続・反米考(黒澤清+蓮實重彦『東京から 現代アメリカ映画談義』の「ヤンキー・ゴー・ホーム」、武智鉄二演出「赤い陣羽織」の空手チョップ)

東大教養部関係者の本の引用が続いてしまいますが、蓮實重彦が『ユリイカ』での対談をまとめた近著の書き下ろし巻頭文には、次の一節が。

ところが、なぜかうまく説明できないのですが、当時[1950年代]の私の頭の中で、アメリカ映画とアメリカ合衆国とが素直に結びつくことはまずありませんでした。とはいえ、それは、誰もが「ヤンキー・ゴー・ホーム」と唱えながら口々に反米的な思想を表明していたとき、アメリカ映画に愛着を覚えてしまう自分を無理にも正当化するための韜晦術ではありません。[……]アメリカ映画はアメリカ合衆国を表象するものではない、つまり、アメリカという国はアメリカ映画ほど面白いはずがないというほとんど直感に近い確信から、つい数年前までの敵国への愛着など微塵も示さず、もっぱらアメリカ映画に愛着以上の思いをいだいていたのです。(黒澤清+蓮實重彦『東京から 現代アメリカ映画談義』10頁)

東京から 現代アメリカ映画談義 イーストウッド、スピルバーグ、タランティーノ

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「アメリカという国はアメリカ映画ほど面白いはずがない」という、いかにも蓮實先生らしい一文は、「オバマ大統領の就任演説に漂っている血なまぐささにはとても無感覚ではいられまい」(『新潮』2009年4月号、246頁以下)というエッセイと響きあっているような気がして、オバマの大統領就任と同じ年に首相になった人が退陣表明した日に読むのはタイムリーとも言えそうですが、

ここでは、「ヤンキー・ゴー・ホーム」から始めたいと思います。

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マッカーサー(←のちに大統領候補と言われた野心家、思えばドゴール将軍や連合国最高司令官アイゼンハワーがフランスやアメリカの大統領になるのですから戦後国際政治のどこが平和的なのか、という話です)と進駐軍が来たときに子供たちが群がって口にしたとされる「ギブ・ミー・チョコレート」は、戦後を象徴するフレーズとして認識していたのですが、

1952年に米軍占領が終わった時には、米軍が日本に居残った事に反対する人々が、反米を唱えるスローガンとして「ヤンキー・ゴー・ホーム」を唱え、これが流行語になった。

反米 - Wikipedia

というのは、前のエントリーを書いたときには意識していませんでした。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100529/p1

米兵のジープに子供が群がるOccupied Japanの風景と、マクドナルド・コカコーラ・ミッキーマウスが水や空気のように浸透する、いわゆるグローバリズムの「ファスト風土」化した風景は直接つながっているのではなくて、間に「ヤンキー・ゴー・ホーム」という罵声がはさまっていたのですね。

既に領有が完了したあとで設営される将校クラブの快適な生活から見えてこない摩擦・軋轢を、前線の海兵隊は経験しているはずで、そういえば移転が問題になっている(首相が交代したので、マスコミ的にはもう過去形「なっていた」でしょうか?)のは海兵隊の基地問題。

(そう考えると、70年代以後に生まれて、社会学とかメディア論とかに帰依して、1950年代にロックンロールとか、コンピュータ・情報社会の黎明とか、ディズニーアニメに憧れ続けた日本漫画の父・手塚治虫などしか見ようとしない人たちの歴史認識は、無邪気かつ性急に親米的なバイアスが強すぎた、と言えるかもしれません。(社会調査や情報技術が軍略と密接なのは周知のことですから、要するにそういう人たちは、アメリカという「勝ち馬」に乗って、大国の威光のおこぼれでいい気になっている、と言えなくもない。サブカル/オタクは、別に批判ではありませんが、強大なものに寄生するジャンキーだ、という出自を忘れないほうがいいのかもしれません。)

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今は(今も)親米のほうが言説の圧倒的な主流なわけですし、戦争中の竹槍で本土決戦というのは空論であったと言わざるをえないかもしれませんが、戦後、それとは異なるタイプの反米が日本にもあったということですね。ペラペラと英語をまくしたてて、スマートかつ小生意気(?)な物腰でそういう動向をスルーし続けて良いのかどうか。「ヤンキー・ゴー・ホーム」は、そんなことを考えさせる言葉かもしれません。)

アフロ・ディズニー エイゼンシュテインから「オタク=黒人」まで

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ベトナム戦争のときにも再び「ヤンキー・ゴー・ホーム」のスローガンが持ち出された、とか、色々あるようですが、最近よくある昭和の世相回顧のトピックで、この気分に近いのは、シャープ兄弟をやっつける力道山でしょうか。

(年代を確認すると、力道山は1953年に帰国して、プロレス中継が、同年にはじまったテレビ放送で人気コンテンツになるのですね。そういえば北野武の「監督・ばんざい!」には、「三丁目の夕日」とは違う暗く貧相な昭和30年代の一場面として、子供達のプロレスごっこが出てきましたね。)

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1955年、武智鉄二演出で初演の歌劇「赤い陣羽織」には、しっかり「力道山の空手チョップ」の所作が入っていて、初演後50年、今も初演時の所作が伝承されています。

大栗裕:歌劇「赤い陣羽織」

大栗裕:歌劇「赤い陣羽織」

狂言振りで農民の反骨精神を舞台化する、というのがこの歌劇の演出意図とされていて、おやじは、「よーし、いっちょ、やったるか!」と勇気を奮い起こしてお代官のお屋敷へ乗り込みます。

(木下順二の戯曲は、アラルコン「三角帽子」の翻案ですから、別に、関西モノの芝居ではないのですが、「よーし、いっちょ、やったるか!」は、朝比奈隆と武智鉄二の関西歌劇団創作歌劇、戦後関西楽壇の気概を象徴する台詞、という気がします。)

で、第2場の小競り合いに出てくる空手チョップは、軽いギャグだとは思いますが、あえて深読みすると、「ヤンキー・ゴー・ホーム」時代のジェスチャーを作品にまぎれこませた、と言えるかもしれませんね。

ミューズは大阪弁でやって来た

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当時(1954-1956年)の首相は鳩山一郎。「友愛」のスローガンがお孫さんに受け継がれたことがよく言われますが、改憲・自主防衛論者でもあって、現・鳩山首相も個人のポリシーとしてはそうであるらしく、民主党の辞任表明演説でも、

私は、つまるところ、日本の平和、日本人自身で作り上げていくときをいつかは求めなければならないと思っている。アメリカに依存し続ける安全保障、これから50年、100年続けて良いとは思いません。そこのところも是非、みなさん、ご理解いただいて、だから鳩山がなんとしても少しでも県外にと思ってきた、その思い。ご理解を願えればと思っています。その中に私は、今回の普天間の本質が宿っている、そのように思っています。

と言ったのだとか。本来ならば日本人自身が国土を守るべきという考えの人なのですね。この人が辞める日に、「ヤンキー・ゴー・ホーム」と空手チョップと「よーし、いっちょ、やったるか!」の時代のことを考えるのは、それなりの意味がありそうでしょうか。

(誰が次の首相になるのか、「政局」報道のフォーマットは、自民党時代に逆戻りしてしまっているように見えますが……。)

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武智鉄二は、その後、前のエントリーに書いたように1960年代には、米軍基地批判もしくは猥褻容疑で裁判沙汰になった映画「黒い雪」を監督していて、ところが1974年には、参議院議員選挙に自民党から出馬して落選しています。

このときの首相は田中角栄で、この参院選は、派手にお金をばらまく金権選挙として記憶されているようです。(武智鉄二は、この選挙資金目当てで出馬したのではないか、と言われています。)

[6/5 追記:

政治史が教えるように、アメリカの政略に抵抗する政治家は日本では長期政権を保つことができない。
日中共同声明によってアメリカの「頭越し」に東アジア外交構想を展開した田中角栄に対するアメリカの徹底的な攻撃はまだ私たちの記憶に新しい。

首相辞任について (内田樹の研究室)

内田樹さんの読み筋だと、親中国の田中角栄もいわば反米的で……、ということになりそうですが、参院選に出た武智鉄二に本気で田中角栄への共感があったのかどうか、現在、私はそのことを判断する材料をもっていません。戦後日本の中国との関係という大枠についても、私にはまだよくわかりません。これは今後の宿題。

以上、追記おわり]

田中角栄研究―全記録 (上) (講談社文庫)

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で、武智鉄二と同時に、李香蘭=山口淑子も自民党から出馬して、彼女は当選しており、なんだか、小沢一郎が次の参院選で有名人をたくさん擁立しようと画策しているのとイメージが重なるのですが、

メディア・ド・マリ

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探偵!ナイトスクープ Vol.1&2 BOX [DVD]

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(「最高でも最低でも金メダル」の人のことには言及したくないので、こちらを載せておきます。)

列島改造論の田中政権で大蔵省事務次官だった鳩山威一郎(小沢・鳩山の縁は先代に遡るのですね)が参院に出馬して初当選したのもこの1974年らしいです。

そして武智鉄二の経歴には、実は戦前から鳩山家がからんでいます。

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武智鉄二は大阪キタ(梅田新道界隈)生まれの芦屋育ちで、甲南高校[当初、甲陽と書いていましたが間違いだったようです]から京都帝大へ進み、経済学部在学中に滝川事件が起きます。法学部教授陣が反文部省・滝川擁護で団結する一方で、経済学部は態度が曖昧で、このとき、武智鉄二は経済学部学生集会で檄文を書いて、経済学部も滝川教授擁護を表明すべしと訴えたようです。

滝川事件―記録と資料

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(↑最後の原節子がすごい)

結局、経済学部をはじめとする他学部は文部省に従って、それでも、武智鉄二はこのときから、経済学部助教授だったのちの京都府知事、蜷川虎三とのつきあいがはじまったらしいのですが、それはともかく、

このときの文部大臣が、鳩山一郎なんですね。

武智鉄二の父親は、コンクリートの研究で特許を取って建設関係の会社を興した人で、武智鉄二は、幼い頃から一家で芝居見物に行く典型的な大阪の商家の息子として育って、京都の学生時代は祇園のお茶屋へ入り浸ったり(これが後年のエロス談義に活かされることになる)、画廊へ出入りして速水御舟を買い集めたり(武智鉄二は日本画の世界では速水御舟のコレクターとして有名でした)、クラシック音楽にハマるとSPレコードを大人買いして、音楽評論家になれたらいいな、と夢想するお気楽なお坊ちゃんだったようなのですが(自らの「耳」への自信が、古典芸能における音曲と語りの関係を論じたり、オペラ演出に乗り出す際の、いわば「原資」になったと思われます)、

大正リベラリズムの残り香を一掃する滝川事件に遭遇したことが、戦闘的な古典芸能の論客に変身するきっかけのひとつだったように思われます。

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学生時代の甘い夢を砕いたのが鳩山一郎で、その鳩山一郎が首相になった昭和30年前後に、武智鉄二は、オペラ演出その他で前半生の絶頂期と言ってよい派手な活躍をしており、一方、晩年の汚点のように言われる田中政権下での参院選出馬は、鳩山家の後継ぎ、威一郎氏の政界転身と同時であった、というわけです。

そういえば1956年に鳩山一郎内閣が総辞職した頃に、武智鉄二は、父親が亡くなって家業が傾いてほぼ破産。東京の日本舞踊家、川口秀子と結婚して再出発することになるのですが、友愛と改憲・自主防衛論の政治家・鳩山一郎は、武智鉄二の側からみると、反発しつつも後ろ盾として意識しつづける存在で、彼がいなくなるとともに人生がグダグダになる(そして後半生は田中角栄的なものに頼ってしまう、武智鉄二監督映画「源氏物語」で六条の御息所を演じた川口秀子さんは、どことなく田中真紀子っぽい雰囲気とも言えそうな気もします……)。鳩山一郎は父親と重なる存在、エディプス・コンプレックスのような関係だったと見立て得るかもしれません。

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武智鉄二の波瀾万丈の経歴のなかでも、政治的な行動と発言はとりわけわかりにくい(古典芸能への取り組みとどうつながっているのか、よくわからない)とずっと思っていたのですが、戦後の日本政治を、自民党・吉田茂のラインで見るのではなくて、政治の世界では傍流とされてきた鳩山一郎ラインで見るといいのかもしれませんね。

最初に引用した蓮實重彦の文章も、アメリカ映画の話にまぎれこむ形になっていて、「ヤンキー・ゴー・ホーム」の反米感情を正面から語るわけではなく、戦後というのはそういう時代であったわけですけれども、

不意に、武智鉄二の了解しがたい行動を説明できる手掛かりかもしれないものが見えた気がするのは、少なくともわたくしにとっては大変有り難いことなので、吉田茂のお孫さんとともに自民党の時代が終わって、鳩山一郎のお孫さんが短期間とはいえ首相をやってくれたことに感謝すべきではあるでしょうか。

わたくし自身は、「ヤンキー・ゴー・ホーム」な日本国よりも、「よーし、いっちょ、やったるか!」の大阪のほうが気になるわけですが。

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