚文化(美術・マンガ・ゲーム)、演劇、放送・マスメディアとジャンル分けして、歴史・哲学関係は文学のつづき、社会科学は放送・マスメディアの続き、科学数…

辺境と交易

人類の記号操作において、韻文と物語、二次元・三次元の図像・造形、演劇等が長い伝統をもつ古典を形成するのに比べて、マンガやアニメーションが周縁的であったり、文化的な価値を認定されるのが遅れた後発であったりするのは確かだろうし、文化と呼ばれる…

20世紀の何がたそがれたのか?

批評の基準としての「新しさ」とか、カリスマの崇拝、活動の教団化とか、というのは、20世紀の「音楽」の問題というより、「シリアスでアーティフィシャルな音楽」がマイノリティとして大衆消費のマジョリティのなかへ乗り出す際の戦略に属する事柄だと思う…

教会の祈祷・宮廷の儀礼・市民の娯楽

西洋音楽史の概略を限られた講義時間で一覧しようとすると、美術の場合と違ってルネサンスは独立した時代ではなく、中世の「オマケ」(和声に3度が加わっただけ)、ロココ・古典派はバロックから宮廷の趣味が変化しただけの「宮廷音楽後期」程度の扱いで十分…

日本は「ゾウガメの島」であると主張する人々

日本は「辺境」であり、その文化風土は「ガラパゴス的」である、という内田樹と梅田望夫の抱き合わせみたいな言説は、学問的、書誌学・文献学的に検証されて使用可能な状態になっているのだろうか。日本特殊論の一種で、素性の怪しいバズワードだと思うんだ…

分析・編集・反復

20世紀の「シリアス」(ほぼ「アート/アーティフィシャル」と同義)と形容される音楽から、それを「シリアス」であるという設定でプレゼンテーションするコンテクスチュアルな技術を取り去ると、音を音楽として構成する「それ自体で閉じた」技法は、音・音…

ワーグナー・チューバは芸術音楽の「短い20世紀」を準備したか?

「短い20世紀」と言うけれど、芸術史の20世紀は、政治史の20世紀よりさらに短く、そこで提示されたアイデアは数行で要約できそうなくらい貧弱だったのではないか。それにもかかわらず、百花繚乱に豊作であったかのような体裁を整えることができたのは、諸民…

デューク・エリントンとストラヴィンスキー

ジャズバンドで最初にスターになったのはルイ・アームストロングのトランペット。このあと1920年代にデューク・エリントンやカウント・ベーシーなどピアニストがリーダーになるバンドが大都会に進出して、1930年代スウィングの時代に、サックスの甘いサウン…

ブルックナーの和声進行

オーストリアの教会オルガン奏者の伝統のなかで育ったブルックナーは誰もが認めた即興演奏を可能にする自らの和声法に絶大な自信を持っていた形跡がある。(その絶大な自信でブルックナーは帝都を「全力で押しとおり」、ウィーン大学講師の職を得た。)そし…

価値の霊的・宗教的な擁護

経済万能に対抗して宗教的、霊的な態度に立てこもるのが前の世紀からの転換期に幅をきかせたけれど、やっぱりそれは筋が悪い。(大久保賢のブログを久しぶりにまとめて読んで、改めてそう思った。音楽史は聖人列伝ではないし、クラシック音楽を礼拝崇拝の対…

Timpani という複数形

ティンパニーという打楽器は、楽器学的には半休の銅の開口部に膜を張るケトル(なべ)の形状がそのアイデンティティである、ということになりそうで、たしかに、筒の両側に膜を張る大小の太鼓や、中東によく見られるらしい片面だけに膜を張った太鼓とは、音…

罪悪感につけいる人生

商売人が「金儲けして何が悪いか」とネオリベ的なメンタリティで生きるようになったことでメセナは滅びた。高度成長期には、企業人に営利追求への罪悪感があったから、文芸・批評誌に金を出したのだろう。というような荒っぽい文言が東浩紀の「ゲンロン」に…

バッハの混合趣味の下部構造

音楽大学の管楽器や打楽器の院生が学位を取ろうとすると、たいてい実演と論文の両方を求められて、管楽器や弦楽器について論を立てることになるのだけれど、テーマ選びにみんな苦労するようだ。楽器への知的アプローチというと全体を整然と分類する楽器学が…

科学と民主主義

定職を得てしまうと、「ゲーム」とか「オレらしさ」とか、そういう半径1mの事柄だけが残ればいいというところに撤退してしまうらしいのだが、科学(知)と、あともうひとつ、民主主義は21世紀にも残るようにしておいたほうがいいんじゃないか、と、昨夜、知…

前衛音楽史を大衆音楽史で包囲する

シュトックハウゼン「グルッペン」の批評(日経大阪版夕刊)では、放送や映画のステレオシステムが始まりつつあった時期にこの曲が作られたことを軽く指摘した。エリートによる実験が大衆文化をリードしたわけではなく、むしろ、大衆文化におけるイノヴェー…

準備と実践

趣味判断は、なるほど道徳を準備するかも知れないけれど、「観察者」(ジョナサン・クレーリー)による万全すぎる準備は、実践をむしろ頓挫させるのではないか(=批判哲学批判)。

趣味判断と道徳

カントの判断力批判は、文明化の過程(奢侈や社交)それ自体を肯定しているわけではないし、ルソーの古代人がそれに対する批判として機能することを認めてはいるけれど、でも、文明化の過程は道徳を準備すると考えていた。小田部先生がカントをそういう風に…

法とルール

これは批判ではなく概念の整理だが、ゲームがルールなしには成り立たないことがゲームの倫理的な要点であるとして、ルールと法(jus と rex)の関係はどういうことになるのだろう。ビデオゲームを例に取れば、コンピュータのアプリケーションとして動くゲー…

東大美学の科学哲学的な位置づけ

科学の文パラダイムから意味論的なモデル構築への移行、という話はとても示唆的だと思う。科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)作者: 戸田山和久出版社/メーカー: 日本放送出版協会発売日: 2005/01メディア: 単行本購入: 20人 クリ…

タッチパネルのアクセシビリティ

去年は一眼レフとかビデオゲーム(スマホだが)とか、私には似つかわしくない視覚文化に深入りした。色々な発見があったが、さすがにそろそろ眼の負担を気にした方がよさそうなので、画面のズームや読み上げなど、Apple が「アクセシビリティ」と呼んでいる…

久々に重たいカメラを取り出す。小学校のグランドに寝っ転がっている人がいる。追記:陽が射して、溶けてまだらになったと思ったら、また降ってきましたね。こっちは iPhone のカメラ。

学問の vindex - 身柄の引き受け

帰納という方法の正当化 justification を言うときに、妥当化 validation と擁護 vindication を区別したほうがいい、という話が最後に出てくるが、擁護 vindication の語は債務不履行時の弁済者を指すラテン語 vindex が語源であるらしい。身元保証人、身柄…

柴田南雄と日本音楽学会の科学哲学的な位置づけ

科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)作者: 戸田山和久出版社/メーカー: 日本放送出版協会発売日: 2005/01メディア: 単行本購入: 20人 クリック: 134回この商品を含むブログ (136件) を見る柴田南雄が芸大楽理に植物学風の「科学的…

obsession としてのクラシック音楽

『音楽と感情』の20世紀を扱う最後の章で、チャールズ・ローゼンは、ノスタルジーや異化効果といった20世紀の音楽が喚起する感情を過去の様式への obsession ではないかと書いているが、いわゆる芸術音楽を越えて、映画などでフルオーケストラ(生オケ)が鳴…

武満徹の90年代の世俗性

武満徹の謎めいた発言や前衛的な技法の数々は、「インターナショナル」で「コンテンポラリー」な「音楽の国」のパスポートを売るためにフランス系の衣装を身にまとった、ということで、そのなかでは「オーケストラのペダルを踏む」手法が一番成功した(メシ…

Sea (es e a) の解釈

小野光子は、「海(Sea)の主題」をパントナリティとして解釈、説明するけれど、es e の半音から3度で飛ぶのは、モードとしては、同時に、抽象化され超現実化された都節なんじゃないだろうか?

80年代国際アート市場のしくみ

武満徹評伝を最後まで読んだ。ショットと契約した80年以後の武満徹の仕事の広がりは尋常ではなく、入院する直前の1994年は働き過ぎに見える。評伝には、7月に「精霊の庭」を東京で初演した2日語に札幌のPMFにレジデント・コンポーザーとして参加した、とある…

「ブーレーズ・コンダクツ・タケミツ」の謎

「鳥は星形の庭に降りる」は、小澤征爾の後任のエド・デ・ワールトがサンフランシスコ響で初演したそうだが、ワールトはたしか小澤と同じ頃バーンスタインの副指揮者だったから、いわば「身内」で、その頃ヒューエル・タークイもサンフランシスコにいたらし…

日本ショット社と東京コンサーツ

小野光子の武満徹評伝の1980年代を扱う第5章は、武満が1980年に日本ショット社(ショット・ミュージック株式会社)と契約した、という記述ではじまる。マインツのショット社が日本法人を設立したのは1977年だが、設立直後にショット社側からアプローチがあっ…

万博が「芸術で食べていける」時代をもたらした

小野光子の武満徹評伝は、武満徹が作曲家になるまでが第1章、「弦楽のレクイエム」までが第2章。そして第3章は1970年の万博で終わる。「作風」で武満徹を語るときに言われてきた「カトレーン」等の1970年代半ばの脱前衛化で章が切れてはいない。1970年代を語…

武満徹のサクセス・ストーリーの読み方

例によって小野光子ははっきり書いていないけれど、バラバラに提示された証言を組み合わせると、こういうことだったように思える。 ストラヴィンスキーの1959年の来日は大阪国際フェスティバル(朝日新聞社)の招聘だが、ロバート・クラフトが同行し、ターク…

「本論文は」という無生物主語

真田丸総集編を少しずつみて、上手に編集するものだなあと感心するが、考えてみれば、ドラマ本編がストレートプレイ風の小さなシーンを有働さんの語りでつなぐ形式だから、語りによるつなぎをちゃんとやれば再編集しやすいのかもしれない。ストレートプレイ…

劇場指揮者は声に手で触れる - プラトニズムとエロティシズムの差異

どのヴァージョンからなのかわからないが、iPhone の画面読み上げ機能が強化されていることを知る。画面上の文字を読み上げる手順が今はずいぶん簡単になっている。画面をタッチして次々読み上げているうちに、三輪眞弘の声のプラトニズムの件と、タッチパネ…

編著という背徳

ここ数日で、自分の書いた文章を少しと他人の書いた文章をたくさん読んで添削した。(全国的に大学というところは今そういう季節であるようだ。)添削には、ツボを押す整体・マッサージに似た勘所があるようですね。あるポイントをしかるべきやり方で突くと…

平和に向けて

3週間ごくろうさまでした。これからは普段着で静かに暮らしてください。 ということで、カメやカエルのcpを限界まで下げることに専念する。人騒がせな害虫を被害が大きくならないうちに駆除するような感覚である。

対話と問答と黙読と自問自答

ソネットに特徴的な問答形式が、キリスト教のカテキズム教理問答における問いと答えの関係を踏まえながらそこからズレていく、という阿部公彦の解説は興味深いのだけれど、「問答形式はキリスト教会以外でも様々な場にみられ、その古いよく知られた例がギリ…

「古都」以前の大和国

著者は、第一次世界大戦100年の2014年に応仁の乱を書こうと考えたそうだ。「大戦争」が現代=20世紀への大転換だったという神話的な議論の再検討は、モダンvsポストモダン/近代論と脱近代論の争いという20世紀的なゲームの底を抜いてしまう可能性があるのだ…

生放送

会場は、例によってこの指揮者が鋭利なアクセントと息苦しい煽りを地雷のようにあちこちに仕込んで爆発させるのを結構喜んでいるように見える。しめやかな新春番組っぽくないこの連続爆弾パフォーマンスがどういう文脈で受けているのか、テレビだとよくわか…

「コンテンポラリー」の正体

戦後日本のアートでさかんに言われた「コンテンポラリー/同時代」の概念は、海外での成功によって国内のアカデミズムを出し抜く在野の芸術家という類型に支えられていると思うのだが、彼らの国内での立場がどのようなもので、国外での立場がどのようなもの…

ロマン派音楽における替え管とヴァルヴの中間段階

トランペットは長管の高次倍音を駆使することでバロック期に黄金時代を築いたが、ホルンは一時代遅れて、リッピング、ハンドストップ、替え管を駆使して18世紀の後半から19世紀が自然倍音ベースの「ナチュラル」な楽器の全盛期になる。バロックのオーケスト…

武満徹の「コピーA」

武満徹のデビュー作「二つのレント」は自筆譜が破棄された幻の作品だったのを、藤井一興(とレコード会社)が発掘して1982年にレコーディングしたのだが、武満自身は1989年に改作を「リタニ」として発表して、1990年の「リタニ」の楽譜に、 この作品は、1950…

和気橋

今年の締めはこちらにて。橋のたもとになんか出てますが。

観劇体験

それにしても、東ベルリンの国立歌劇場のばらの騎士(私も大阪で観た)が最初のオペラ体験だ、というのは、やっぱり一回り若いんだなあと思う。外来引っ越し公演といっても、しょぼいのと凄いのがあって、なおかつ、国内にも本当にナショナル・オペラハウス…