バーンスタインが難しい話をするとき(大フィル定期演奏会その2)

先日の大フィル定期でバーンスタインの「不安の時代」が演奏されて、大植さんにとっては長年やりたかった曲だったようで、念願がかなったということらしく、明快な演奏だったと思うのですが、こちらが宿題を受け取ってしまったような気がしております。

冒頭のロンリー・ハートな感じは、「十二人の怒れる男」(1957年、音楽:ケニヨン・ホプキンス)のオープニングみたいな感じで、ニューヨークの社会派なんだな、と聴きながら心の準備ができますし、第2部の「挽歌」のささくれだった管楽器は、ストラヴィンスキーの「管楽器のシンフォニーズ」の線上にありそう。「マスク」のジャズや、「エピローグ」のタフでポジティヴなエンディングはいかにもバーンスタイン。

ちなみに、大和田俊之さんの近著『アメリカ音楽史』を読んだら、ビバップが出てきたときに、即興を極めるやり方に乗らずに「エンタテインメントとしてのジャズ」に留まった人たちがいた、という指摘があって、バーンスタインはそっちかもしれず、一概にオールド・ファッションとは言えないかもしれない、と今は思い直しております。

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)

ポピュラー音楽研究の最前線の現場レポートという感じでスピーディに話が展開して、ピンポイントで常識の壁を突くスタイリッシュな本。

一方、第1部の変奏曲は、シリアスなタッチだけれども、種明かしをすると実はそれほど難しいことをやっているわけではなく、演奏の「効果」に負うところが大きい譜面なのではないかという疑念があるのです。

バルトークが亡くなってからわずか4年後で、シェーンベルクやヒンデミットが存命中の作品ですから、よく書けている、ということになるのかもしれないけれども、よくわからないんですよね。イーストマン・ウィンド・アンサンブルの初期の委嘱作品にも、エンタテインメント色を削ぎ落としたものがときどきありますが、こういうシリアスなアメリカ音楽を面白く聴くコツが、私にはまだよくわかりません。

大和田さんのキーワードを勝手に借用すると、新大陸のオーケストラ音楽は、ヨーロッパを「偽装」するコスプレのように感じられる瞬間があって、その衝動と背景が、いまひとつ極東の住民にはよく理解できないということなのかもしれないですね。

こうしてアメリカのポピュラー音楽史を振り返るとき、そこに人種的他者のみならず、性的他者や惑星的他者をも〈偽装〉する想像力を一貫して指摘することができる。それは「他人になりすまし」、「仮面をかぶり」、「ペルソナを用いる」ことを音楽表現の中心に据えることであり、互いに交錯するさまざまな欲望を運動の推進力として機能させることである。(大和田俊之『アメリカ音楽史』、261頁)

バーンスタインのようなアメリカのシリアスな音楽にもあてはまることがありそうな、前掲書のかっこいいまとめ。

バーンスタイン:交響曲全集

バーンスタイン:交響曲全集

  • アーティスト: バーンスタイン(レナード),ルートヴィヒ(クリスタ),ウィーン青年合唱団,ウィーン少年合唱団,ウェイジャー(マイケル),バーンスタイン,イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2005/11/16
  • メディア: CD
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