私は管理と蒐集を欲望しない

レーダーが使えるようになって、特定の種を25匹集めて博士に送れば……、というのも、理不尽ではない程度に時間をかければ目処が立つようになったが、元来コレクションに喜びを覚える性格ではないので、興味はこれ以上長続きしないかもしれない。

仕掛けが大がかりだから、何がどうなっているのか、わけがわかるまでに手間がかったけれど、結果として何が得られるかというと、愛嬌のある第一形態は、第二形態、第三形態に進むにつれて、戦闘モードだからなのだと思いますが、どんどん不穏なデザインに変わっていくんですね。

こうなると、ますますもって、彼らを戦場に送り出すしかない感じがしてくるではないか(笑)。

私は戦場で彼らと苦楽を共にする気はない。トレーナーという立場にも興味がないんですよねえ。

当節の世間には、レアアイテムのコレクションとか、戦士の胴元・応援団とか、そういうポジションを欲望する人が多いのだろうか? ポケモンは(リオのマリオのプロジェクションマッピングな拡張現実ショウには登場しなかったけれど)一世を風靡したわけだから、みなさん結構、管理と蒐集がお好きなんですかねえ。データベース消費とか環境管理とか、確かにひと頃さかんに言われてはいたけれど。

地球という巨大なサイコロ - ギャンブルとは別の仕方で

前の記事の続き。

私は管理と蒐集を欲望しない、というのはそうなのだけれど、それじゃあ、あれは、いったい何を管理・蒐集しているのだろう、と考えると、ギャンブルとは別の仕方で偶然 chance を取り扱う方法を提案しているのかもしれない、と思った。

カイヨワの遊びの分類で言うと「アレア」ということになるのでしょうか?

私は、サイコロであれクジであれ、アレアっぽい運試しに熱中できない性分なので困ってしまいますが……。

(囲碁のほうがずっと面白いじゃん、と思ってしまうのだが、囲碁は、カイヨワの分類に照らすと「アゴン(競技)」になるんですね。分類というのは、それとこれとは別物だ、ということで、アゴンとアレアが相互の優劣を競っても不毛でしょうから、ここはこれ以上突っ込まない。)

あのゲームは、「もうギャンブルは要りません。サイコロを振ったり、ルーレットを回したりして、運試しのスリルに身をさらさなくても、地上のどこかを歩き回るだけで、あなたには幸運な出会いが用意されています」ということですね。

そして、

その「幸運」は、図鑑(データベース)に照らせば、たちどころにその度合いを知ることができますし、私達のソフトウェアは、どこに「幸運」がかくれているか、あなたを導くヒントをご用意しています。

という親切設計になっているわけだ。

拡張現実の手法は、GoogleMap を介して、地球を巨大なサイコロに変換しているのかもしれませんね。(土管が貫通したり、サイコロとみなされたり、拡張された地球は大忙しである。)

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梅田で本屋の帰りに駅の「大いなる正面」(21世紀の梅田には大阪駅の北側を「正面」であると主張する一群の高層ビルがある)に寄り道したら、大量のアヒルに混じって「幸運」が1匹出た。