ブルックナーの書棚、近代言説空間の「穴」、19世紀の音楽家のリテラシー(読み書き能力)

某氏へ、というわけでもないのですが……、

私もながらくブルックナーをバカにしていたのですが、そんなときに吃驚したのが、偶然、民放在阪テレビで観た金聖響のインタビューでした。

インタビューで話す金聖響は、マスコミが「球界のケンカ番長」のレッテルを貼って面白がっていた清原に似た、ガツンとこちらに食い込んでくる関西弁で、一番印象的だったのはそのことなのですが、それはともかく、

金聖響は、「ブルックナーは本を読まない人で、部屋には聖書といくつかの宗教書があるだけだったらしい。これは凄い。」と語っていました。

19世紀は輪転機の発明で出版文化が爆発的に花開いた時代で、社交界のウワサ話をジャーナリズムで増幅したのが19世紀の公共性の正体で、音楽におけるロマン主義というのも、煎じ詰めれば、文学に目覚めたブルジョワの芸術運動かもしれません(シューマン、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、ショパンの出自を参照すれば、いかにもそんな感じがしてきます)。

シューマン (作曲家・人と作品シリーズ)

シューマン (作曲家・人と作品シリーズ)

せっかく音友の評伝シリーズを手に取られたのであれば、是非シューマンの巻もお読みいただければ。

この本では、シューマンの父親がツヴィッカウの書店主でドイツで最初の文庫本(市民出版文化の象徴!)を出した人だったことが紹介されています。シューマンは、銀行家の御曹司のメンデルスゾーンや、ワルシャワに招聘されたフランス人文学者の息子ショパンに引け目を感じない文化人の家の息子だったということであり、逆に、ショパンやベルリオーズをいち早くシューマンが評価した事実は、彼が自分と同じ階層の人間を探り当てる嗅覚を持っていたことを示しているように思います。音楽のロマン主義は、純粋な芸術運動というよりも、同質の文化資本を享受できた者たちによる、国境を越えた文化エリートの連帯であった可能性が高い。サロン=社交界は姻戚関係と紹介状システムで国境を越えたネットワークを形成していたらしいのですが(このあたりは先日の美学会で教えていただいた「阪神間」のお金持ちの行動様式ともあまり違わないようで、ブルジョワは今も昔もブルジョワであるということでしょうか)、ロマン主義という芸術運動も、言葉の上では俗物への嫌悪を表明していますが、実は同じ社交界の回路をインフラとして利用していたのではないでしょうか。

フランツ・リストは、パリに出てきて「読書」に励んだ結果このサークルに加わることに成功して(彼が交際したダグー夫人が社交界きっての文才を誇る人だったのは偶然とは思えない)、一方、アルカンその他は「単なるヴィルトゥオーソ」で終わってしまいました。

宮廷社会の国際ブランドだったイタリア人音楽家はどうだったかというと、1830年にロッシーニは早々と引退してしまいましたし、パガニーニはジャーナリズムで散々スキャンダルを書き立てられてしまいます。フランスのオペラにはベルリン・ユダヤ人コミュニティの名門出身のマイヤベーアが君臨して、ドイツではワーグナーがアンチ・イタリアの「論陣」(彼もまた圧倒的に「書く」人でした)を張ることになる。有り体に言って、19世紀は「読み書き」が文化・芸術に関わる者に必須の装備であり、「読み書き」が達者でなければ音楽家が歴史に名前を残すことのできなかった時代であったように思われます。

ブルックナーのアナクロぶりは筋金入りで、いわば、饒舌なブルジョワの言説空間にぽっかい開いた「穴」のような存在だった気がするのです。

もしこの見立てが間違いでないとしたら、ブルックナーを前にして、「面白い/面白くない」「好き/嫌い」という言葉を交換しても、言葉が空転せざるを得ないし、こういう人を今改めて言葉でいたぶってどうするのか、とも思えてきます。

はたして19世紀ヨーロッパの識字率はどの程度だったのか、フランス語などの複雑な綴りを間違わずに運用できる教養はどの階層まで浸透していたのか……と考えていくと、今日私たちが楽譜と文字資料を手掛かりにして思い描いている19世紀ヨーロッパ音楽の姿は、氷山の一角に過ぎないことになりそうです。

(そこまで大げさでなくても、普通にヨーロッパで過ごしたら、クラシック音楽が似合うような領域がヨーロッパのごく一部分にすぎない底上げされた空間であることは、「観光」もしくは「ヨーロッパ文明にベタ惚れ」でそういうものを見ても見えない状態になっている人以外にはすぐにわかるはずですし。)

19世紀中東欧の村の文化状況のなかで、おそらく、聖書や祈祷書を所有していたブルックナーは、村の「教養人」であったはずで、そういう村の名士が、帝都ウィーンでは「野人」になってしまう、その落差がどれくらいのものであったのか。

ウィーンにおけるドヴォルザーク、ウィーンにおけるブルックナーというのは、そういう言説空間の「穴」の問題なのだと私は思っています。

(そういえば、シュトラウスの「ジプシー男爵」にも、書類に自分の名前をサインできないハンガリーの農民が出てきます。「ジプシー男爵」はそういう農民が村で威張っていて、ジプシーが村はずれに追いやられているような世界です。劇場の観客席で、農民の愚劣な俗物ぶりを笑っていれば済む問題なのかどうか。)

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ところで、中上健次は、インタビューで自分の実母(祖母だったかもしれない)は文盲だった、と言っていた記憶があります。戦後日本においても、識字率は決して100%ではなかったようで……。

そうかと思えば、最近は外国人在留者も増えていて、就学率だけをもとに、識字率がゼロに近づいていると思いこむことができた時代ではなくなりつつあるのかもしれませんし、そもそも、読むことはできるけれどもスラスラ読み書きして言説空間にアクセスする習慣をもたない人は確実にいた。お茶の間に習慣として浸透したラジオ・テレビ、音声のみで遠隔コミュニケーションを実現した電話、あるいは、念仏やお祈りを聞き覚えて唱えるお勤めは、そういう人たちにも浸透しうるフォーマットになっていることが重要なのではないでしょうか。

私が音楽におけるエクリチュールの善し悪しを自明の判断材料にしてしまう発想を留保したいのは、そういう思いも含んでいるつもりなのですが……。

(さらに、情報エリートの皆様(ハッカーの皆様はリベラルではあるけれど基本的に大学出でリテラシーが異常に高い)が作り上げたコンピュータも、キーボード必携であり続けているのが、GUIになってようやく、ひょっとすると本物の家電になりそうな手掛かりが見えてきたけれども、まだ先が長そうな現状があったり……。

精緻に文明化されたエクリチュールに立てこもるのは、大海原の小さな筏が、来るのか分からない救援隊を待ちながら漂流しているような感じがある。西原稔が19世紀のピアノ音楽を「暗黒大陸」と呼んだのは別の文脈においてではありますが、そろそろ、ブルジョワのリテラシーによって分節された空間の外部を探ることなしには説明不能なことがあるのを認めて、それを「苛立ち」の表明に性急に解消するのではなく、なにかもっと繊細なやり方を探し求めたほうがいいんじゃないかという気がしたりもします。

……というか、20世紀は相当たくさん、その種の「外部」を探るヒントを提案しつづけた時代だったと思うのですが、「短い20世紀は終わったが、長い20世紀はまだ存続している、第一次世界大戦の意味を問い直せ」とかウルトラ保守主義なことを言いだして、19世紀の問題系にもう一度立てこもろうとする心理がわからない。音楽は終わった、音楽学に未来はない、とか……。彼らは何を恐れ、何を守ろうとしているのか? 19世紀的教養の僅かな利子に実存を預けるのは、危険すぎるのではないでしょうか。)

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小説・延原武春―ある指揮者へのオマージュ

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追記:以下、早すぎる種明かしをしますと、

わたくしは、学生時代に、ボヘミアの森の狩人のオペラ「魔弾の射手」を書いたウェーバーや、“天国的な長さ”がブルックナーの源流ではとも言われるシューベルトのことをごそごそ調べていて、今は、ブルックナー指揮者のポジションを何故か得てしまった朝比奈隆と、そのいわば子分で、関西でのみ、あるいは吹奏楽といった洋楽の周縁とされるジャンルでのみ一定の評価を得て、日本の洋楽の正史にどういう風に組み込めばいいのか途方に暮れてしまう大栗裕など、ひょっとすると戦後洋楽史の「穴」であると言い募ることが不可能ではないのかもしれない関西のことにかかりきりなので、以上のようなストーリーは、わたくしにとって、これまでの在庫を過不足なく使い切ることができて実に都合がいい、おそらく都合が良すぎるかもしれません、我田引水気味の見取り図であるとは思います。

それに、まだ歴史になりきっていない戦後洋楽のお話に「穴」がありすぎるくらいあるのは当たり前で、あまり勇ましく決着を付けようとするのも違うんじゃないか、そう簡単に話を面白くしても、とは思いますし……。

ヒョーロンカ(しかもさしたる実績はなく限りなく「自称」に近い)は今も昔も独善的なホラ吹きで、自分に都合のいいことを大げさに飾り立てる誇大妄想性があるということで。