無節操な挑発

本当は、前の記事の告知を一番目立つ場所に残しておきたかったのですが、

告知:大栗裕の童謡オペレッタ「ごんぎつね」やります(9/23、茨木市クリエイトセンター)http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100901/p1

ふと思いついてしまったので。

テレビを眺めていると、いつの間にか総理になっている人が見境なく無節操な挑発をして、もう一人の岩手の人が平然と、話としては筋の通った対応をしている会見が映し出された今日この頃だったわけですが、この感じには既視感があるのですよね。

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「たかじんのそこまで言って委員会」という番組があって、見ていると、田島という人がいっぱいしゃべったあとで他の人たちが対応する時の感じによく似ています。

数年前までは、今は府知事になっている人も田島さんと同じような役回りを番組で演じていて、そのまま政治家になってしまいました。でも、そのあともずっと番組が続いて、ほぼ田島という人の議論のパターンはほぼ出尽くして、観ている側にはいわば免疫ができた。田島/橋下的な訴え方はそろそろ難しいのだろう、それだけでは無理、という感じになっているように思います。

だから、管という人の議論のやり方は、さすがにもういいんじゃないか、と思ってしまうのですが、困ったことに、たかじんの番組は日本の人口の数割が住んでいらっしゃる関東地方では観ることができないらしいのですよね。

管という人が議論をふっかけるパターンに免疫がないかもしれない関東の方々が、空気の読めないことをやらかしてしまわなければよいのだが、とその数割のなかに入っていない非関東在住者としては、他人事ながらちょっと心配になってしまうのですが、これは杞憂というものでしょうか(笑)。

新聞・テレビ報道が、東京は日本の中心である、ほぼ東京=日本であり、これからもそうであり続ける、という幻想を発信するSF的な装置になっているようで、これはこれで、面白い光景ではありますね。

(最近少しずつ在阪放送局の歴史を調べはじめておりまして、そこでわかってきたことと組み合わせると、放送というものを今までと違った目で眺めることができそうで、なかなか刺激的です。

テレビ的には管直人なのかも、と思うのですが、その「テレビ的」というのは何なのか。民間放送の最初のところまで遡って見直すことで、最近の社会学風味のテレビ論(それはおそらく同時に、放送メディアにおける「国民」論のようなものだと思います)とは違った角度から色々考えることができそうな予感がしているのですが、どうなることか。「ボクらはテレビで育った」というような自分語りはほんの一面で、放送局ひとつだけを取り出してすら全体を見渡すことが大変な、どこかしら劇場にも似た巨大な装置ですし。

戦後民放ラジオの初期には、大阪の放送局が全国向けを想定して番組を編成するような時代が、短期間ではあれ、あったようです。放送局の親会社である新聞社は朝日も毎日も大阪が本家だったのですから、大阪から全国への発信を初期の在阪ラジオ局が目指すことは、それほど不遜でも突飛なことでもなかったはずです。電波は各地へ届いてしまうのですから。

テレビが放送の主流になって、しかも、ほぼ都道府県単位で区割りをするような放送体制は、事後的で人工的なものです。たとえばドイツは、連邦制で放送局がいくつかの都市に分散していますし、日本もそんな風になる可能性が、あっという間にふさがれたとはいえ、あり得たようなのです。しかもそれは戦後昭和30年までのごく近い過去の話です。

各地の放送局がネットワークを組んで、いわゆる系列化が完成するまでには結構時間がかかっていて、それより前の状態が面白そうなのです。

このことだけを考えても、大阪の民間放送局の初期の歴史は、相当面白そうです。)