「嗤う日本のナショナリズム」

北田暁大「嗤う日本の「ナショナリズム」」ISBN:4140910240

もとになった「世界」2003年12月号の論文がとても面白かったので、早速、読ませて頂いたのですが、80年代論のあたりから、違和感が募ってしまいました。

146頁で、「アイロニー」と「ユーモア」の区別という枠組みが、浅田彰の引用とともに導入されて、以後、繰り返し参照されるのですが、「アイロニー」概念の輪郭が明確なのに比べて、「ユーモア」の位置づけが不安定で、曖昧であるように思いました。

北田氏は、浅田彰の「ユーモアとアイロニーという対照概念が柄谷行人に由来する」と書いていますが、これは、違うように思います。

おそらく、浅田氏のネタ元は、ドゥルーズ「マゾッホとサド」、および、同書の訳者、蓮實重彦による解題ではないかと。(浅田彰は、高校時代に、蓮實重彦へ誤訳を指摘する手紙を送っていたそうですから、この翻訳書を読んでいたのは、確実。)

蓮實重彦は、80年代に、柄谷行人との何度目かの対談でも、彼流の「アイロニー/ユーモア」論を披露していました。そして、柄谷行人が、「ユーモアとアイロニーという対照概念」に言及するようになるのは、それよりもあと、90年前後のはずです。

だから、順番は、「柄谷→浅田」ではなく、「蓮實→浅田→柄谷」。

ただし、この「対照概念」の意味づけは、影響・継承関係にあるとも言い切れなくて、三人、それぞれ少しずつ違っているようです。

浅田彰は、北田氏の引用を見る限り、「アイロニー」と「ユーモア」が境を接していて、一方が他方に転化しうる、と考えているかのように読めます。一方、蓮實、柄谷は、「アイロニー」と「ユーモア」を、端的に異質な態度として、切りだそうとしていたように思います。

「アイロニー」は、対象との距離を際だたせる「ツッコミ」。「ユーモア」は、対象に巻き込まれてゆく「ノリ」に近い態度ではないかと、恥ずかしいくらい粗雑な言い方ですが、私は、そんなイメージでとらえています。

北田氏は、ナンシー関を「アイロニー」の側に位置づけて、対象への「憎悪」という言葉を使ったりもします。

「アイロニー」が「憎悪」を産み出す可能性をはらむとしたら、「ユーモア」は、対象への「奉仕」を含む気がします。

北田氏は、ナンシー関を「テレビ批評」と呼びますが、ナンシー本人が、「消しゴム版画家」を自称していたこと(=消しゴムに、有名人の似顔絵を彫るのが「主」で、そこに添えられたコメントは「従」だ、と繰り返し発言していたこと)が、見落とされているのではないでしょうか。

例えば、芸をもたないことを芸にする「バラエティタレント」に対する、ナンシー関の

「すごい商売だ」

という発言。

これは、「ブラウン管前一メートルのリアル」(268頁)を確保する「アイロニー」に回収できるのでしょうか。

森脇健児や中山秀征の写真資料を集めて、数センチ四方の消しゴムに掘りつける作業の末に、つぶやかれた一言ですよね。私には、体を張った「ユーモア」(「ノリ」の末に生まれた「ボケ」)に思われます。

余談ですが、私の一番大好きなナンシー論は、清水ミチコが、死の数週間後に綴った、夢の話。

「えー、すごい痛かったんだよ。」(2002年6月17日)

ナンシー関は、もしかすると、今頃、あの世(ってどこだ?)で、「気鋭の社会学者」北田暁大の消しゴム版画を彫って、ポンと押しているかもしれません。

場所が、デーブ・スペクターの隣だったりしたら、どうします。

私は、それに対する北田暁大のリアクションが知りたい。(←これって「アイロニー」?)

同時代の「反省」および「アイロニー」概念の分析には、たぶん、社会学的な意義があるのでしょう。

でも、2005年初頭の批評の戦略として、80、90年代を「アイロニーの時代」と総括して、「アイロニカル」に突き放す、というのは、どうなのか。私個人は不同意。(私の意見なんて、たぶん、誰も知りたくないとは思いますが。)