「カーリュウ・リヴァー」補足

いずみホールで今週末に上演されるブリテンのオペラ「カーリュウ・リヴァー」の日本での過去の上演について、前の記事に書いたことの補足です。

「音楽の友」「音楽芸術」の過去の記事をざっと見てわかったのは、

(1)日本初演は1975年2月13-15日、東京室内歌劇場特別公演、第一生命ホール、指揮・訳詞:若杉弘、演出:栗山昌良。「音楽の友」に批評(中村洪介)が出ています。この時は「隅田川」という外題で上演されたようです。

(2)武智鉄二演出による藤原歌劇研究所特別公演(1977年2月5,26,27日)について、「音楽の友」同年4月号を見ると、公演評(中村洪介)のほかに、中島健蔵が自身の連載で取り上げていて、ほぼ絶賛と言ってよい書きぶり。(「とにかくわたくしは心を動かされた。そのまま、まっすぐに帰宅できなかったのが、その証明である。こういう経験は近ごろ珍らしいことであった。」)

また「音楽芸術」に出ている佐川吉男の長文公演評は、舞台装置や演出の細部を詳しく描写しているので、舞台がどんな風だったかを具体的に知ることができます。佐川評によると、初演の栗山演出は、「[能様式への]引きもどし方が中途半端なためもあって、かえって和洋折衷の奇妙でやりきれない感じ」。武智演出は「引きもどし方も徹底していたし、引きもどした場合には避けて通るわけにいかない矛盾の解決にも手が打ってあった」とのこと。

(余談ですが、中島健蔵は、武智版カーリュウ・リヴァーの翌日に、偶然NHKで梅若六郎による能「隅田川」が放送されていたの観たそうです。これは、私が前の記事でリンクを張ったDVDと同じ素材のようです。)

能楽名演集 能「隅田川」 観世流 梅若六郎、宝生弥一 [DVD]

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([追記]ブリテンの来日は1956年で、このとき彼が観た「隅田川」で、梅若丸を演じたのは、上のDVDの梅若六郎のご子息の当代梅若六郎だったようです。ブリテンが観たシテは誰だったのでしょう。調べればわかりそうですが、ちょっと気になります。なお、武智鉄二は、ブリテンが「カーリュウ・リヴァー」を読んで、台本の底本は朝日古典全書の「隅田川」だとすぐに見当がついた、と書いているのですが、これは間違いないのでしょうか。私は「隅田川」「カーリュウ・リヴァー」に深入りする余裕も時間もないですが、いちおう気になったのでメモ。[追記おわり])

(3)武智鉄二は、キリシタン能様式による「カーリュウ・リヴァー」を何度か再演していて、そのうちの一回が1984年10月27日に有楽町・朝日ホールこけら落とし公演として行われたらしいのですが(出演は中村富十郎、尾上菊之丞など、「月に憑かれたピエロ」と二本立て)、「音楽の友」「音楽芸術」に批評はみつかりませんでした。(10月25、26日、大阪厚生年金会館では栗山昌良演出・関西二期会による「カーリュウ・リヴァー」&「月に憑かれたピエロ」という公演があったようで、こちらは「音楽の友」に批評が出ています。出し物がまったく同じで、演出が、かつてなにかと武智鉄二と比較して論評された栗山昌良だというのは不吉なまでの符合ぶり……。)

同月(1984年12月)の「音楽芸術」をみると、「オペラにおける演出の位置」という特集が組まれているのですが、こちらは、もちろん武智鉄二を取り上げるわけではなく、ポネリ、ゼッフィレッリなど、80年代に話題を集めていた演出家たちについて語り合う企画のようです。

そして1984年10月といえば、東京の二期会が三谷礼二の演出で「椿姫」をやったときでありまして、吉田秀和「かいえ・どぅ・くりちっく」に「三谷演出に反して、三谷を讃えるの辞」という文章が出ています。

オペラとシネマの誘惑

オペラとシネマの誘惑

オペラのように

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吉田秀和全集には、1970年代に三谷演出の「蝶々夫人」を観るために大阪まで行ったときの「音楽展望」の文章が収録されています。ひたすら三谷礼二の演出のことだけを書いて、関西歌劇団の歌や朝比奈隆の指揮については一切沈黙。文章の最後を「こういう演出家を二期会あたりが起用するべきだ」で結ぶという、東京側の都合しか考えていないと言われても仕方のなさそうな、でも、そういったところを含めて、いかにもこの人らしい率直な文章です。

ただし、1984年の「かいえ・どぅ・くりちっく」の1970年代を回想した一節、「[当時]私の出会った関西の評論家たちは三谷礼二をまったく理解していなかった」はやや一面的と言わざるを得ず、実際には、松本勝男が関西歌劇団での三谷演出を熱烈に擁護するいくつかの文章を発表しています。(その頃の松本勝男さんは、文体が吉田秀和風だったりして……、相手に届かない片想いのラブコールを送り続けていたのじゃないかしら。(と吉田文体な語尾を使ってみる。))

吉田秀和さんのすがすがしく自由闊達な評論文は、何ものかを見ずにいることによって成立していると私は思っています。オペラ論は、そのことが具体的に判る領域であるように思います。

武智鉄二と三谷礼二は、どちらも関西歌劇団で「蝶々夫人」の画期的な舞台を作り上げました。武智鉄二は1954年、三谷礼二は20年後の1974年、指揮はいずれも朝比奈隆です。(朝比奈は二人の演出を好対照なものとして対比する文章を残しています。)

そしてこの二人の演出家が、(吉田秀和さんの視界には入らないところで)1984年10月に、すなわち武智版「お蝶夫人」から30年後、三谷版から10年後に、「カーリュウ・リヴァー」と「椿姫」で接近遭遇していた。……たとえばそんな風に立論してみると、戦後日本のオペラ演出にもそれなりの「歴史」があったような気がしてきますし、そのような「歴史」を仮構すると、「吉田秀和全集」5巻に収録されている1950〜70年代のいくつかの日本オペラ論が残念ながら一部空転気味である、といったことが言えてしまうかもしれない。私は最近、そんな風に思っています。

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青年期に豊竹山城小掾という怪物的な太夫に出会ったことから出発した武智鉄二(太夫の声で人形を生かす文楽というサブカルチャーに、武智鉄二はいわば「萌え」ていたのだと思います。サブカルから芸術論を組み替えようとする、いわば昭和の東浩紀のようなところがこの人にはあったのかもしれません)。

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日活で鈴木清順を熱烈に擁護するところから社会人生活をスタートした三谷礼二(「蝶々夫人」の真っ白な障子は「関東無宿」だと彼は書く)。

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二人の活動を見比べながら日本のオペラ演出を考えていくと、日本のオペラは、かなり面白い昭和文化史の「舞台」だったと思われ、捨てたもんじゃないという気がしてきます。

理屈でわかることよりも、心で音楽を受け止めることが大切である、吉田秀和評論は、著者が小林秀雄の周辺、文壇近傍にいた青年期から一貫してそういうことなのだとは思いますが、オペラの舞台の背景には、もうちょっと別の広がりがあると思うのです。

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