ゾクヨウとカネビン、日本の吹奏楽と「鼻歌/口唱歌」

[真ん中あたりに、大栗裕のタイトルの曖昧さについての考察を追記しています。3/3:広島ウィンドオーケストラの情報を若干追記。]

3年続けて、年度末は吹奏楽を集中して勉強させていただく巡り合わせになっています。

大阪音大の吹奏楽関連コンサート(大学と短大の吹奏楽演奏会)の解説を書かせていただいているからなのですが、今年は、前のエントリーでご案内した大フィルのスペシャル・ライブも同じ時期になり、25日が大フィル、27日が大阪音大で、本当に吹奏楽な週末でした。

しかも、会場はどちらも兵庫県立芸文センター。兵庫県は、甲子園(とかつて阪急少年音楽隊の本拠でもあった西宮球場)があり、吹奏楽のメッカ。両方行ったという現役の吹奏楽少年少女な方もいらっしゃったのではないでしょうか。

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大フィルのライブは、大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」と兼田敏「シンフォニック・バンドのためのパッサカリア」の両方をオーケストラ・ヴァージョンで聴く希有な機会にもなりました。

[追記3/2 下野さんは2/25の大フィルのあと、2/27には広島ウィンドオーケストラ音楽監督就任コンサートがあったようで、

http://www.iccsys.ne.jp/hwo/

こちらも大栗裕「神話」と兼田敏「交響曲」で、やはり大栗・兼田の組み合わせ。さらに保科洋「響宴I,II」もあって、プログラムを見るだけでも力の入った演奏会ですね。CD化の予定もあるみたい。]

バンド・クラシックス・ライブラリー10 大阪俗謡による幻想曲

バンド・クラシックス・ライブラリー10 大阪俗謡による幻想曲

  • アーティスト: 広島ウインドオーケストラ木村吉宏,藤掛廣幸,小山清茂,三上次郎,川崎優,三枝成章,田中賢,上岡洋一,大栗裕,木村吉宏,広島ウインドオーケストラ
  • 出版社/メーカー: ブレーン
  • 発売日: 2008/12/24
  • メディア: CD
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今は各地に若い音大卒のプレイヤー中心の楽団があるのですね。シエナ・ウインド・オーケストラの佐渡裕と組んだ華やかな事業展開が火付け役、という理解でいいのでしょうか。

下野竜也さんの音楽監督就任で木村吉宏先生は名誉職へ。木村先生のほうは、4/30に、フィルハーモニック・ウインズ大阪で大栗裕「神話」の予定あり(いずみホール)。

http://www.osakan.jp/

大栗作品は「1956年作曲」(←作曲が1955年である可能性は少ないっス!)の管弦楽版がオリジナル、兼田作品の管弦楽版は今回の特注アレンジ。(大フィルのライブは、1回目のアルメニアン・ダンス、2回目のエル・カミーノ・レアル(←良いアレンジでしたね)と、毎回、吹奏楽の定番曲をオーケストラでやるコーナーがあるのです。)

兼田敏は1964年の「若人の歌」と1967年の「ディヴェルティメント」、大栗裕は1966年の「小狂詩曲」というように、全日本吹奏楽コンクールが邦人作品を課題曲に取り上げはじめた時期に作品を提供していて、世代は違いますが(兼田敏は1935年生まれ、大栗裕は1918年生まれ)、どちらも昭和40年前後にアマチュア吹奏楽界に知られるようになった人。比較しながら論じると面白いかもしれない存在だなあと、今回改めて思いました。

作風が対照的で、兼田敏は東京芸大の下総皖一門下の手堅いスタイル、大栗裕はオケマン叩き上げ、という認識だったのですが、実は二人とも関西育ちなんですね。

大栗裕は大阪の船場生まれで、戦前の天王寺商業でホルンを吹いていたわけですが、兼田敏は、京都市の上京中学校(旧・第一高等小学校)の出身。ここは、のちに洛南高校でも吹奏楽部を育てた山下清孟先生(ツトム・ヤマシタのお父さん)がいて、こちらも、上京中→堀川音高というコースで音楽家がたくさん出ている学校なのだそうです。

(指揮者で言うと、森正が天商出身。小泉和裕は、吹奏楽ではなく歌をやっていたらしいですが、上京中の出身。)

時期は違うけれども、吹奏楽との出会い方に共通点があって、大栗裕と兼田敏は、比較対照するのに丁度良いかもしれません。

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ところで、大フィル・ライブで下野竜也さんが指揮した「大阪俗謡による幻想曲」については、「ストラヴィンスキーの「春の祭典」を彷彿とさせるものだった」というご意見に考えさせられました。

http://opera-ghost.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-bba8.html

私自身は、大栗裕の人となりであったり、残した資料であったりをマニアックに調べつつあるせいもあり、この人の音楽は基本的に単旋律だ、という考えに傾きつつあります。太いメロディーラインを一本発想して、そこに必要に応じて、背景の伴奏や合いの手を足していくような書き方をしている。でも、基本がメロディーライン一本だから、オーケストラや吹奏楽の作品であっても、ひとりで口ずさむことができる。そういう音楽なのではないか、と思うようになりました。

(「口唱歌」で伝承される日本の音楽が伝統的にそういうものであって、その延長だという意味と、クラシック音楽のコアなファンの皆様の間に、オケの曲、ベートーヴェンのシンフォニーなんかを全曲丸々ア・カペラで「チャーラッラッチャ〜ラララ〜ラ、ド〜ンドドン、ド〜ンドドン、ピー♪」みたいに口まねで歌ってしまう遊びがありますけれども、大栗裕の場合、作曲家自身がそういう発想から出発しているのではなかろうか、という仮説です。

川島基晴さんが、『ExMusica』の武満徹の「弦楽のためのレクイエム」についてのレポートで、資料調査をもとに、あれは実は単旋律の音楽である、との説を唱えていらっしゃいましたが、日本の、音大系の教育を経ていない作曲家のなかに、そういう「口唱歌」音楽の系譜(端的に言って対位法が存在しないような)が隠然とあるような気がするのです。

2ちゃんねるでは、鼻歌で曲名当てというスレッドがあったようですし、鼻歌を認識してメロディーを生成するソフトとか、音楽を「口唱歌」に還元したい欲望は形を変えて今もあるし、それは、ヴォーカロイドの隆盛ともどこかでつながっているような気がします。

ピアノやオーケストラの演奏でも、日本人の古い録音を聴くと、バッハやベートーヴェンを口唱歌/鼻歌系統の「単旋律」に捉えて演奏している印象を受けるものがありますし、かつてのラッパ吹き込み蓄音機は、そういうタイプの音楽と相性が良かった。そして笛とラッパという「息」の楽器の集合である吹奏楽は、口唱歌/鼻歌感覚が、良い意味でも悪い意味でも保たれやすいジャンルかもしれません……。)

一方、下野さんの演奏は、そういう土着の感覚をばっさり切って、大栗裕の楽譜に書き込んであるものを全部フォローして、立体3D化するアプローチ。

聴いた時には、正直、大栗裕らしくない演奏だと思ってしまったのですが……、

「ストラヴィンスキー的」と言われるとそうかもしれませんね。あっちこっちに亀裂や断点があって、お囃子がスムーズに流れない。逆の方向から楽譜の特徴を浮かび上がらせようとした演奏だったかも。

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大栗裕の「エエカゲンさ」に関しては、たとえば、タイトルの揺れがその典型ではないか、と思います。

「大阪俗謡による幻想曲」は、1956年の初稿には「大阪の祭囃子による幻想曲」と書かれているのですが、これは、要するにとりあえず書き始めたときに考えた「仮タイトル」のようなものだと思われます。で、曲が出来上がって、広告を打つとなった段階で、(おそらく演奏者等と相談しながら)正式なタイトルを決めることになって、「大阪俗謡による幻想曲」に決定した。おおよそ、そういうことだろうと思います。(他にも、そのような経緯をうかがわせる作品が、大栗裕にはあります。)

シリアスな音楽では、作曲家が作品に関する全責任を一元的に管理する建て前になっておりますので、そういう舞台裏はあまり表に見せないのが普通ですが、実際には、タイトルを決めずに曲を書き始めることはよくあること(と、作曲専攻の人たちも言っていた)。

映画などの興行では、シナリオと完成品のタイトルが違うことはよくありますし、邦題は原題と全然違うことが(かつては)普通でしたよね。

あと、日本の芸道では、絵画でも、題と讃は描き終えてから、おもむろに書き入れるものですし、邦楽の世界では、心のおもむくままに節が出来上がって、あとで題を考えるものであるようです。(おそらく、職人さんが、陶磁器などに、仕上がりをみて、名付けるのに似た感覚なのではないでしょうか。作品を木箱に入れて、そこに「箱書き」するイメージですね。だから、名前が決まるのは一番最後になる。)

そういう態度が、ヨーロッパ流の「作曲家全権掌握主義」から見ると、エエカゲンに思えてしまう、ということだと思います。(理念・着想=タイトルが最初にあって、それを仕上げていく、という順番になっていないから……。)

タイトルの魔力―作品・人名・商品のなまえ学 (中公新書)

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[追記]

ただし、迂闊なことに今ようやく気づいたのですが、

考えてみれば、「大阪俗謡による幻想曲」に関しては、このタイトルよりも、当初スコアに書いてあった「大阪の祭囃子による幻想曲」のほうが、作品の内容を正確に表示していますね。

漠然と大阪の「俗謡」ではなく、この作品は、天神祭やその他の大阪の夏祭りの「お囃子」を楽器ごと使っているわけですから……。

(今では「俗謡」という言葉はあまり使いませんが、folksong民謡とほぼ同義語でかつては使われていた言葉であるようです、「民謡」が、昭和の民謡ブームでご当地ソング的な新作をも含むようになっていくので、それとの差別化の意味もありそう。

なお、大栗裕は能・狂言・浄瑠璃・仏教など日本の民俗・芸能に当初から積極的な関心を示してはいますが、「農耕民族の生活に根差す民衆の歌」というイデオロギーとの結びつきが感じられもする狭義の「民謡/わらべうた」を自作に使うのは、特定団体の昭和40年代以後の依頼作品など、用途・趣旨がはっきりした場合に限られているようです。)

実は、1961年作曲の「雲水讃」も、当初は単に「管弦楽の為の組曲」の仮タイトルで初稿パート譜が作成されています。そして内容は、御詠歌(観音信仰)と京都の六斎念仏(阿弥陀信仰)の節回しを使っていて、雲水=禅宗とは関係がありません。それなのに、なぜか、初演は「雲水讃」のタイトルで発表され、以後、この題で定着しています。

ひょっとすると、「大阪俗謡による幻想曲」や「雲水讃」のタイトルは、作曲した大栗裕以外の誰か(曲の具体的な由来をよくわかっていない人物)の意見が入っているのではないか。曲の内容よりも、タイトルの印象優先なところがあるのではないかとも思えます。

「大阪俗謡による幻想曲」は、あるいは、大阪のお祭りのことに詳しくない人物の意見、かもしれない……。

「雲水讃」は、外国へ持っていったときに、Un-Sui-Sanとオリエンタルな雰囲気を讃えつつ発音が容易であるといった判断が入っているような気がする……。

と考えると、東京生まれで大阪のオーケストラを育てたあの指揮者、大栗裕の作品をヨーロッパへ持っていって指揮したあの指揮者の存在が思い浮かんでしまったりもするのですが、

そこまで言ってしまうのは、何の証拠もないので、もはや空想の領域。

確実に言えるのは、大栗裕の作品タイトルには曖昧さが残り、初演直前に仮タイトルとは別のタイトルで発表された例が「大阪俗謡による幻想曲」ひとつだけではない、ということ。

それからもうひとつ、とりあえず現状の私個人の意見としては、大栗裕の作曲活動の全貌は、ただでさえ今は正確に理解されていないのだから、既に流布・周知しているタイトルを変えてしまって、こっちのほうが「オーセンティックだ」と主張するのは、かえって事態を混乱させてしまいそうなので、よほど確実な根拠がなければ、慎重であったほうがいいと思っている、ということでしょうか。

不正確な情報を糺すことをためらうつもりはないけれど、曖昧で玉虫色の事案については、オーセンティシティよりも、パブリシティを優先したいと、私は思ってしまいます。

この発想は、わたくしが厳格な本物の学者気質ではなく、大栗裕に感染して「エエカゲン」になっている兆候かもしれませんし、もっとシビアに究明すべきだ等、別の意見が十分にありうるとは思いますが……。

[追記おわり]

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さて、そして兼田敏です。

大阪音大の吹奏楽演奏会では彼の民謡組曲「わらべうた」が演奏されまして、私は不勉強で、解説をまとめた時点では以下の情報を把握していなかったのですが、

兼田敏については、お弟子さんが作品表等をまとめていらっしゃることを知りました。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004774693

兼田敏が、戦後、十二音技法の洗礼を受けた世代で、12の半音を平等に扱う無調の感覚へのこだわりが強い作曲家だったことを論証する論文です。

私は、兼田敏を聴くと「恐い」のです。アホな感想ですが、アルト・サクソフォーンがソロで歌い出すと、「妖怪人間ベム」の世界を思い浮かべてしまいまして……。

(あのアニメで恐さを演出していたのは、主にフルートの低音とテナーサックスだと思いますが。)

十二音技法そのものの論理性というよりも、その向こうにある表現主義の底知れない暗闇みたいなものが「恐い」のかなあ、と思います。

一方で、彼は吹奏楽ではトランペット/コルネットの名手だったそうですし、ブラスが立体的に積み上がって、そのてっぺんで高らかにラッパを吹く快感があるわけですけれども、その分、ドーンと落下した奈落は、底知れず深い気がするんですね。

京都の間口が狭くて奥の長い寒々として薄暗い町屋をずーっと進んで、裏木戸を開けると、そこは、兼田敏が生まれた広大な満州につながっている……というような、安部公房的SFを感じてしまいます。

兼田敏作品集

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  • アーティスト: 東京佼成ウィンド・オーケストラ,山下一史
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1996/05/16
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解説を含めて必携感のあるアルバムですが、片山杜秀さんが後述の本でも指摘していらっしゃるように、「若人の歌」が入っていないのは惜しい。あと、「ディヴェルティメント」は、速すぎて、かえってヒンデミット風のロボット感が薄れているかも……。

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ただ、彼の初の課題曲「若人の歌」は、そこまで荒涼としていなくて1920年代風に明るいですね。

大栗裕も、初の課題曲「小狂詩曲」は、彼の他の作品に比べると過剰に劇伴風お侍さん風で、猫かぶっている感じがあって、

彼らの吹奏楽への入口になった昭和40年頃のコンクール課題曲から、その後の展開を追っていくと、何らかのストーリーが見えてくるかもしれません。

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そして、上のリンク先の成本理香さんの兼田敏論文で、片山杜秀さんが1990年代に兼田敏や大栗裕の吹奏楽について書いているのを遅ればせながら知りました。

200CD 吹奏楽名曲・名演―魅惑のブラバン

200CD 吹奏楽名曲・名演―魅惑のブラバン

図書館で取り寄せてみたら、吹奏楽読み物の決定版と言いたくなる本ですね。

最近、明るく楽しい吹奏楽の世界を語る本が次々出ていますが、90年代のサブカルのノリで、妖しげなところと、遊べるところと、一番美味しいところを遊び上手の人たちがピックアップして突っ走っている感じがあって、もちろん情報量もたっぷり。

吹奏楽の歴史も、アメリカのレパートリーもヨーロッパも日本も全部入っていますし、フェネル、イーストマンといった演奏関係の人、団体のプロフィールもあって。

それにしても、「フェスバリ」(C. T. スミスのフェスティヴァル・ヴァリエーションズ)は、大阪音大の吹奏楽で3年前に最初に解説を書かせていただいた時のオープニング曲で、それなりに頑張って作文したつもりだったのですが、

当時エアチェック・テープがダビング(←この言葉も最近は聞かなくなった)されまくっていたアメリカ空軍ワシントンバンド(ゲイブリエル大佐指揮)の演奏について、ああいう書き方をして遊ぶとは。(要するに、絶倫(なんとまあ)、ということですよねえ……。こういう風にトドメを差されたら、学生時代に「フェスバリ」に手を出したことがある過去を、二度と口にできなくなりそうな。^^;)

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でも、そのU.S. Air Forceによるフェスティヴァル・ヴァリエーションズが、今ではアイチューンズ・ストアで普通に購入できてしまう時代。

吹奏楽は中高生の健全でメジャーなクラブ活動として盤石の印象ですが、昭和の「ブラバン」の微妙にマイナーな、オケの代用品としての隠微な日陰感覚のようなものは、完全に払拭されつつあるのかなあ、と一方で思ったりもします。

上記本のAmazonレビューが賛否両論で、データ・実用度への不満が書かれているのを眺めていると、吹奏楽が、健全で効率的でスマートな世界へと再編成されることを強く後押しする青少年健全育成な現場の雰囲気をも、うっすらと感じてしまったりして……。

そういう安全でスマートな吹奏楽感覚からすると、鼻歌/口唱歌とか、カネビンとか言うのは、「昭和」の残り香、いまいちピンと来ないお話かもしれませんが。

[付記]

念のため補足しますが、

このエントリーは吹奏楽を揶揄して貶める意図は一切なく書いております。

オーケストラの管楽部門がもともと軍楽隊だったように、吹奏楽と管弦楽は一般に密接に連動したジャンルですが、もっと具体的に、たとえば、朝比奈隆さんはメッテルに師事していた頃、師匠の使い走りでよく大阪市音の林亘隊長のところへ行ったという話がありますし、戦後も朝比奈隆の何かのお祝い事に大阪市音や吹奏楽連盟が出演したり、逆に、吹奏楽のお祝い事に朝比奈さんが出演するという関係がずっと続いていました。

それから、大阪音大の吹奏楽演奏会は、管楽器部門を拡充する過程で1960年代末にはじまって、その頃の指揮者は、市音の辻井市太郎さんのご子息で留学から帰国したばかりの辻井清幸先生。演奏していた学生には、トロンボーンの呉さんや、42回目となる今年の演奏会の指揮をした打楽器の北野先生などがいました。2回目の吹奏楽演奏会では、大栗裕への委嘱作品「吹奏楽のためのDivertiment」が演奏されていますし、私が学生時代に大音吹奏楽演奏会を聴いた頃には(「フェスバリ」目当てだったのですが(恥))、大栗裕の管弦楽法の授業を受けていたという作曲科の高橋徹先生が指揮をしていました。

オーケストラの管楽器奏者の皆さんは、今も昔も各地で学校バンドの指導をしたり、『バンドジャーナル』や『パイパース』に登場するアマチュア吹奏楽界のスターであったりするわけですし、

オーケストラと吹奏楽、音楽大学と吹奏楽には長い歴史がある。色々な要員がせめぎあって、少しずつバランスが変化しながら今日に至っているのだと思っています。

だから、たまたま今の風向きで吹奏楽が脚光を浴びていることと結びつけて、一過性のブームだと思ってしまうと、見誤ると思うのですよね。

管打楽器の一種ギルド的な人材ネットワークと、お客さんでもありプレイヤーでもある皆さまの発想や行動のバックグランドにならざるを得ない学校的発想と、メディア露出を含めた興行をどう成立させるのかということと、スポンサーであったり実際に行事を動かす主体であったりする各種企業様・団体様と、それぞれの現実的で個別的な摺り合わせだけでもすごく複雑そうですが、

外から他人事として眺めていると、そういう日々の現実は現実として、別の次元で、笛とラッパゆえの面白さなり発想力なりというのが、吹奏楽の地下水脈としてあるんじゃないのかなあと思ってしまうのです。そういうのをお話として組み込むとしたら、どうなるのだろう、とちょっとだけ考えてみたのが上の作文、のつもりです。

今では、吹奏楽専門のライターさんとかがいらっしゃるくらいの市場規模のようですし、わたくしには現場の本当の力学みたいなものは、よくわからないことばかりですが、それでも、ひょっとすると何か言えることがあるかなあ、と、調べ物をしたり、演奏会を限られた機会ですけれども聴いたりしながら、模索している状態なのでございます。