要するに異国趣味?(再び「熱狂の日」2007)

マルタンさんからは「民族のハーモニーというテーマにした理由の一つは、作曲家たちが最初に親しんだのはそれぞれの国に伝わる民謡だったんじゃないか、と思えることなんです。彼らはそれを生涯の中で芸術へと突き詰めていったんじゃないでしょうか」という話を含む今回の概要説明があり、それぞれの作曲家について、そして演奏される曲についての紹介もありました。

http://lfj.jp/report/2007/02/post_159.html

「熱狂の日」2007のテーマから「国民楽派」という言葉が消えて一安心、と書いたところだったわけですが、

id:tsiraisi:20070216#p1

そしてこの「マルタンさんの発言」は、ご本人の発言が通訳されて、それを公式ブログ班がまとめたということでしょうから、どこまで正確にご本人の発言を反映しているのかは不明ですが、

ここだけ読むと、一瞬えらく無邪気で楽天的すぎる発言に見えてしまうなあ、と思いました。

とりあえず伝記レベルの事実として、クラシック系の作曲家で、「最初に親しんだのはそれぞれの国に伝わる民謡だった」人は極めて少ないと思います。

幼少から日常的に民衆の音楽に親しんでいたのは、19世紀では、村の肉屋兼宿屋の息子だったドヴォルザークくらいで、あとは、(伝記を調べるとすぐにわかることですが)スメタナもショパンもバルトークもシベリウスもファリャも、ロシア五人組もチャイコフスキーも、みんな母国では名士orインテリorエリート出身ですよね。

どこの国でも、ナショナリティや民族性を最初に言い出す音楽家は、ほとんどの場合、民衆の音楽とあまり縁のない環境で育った中産階級のエリート。これは、外国語堪能で普段は洋装の生活をしている外交官が、国際的な晴れ舞台でだけ民族衣装を身につけるのに似ている気がします。外国に通じていて、外国との接点を持つ立場にならないと、人はなかなか、ナショナリズムや民族性に目覚めたりしない、ということなのかもしれません。

で、マルタン氏の発言のポイントは、「作曲家たちが最初に親しんだのはそれぞれの国に伝わる民謡だった」じゃなくて、その次の「……んじゃないか、と思える」のところなんでしょうね。

音楽は舞台上でつかの間の夢をみせるフィクションなわけですし、「あたかも民謡とともに生まれ育った<かのような>」振る舞いは、晴れやかな舞台パフォーマン用の「正装」、美学的な演出。

(武満徹だって、およそ和服が似合わない「実験工房」のシュルレアリストだったのに、ニューヨークからの注文の時は、琵琶と尺八で「和装」して、なおかつ、「和装」といっても琵琶の鶴田錦史さんは常識的な「和」の枠に収まらない傑物だったようですし、そういう人と組んで「和服」をなんとも不思議なやり方で着こなしたところが、武満徹の面白さですね。)

それから、「……んじゃないか、と思える」という言い回しには、そういう民族調パフォーマンスを観客席から眺めて面白がる異国趣味・エキゾチズムの視線が含まれているのかなという気もしました。

退屈な日常を活性化させる「エスニック」のスパイスですね。

          • -

日本版の「熱狂の日」は、本家ナントとはかなり性格の違うイベントにローカライズされていると聞いています。滞在型で演奏家と聴衆が交流する音楽祭というより、あれはたぶん、大量の屋台・出店が並ぶ、盛り場のお祭の超巨大版なのでしょう(そこが非常に「万国博覧会」的に思えます)。

だとしたら、そういう「屋台」の出し物・扮装に対して、「これは本当に本物? あなたは普段からそういう出で立ちで生活をしているの?」と根掘り葉掘り詮索するのは野暮。

マルタンさんがこういうメニューを組んだのは、ちょうど百年前の世紀末万博都市パリで異国趣味が花盛りだったみたいに、21世紀ニッポンも音楽消費生活が爛熟していると思ってくれたのかもしれませんね。

百年前にドビュッシーやラヴェルが異国趣味から美味しいところをすくい取ったみたいに、日本の皆さんも、「民族のハーモニー」=音楽のエスニック料理をご賞味ください、という提案。

パリの外国好き&ロシアブームは、そのあと、そこにつけこんだディアギレフやストラヴィンスキーのパリ殴り込み的大暴れ・荒稼ぎの呼び水になってしまったわけですが(笑)、いかがわしさ込みでそこまで経験してはじめて、一人前の「大人の文化」ができあがるということなのかもしれません。先は長い……。