ザ・シンフォニーホール。指揮、大山平一郎。
- ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲(独奏、チョー・リャン・リン)
- 同 交響曲第3番
「大山&シンフォニカーにハズレなし」、もうそういう風に言い切って良い気がします。
いつもにも増して突飛な比喩になってしまいますが……、「エロイカ」を聴いて、コンピュータのプログラミングで言う「オブジェクト指向」の理想というのは、こういうものかもしれない、と妙なことを思っていました。
このデータをこっちに移して、あれをこっちに持ってきて……とひとつひとつの命令を順番に書いていくのではなくて、メッセージを送ると、コンピュータ内のエージェント(オブジェクト)が、まるで、自らの意志をもった生き物のように、細かいところが自前で処理して、適切な反応を返してくれるようなイメージ。
指揮者がオーケストラを意のままに動かすとか、オーケストラというキャンバスに自らのイメージを大写しにするというのとはちょっと違う感じなのですね。
もちろん大山さんに明確なイメージがあって、それに向けて相当綿密な準備を重ねた結果なのは間違いないと思います。「ここはヴァイオリン」「次はチェロ……」と指揮台上を忙しく動き回っていて、細かくあちこちに気を配っているのがわかります。
でも、各パートは、そうやって「出番」が来る前や後にも裏で動き続けているわけですね。
見せ場への持って行き方、見せ場を終えた後のフレーズの収め方など、一連の流れをきれいに作っていて、だからこそ、各パートが「独自の意志」で「生きている」みたいな感じを与える演奏ができあがったのだと思います。
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大山さんのお父さんは庭園のご研究をしている方らしいのですが、手入れの行き届いた「庭」のような音楽だな、とも思いました。客席から聞いたときがバランスがよくて、奥まできれいに見通せる状態になっていて、なおかつ、たぶん、見えないところの下草も手入れされているのだろうな、と。
個別にみると、傷があったり、弱いところもあります。コントラバスが弱くて、チェロとのオクターヴはどうにも腰が高い感じ。管楽器も、余裕がなく締まった音で狙いに行く感じの吹き方になりがちなのは若さなのかな、と思ったりします。
でも、個々の問題点がはっきり聞こえるのは、全体がすっきり整理されているからだと思います。どんよりしたカオス状態でゴマかしていない、ということですね。むしろゴマカシのない誠実な態度だと思いますし、具体的に問題点を解決していけるのか、今後を見守りたいです。
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今まで大山さんは古典派からブラームスまでのドイツもの中心のプログラムを組んできて、「エロイカ」はその総まとめ的な意味があったのかな、とも思いました。
来年度は、二十世紀のレパートリーがかなり入っています。スケジュールが発表された時には、「大丈夫? まだ早いのでは?」と正直不安を覚えたのですが、「エロイカ」でここまでのことをやってしまったら、新しいレパートリーに挑戦するほうがいいのかもしれませんね。ハッタリや無謀な背伸びではなさそう。楽しみです。