岩城宏之さん

ご逝去されたそうですね。

つい最近も、東京混声の演奏会に出演されたという記事を見たので、まだ、細く長く活動を続けてくださるのだろうか、と期待してしまっていたのですが……。

関西では、2月の武満徹没後10年の演奏会(京響)が最後でしょうか。

首席客演指揮者として京響に毎年(最近は年一回、春に)出演されていて、特にここ数年は、毎回、とても印象深い演奏会でした。

昨年は黛敏郎(涅槃交響曲)、今年はオール・武満徹・プロ(しかも「弦楽のレクイエム」、「ノヴェンバー・ステップス」、「ファミリー・トゥリー」という代表三作品)で、務めを果たされてからのご最後。しかと記憶に留めさせていただきます。

今月の京響定期=京響創立50周年の「グレの歌」は、追悼演奏会ですね……。

[追記:06.6.14]

岩城宏之さんは、「物議を醸す人」という印象があります。

私が子供の頃、週刊誌などで、山口百恵さんについて熱く語っておられた時期もあったような……。

最近では、どこかのエッセイで、「エレベーターで、扉を閉じるボタンを押すのは心が狭い(放っておいても扉は自動で閉まるのだから、遅れて来た人を排除するようなことは、心が寂しい)」と書いておられたのが印象に残っています。エレベーターに乗る度に、この言葉を思い出します。(それでも、心に余裕がないことが多くて、「閉じる」ボタン、押してしまいますが……。)

十年前から批評の仕事をさせてもらうようになって、関西在住ですが、何度か演奏を聴きました。

当時は、いずみホールが、開館以来の「音楽未来への旅」というシリーズ(十年遅れの関西版「ミュージック・トゥデイ」?)をやっていて、京都では京響定期。その他、アンサンブル金沢の大阪公演とか、大阪センチュリーへの客演等々。

北陸の災害や阪神大震災直後の演奏会では、「ぼくの演奏会では、毎回、やっています」と、休憩中に自ら客席で募金を募ったり。

京響では、定期演奏会に他の団体が客演してもいいじゃないか、と、前半がアンサンブル金沢、後半が京響・金沢の合同演奏という演奏会を敢行。賛否両論だったこともありました(井上道義時代)。

マイニンゲンの楽団の配置を試したいといって、ブラームスの交響曲を特殊な配置でやったことも。

素朴な発想でも、やると決めたら即実行のフットワークが軽い人でしたね。

演奏会で、日本人の作品や海外の比較的新しい作品を必ずプログラムに入れることにしておられらのは有名ですが、黛敏郎と「アルルの女」を組み合わせるとか、作曲家とソリスト(要するに舞台上で拍手を受ける自分以外の人間)が全員、若い女性だったり、素朴ではありますが、お客さんが少しでも多く会場へ足をもらえるためのアイデアも色々試しておられました。

(京響では、残念ながら、お客さんの入りが今ひとつのことが多かったですが……。演奏会は、趣旨鮮明で良い内容だったのに……。)

個人的には、アンサンブル金沢をホームグランドの石川音楽堂で聴くことができなかったのが残念です。

(実は、金沢へ行くアイデアを提案したことがあって、もう少しで実現しそうだったのですが、そのお仕事は別の理由で頓挫しました。それから数年して、今では、関西のオーケストラの存亡がリアルな話題になっています。現状が続くはずはない、というのはかなり前から予感できたことです。広島や金沢がどうなっているのか、京阪神以外の地方都市を知っておきたいというのは、そういう思いがあったのですが、当時の担当さんには、「社費を使って旅行したいの?」と疑われたようで(笑)。その頃、予習のつもりで、自費で何度か広島へ行きました。「物見遊山」気分でないことはわかりそうなものだと、私は思っていたのですが……。縁がなかったのでしょうね。)