大阪フィルハーモニー交響楽団第405回定期演奏会

大植英次さんが出演できなくなって(ドイツで療養中のようですね)、急遽クラウス・ペーター・フロールの指揮で、曲目もモーツァルトの交響曲40番とチャイコフスキー「悲愴」に変更された演奏会(ザ・シンフォニーホール)。

本当に色々なことを思いつく指揮者で、しかもそれをはっきり棒で示して、オーケストラが着いてこれなくて多少乱れても一切譲らないので、メリハリのはっきりして、相当スリリングな演奏になりました。

特に、モーツァルトは対向配置でノン・ビブラート(大フィルはピリオド奏法初挑戦だったようです)。

……マーラーの9番のはずが、ものすごい予想外の展開ですが、逆に言うと、指揮者・曲目変更の非常事態をただ無難にやりすごすだけでは面白くないですから、この機会に新しいことを試すのも、悪いことではなかったかもしれませんね。

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モーツァルトは、フレーズごとに弾き方やリズムの感じ方を切り替えて、突然立ち止まったり、猛然と駆け出したりして、ほとんど前古典派、多感様式のエマヌエル・バッハみたいでした。

全部反復あり。第1楽章は、段落の終わりで衰弱・減速して、次のフレーズを新しいテンポで入り直して、あちこちに亀裂を入れる解釈。第2楽章はほとんど一小節ひとまとめにとらえる大づかみのテンポが基本でかなり足早。第3楽章は3拍×3小節のいわば「4分の12拍子」を2+2+2のヘミオラ(大きい三拍子)や4分の3の小さい三拍子の組み合わせで攪乱するパズル的なリズム解釈。第4楽章は、民族音楽風にアウフタクトで突っかかったり、展開部冒頭のユニゾンは、完全に拍子がなくなる「ブレイク」状態。そのあとホルンに始まる管楽器の長い吹きのばしを旋律に見立てて、メインテーマを刻む弦楽器との組み合わせは擬似的な二重フーガ仕立て……。かなりマニアックにアイデアを詰め込む演奏ですね。

思いつきをあれこれ演奏に盛り込むタイプの人だったのが、古楽の、楽譜を新しい視点で読み直す考え方を取り入れたことでマニア度をパワーアップ、あくまで想像ですが、そういうことなんじゃないかという気がしました。

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チャイコフスキーは、あり得ないものすごい煽りや、準備しようのない急ブレーキなど仕掛けの連続で、次は何をやるのかと思って見ているうちに、いつの間にか終楽章……。

ただし、第3楽章だけは何があっても頑として緩まないイン・テンポでした。しかも弦楽器がついてこれられない限界速度。

作品について明確な解釈、演奏プランがあるというよりも、演奏家に負荷をかけ続けて、そのことである種のテンション(演奏家にとってはかなり大変)を生み出そうとする、良く言えば熱いパフォーマンス、ちょっとオーケストラ攪乱が自己目的化しかけているようにも聞こえました。これは、腕に覚えのある人が陥りがちな傾向かも……。

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ルーティーンな名曲演奏会でなかったのは確かですし、振り落とされないよう必死に付いていく若いコンサートマスターの長原幸太さん以下大フィルのガッツは聞き物。

指揮やオーケストラに関わっている人だったら、「自分はあの棒に冷静に対応できるだろうか」とか、「大胆なカウンターを当てる振り方、あんなことを本番でやる度胸が自分にはあるだろうか」とかシミュレーションしながらフロールを見ていると、かなり楽しめたのではないでしょうか。