関西のオーケストラにおけるショスタコーヴィチ生誕百年の総括

前のエントリー(馬淵昌子さんのヴィオラリサイタル)の最後に書いたショスタコーヴィチ談義の続きです。

1月には、京響定期演奏会で、故・岩城宏之が指揮する予定だったショスタコーヴィチ特集があって、今回は馬淵さんによるショスタコーヴィチ。

それぞれの演奏会が、どうして生誕百年から微妙にずれたタイミングになったのか、たまたまだったのかもしれませんが、こういう風にアニヴァーサリーを外すというのは、むしろ、ショスタコーヴィチを聴く環境として、ふさわしいような気がしました。

ここで京響のことを書きましたが、では、それ以外の関西のオーケストラは、どういう風に「ショスタコーヴィチ・イヤー」に対応したのでしょう。

●大フィル:7月定期、大野和士指揮、交響曲第15番

大野さんは、数年前の夏の特別演奏会に出演が予定されていたのですが、その演奏会は体調不良で中止(ベルリオーズ「ロメオとジュリエット」が予定されていた)、今回が大フィル初登場でした。

大フィル7月の定演は、朝比奈さんの誕生日に近くて、晩年は朝比奈さんが大曲を演奏するのが慣例になっていた特別な回。そういう特別なシーンで、大野和士さんという注目の指揮者がショスタコーヴィチの特別な交響曲(最後の交響曲)を取り上げたわけで、やはり、慎重な意味づけがなされていたのかな、という風に見えます。

*この演奏会については、演奏評を書かせていただきました(『日本経済新聞』大阪本社夕刊2006年7月19日、24頁)。

●京フィル:11月定演、上野真指揮&ピアノ、ピアノ協奏曲第1番他

京都以外ではあまり知られていないかもしれませんが、京都フィルハーモニー室内合奏団という団体があります(小編成ですが、NPOの常設プロ団体)。

11月の定期公演がショスタコーヴィチ特集。ピアノ協奏曲第1番(ショスタコーヴィチが、1936年「プラウダ」の批判論文掲載当日にも旅先のコンサートで弾いていたという作品)などを並べた、小ぶりだけれど捻りの効いた選曲。

超絶技巧ピアニスト上野真さん(硬派な緩徐楽章がショパンやラフマニノフのように美しかったです)は圧倒的で、京フィルもこの年のベストではないかと思う好演でした。

*この演奏会のプログラム、曲目解説をこちらで公開しているのでご参考まで。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/program/kpo20061126.html

●関西フィル:8月Meet the Classic Vol.13 ショスタコーヴィチの世界、交響曲第5番
●関西フィル:11月定演、交響曲第10番
*指揮はいずれも藤岡幸夫

前者は、ルロイ・アンダーソン名曲集、楽器紹介的なヴォーン=ウィリアムズ「テューバ協奏曲」とショスタコーヴィチを組み合わせた、クラシック入門的なコンサート。関西フィルは、各地を細かく巡回したり、こういう入門コンサートを継続していたり、聴衆層の掘り起こしで定評のある団体ですね。

前者=8月公演のプログラムには、指揮者からのメッセージとして、

彼が命を賭けて込めたメッセージに溢れてる作品なんです

という言葉があり、

後者=11月定演のチラシや前宣伝には、

藤岡幸夫の魂が昇華する!
「真に偉大な悲劇作品は、その根底にヒューマニズムが流れている」のことばを象徴する傑作です。

との言葉が踊っていました。

両演奏会ともにプレトークがあり(これも関西フィルではおなじみ)、同趣旨のお話があったと伝え聞いています。

「ショスタコーヴィチ=ヒューマニズム」という直球ストレートなスタンスですね。

「お祭り」と聞けば真っ先に駆けつける軽やかなフットワーク、宴会の席では真っ先に立ち上がって一芸を披露するお祭り男。お調子者だけれど、裏表のない良い人。そんな感じでしょうか。

(しばしば「お祭り男」と見られている大フィルの大植英次さんが、実はアニヴァーサリーという習慣に批判的で、2006年大フィルでショスタコーヴィチを振らなかったのとは対照的。)

8月の演奏会は曲目解説を書かせていただきまして、そのなかで、

 ただし、本来、芸術作品は「作者の意図」がすべてではありません。スターリン時代のソヴィエトという特殊な状況に生きたせいで、「創作意図」を詮索されつづけていることが、ショスタコーヴィチという傑出した音楽家の最大の不幸かもしれません。本日の指揮者、藤岡幸夫さんは、どんな解釈で音楽そのものの力を引きだしてくれるのでしょうか。

と書いたのですが、「お祭り」ムードの中で、「音楽そのものの力」とかブツブツややこしいことを言うのは「焼け石に水」ですね。^^;;

●大阪シンフォニカー、大阪センチュリー、兵庫県立芸術文化センター管:2006年はショスタコーヴィチを演奏せず。

あとの3つのオーケストラは、ショスタコーヴィチを定期公演では取り上げませんでした。いずれも2管編成が基本なので、これはそういうものかもしれません。

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ということで、まとめると。

  • 大フィル:第15番(大野和士スペシャル)
  • 京響:第5番(ただしアニヴァーサリー明けの2007年1月)
  • 関西フィル:第5番、第10番(アニヴァーサリーを徹底活用)
  • 大阪センチュリー:なし
  • 大阪シンフォニカー:なし
  • 兵庫芸文センター管:なし
  • 京フィル:ピアノ協奏曲第1番(別角度から見たショスタコーヴィチ)

全体として、演奏回数は決して多くなかったですが、丹念に見ていくと、それぞれのオーケストラのカラーが見えてきます。

こういう風に各団体のキャラクターを肌で感じることができるのは、地元だからこそ、と言えるかもしれませんし、

こういう話は、まさに、音楽雑誌の「演奏会評」からこぼれ落ちる部分かもしれませんね。

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……「いずみシンフォニエッタ」論にはじまり、追記に追記を重ねて、他サイトまで巻き添えにする(ご迷惑をおかけしてすみませんでした!)入り組んだ内容で、

はたしてどれくらいの方がここまでついてきてくださったのか、大いに疑問ですが(汗)、

ここに思いついたことを書くことは、第一義的に自分自身の考えをまとめるメモということでご理解ください。

2月3日の2つの演奏会関連の話は、以上でおしまいです。おつきあいいただき、どうもありがとうございました。