戦士と愛玩

いつのまにか「調べてもらう」なるメニューが追加されて、きみのは大きい、とか、小さい、とかチームリーダー氏がズケズケと論評するのは、集めたアイテムを愛玩の対象としてではなく戦士として評価するように促しているのだろうなあ、と思うわけだが、

そうすると、愛玩(小谷野敦がヒトの究極の「退屈しのぎ」なのかもしれないと言う「子育て」に隣接すると思われる)は遊戯・ゲーム論的にどのような位置づけになるのだろう、と考えたところで、自宅に不意に見慣れないものが出た。

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チームリーダー氏はこのように論評するが、この程度の偶然で私を引き留めようとしても無駄である(=不戦の誓い)。