猿谷紀郎(作曲家) が語る武満徹「意識された空間」

あれはたしか、高関健さんが大阪センチュリー交響楽団の常任指揮者を惜しまれつつ(と言ってよいと思います)退任される直前、いずみホールでベルクの室内協奏曲その他を取り上げた演奏会のロビーだったと思うのですが、

音楽学者(大学の先輩ですが)の伊東信宏さんが

「企画さえ良ければ(関西でも&二〇世紀の音楽でも)これだけお客さんが集まるんだ」

と言っておられたのが妙に記憶に残っています。

その伊東さんがプロデュースするザ・フェニックスホールのレクチャーコンサート。大盛況だった足かけ三年のピアノの歴史シリーズ(「ピアノはいつピアノになったのか」)の次のテーマは、まさにその「二〇世紀の音楽」ということで、その第一回が今日ありました。

かつて故・岩城宏之さんが「音楽未来への旅」シリーズを立ち上げて、後任の西村朗さんによる「新・音楽未来への旅」シリーズや、そこから生まれた日本版ロンドン・シンフォニエッタと言うべき「いずみシンフォニエッタ大阪」のレジデンスでもある、いずみホールとの連携企画。

晩年の武満徹が高く評価したとされる作曲家の猿谷紀郎さん(伊東さんのかつての勤め先、大阪教育大学の助教授でもある)を講師に迎えて、バックアップ体制の点でも、企画者・講師の実績やネームバリューの点でも、周到すぎると思えるくらい隙のないパッケージの音楽会でした。

                  • -

でも、やはり音楽会の主役は演奏家であり、演奏家に曲を提供する作曲家なんですね。

若き日の武満徹(や当時の日本と世界の前衛音楽)が最も強く意識していたであろう音楽として、最初にウェーベルンの弦楽四重奏の五つの断章が演奏されたのですが(いずみシンフォニエッタのメンバーによる)、これが驚くべき精度と解像度の演奏。(ウェーベルンは、本当に「美しい」音楽なのに、そういえば、あまり実演に接する機会がないですね。最近の日本の上手すぎるくらい上手な演奏家の方々には、おあつらえ向きの作曲家のような気がするのですが……。)

「ソン・カリグラフィI、III」で、音が舞台上の空間を前後左右に飛び交うというアイデアを武満徹が60年代から既にはっきり持っていたことを確認できましたし、

前半最後の「WAVES」で、本当に色々なことを考えさせられました。

武満徹と初期から一緒に活動してきた山口恭範さんと、今時ちょっとあり得ないくらいの入れ込みようでケージ、クセナキス、ラッヘンマン、グロボカール、細川俊夫等「前衛音楽」のビッグネームに取り組み、遂に佐治敬三賞までもらってしまった大阪音大卒業生による演奏集団「NEXT MUSHROOM PROJECT」で「主演女優」的に活躍しているクラリネットの上田希さん(グロボカールでの無伴奏バス・クラリネットはちょっとあり得ないくらい凄い演奏でした)が、同じ舞台で共演しているというのは、それだけでも(マニアには)感動的な瞬間だったのではないでしょうか。

上田さんには、「大作曲家の古典」を有り難く押し頂くという感じがまったくなくて、三十年前の作品がストレートに今でもアクチュアルに「面白い音楽」として楽しめました。(上田さんは、特殊奏法を駆使した作品を本当に楽しそうに演奏するなあ、という印象があります。古典的なレパートリーだけでも十分素晴らしい演奏家だと思うのですが、本当に不思議な人です。)

そして、舞台後方にブラスセクション(ホルン1とトロンボーン2)、脇にパーカッションを従えたクラリネットの楽しげな演奏を眺めていると、この曲の編成が、(音のスタイルは全然違いますが)デキシーランド・ジャズみたいに思えてきました。(トロンボーンは、往年のスイング・バンドみたいに楽器を左右に振ったりしますし……。)

そういえば、武満徹はデューク・エリントンが大好きだったそうですし、武満徹がいわゆる「シリアス・ミュージック」一本槍の人ではなかったことが、こういう楽器編成にもうかがえる、と言える知れません。

(来年二月の武満徹のレクチャーコンサート第二弾は、篠田正浩さんを迎えて、武満徹と映画という内容になるみたいです。)

                  • -

後半一曲目は、「十一月の霧と菊の彼方から」。ヴァイオリンとピアノの作品ですが、ここで、今や若手ヴァイオリニストの定番になった感じの「悲歌(エレジー)」をやらないところが、この演奏会のステレオタイプを潔しとしないポリシーなのかな、という気がしました。

最後は4人のパーカッションの「四季」。

大阪万博(=関西に本当に勢いがあった時代)の鉄鋼館のオープニングで演奏された作品が、初演者のひとり山口さんを迎えて大阪で再演されるというのは、一種の象徴的な意味がありそうですが、

それにしても、この曲だけのために大量の打楽器を揃えて(会場一階の四隅=前方の舞台脇左右と客席後方左右に配置されていました)、吉原すみれさんまでご出演というのは贅沢なことですね。

あと二人の演奏者も、山口さんが教える同志社女子大の卒業生というだけでなく、宮本妥子さんはドイツの演奏グループで活躍していらっしゃいますし、小川真由子さんは、数年前に中之島公会堂の大きなホールでライヒ「ドラミング」の全曲演奏を敢行してしまった猛者。

決して力任せに騒々しくならない音選びで程よい緊張が持続して(この感じはケージの晩年の「白い音楽」の印象に似ている気がしました)、このまま図形楽譜を巡回しつづけて、いつまでもこの時間が持続して欲しいと思う心地よい演奏でした。

                  • -

派手な大仕掛けがあるわけではないですが、極上素材の懐石(手入れの行き届いた庭を目で楽しみながらの)という感じの演奏会。

座に集まった人を穏やかに満足させる「宴」の感覚は、武満徹にふさわしいと思いますし、伊東信宏さんの(ちょっと恩師の故・谷村晃先生を彷彿とさせる)キャラクターという気もします。

レクチャーコンサートシリーズは、これからも続くようですので、次が楽しみです。

P. S.
この演奏会には、東京から武満徹夫人の浅香さんも来ていらっしゃったそうです。アンコールで猿谷さんから花束を受けておられました。(いらっしゃると事前にわかっていれば、あの本当に魅力的なお話満載のご著書を持参してサインしてもらったのに(←ミーハーな感想ですみません)。)

会場の外は雨が降りしきる秋の気配。武満徹らしい天候で、ちょっと不思議な特別な夜になりました。