伊東信宏編「ピアノはいつピアノになったか?」

今日は、午後からザ・フェニックスホールの2007年度自主公演の発表記者会見に行きました。

公演については、ホールのホームページなどに順次情報が出てくると思います。http://phoenixhall.jp/sponsor/index.html(←ここに出ている以外にも、バボラク(Hr)&竹澤恭子(Vn)&清水和音(Pf)、ペレーニ(Vc)&ヤンドー(Pf)など、楽しみな公演が予定されているようです。)

記者会見で、2004-2006年のレクチャーコンサートを元にして出来た新刊書を頂きました。たぶん書店でも、そろそろ注文・購入できるようになっているんじゃないかと思います。

阪大リーブル[001]伊東信宏編「ピアノはいつピアノになったか?」(付録CD「歴史的ピアノの音」)
四六判・並製・280頁 定価1,785円(税込) 本体1,700円
ISBN:9784872592344

約300年前に誕生したピアノはハイドン、ベートーヴェン、ショパン、リストなどの作品や演奏法にも影響を及ぼしながら変化をとげてきた。
現代の黒くて重厚なピアノに至るまでの歴史を知ることによって、ピアノが本来もっていたはずの多彩な可能性が聴きとれるようになる。
付録CD「歴史的ピアノの音」では、「フォルテピアノ」のための最初のソナタ、ベートーヴェンの大胆な実験的音楽「月光」、シューベルトらしい歌謡性にあふれた「楽興の時」、ショパンのノクターンを、それぞれ当時のピアノ演奏により聴くことができる。
ピアノ愛好家、音楽史研究者、ピアニスト必読の書。

  • ピアノの誕生………………………… 松本 彰
  • ハイドンの奇想……………………… 伊東信宏
  • ベートーヴェンのもう一つの顔…… 渡辺 裕
  • シューベルトの悩み………………… 村田千尋
  • 鍵盤の上のベルカント〜ショパンとオペラ…… S.ギニャール
  • ヴィルトゥオーソ狂詩曲!………… 岡田暁生
  • 1920年代 ピアノの諸相……………小沼純一
  • 自動演奏ピアノを巡って…………… 三輪眞弘
http://www.osaka-up.or.jp/books/ISBN978-4-87259-234-4.html

レクチャーコンサートで配られていた講演の原稿&資料が元になっていますが、その段階で既に質・量ともに「論文」と言ってよいとものだった各講演者の文章が、さらにブラッシュアップされているようです。楽器の発展史のポイントを押さえて、普通にピアノという楽器とピアノ音楽を通史的に学べる、充実した作りになっていると思います。

楽器制作者やホールの企画担当者のコラムが加わって、CDも付いていますから、レクチャーコンサートを聴講された方にとっても十分な付加価値のある内容と言えるのではないでしょうか。

(追記:Amazonでも購入できるようになっているようです。)

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】

  • 作者: 伊東信宏,松本彰,渡辺裕,渡邊順生,村田千尋,S.ギニャール,岡田暁生,小沼純一,三輪眞弘
  • 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
  • 発売日: 2007/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本日は、この本をめぐる思いをつらつらと。

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マイナーとはいえ、日本にも音楽を学問として研究している人たちがいます。「音楽学」と言いまして、日本音楽学会(「日本音楽の学会」ではなく「日本における音楽学の会」の意味)とか、東洋音楽学会(こちらは「東洋音楽の学会」)とか、ポピュラー音楽学会(「ポピュラー音楽の学会」)といった研究者団体も存在します。

細々とした活動とはいえ日本音楽学会の設立が1951年ですから、いちおう半世紀以上の歴史があって、研究の対象や方法も音楽シーンの多様化を反映して多岐にわたりますが、実は、西洋音楽系に限ったとしても、スタンスの多様性が、学会設立当時から既にあったとも言えるように思います。

客観性や公平性を無視して、非常に乱暴かつ下世話に「学歴主義」的な言い方でまとめてしまいますと、関東には、哲学・美学系の東大(渡辺護、前田昭雄、渡辺裕などの諸先生方)と、実証歴史学系の東京芸大(服部幸三、角倉一朗などの諸先生方)があって、関西では、京大美学の分派みたいな形で、谷村晃(たにむら こう)という京大出身の先生が関西学院大学や大阪大学で弟子を育てた(現・大阪音大学長の中村孝義先生や、「平安京・音の宇宙」(平凡社)の中川真先生など)。ザ・フェニックスホールのレクチャーコンサートを企画した伊東信宏さんや、「西洋音楽史」、「オペラの運命」(いずれも中公新書)などの岡田暁生さんも、谷村先生時代の阪大出身です。

東大や東京芸大が、今はそこまで露骨ではないのかもしれませんが、「研究者になること=その分野の日本における第一人者」というのを期待される場所なのかなあ、本人の意向がどうであれ、そういう風に周りから見られてしまって、そういうコースが用意されてしまうようなポジションなのかなあ、と思う一方で、

関西の「谷村派」は、どこかしら、関西商家の旦那遊びの世界につながるところがあるかもしれないなあ、と思います。本人がそういう出自ではないにしても、関西で音楽のような芸事に関わるとなると、そういうのを意識せざる得ないような風土がある気がします。個人の「趣味/道楽」と研究・学問的な知的好奇心を切り離さないし、そういうのは切り離せるはずもない、と、どこかで腹をくくって、「建前」のお化粧をしたりしない気風。

(広い意味では、大金持ちのご子息で欧米へ私費留学した貴志康一や大澤寿人を生み出したり、財界の強力なバックアップで大フィルを軌道に乗せた朝比奈隆にも通じる風土と言うことができるかもしれません。もし「華麗なる一族」の鉄平くんが、事業拡大ではなく遊興・道楽の道へ転身していたとしたら……みたいな人々ですね。)

谷村先生は、本当に江戸時代から続く商家の当主の血筋で、何より自分でピアノを弾くのが大好きで、「実証的な史料調べは苦手」と最終講義で公言してしまったりする人でした。(一昨年ご逝去されました、合掌。)

ウィーン古典派音楽の精神構造

ウィーン古典派音楽の精神構造

シューベルト音楽と抒情詩

シューベルト音楽と抒情詩

岡田暁生さんも、「オペラの運命」のあとがきで、アマゾンの奥地にオペラ劇場を作ってしまう映画「フィッツカラルド」の散財の極みを絶賛したりする人ですし、

オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)

オペラの運命―十九世紀を魅了した「一夜の夢」 (中公新書)

「西洋音楽史」で、これは千年の大河の流れを一望する<私の音楽史>だ、と言い切ってしまう姿勢は、はるか遠くまで見渡すことのできる歴史の絶景ポイント「特等観覧席」からのパノラマ視線であるように思います。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

「ピアノはいつ……」のレクチャーコンサートは、山本宣夫さんが私財を投じた歴史的楽器のコレクション(「フォルテピアノ ヤマモトコレクション」)がベースになって実現した企画ですし、

伊東信宏さんは、本書の序文を

最初に白状しておくが、私はこれまでそんなにピアノと相性が良くなかった。

と書き起こして、でも、山本さんのコレクションと出会って

私は、このときはじめて「ピアノ」を自分に親しいものとして感じ取ることができた。[…中略…]それをきっかけとして、私はピアノという、この具体的なモノを中心にして、音楽史というものを見直してみたい、と思うようになった。

という風に、(伊東さん一流のひねりが効いてはいますが)個人的な嗜好と研究のつながりを隠さない、ほのかに「谷村アプローチ」的なスタンスで、このレクチャーコンサートの趣旨を説明していらっしゃいます。

そういう本ですので、岡田暁生編「ピアノを弾く身体」とか、

ピアノを弾く身体

ピアノを弾く身体

  • 作者: 近藤秀樹,小岩信治,筒井はる香,伊東信宏,大久保賢,大地宏子,岡田暁生
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2003/04/01
  • メディア: 単行本
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岡田暁生監訳「シャンドール ピアノ教本」(演奏の快楽を称揚して、「体操」的でないピアノとのつきあい方を提唱する岡田さんによるあとがきなど)を面白いと共感できる人には、

シャンドール ピアノ教本―身体・音・表現

シャンドール ピアノ教本―身体・音・表現

  • 作者: ジョルジシャンドール,岡田暁生,大久保賢,小石かつら,佐野仁美,大地宏子,筒井はる香
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2005/02/01
  • メディア: 単行本
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一連の岡田本をお好みの方には、「ピアノはいつピアノになったか?」もお薦めできそうです。

「ピアノはいつピアノになったか?」の講師・執筆陣は、全国の専門や方法論も異なる色々な立場の人たちが揃っていますが、いずれも、監修の伊東信宏さんが心底「面白い」、話を聞いてみたいと惹かれた人たちなのだと思います。逆に、演奏者を含めて、そういう、企画者の趣味嗜好にかなう人「しか」招待されていない感じが、内容は多岐にわたるけど筋が通っている印象(珠玉の楽器コレクションに匹敵する、「珠玉のレクチャー・コレクション」)になっているんだと思います。

「ピアノはいつピアノになったか?」には、上述の岡田暁生さんによるリスト論(「ヴィルトゥオーソ狂想曲!」)も収録されています。時期的にも、このレクチャーコンサート・シリーズは、岡田さんの一連のピアノ関係のお仕事と並行して進んだ一種の姉妹プロジェクトと言えるかもしれませんね。

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さて、しかしこういう書き方は、公私ともに、ちょっと「後ろめたい」感じがつきまとうところではありますね……。

客観的には、関西的なものを良く言いすぎではないか?「お前が関西在住だから、かなり身びいきしているんじゃないの?」「大げさすぎw」と思われそうですし。

個人的な事情をご存じの方であれば、私自身も(修士課程までですが)谷村先生にご指導いただいたり、ドイツ留学のお世話をしていただいた人間ですから、身内を持ち上げる「ポジション・トーク」と思われても仕方がないだろうなあ、と思います。

しかしですねえ……、もしも私が、こういう関西の「旦那衆」的な風土に生暖かく迎え入れられている人間だとしたら、他人を「言挙げ」する仕事、嫌われ者でなおかつ儲からない(涙)音楽評論家なんてやってませんよ(号泣)。

全8回の「ピアノは……」のレクチャーコンサートは、いちおう(詳細はすぐあとで書きます)全部行きました。が、それなりの時間を費やして「音楽学」の修行をしたことがあって、今はステージを「こちら側」の客席から拝聴する立場というのは、それなりに複雑な心境ではありました。(学生時代は、ドイツ・ロマン派のピアノ曲のことをあれこれ考えて、調べたりしておりましたし……。)

ある回では、「この作曲家とピアノの関わりをこういう風に語られるのは、どうしても承服しがたい」と耐え難く思ってしまって、途中で「バックレタ」(笑)。会場をこっそり抜け出して、30分くらい喫茶店で過ごして、話が終わり演奏が始まる頃合いに会場へ戻ったことがありました。

別の回では、どうしてもこの人のレクチャーを「聴衆」として客席で冷静に聞くことができる心境になれなくて(←ちっぽけな意地(笑))、同じ時間帯の別の演奏会に行って、レクチャー本編には(半ば確信犯的に)間に合わず、アンコールだけ聴いたこともありました。

他人にはまったくどーでもいい、ごくありふれた、ちっぽけな、年甲斐もなく青臭い自尊心ではありますが(笑)、それなりに思うところはあるのです……。

そういう諸々を飲み込みつつ、それでも、この本が世に出たことはちゃんと書いておくべき大事な出来事だろうと思ったので、今回、長々と書かせていただきました。

まあしかし、そういう個人的な思いは蛇足。あまりにも至近距離にいる私にはこういうねじ曲がった書き方しかできませんが(苦笑)、普通に良い本だと思いますので(真顔)、興味を持ってくださった方は是非ご一読ください。