大阪シンフォニカー交響楽団第114回定期演奏会

(追記あり、演奏会の感想を追加、長文です)

本日、19:00からシンフォニーホールです。

指揮:寺岡清高、シューベルト交響曲第4番「悲劇的」、マーラー交響曲 第4番(ソプラノ:半田美和子)。

曲目解説を書かせていただきました。大阪シンフォニカーのホームページに既に全文が掲載されています。

http://www.sym.jp/critic/k/t_114.html

去年、京フィルでマーラー晩年の「大地の歌」のことを書いたので、

http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/program/kpo20061021.html

それとあわせて、マーラーについての自分の中のイメージが多少まとまってきたかな、と感じています。

[追記:演奏会の感想]

シューベルトもマーラーも、どうアプローチしたらいいのか、かなり難しい曲ですが、こういう大言壮語しない佳作をきっちり演奏するというのが、大阪シンフォニカーのような二管編成ベースのコンパクトなオーケストラの活路のような気がします。実際、ここ数年そういう方向を打ち出したプログラミングになっていたように思います。前回の大山平一郎さんの幻想交響曲と、今回の寺岡さんのマーラー4番には、その総まとめ的な意味合いがあったのではないかと想像しています。

前回の幻想、今回のマーラーともに、細部まで曖昧なところがなくて、どういうことがやりたいのか、どういう風にやろうとしているのかはっきりわかる演奏だったと思います。ただ、その分、何が足りないかというのも見えつつある。

今回に関しては、ピッチが悪い、と思いました。だから、シューベルトのように、多くのパートが同じ音を演奏して、シンプルな三和音を作らないといけない曲だと、ざわついて焦点が合わない水ぶくれしたような響きになってしまい、逆に、マーラーのように、各パートが同時多発的にあちこちで別のことをやり続けている曲は、完全にバラバラで離散的な響きになってしまう……。

マーラーでは、管楽器のあるフレーズの終わりの音と、次に入る弦楽器の和音が、旋律のキャラクターとしては別物だけれど、同じ音高で(あるいはひとつの和音として)響き合わなければいけない、というような場面があちこちにあって、そういう時の、音程レベルでの連携ができていないように思いました。

第三楽章のハーモニーもどうにも薄くてふくらみがない。戯画的だったり、天国的だったりする楽想とサウンドの多彩なキャラクター作りに気持ちが傾いて、楽器同士の音程レベルでの連携、響き合いがおそろかになっていた気がします。それは、演奏者、指揮者ともに「まだ若い」ということなのかもしれません。

(第3楽章の途中でソプラノが、まるで天使の降臨みたいにしずしずと入場するのは、コンサートホールを劇場化するとてもマーラーらしいアイデアと感動しましたが、第4楽章では、指揮者とオーケストラが勝手に進んで、ソプラノが(最後の1節で落ち着くところを除いて)ほったらかしにされていたようで残念でした。)

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シューベルトは分厚いメガネをかけた近眼だったわけですが、彼の管弦楽や室内楽の楽譜を調べていると、この人は、「聴覚的な近眼」(近聴?)でもあったのではないか、と思うことがあります。

広い空間にサウンドが広がるというよりも、各パートがほとんど互いに密着するような位置でやり取りすることを求めるような場面が続くからです。1小節の中で、あるパートが3拍動いて、4拍目に別のパートが合いの手を入れる、そしてそのバックには細かいリズムの刻みが続いていて、さらに、ベースラインがメロディを同じリズムでサポートしている、とか……。交響曲第四番の第二楽章は、ほぼ全編がそういう異常に互いの距離が近い室内楽的書法でびっしり書き込まれていて、しかも、ほとんど2小節ごとに、各声部のフォーメーションが変化していきます。解説に「基本リズムの変奏」と書いたのはそのことです。

それから、この曲では各楽章の間で、よく似た主題・モチーフを使い回すような書き方がしてありますが、そこでポイントになるのは、アウフタクトとアプタクトの区別だと思います。

例えば、第一楽章の主要主題は、「ソラシ | ド〜」と8分音符で駆け上がるアフクタクトのリズム。この楽章では、他のほとんどのモチーフが小説の頭から入るアプタクトですから、これは非常に大事な主題の目印と言えると思います。

第二楽章も、主部はずっとアプタクト(|4分音符+付点八分音符+一六分音符|)を繰り返して、短調の中間部で、はじめて一六分音符のアウフタクトのリズム(ソラシ | ド!)が出てきます。

第三楽章も同様ですね。メヌエットの主部は、ほとんど何拍子かすらわからない奇妙なリズムが続いて、トリオになると、はじめてはっきりした8分音符のアウフタクトのリズム(ソラシ | ド〜ミ)が現れます。

アウフタクトのリズムは、各楽章のなかで、はっきり目立つように工夫してあるわけです。

しかも、そうやって目立たされたアウフタクトのモチーフは、全部、「ソラシ | ド」という同じメロディでもある(楽章の垣根を越えてモチーフの関連性をもたせている)わけです。

(そして、第四楽章がただならぬ不穏な気分に満ちているのは、ここで、それまでのようなアウフタクト・リズムが一切出てこないことと関係があると思います。この楽章では、「タイでつながった2分音符+8分音符、3つの8分音符」という、アウフタクト・リズムを前後反転したような、かなり演奏が難しいリズムが続きます。)

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カラヤンは、「ブラームスはでっぷりとお腹が出ていたので、右手を左側へ持ってくるのに難儀しなければいけないほどだった。だから、彼の交響曲を指揮するときは、ゆったり腕を動かさなければならないのだ」と言っていたそうですが(笑)、

シューベルトの音楽は、たとえ、あなたが「視力2.0」だったとしても、「近眼」で周囲半径数メートルより向こうはぼんやりとしかみえないつもりになって、その分、周囲数メートルの出来事に最大限の注意を払わねばならない、というようなスタイルで書かれているような気がします。

シューベルトは「歌」を大切にした音楽家だと言われ、それは確かにそうなのですが、でも、イタリア・オペラのようなベル・カントとは知合う感覚が入っている。ベル・カントは、8小節なり16小節なりの長いスパンで美しいメロディのアーチを作る世界であって、そういう、大きなアーチは、劇場の舞台で見事に映えるわけですが、シューベルトの「歌」は、相手の顔や息づかいが直接感じられる小さな親密な空間の表現。

若い頃、師匠のサリエリはもっぱらイタリア語への作曲を指導して、弟子がリート(ドイツ語の歌)を作るのが不満だったそうですが、そんな環境で学んでいた以上、彼は、自分が作るドイツの歌と、オペラ劇場のイタリアの歌の違いには自覚的であったと推測していいでしょう。

今回の演奏は、弦楽器など、アウフタクトのリズムの処理がとてもお座なりだったこと。終楽章に至っては、ほとんど1小節1拍のような大ざっぱなリズム感で進んでいたことがとても残念でした。

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最後に、曲目解説の文章について捕捉。

本当は、2曲それぞれの解説の前に、今回のプログラミングについてのコメントを何か書こうとぎりぎりまであれこれ考えたのですが、結局、やめました。

シューベルトとマーラー、どちらもウィーンに縁があって、今回は、両方の作曲家の「第四番」なわけですが、そこから書き起こしてもなかなか上手く話は広がりそうになかったので……。

「四番づくし」という洒落はともかく、シューベルト、マーラーにとってのウィーンという話は本当にややこしいです。

以下、パソコン内に残っている下書きの一部。

曲の解説の関連づけながら短くまとまりそうな話ではなかったので、ばっさりカットしました……。

マーラーのドイツ文化への距離感は、しばしば彼がユダヤ人として、ウィーンではアウトサイダーだったことと結びつけて論じられる。しかし実は、シューベルトの両親も東方出身のいわば「移民」だった(シューベルトは生粋のウィーンっ子ではなく、「移民二世」だった)。シューベルトが根無し草の「さすらい」というテーマにこだわったのは、「異邦人」マーラーと同じように理由のあることだったのである。

交響曲作家を目指したシューベルトに十分な活躍の場がなかったのは、かつてモーツァルトやベートーヴェンを支援した貴族社会が対ナポレオン戦争で疲弊して街の音楽生活が沈滞していたことも一因と考えられる。また、彼が生涯オーストリア領内を一度もでることがなかったのは、内気な性格のせいではなく、反体制詩人との交友で逮捕歴があるなどの経歴が、王政復古で検閲を強化していた政府当局から危険視されていたからではないかとの推測がある。シューベルトの1820年代は、オーストリア帝国が歴史のうねりから取り残される「政治的停滞」がはじまった時期なのだ。

一方、マーラーの世紀末ウィーンは、そうしたウィーンの機能不全が誰の目にも明らかになった時期である。彼がウィーンの音楽院に在学した1870年代は大規模な都市改造の時代ではあった。しかし、(ちょうどブラームスの交響曲が最新の作曲技法を伝統的な形式に押し込めたように)、ウィーンは、建物の概観を古めかしく保ち、「近代化」には慎重だった。音楽監督として凱旋したマーラーが、劇場の改革を目指し、相当な抵抗を経験して、シェーンベルクなどの若者に支持されながら、追放されるように辞任したことが知られている。(彼の交響曲もほとんどがウィーン以外の都市で初演されている。)

このような時代背景を踏まえると、シューベルトとマーラーが、どちらもドイツの民謡に根ざす歌曲(リート)に生涯取り組んでいたことも、単純な祖国愛ではなかったと言うべきかもしれない。最近の研究で、シューベルトは歌曲の人気作曲家として生前、相当な収入を得ていたことがわかっているが、宮廷礼拝堂合唱隊(現在のウィーン少年合唱団)に選ばれ、理想的なエリート教育を受けていた十代の彼の交響曲は、古典派伝来の語法で書かれ、ほとんど歌曲とのつながりが認められない。彼が「未完成」や「グレート」のように「ロマンチックな」器楽を書くようになるのは、思うようにキャリアを築くことができず、「精神の危機」を経験したのち、1820年代になってからである。交響曲第4番は、もし彼が危機と挫折に遭遇しなければどういう作曲家になっていたか、そんな実現しなかったパラレルワールドを想像させる作品である。

一方、マーラーの交響曲第4番は、しばしば第2、3番とともに「角笛交響曲」と呼ばれる。作品の構造が民謡詩集「子供の魔法の角笛」と密接に結びつき、この詩集に作曲した歌曲が交響曲の中に組み込まれているからである。詩集「角笛」は19世紀初頭、まさにシューベルトの時代に編纂され、シューベルトは編集者のブレンターノとアルニムや、彼らの影響を受けたロマン派作家の詩に数多く作曲しているのだから、マーラーは、数十年の隔たりを越えて、シューベルトと同じ世界に関心を寄せていたと言ってもいいかもしれない。しかし、マーラーは、メルヘンの世界そのものというよりも、そこに含まれるグロテスクな描写や皮肉な風刺を強調している。交響曲第4番は、「天上の世界」を歌う歌曲を軸にして作られているが、それは、19世紀前半のジングシュピールやロマン派オペラ、ウェーバーやメンデルスゾーンが描くような無垢で穏やかなだけの世界ではなくなっている。

「音楽の都ウィーン」と、平易な言葉を素朴なメロディで歌う「ドイツ・リート」は、日本でも昔から安定した人気がある「これぞクラシック」と言うべきアイテムだけれど、今回の二人の作曲家は、そのような微温的なウィーンの風土のまっただ中で、違和感を表明しつづけていた芸術家と言うことができるだろう。

今回のプログラム。演奏も難しい二曲でしたが、それぞれの曲、作曲家の背景も、一筋縄ではいかないものだったように思います。だからこそ、そういうものに、これからもどんどんチャレンジして欲しいと思うわけですが。