大阪シンフォニカー交響楽団第108回定期演奏会

大山平一郎指揮、ザ・シンフォニーホール。

シンフォニカーは、オーケストラはこういう風に弾くもの、というような慣習にとらわれずに、まっさらなところから演奏を作っている印象があるので、是非この先も「統合」されることなく独自路線を続けて欲しいと思っているのですが、とはいえ、江口玲さん独奏のブラームス「ピアノ協奏曲第2番」は奇妙な演奏でした。

江口さんは、ホロヴィッツやガーシュインのコピー演奏をやるなど、往年のヴィルトゥオーソの録音に造詣が深い方なので、おそらく今回も、過去のピアニストの演奏をレファレンスしながら、解釈を組み立てておられたのかな、と思いながら聞きました。

テンポの設定や表情の付け方は、あれこれのピアニストの顔が思い浮かぶような手法満載で、何がやりたいかというのは明瞭すぎるくらいに明瞭。いわば、ブランド品で完全武装したピアノ演奏だと思います。

でも、その重装備があまり似合っていなくて、周りから浮いている感じ。細かいところまで周到に準備しすぎて、不自由になっていたのではないでしょうか。

もしも、音楽に「ピーコのファッション・チェック」があれば、相当ボロカスに言われそう……。

もちろん、お金を貯めてブランド品は買うのもひとつのライフスタイルだし、細かいところまで準備して決め打ちで弾くのも、ひとつの演奏スタイルだとは思いますが、

私は、冒頭のホルンの遠くから響くような音を聞いたら、たとえ、予定を変更してでも、それにふさわしい「音」で応える、というタイプの演奏が好きです。

概して、オーケストラがピアノに寄り添うことはあっても、ピアノがオーケストラに合わせることがないので、ピアノロールに生演奏で伴奏しているような違和感が募りました。

後半、シベリウス「交響曲第1番」は、明るい響きですっきりまとまっていました。ただ、金管楽器の扱いが「オン」か「オフ」の二者択一、ナマの音で突出するか、思い切り抑えて背景に埋没するか、ほぼ、二通りしかなくて、化学反応的に他と混ぜ合わせる作り方をしないのは、弦楽器出身で、古典派的なオーケストレーションで発想する傾向が強い大山さんの弱点かもしれない、と思いました。