9/28 大阪交響楽団第148回定期演奏会の教訓

皆さん東西を往き来したツィメルマンとヴィンシャーマン(朝日新聞はいまだにビンシャーマンと表記している……)のお話ばかりで、そこに埋もれて話の順序が前後してしまいましたが、9/28の児玉宏指揮・大阪交響楽団定期。

2管編成の団体が創立30周年でリヒァルト・シュトラウスの「英雄の生涯」に挑戦。美女に悩殺されたり、戦争がはじまったりする俗受けしやすい要素が前半に配置されていますが、この演奏では、そこからあと、最初のテーマが戻ってきたあとが、ゾクゾクするような音色に塗り替えられていることに感心しました。息が長い、一回発散しておしまいではない長持ちのする演奏。

30代のシュトラウスが「人生」を音楽化するのは、いかにも生意気で鼻持ちならないことなわけですが、パパが有名な音楽家で10代から特別待遇の名声を恣にしていた「天才少年」は、中年過ぎてタダの人になるのを恐れていたのかもしれません。若き成功者のナルシシズム!と反発を買うのを承知のうえで、いわば、そういう「キャラ」を引き受けたうえで、実年齢より先の、実体験にもとづくだけでは書けない世界に挑戦するのが、この作品の眼目だったのかもしれないと思いました。

(そして実際にその後のシュトラウスは、オペラで「盛りを過ぎた人間」を描く達人になっていくわけで。たとえば「バラの騎士」の元帥夫人とか、行き遅れてしまいそうなのにグズグズしている、「細雪」の雪子みたいな長女アラベラとか。)

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シュトラウスもストラヴィンスキーもメシアンも長寿でしたが、高齢化社会なので、今では一般人でも、40歳は「あと半分=40年」が残っている人生の半ば。ヨーロッパのインテリが30歳過ぎまで複数の専門をたっぷり時間かけで遊民的に学ぶのは、「人生80年」のための蓄えを作るのにそれだけの時間が必要ということなのかもしれませんね。

逆に、20歳前後の「進路」の選択で人生が決まると思って10代で猛ダッシュをかけてしまうと、その勢いは、周囲をみていると、どうやら40歳あたりで軒並み失速するみたい……。高齢化社会の人生は、カーリングのように一度手を離れたらあとは慣性に頼るしかないゲームではない。余生は、周りでやきもきしながら氷をゴシゴシ擦っているだけでは無理。どこかでもう一回吹かさないとダメみたいです。

何が言いたいかというと、40歳過ぎた時に、家族や親密圏とか、学校時代の恩師とか、そういう子供時代の「教え」(の記憶)を反芻するしかやることがなくなってしまうと、「あと半分」が本当に辛くなるのだろうなあ、ということです。(何もなくなってしまうとヒトは悲観的終末論に傾くか、さもなければメルヘンへ退行するものだ、というのは、世紀末芸術が教える教訓……。)子供がいたりして、次世代へ「託す」モードに入っていると、また違うのかもしれませんが。

シュトラウスは、そうなることを見越して、「英雄の生涯」で上手に中年期・老年期への先行投資をした、と言えるかもしれませんね。不労所得で一生楽しく生きようとするブルジョワの知恵、という感じ。

(そういえば、シュトラウス研究者・岡田暁生の後半生の人生設計は、他人事ながら大丈夫なのか(笑)。)