高木和弘・無伴奏ヴァイオリンリサイタル第1夜

ザ・フェニックスホール。パガニーニ「24の奇想曲」全曲演奏。客席が四方からステージを囲む配置で、向きを変えながら弾くというステージング。どこで動くかということまで、細かく計画を立てているようでした。演奏も、全24曲をトータルにとらえて、どこでどのテクニックをアピールするか、どの曲でどのようなフレージングを見せるか、順列組み合わせのように緻密に采配しているようでした。

高木さんは、この演奏会について、事前取材で、ロックスターを意識した「オレ流」を貫く覚悟のようなことを語っていたようですが、実際の演奏では、「内面の叫び」などではまったくなくて、彼の中に蓄積されたヴァイオリン演奏のデータベースを操作するオペレーターに徹していたように見えます。「内面などない!」と手の内を全部見せてしまうのが「オレ流だ」という逆説的な開き直りに見えました。

何の因果か祖父、曾祖父の代から西洋音楽を受け入れてしまっている国に生まれて、何の因果か、物心つく前からヴァイオリンを弾いている……。今の日本のクラシック演奏家は、そういう「いつの間にか音楽のサイボーグ化された身体」の持ち主でなければソリストになれないところがあって、彼ら、彼女らは、そういう「サイボーグ的身体」(自分の身体が自分では責任の取りようが形で鍛えられてしまっている事態)を持てあましているように見えます。高木さんの開き直りは、そのことへのプロテストであって、その意味において「ロック的」なのかなあ、と思いました。