大栗裕の童謡オペレッタ「ごんぎつね」やります(9/23、茨木市クリエイトセンター)

8月は大栗裕の歌劇「夫婦善哉」に明け暮れましたが、ひきつづきまして、9月は音楽物語。大栗裕作曲の「ごんぎつね」をやります。

http://www.bf-concert.com/index.html

私の地元茨木市で十年来続いているバリアフリーコンサートで取り上げていただけることになり、現在、茨木の皆さんで練習が進んでいます。

(バリアフリーコンサートは、障害があって通常の演奏会には二の足を踏んでしまう方にも、垣根を感じずに音楽を楽しんでもらおうという趣旨で、点字プログラムあり。歌にはすべて手話がつきます。)

よろしければ、是非。

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「ごんぎつね」(自筆譜表記は「ごん狐」)は、何度かここでも名前を挙げたマンドリン・オーケストラのための作品ですが、今回は、マンドリン部分をフルート、ピアノ、大正琴にアレンジした上演です。大栗裕の原曲はマンドリンの効果を生かしたものですが、歌と語りと音楽を組み合わせる大栗裕らしい世界を演奏しやすい形で楽しんでいただくための試みのひとつとして編曲上演を企画しました。

原作はもちろん新美南吉の童話。狐のごんの歌は、のちに大栗裕が独立したピアノ伴奏歌曲に編曲したほどよくできていますし、兵十(大栗作品では「ひょうじゅう」ではなく「へいじゅう」と読んでいます)と村人のやりとりには、「赤い陣羽織」以来の歌劇で培った大栗裕独特の唱法がよく現れています。

大栗裕お得意の4度を積み重ねた民族派系のハーモニーを使いつつ、ふと紛れ込む三和音に情愛がにじむ。音楽物語というと、「ピーターとおおかみ」など子供向けのイメージがありますが、大人の鑑賞にも耐えるものになっていると思います。兵十の苦悩の歌などは、かなり真に迫って歪んだ動きに作曲されています。

(ちなみに、兵十役を初演では関西歌劇団の楯了三さんが歌いました、楯さんは、武智鉄二の演出で夜叉王やシャープレスを演じ、大栗裕の唯一の男声歌曲「2つの詩」(詩:伊東静雄)を初演した人でもあります。

さらにちなみますと、「2つの詩」の初演は1962年(!)の「大阪の秋」国際現代音楽祭です。松下眞一がジョン・ケージ流のダダをやったことが伝えられていながら、詳細が不明な幻の音楽会です。音楽祭は先行きが困難になり、翌1963年に朝比奈隆の関西交響楽協会が引き取ることになり、1963年を第1回として仕切り直しされました。つまり、「大阪の秋」音楽祭は、公式的な記録類では1963年発足となっていますが、実は前の年に同じ名前の音楽祭があって、大栗裕の「2つの詩」はそこで初演されている。楯さんはそこに出ていらっしゃったわけです。「ごんぎつね」の村人たちには「赤い陣羽織」流の民族派喜劇を書くときの語法が使われていて、一方、兵十の歌は、大栗裕がいわゆるシリアス・ミュージックを書くときの語法に変わります。そしてこのシリアス系の語法は、楯了三さんという信頼する歌手への当て書きだったようなのです。)

閑話休題。兵十のお母さんの葬儀には、読経と念仏、そして御詠歌も登場します。(同じく御詠歌を用いた「雲水讃」の翌年の作品)。そうした作品の物語内容の点でも、作曲者が信頼を寄せて色々な仕事を一緒にやっていた楯了三さんを想定して書かれている点でも(のちに楯了三さんは1967年の歌劇「飛鳥」で島の大臣を演じます)、大栗裕の、らしさがよく現れた重要作、と私は考えています。

こういう平易な作品に思いを込めるときの大栗裕はすごくいい。そのことが伝わる演奏会になれば、と思っております。

吹奏楽曲や歌劇「赤い陣羽織」で知られる大阪生まれの作曲家、大栗裕は、技術顧問をしていた関西学院大学や京都女子大学のマンドリン・クラブのために、 1960年代から亡くなるまでの20年間、ほぼ毎年のように、童話や古典文学を 歌と語りとマンドリン・オーケストラでつづる音楽物語を作曲していました。
バイタリティあふれる吹奏楽や、大阪人らしい軽妙な歌劇とは一味違って、か弱いけれどもけなげに生きる存在に優しい視線を注ぐ、愛情あふれる作品群です。
そのいくつかは、マンドリンのレパートリーとして今も演奏され続けています。今回は、ピアノとフルート、大正琴でお送りします。
大栗裕の音楽物語の世界をお楽しみください。(監修 白石知雄)