華麗なるブラス・サウンドと大阪弁(はびきの市民大学第11回、吹奏楽はなぜ流行る?)

大栗裕といえば、「小狂詩曲」、「バーレスク」、「俗謡」、「神話」、「仮面幻想」の吹奏楽であるわけですが、大栗裕を中心に戦後関西の音楽をお話しております羽曳野市の市民講座では、あえて、吹奏楽の話を終わりのほうまで温存して、最後から2番目に持ってきました。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20091114/p1

吹奏楽は身近で敷居が低いジャンルですが、案外、複雑に色々な要因が絡み合って成立していると思えてならない、色々伏線を張って下準備してから話したほうがいい、という判断です。

西洋式の軍楽隊が日本の吹奏楽の源流なのは間違いないですが(海軍軍楽隊、瀬戸口藤吉隊長の「軍艦行進曲」ですね)、

永久保存盤 軍艦マーチのすべて

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それじゃあどうして、GHQによって武装解除されてしまった戦後日本で、ひょっとすると戦前以上かもしれない規模で吹奏楽が普及しているのか? 今も吹奏楽は、体育会系・スパルタ方式なのか?

そんなテーマでお話させていただきました。

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とりわけ関西では吹奏楽の大きなイベントがさかんであることを映像で確認していただいてから、

  • 万博記念公園のブラスエキスポ(関西吹奏楽連盟50周年事業として開催された第1回1987年のフィナーレは朝比奈隆の指揮による1万5千人の「旧友」でした)
  • 1961年から続いている「3000人の吹奏楽」(毎年冒頭で演奏される「3000人の吹奏楽の歌」は大栗裕の作曲)

以下の基本事項を確認。

(1) 実は吹奏楽には、各種公益企業の協力なバックアップがあったようです。(朝日新聞社は戦前に甲子園の中学野球大会の応援を盛り上げるために兵庫県の吹奏楽を支援して、現在も全日本吹奏楽コンクールを吹奏楽連盟と共催、「3000人の吹奏楽」は関西テレビ、ブラスエキスポは朝日放送。)

(2) そして松平正守さん(池田市呉服小学校)、得津武史さん(西宮市今津中学校)、鈴木竹男さん(阪急少年音楽隊)といった行動力ある学校の先生たちがいて、クラブ活動を母体にするスタイル(子供たちがダイレクトに企業の思惑に巻き込まれない安心設計)を確立しました。

(講座では、淀工の活動を追った映像を見ていただきました。具体的でわかりやすい練習風景とともに、全員に「係」を割り当てて生徒の自主運営を促す丸谷先生のやり方もご紹介しました。

丸谷先生の言葉はキツくてストレートですけれど、押しつけ・スパルタではないですね。クラブ活動を、コドモが社会に出て行けるように育つ場として機能させようとしているように見えます。多くの部員が初心者で入ってきて、卒業後すぐに就職する、3年間だけの活動ですから。)

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(昨年の毎日新聞の出水記者が淀工を長期取材して書いた記事も、同校の雰囲気がよくわかるものだったと思います。いろいろな人がネット上に転載していらっしゃいますから検索してみてください。「淀川工科高・吹奏楽部 大阪城ホール満杯の秘密」(「毎日新聞」2009年2月18日)。)

(3) しかも、戦後の吹奏楽のお手本は、ヨーロッパ式の軍楽から、北米スクールバンドに切り替えられたと言っていいでしょう。レパートリーの主流がアメリカ人の作品ですし、「3000人の吹奏楽」を推進した松平先生は、『グラフ』誌の写真を見て、こういうのを日本でもやりたい、の一念でマーチングを始めたそうです。

「テレビ・マスコミ/学校民主主義/アメリカへの憧れ」。吹奏楽は典型的に戦後的な制度・価値観に立脚して普及した、というのが私の見立てです。

(それから、今回の講座では言及・検討できませんでしたが、吹奏楽をはじめとするアマチュア・クラブ活動の音楽団体が、慰問演奏などに積極的なこと、プロフェッショナルな音楽家の皆様がアウトリーチやアートマネジネントという言葉を輸入なさるよりずっと前から、そういうことが行われているという事実についても、一度ちゃんと考えておくべきかもしれませんね。すそ野が広いことには、それだけの理由がありそうだ、ということです。)

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音楽面でこの「戦後型」吹奏楽を象徴するのが、秋山紀夫さんだと思います。

秋山さんは、爽やかなテナーボイスでNHK-FMの「ブラスの響き」という番組をやっていらっしゃいましたが、講座では、秋山さんが監修した教材CDを使って、全日本コンクール入賞校のサウンドが「進化」していく様子を確認していただきました。

蒲郡中学校が昭和31年の軍楽隊式の薄くてキツい音から、翌年の演奏で、いわゆる「のどを開いた腹式呼吸」の発音に豹変する様子(本当に「劇的ビフォーアフター」です)、昭和40年代の出雲第一中学校の、いわゆる「マクベスのピラミッド」のお手本のようなオルガン・ハーモニーによるバッハ「トッカータとフーガ」ニ短調、昭和50年代の同じ学校のラヴェル「ダフニスとクロエ」。

オーケストラが(どこかしらEUが様々な国の連合体であるのに似た)異なる発音原理の楽器の集まりなのに対して、吹奏楽はほぼ同じ原理で音を出す吹奏管楽器の集合体ですから、コーラスに近い音の溶けあわせがちょっとしたコツを掴めば可能だし、そのやり方は容易にマニュアル・メソード化できるようです。

秋山さんは、アメリカ帰りのオーラに、音響学を援用した「科学的・合理的」な説明を掛け合わせて、こうした新時代の「サウンド」の魅力を全国津々浦々に普及する人でした。

「規律からサウンドへ」。軍楽隊式の「規律」をスパルタで訓練することから、アメリカ風の明るい「サウンド」を「科学的・合理的」なやり方で奏者自身が発見・習得するやり方に切り替える吹奏楽の民主化・近代化です。吹奏楽コンクールは、こうした路線をデモンストレーションする場だったように思います。このまとめ方は、「規律訓練から環境管理へ」、という若手社会学者の皆様がお好きなストーリーそのものなので忸怩たる思いではありますが、実際そうだったのだから仕方がありません。

(わたくしは、中学・高校・大学で吹奏楽の学生指揮者をしておりましたし、わたくしのいた大学吹奏楽部は近所の大学と一緒に、毎年、秋山先生をお招きして啓発セミナー風研修合宿をやっておりましたので、このあたりの情報は、いちおう体験的に知っているのです。私自身はその前からピアノを触って遊んでおり、「アメリカン・ブラス・サウンド」の信者ではなかったですし、こんな機会でもなければ、一生使うことのなかったであろう、ずっと「封印」(笑)していた知識ですが……。(そして「吹奏楽なんて」と激烈な侮蔑の視線を投げかけて、大学院に入った私に、ブラバン時代を封印させた張本人は、他でもなく岡田暁生先輩なのですから、その岡田暁生が今さら「アマチュアの重要性」なんて、よく言えたものだと思うわけですが、これはまた別の話。))

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そして大栗裕が積極的に吹奏楽曲を書くようになったのも、日本の吹奏楽が「サウンドの時代」になりつつあった1970年代です(全国的にブームになったのは作曲者の死後1980年代後半ですが)。

兼田敏や保科洋の作品は、東京芸大出身で日本音楽コンクール入賞歴のある人たちですからエクリチュールはしっかりしているけれども、失礼ながら、吹奏楽としては抜けが悪い。(私はこの人たちの吹奏楽曲を聞くと、70年代のシリアスで陰鬱な日本映画を連想してしまいます……。西洋流のエクリチュールは、吹奏楽でやるには、肌理が細かすぎるかもしれないのです。兼田・保科作品とアルフレッド・リード作品の間には、70年代日本映画とルーカス/スピルバーグ映画くらいの差があるような気がします。)

一方、大栗作品は、当時の邦人作品のなかでは、飛び抜けて陽性のサウンドであったように思います。(ポップスまで視野を広げれば、「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」シリーズの底抜けに明るい岩井直博編曲もあったわけですが。)

ただし、講座ではそうした大栗裕の「サウンド」面ではなく、リズムの特徴をお話させていただきました。

「神話」には5/4拍子、「仮面幻想」には、さらにややこしい拍子が出てきます。でも、どちらも、それほど難しくない書き方になっています。あくまで8分音符の均等なビートが流れていて、アクセントによる拍のグルーピングが不規則なだけです。

大栗裕作品集

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たとえば「神話」に出てくるのは、

3+3+4 ●○○ ●○○ ●○○○

2+2+6 ●○ ●○ ●○○○○○

そして少し先に行くと4/4になります。「仮面幻想」もほぼ同じ路線の進化形。そして4/4に戻ったときには、ほとんど8ビートのポップスに聞こえるんですね。(私は、「神話」や「仮面幻想」を聴くと、70年代の「老人と子供のポルカ」(♪ヤメテケ〜レ、ゲバゲバ)や、ドリブターズの全員集合のバックバンド(コントのあとの転換の時の音楽とか)を連想してしまいます。ちょっとダサいけれども耳にまとわりつくドタバタ・リズムです。)

(「ヤメテケレ」は、ちゃんと聴くとゲバルトに邁進した青年の皆様の運動から排除された老人と子供が、「ゲバゲバをやめてけれ、助けて〜」と言っているのだから、ちゃんとしたメッセージのある歌なんですね。)

で、どうやら大栗裕に近い大阪の吹奏楽の方々の間では、大栗作品の場合、こうしたドタバタ・リズムのイントネーションが大阪弁であるという風に理解されているようなのです。大栗裕のリズムは、大阪弁で語呂合わせができるようになっている、と。

世間で、左卜全が「ヤメテケレ、ヤメテケレ」とつぶやいている時代に、その大阪バージョンを大栗裕が吹奏楽でやっていたのではないか、というわけです。「アホ、アホ、死ねアホ」とか(笑)。

ブラスやオケの中では、そうした語呂合わせが流行ることがあるようですね。この曲のあそこはこういう風に聞こえる、とか……。大栗裕の場合は、作曲者自身が自作にそういう語呂合わせというか唱え言葉を埋め込んでいたのではないか、と言うのです。

かつて、タモリが明石家さんまをサカナにして、大阪人は「ネクタイ」を「ネックゥタァイ」、「タクシー」を「タァクゥシィイ」とべったり発音するとからかっていましたが、大阪言葉は、母音を全部省略せずに発音しますから、一音符一音の語呂合わせがやりやすい、と言えるかもしれません。大阪は、故・加藤和彦さん流に「オラ〜は、死ンじまったダ」とスイングして弾まないのですね。

ドリフだなんて、何を低俗な話を始めるかとお思いでしょうが、わたくし、かなり大真面目に、大栗裕の70年代吹奏楽の「大阪リズム」(アホ、アホ、死ね、アホ)は、大阪言葉で歌劇を書いたり、念仏を唱える仏教に傾倒したりした作曲者の到達点なのかもしれないと思っております。(最後の管弦楽曲「大阪のわらべうたによる狂詩曲」に出てくる数え歌も、同じパターンの「大阪リズム」ですし。)

大栗裕 : 大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン協奏曲 他

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