大阪センチュリー交響楽団第127回定期演奏会

ザ・シンフォニーホール。

来年から沼尻竜典が首席客演指揮者になるのは、同氏が音楽監督を務めるびわ湖ホールとの関係を深める意味があって、来年のびわ湖プロデュース・オペラでは大阪センチュリーがピットに入ると聞いています。(京響は十年間お疲れ様でした、ですね。)

この提携のお話、例えば指揮者が自ら手塩にかけて育てたオーケストラを新しい赴任地に連れてくるというのであればそれなりにわかるような気もするのですが、どちらも沼尻氏にとっては新しいポストですから、大阪府と滋賀県が大口取引をして、その仲介業者が沼尻氏、という風に見えてしまうのですが、^^;;

それはともかく、今回は沼尻指揮でドヴォルザークのチェロ協奏曲(独奏:超静)とメンデルスゾーンの「宗教改革」交響曲。

メンデルスゾーンの曲は、芸術的な野心作というより目の前の具体的な聴衆のための音楽。ルターのコラールを素直なアレンジで鳴らしたりしながら手堅くまとめたシンフォニーで、プロテスタントの教会コミュニティの人たち(町の名士の方々)に「いい曲を作ってくれた」と喜んでもらうための音楽なのだろうと思います。過不足なく目的を果たす音楽を書けるのがメンデルスゾーンの作曲家としての優秀さだったのでしょうし、こういうのをそれなりに盛り上げつつ破綻なくまとめるのが、いわゆるカペルマイスターというものなのでしょうね。

沼尻氏は、耳ざわりの悪くないように響きを整えて、最低限タテとヨコをぴったり揃えようとする人という理解でいいのでしょうか。メンデルスゾーンのスケルツォ楽章は方眼紙の上にきれいに音を並べていくようなやり方で上手くいくのだけれど、超静の、絶対に無機的で直線的な音を出すまいと決めているみたいに柔軟に伸び縮みする思い入れたっぷりの歌い方にはまったく対応できない。(ソリストをほったらかしで先へ進んでしまう場面もあったりして。)あと、全体にフレーズの息が短い。(というより、音を並べる感じでフレーズに息を吹き込む意識が極めて希薄。)

超静の弾き方の是非はともかく、沼尻氏に何ができて、何ができないか、というのがよくわかる演奏会でした。

ただし、「日本のお客さんの最大公約数が求めているのは、きれいな響きで音が揃っていることである(最低限そこをクリアしていれば指揮者が非難されることはない)」という風に仮定できるとしたら、沼尻スタイルはそういう要求に最適化していると言えるのかも。これが「日本版カペルマイスター」の在り方ということになるのでしょうか? あまり面白くはなかったのですが……。