大阪フィルハーモニー交響楽団 いずみホール・コンサート・シリーズVol.10

ザ・シンフォニーホール。ゲルハルト・ボッセは、大フィルと初共演。この人は、ドイツの伝統的なレパートリーについて確固としたイメージがあって、それを細かく要求していくタイプなのだろうと思います。ただし、棒の技術がある人ではないので、リクエストが実現するかどうかは、オーケストラ側の態度如何。

梅沢和人がコンサートマスターを務めたバッハ「管弦楽組曲第1番」は、ボッセとの音楽的な擦り合わせが不十分なまま本番を迎えた印象。ハイドン「交響曲第101番」のコンマス、ロバート・ダヴィドヴィッチは、指揮者の要求のうち、理解・実現可能はことだけを受け入れると割り切って、あとはオーケストラのペースで作っていたように見えました。それがボッセのやりたいことなのか、逆に、ボッセのやりたいことをすべて実現すれば良い演奏になるのか、というのは不明。でも、(おそらくボッセの原体験と思われる)戦前戦中のオーケストラでは、指揮者が一元的に作品を管理するのではなく、このように、指揮者とオケの折衝で演奏ができあがっていたのではないか、という気もします。ハイドンは、あまり細かく決めつけすぎないところで相互の妥協点が見つかった感じで、ある意味「ヒューマン」な、懐かしいスタイルの演奏でした。

ダヴィドヴィッチが独奏したモーツァルトの協奏曲「トルコ風」は、音楽を細かく区切るボッセのやり方と、大きくメロディを歌わせるダヴィドヴィッチが、最後まで平行線。