「ピアノはいつピアノになったか?」第8回ピアノとテクノロジー

ザ・フェニックスホール。どういうことになるのか、事前にほとんど予測がつかなかったのですが、行ってみると、2年間8回のマラソン企画をきれいに締めくくる内容でした。(講師:三輪眞弘)

自動ピアノと大井浩明による、ナンカロウ「スタディ」やリゲティ「無限柱」が普通のことに思えてしまうくらい、他の自動ピアノ作品も面白かったです。

三輪眞弘「東の唄」は、人間が演奏するピアノ(大井)、自動演奏するピアノ、邦楽をサンプリングしたテープ、三者の組み合わせ。鍵盤を一種のコマンドキーにして、人間の弾くピアノが、自動ピアノやテープのON/OFFを制御できるしくみになっている一方で、自動ピアノは、黙々と人間の演奏データを蓄積して、後半、圧倒的な存在感で、即興を展開していました。パフォーマンスとしても、「人間」とは、「演奏」とは、「楽器」とは、といったことを考えるメタファーとしても、刺激的な作品でした。

クラーレンス・バルロー「自動ピアノのための変奏曲」は、ベートーヴェンのピアノソナタop.110の第2楽章を、自動ピアノがパラフレーズする作品。コンピュータにより解析、即興した結果が、それでも、どこかでベートーヴェン的に聞こえてしまうのは、解析アルゴリズムにヨーロッパ的な発想が反映しているということでもあり、ベートーヴェンの音楽思考が、意外にコンピュータのロジックと親和するということでもあるのでしょうか。

2年間の長旅の最後を、ベートーヴェンの最後のソナタの最後の楽章で閉じるというのは、さりげなく感動的な趣向。関係者の皆さま、本当にお疲れ様でした。