音楽ジャーナリズム考(1) 「小新聞」朝日・毎日の販促イベントとしての文化事業

井上靖に「闘牛」という短編小説があります。1950年の芥川賞受賞作品。

大阪の新聞記者が、四国で行われている闘牛を大阪の野球場でやろうとして、社内を説得、興行主や運搬の船主に渡りを付けて、雨天の場合は大赤字になるかもしれない豪快な「バクチ」を打つお話です。

毎日新聞記者だった井上靖が社内の先輩をモデルにしたそうで、戦後関西のザワザワした雰囲気、野球場でのイベントのこと(オーケストラ演奏会やオペラもこのあと行われている)を調べるなかで読み、印象に残っています。(井上靖は、記者時代は茨木に住んでいて、京大文学部では松下眞一とすれ違ったりしていますし……。)

猟銃・闘牛 (新潮文庫)

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記者クラブ開放という話は、民間イベントを含めても記者会見というものに数度しか行ったことのない私にはよくわかりませんので、古いところへ遡って、新聞の音楽報道とは何なのか、少し整理してみようかと思います。

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といっても、具体的な「ネタ」は2つしかありません。

ひとつは、昭和のはじめに朝日新聞が中之島に建てた朝日会館(フェスティバルホールが昭和33年にできるまでは、ここが大阪を代表する音楽・文化ホールでした)のことを調べて見つけた、朝日新聞初代社主、村山龍平の講演記録。

典型的な社長の成功談なのですが、そのなかで気になったのは、まだ大阪ローカルだった朝日新聞の躍進は、既存の高邁な政談を展開する路線を行くのではなくて、尋常小学校を出ただけの商家の丁稚や子守りや職工でも読める、カナ書き・漢字総ルビだったからだ、と言っていること。

新聞・ジャーナリズム研究では、明治の勇ましい漢文体の政談新聞を「大新聞」、こういうカナ書き・総ルビを「小新聞」と呼ぶそうで、

朝日や同じ大阪でライヴァル関係にあった毎日、あとから追いかけてきた讀賣など、現在大手メディアとしてその既得権が云々されている会社は、それまで新聞購読などしなかった大衆層へ食い込むことで躍進した「小新聞」だったようなのです。

最近は、いわゆる「格差社会」のおかげで、吉田家・鳩山家から相次いで首相が出たり、「叡知」に萌える水村美苗、「芸術」に命がけ!の岡田暁生といったお嬢さま・お坊ちゃま文学が評価されたりして、ひょっとすると、旧華族様や旧帝大インテリ様などで形成される日本のブルジョワ層が今もその命脈を保っているかのような気配(それが虚像なのかリアルな階層なのか、私にはよくわかりませんけれど)が、チラチラと我々シモジモの者の前に示唆される御時世です。

(余談ですが、先日、びわ湖ホールで盛大に挙行されたアルバン・ベルクの「ルル」を観る会のあと、こうしたヨーロッパのセレブたちと芸人・芸術家・ボヘミアンたちとのぐちゃぐちゃした関係は、日本で言えば、学習院の白樺派(お坊ちゃまでありつつ、有島武郎が心中自殺をしたり、作品の背後に青白い女性問題が渦巻いているような)ではないかと思いました。時代も合います。ウィーン世紀転換期の芸術を、同じドイツ語圏だからと言って、旧制高校教養主義の流れを汲むドイツ文学・ドイツ哲学のガチガチの語彙で語るのは、日本の世紀末芸術受容の大いなる勘違いかもしれませんね。官僚養成システムでしかないデカンショの書生言葉と「ウィーンの白樺派」では、失礼ながら身分・家柄が合わないですから……。それに、近江商人の国は、婆娑羅大名・佐々木道誉のお膝元でもあったわけですし、昭和の新参のデカンショで中央集権体質な方々がイメージする「地方」とは性質の違う土地柄だと思います。そういう地方公共事業請負人のノリでやってきて商売をしようとする姿は、だから周りから見ていると、とっても恥ずかしい感じがします。まだ先代の若杉さんのほうが、そのあたりの事情を直観的になのか察知していた気がします。そんなことをしているから岡田暁生の一人勝ちを指をくわえて眺めることになるのではないか。タクシーで駅から直行して快適♪と思ってるかもしれないあなた方には、あの高台の堂々たる滋賀県庁舎の姿が目に入らないのか、と思うわけです。「ウィーン世紀転換期」とびわ湖ホールはひょっとするとさほど相性が悪いわけではないかもしれないのに、現状は、書生がブルジョワを仰ぎ見るようなニュアンスがかなり濃く丸見えになっている。……というような諸事情があるせいなのか、ウィキペディアによると旧内務省に勤めた時期があったらしい旧帝大出身の、実は小市民で官僚体質をどこかに引きずっているかもしれない吉田秀和さんは、音楽業界のウィーン世紀転換期ブームに深入りしないで、パリの印象派のほうへ行く。そして中原中也のような真性のボヘミアンや、関西からやって来たお坊ちゃんに対して腰が退けた感じがある。閑話休題。)

私小説のすすめ (平凡社新書)

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そして日本の「小新聞」の社主の皆様は、ちょうどフランスの小説に出てくる新聞王のように社交生活を謳歌して、国際フェスティバルを開催なさったりしてきたわけですが……、でも、彼らを「大きく」見せているのは、彼らが「大きい」と見えるのは、彼らによって言論空間・読者層へと入れてもらった「大衆」の側から見たときなのだと思いました。

記者クラブの既得権を「下から」突き崩す、という物語もいいのですが、ひょっとすると、新聞王なんて所詮は成り上がり者、という視点を、(別に自分がセレブのふりをする必要はないにしても)どこかに確保しておいたほうがいいのかもしれませんね。そういう風に、自分が現実的には「大衆」のひとりでしかないことを自覚しつつ、ふっとそこから抜け出したような視座を虚構として想定してみることが、「批評的」ということなのかもしれないので……。

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もうひとつは、ある人から伺った戦後しばらくの関西での朝日・毎日の販売競争のお話です。

新聞社のスポーツ、文化イベントは、自社で興行を打ってそれを報道するのだから、非常にわかりやすいマッチポンプです。

今は、そういうことがあまり露骨に見えないようなしくみが色々整備されていますが(他社の事業であっても必要とあれば報道するというようなやり方で……、「大阪国際フェスティバル」前後の季節を関連記事で埋めていた朝日新聞大阪版芸能・文化欄の紙面が、自社による自社のための文化事業の典型的な姿として懐かしく思い出されます、一方放送の場合はNHKの自画自賛とか今でも普通にありますけれども)、

かつては、毎日が音楽コンクール(ソリスト発掘が目的)で一発当てると、朝日が(アマチュアをターゲットにした)合唱コンクールや吹奏楽コンクールをぶつけて来る。朝日が「戦後初の外来演奏家、メニューヒン来る!」とやれば、毎日は、それより前の日程でラザール・レヴィを招聘する。というように、新聞社間の対抗と囲い込みがはっきりしていたそうです。

最初に紹介した井上靖の小説「闘牛」は、そんな時代の新聞社興行を描いたものだったということになりそうです。

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そしてこの話を伺い、私が思ったのは、新聞紙上の音楽評のことです。

東京ではどうなのかよく知りませんが、関西では、戦後もしばらく、新聞の音楽評を音楽担当記者自身が執筆していたようです。フリーの「音楽評論家」が新聞に書くようになったのは、小石忠男さんや亡くなった松本勝男さんからです。(平行して、新聞記者だった方々が独立して「音楽評論家」として執筆するようになったので、このあたりの事情が見えにくくなってはいますが……。)

「日本の音楽評論家はなっていない」といって批判を浴びるとき、たいてい暗黙のうちに想定されているのは、演奏会などのイベントの個別評のことであって、音楽雑誌をこまめに購読しない普通の人がそうした個別評を目にするのは新聞紙面だと思います。

丁稚や子守りや職工を言論空間に巻き込んだ「小新聞」は、イベントの個別評というものをセットで普及(啓蒙?)したのですね。

でも、成り立ちから考えると、どこかに独立独歩・不偏不党の音楽評論家というものがいて、イベントに評価を下す、という風には「最初から」なっていません。

その種の、大所高所から意見を開陳する「大新聞」と差別化することによって、「小新聞」の朝日・毎日は躍進したのですから、紙面に、大所高所からの批評を掲載するわけがない。

「丁稚や子守りや職工」があれこれ論評して、ツッコミを入れられる場として「小新聞」は広まったのですから、新聞紙面の「批評」がツッコミどころ満載なのは、むしろ、正常・常態だということです。

「なってないぞ」「ゴマスリの提灯持ちは止めろ、バカヤロウ」と観客席からヤジられて、「そもそもクリティークの語義に照らせば」と大学の先生からお説教されて、「この文面ではちょっと」と社内事情を勘案する方面から直しが入って……(注:経験上、こちらがどういう文章を書く人間なのかを知らずにご注文くださる「一見」のお仕事以外で、それほど細かく「直し」を入れる編集というのはほとんど会ったことがなく、巷で言われるほど編集サイドが強権で書き手を制御しているわけではない、と私は思っています。が、それは関西が甘いからで、東京の第一線は某国営放送並みに書き手を検閲するのかもしれませんが)。

まあ言ってみれば、「殴られ屋」みたいなものです。

(なかには、「オレは絶対負けない、オノレの信念を貫き通す」という無敗の帝王キャラで売り出す評論家というのもいらっしゃるかもしれませんが、それは手品を超魔術としてショウアップするのに似た販売戦略というものであって、構造上無理、あり得ないといわざるを得ません。逆に、心底音楽を愛していて、正直な心の導きによって音楽を論評する、私はこんな風に思ってしまったのだから、こうしか書けないのですよ、というような方は、良識派として、尊敬を集めてしかるべきだと思いますし、実際にそういう方がいらっしゃって、私は尊敬しておりますが。)

そんな「殴られ屋」にも、ときには思わぬ反応があるのかもしれませんし、こちらはピンピンしているのに、批評に文句を言っているつもりの「殴った」側が殴った拳を骨折してしまったり、というコントのようなオモシロ事故が時にはある(かもしれない……ような気がする)ということで、やっているのではないかと思われます。

(そして「殴られ屋」目線で言わせていただくと、案外そういう、ヤジや批判をする側の思惑。「昨今の批評」(←実は「昨今」ではなく、最初からずっとそうなのだけど)を叩くことで自分を大きく見せようとしていたり等々が透けて見えたりして、多少は世の中のことを知る機会になっているかもしれない気がします。所詮は「殴られ屋」ふぜいですから、浅知恵かもしれませんが。)

最初は新聞記者自身が書いていたけれど、そんな仕事を社員にいつまでもやらせられないということで、いつしか外注するようになったのでしょう。

わたくしは、よろこんで「殴られ役」を引き受けますので、今後とも各社ご愛顧のほどよろしくお願いします! ← こんなオチですみません。