音楽批評をプロデュースする人、される人

アルテスパブリッシング社のブログに6/2の岡田暁生×片山杜秀対談(私は行ってません、京大は市外から平民が公共交通機関で行くには不便な場所……)のレポートが出ていました。

http://www.artespublishing.com/blog/2009/06/04-355

テーマから推察すると、前半の「批評と暴力」は岡田さんの発案、後半の「非情のライセンス」は片山さん側の発案、お二人がひとつずつテーマを出し合う形で行われたのかな、と想像されますが、

それはともかく、同じアルテス社ブログの過去ログでは、岡田さんが

今年9月頃から片山さんのマネージャーに就任(?)された京都大学准教授・岡田暁生さん

「片山杜秀さんのダブル受賞を祝う会」を開催 (ブログ * ARTES)

と紹介されていました。

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岡田さんには「プロデュース癖」のようなものがあって、思い起こせば、学生の頃から、惚れ込んだ相手には、ああしろ、こうしろ、と世話をお焼きになるのが常であったようです。

そういえば十年くらい前にも、岡田さんが、日本音楽学会の関西支部例会で音楽批評に関するシンポジウムを企画したことがありました。パネリストは、朝日新聞に今も演奏評を書いている伊東信宏さん、毎日新聞大阪版に演奏評を書いていた(その後再開)根岸一美先生(以上、会員)、そして、関西の音楽評論家の故・松本勝男さん(非会員)。今思えば、あれは、「これからは、音楽学者も批評を書きます。評論家(=音楽クリティック・クラブ)の皆さん、どうぞよろしく」という業界への挨拶というか、通告というか、そういうものだったのでしょう。

当時は岡田さんご自身も批評を書きつつあった時期ですから、一種の「自己プロデュース」のパフォーマンスだったのだと思います。

ただ、彼のやり方には、どこか独り合点なところがあって、彼が「業界」と考える場に、このメッセージが本当に届いたのかどうか。そもそも、そんな風に「仁義を切る」ことが必要であったのか、今もって謎なのですが……。(松本勝男さんは、そのあとしばらくして、残念なことに急逝されました。あと、わたくし白石は、そうした「岡田流の仁義」と関係なく、当時既に少しずつ演奏会評などを書いていて、そのような「学会シンポジウム」は、どこかで勝手に行われている自分と無縁の出来事と思っておりました。)

そして、岡田さんご自身のキャリア形成はともかく、そうした「岡田プロデュース」で、プロデュース「された側」に幸福な結果をもたらした例というのを、残念ながら私は知りません。それぞれの事情で人が彼のもとを離れていったり、あるいは、彼の「プロデュース」とは関係なく、恩を受けた/与えた(ことになっている)人がそれぞれの道をまっとうしたり、というケースはいくつか見聞きしているのですが……。

文学・芸術は何のためにあるのか? (未来を拓く人文・社会科学)

文学・芸術は何のためにあるのか? (未来を拓く人文・社会科学)

岡田暁生さんは、芸術というものが、ヒトの一種の「狂気」を投影することのできる受け皿と位置づけていらっしゃるらしく、彼の「プロデュース熱」も、そうした「芸術への狂気」の一要素なのかな、と私には思えます。

実際に人を幸福にするかどうかとは別次元で、そのように、自分や他人の人生を狂騒的に巻き込んでいくことが、「芸術」という名の究極の道楽である、と思っていらっしゃる節がある。(いかにも、バブル期に青春を送り、世紀末芸術を愛する人らしい芸術観です。)

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東京でも岡田×片山対談が計画されているようですが……、

片山さんが今後さらなる成果をあげることになったとして、それは、岡田プロデュースの「お陰」ということになるのか、岡田プロデュース「にもかかわらず」と位置づけられるべきなのか。あるいは、岡田プロデュースとは関係なく、片山さんは片山さんなのだ、ということなのか。

いずれにしても、とりあえず現状で、片山さんには、岡田氏の積年の持病であるところの「プロデュース熱」にそれなりの落としどころを見つけて差し上げるという、外から見ているとなかなか面倒そうなお役目が回ってきたようですね。

片山さんは、周囲からストレスにみえる事柄を快楽に変えてしまう魔法を会得していらっしゃるようなので(ひょっとすると、吉田秀和が片山さんを宇野功芳氏と並べて語ったのはこの魔法に着目したのではないか)、むしろ岡田暁生さん(吉田秀和は未だこの名前に言及せず)とのおつきあいという役回りは、腕の見せ所なのかも、ですが。