韓伽ヤ(ハン・カヤ)ピアノリサイタル

イシハラホール。演奏とは、音と無音の組み合わせで時間を分節することであり、楽節のシンタクスや主題の連関(変奏)すら、シェーンベルクが十二音のセリーについてそう考えていたように「聞こえない構造」として意識から排除する。そういう風に、一切の退路を断ち、目の前の「今」と対峙する。「作品(構造)」を信頼するがゆえに、「演奏(現在)」に集中する。そういう演奏でした。

こういうスタイルが、細川俊夫「ピエール・ブーレーズのための俳句」や尹伊桑「小陽陰」のような、「間」と「気合い」の音楽にぴったりなだけでなく、モーツァルト「幻想曲」ニ短調やシューベルト「さすらい人幻想曲」、「ソナタ」ト長調D.894から、逆説的に、密度の濃い構造を浮かび上がらせることに驚かされました。

ここまで演奏家としての倫理を貫徹している人は、今、他にいないような気がします。記憶違いによる演奏の傷は小さなこと。本当に素晴らしい演奏でした。