泣けるオペラと心躍るバレエとシューベルト

シューベルト、ブラームスのよろめき alla zoppa の話の続きだが、イタリア・オペラのレトリックがロマン派までの西欧の都市音楽(ほぼクラシック音楽)の共通の在庫(common practices)だったとしたら、バレエ・リュスのインパクトは、彼らの登場をきっかけにしてクラシック・バレエまでもが復権したことを考えると、20世紀がそこ(バレエ)に、オペラに代わる common practices を見いだした、という風には言えまいか。

つまり、新音楽で前衛から実験に突き進まなかったタイプの20世紀音楽は、大衆音楽(ジャズ)の台頭をも横目に見ながら、調性音楽をオペラ風のメロディアスなものからバレエ風のリズミカルなものにこっそり体質改善して生き延びようとしたところがあるのではないか。20世紀の「保守的な」(アドルノが文句を言いそうな)音楽は、サウンドや様式が19世紀以前とそれほど違わないからといって、漸進的・連続的にそれ以前とつながっている、というわけではなくて、ひょっとするとその差異は、器楽オペラから聴くバレエへ、という補助線を引くと、見えやすくなるのではないか。

と、ふと思った。

シューベルトを勉強し直すことで20世紀を考え直す。

つまりこれは、シューベルト歌曲のウィーンの最初の聴衆達が流した涙と、19世紀末以後の大衆化した公開コンサートでクラシック音楽に接したときの心の躍動は、はたして連続しているのか、ということだ。涙(感動)と躍動は、西欧の古典音楽(のパフォーマンス)に常に同じだけ含有されている普遍的な成分だ、という風に言えるのかどうか。19世紀のオペラ風の涙と、20世紀のバレエ風の躍動を、「音楽鑑賞」とか「集中的聴取」というタームで一括していいのかどうか?

思えば、魂のエヴァンゲリスト礒山や、柔らかい山崎正和風な聴衆論の渡辺から、音楽の国の吉田、高学歴ワーキング・プアのオデッセイと呼べそうな堀まで、東大美学のドイツ音楽論は、教養市民の「芸術鑑賞」を批判的に吟味しつつ大筋では継承して、その地点から現代を語る、というスタンス・学統であるように思う。でもそれは、ひょっとすると、20世紀を括弧に入れたまま、いつまでもその括弧を外さない虚偽意識に学問の装いを被せているかもしれない。

今年の秋は、呼び屋が広告代理店を兼ねるかのようなマネジメントの仕掛けで、東京と大阪の中小規模の音楽ホールに大量のシューベルトが投入される。夏目漱石にシューベルトの変ロ長調ソナタが似合う、みたいに思えてしまうらしい東京山の手はともかく、習い事のバレエが昔からさかんで、お芝居が大好きな大阪のお客様が、シューベルトをどう捉えるか。礒山・堀連続体が、うまくプレゼンテーションできるかどうか。お手並み拝見、ということになるようだ。

(ちなみにわたくしの阪大音楽学の卒業論文は変イ長調の即興曲、修士論文はバレエ「ロザムンデ:の間奏曲の主題による変奏曲(変ロ長調の即興曲)、メヌエットとサラバンドの折衷みたいなもう一つの変イ長調の即興曲を不器用に扱っているので、わたくしは、涙と感動というより、踊るシューベルトが気になっていたのかもしれない、という風に、事後的なポジショントークで強弁してみようかしら。そこから博士後期課程では、ワルツの流行にいち早く飛びついてコンチェルトやピアノ曲を仕立てたウェーバーに興味を移したりしていたのだから。)

[関西にもいいシューベルトを弾くピアニストが複数いるわけだが、そういう人たちが東京のマネジメント主導のシューベルト・プロモーションの「圏外」なのは、アホなノーベル賞委員会を無視するフォーク・ロックシンガー、というのと同じようなことなので、そういうことを知らない東京主義については、それはそれとして生暖かく見守ればいいのだろうと思っております。東京ブランドは、主義主張で連帯したりする何かではなく、上手にお買い物したらいい消費財である。]

つながらない音楽史

今やっている管弦楽史の授業は、チャイコフスキーとドボルザークとブルックナーとマーラーはみんな違う、という、つながらない音楽史になりつつある。

ショスタコーヴィチとメシアンとブリテンは、もはや別の銀河かもしれない。

音大の未来のオーケストラパーソン(オケマンの語は政治的に正しく言い換えるとやはりこうなるのだろうか)には、ワーグナーもしくはマーラーを中心に据えるとオケのレパートリーは大抵ひとつの流れにつながる、というような、CD時代、バブル景気の成れの果てのようなクラオタ文化史に背を向けて育っていただきたいと思っている。

アレックス・ロスの元気が出る20世紀音楽論もそんな感じだしね。

大学教員のための作文教室

研究者を自任する人は、研究上の己の立場なるものを意識しすぎて、依頼された売文が融通の効かないものになったりするようだ。役割意識が強すぎる大学教員の陥りがちな失敗その1である。

そしてもうひとつ、原稿の依頼主・編集者の言うことを、あたかも学術論文の投稿規定か何かのように律儀に受け止めて書いた結果、読者のニーズを受け止め損ねてドッチラケ、ということがありうる。コンプライアンスとかガヴァナンスとかいうことが言われるようになった結果、原稿の依頼主・編集者は(自らが発行する刊行物の実態とは遊離した状態で)ますます建前のきれいごとしか言わなくなっており、でも実は、読者が喜んでくれたらそれでいい、結果オーライと考える人たちであり、あなたの研究の生殺与奪の権利を握る学位論文の指導教官のような存在ではないのだけれど、そのあたりがわからなかったりすることがあるようだ。

この2つが合わさると、結構、悲惨なことになる。

一生懸命論文を書いて、資格取得のようなつもりで学位を取って、その直後はあれこれ原稿依頼が来るのだけれど、役割意識にがんじがらめでいまいち気の利かない文章になって、そのうち加齢による劣化と、後ろ盾であったはずの「大学」なる制度の昨今の弱体化で、かつてのオーラが消えてしまい、遂には何も書けなくなる。

今も昔もそういう人がいるし、今まさにそのような劣化の一途をたどりつつあるのかもしれない中年の名前を思い浮かべられないわけではないけれど、誰もがそういう人生を歩むわけではないし、そういう人物から「嫉妬」の語を使ってやんわり説教されるというのは、誰にとっても片腹痛いことであると言わねばなるまい。

説教芸術

落ち目の大学教員の説教はうっとうしいわけだが(「落ち目」についても「うっとうしい」についても、そうならないように自戒したい)、それとは別に、語り物のなかには説教芸・説教芸術というのがあるように思う。オラトリオは、まさに oratio の説教の芸能化だし、日本の寺の節談説教が落語・講談の起源(のひとつ?)だろうと言われたりする。

詩歌のなかにも、抒情へ向かうのではなく、説教芸の系譜があるように思う。シューベルトやドイツリートに、そういうものがどれくらい流れ込んでいるのか。シューベルトがゲーテやシラーに作曲した初期の歌曲から「説教臭さ」の様式特性を分析・抽出する作業は、薄命孤高の抒情歌人、みたいなイメージへの解毒剤として、あってもいいのではなかろうか。シュパウンなどの同窓生・上級生・卒業生たちがまさにそのようなものを期待していたというのであれば、なおさら、そのような、リートの「説教臭さ」の誕生と展開を追うのは、意味があるかもしれない。リリシズムの音楽化を語りうるのだとしたら、説教臭さの音楽化についても(たぶんベートーヴェンあたりとの関連を含めて)どこかで一度ちゃんと考えてみたい気がする。