20世紀のオペラといえば「ペレアス」と「ヴォツェック」なのだそうです(「ルクリーシアの陵辱」日本初演の周辺)

[5/2 あちこちに加筆しています。最後に付記と追記あり。]

柴田南雄の「バルトーク」論考に関連して、そもそも当時の『音楽藝術』で連載をもった作曲家は他に誰がいたのか、空き時間に調べてみました。

1955年以前にかぎれば、(単発寄稿はほかにも色々ありますが)『音楽藝術』に連載もしくは複数号分載の長文を寄稿した作曲家は、柴田南雄のほかには深井史郎と入野義朗、独自の音響・音階理論に十二音音楽を組み入れようとする箕作秋吉、そして「近代和声学」を連載した松平頼則です。

20世紀の管弦楽法を論じた深井史郎は、ファリャとの関連でちょっと気になっており、入野義朗の十二音技法への取り組みについても、同時期の他の記事とあわせて思うところがあるのですが、この件はまたいつかやることにして……、

ここでは、色々見ていてたどり着いた、柴田南雄がブリテンの「ルクリーシア(ルクレティア)の陵辱」を紹介する記事について。

ブリテン:歌劇「ルクレティアの陵辱」

ブリテン:歌劇「ルクレティアの陵辱」

  • アーティスト: ブリテン(ベンジャミン),ピアーズ(ピーター),ハーパー(ヘザー),ドレイク(ブライアン),カーク(ジョン・シャーリー),ラクソン(ベンジャミン),ベイカー(ジャネット),ベインブリッジ(エリザベス),ヒル(ジェニー),ブリテン,イギリス室内管弦楽団
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気になったのは、オペラそのものというより、このオペラを紹介する記事の最後の次のような文章です。

私は昨年の五月、NHKから「現代のオペラ」という三十分づつ六日間の仕事を頼まれた時、「ヴォツェック」と「ペレアス」をやる積りだった。所が「ペレアス」が他の番組からも出るというので -- 結局出なかったのだが -- それを中止せねばならなくなり、その代りを急いで決めることになつた。そして係の三善君とあれこれ聴きあさつた末、この「ルクリーシア」を取上げることにした。[……]やつて見ると「ヴォツェック」の全曲も、「ルクリーシア」の音楽も日本でははじめてだつたので多くの方が関心を持たれたようだつた。[……]「ペレアス」の穴埋めがこんな結果になろうとは、全く予期しなかつたことである。日本でも現在創作オペラがぞくぞくと現れる機運に向かつている。拙稿がそういう機会への何らかのお役に立てば幸である。(『音楽藝術』1953年12月号、54頁)

この書き方からすると、20世紀のオペラといえば、「ヴォツェック」と「ペレアス」を選ぶのが本来なら最も適切であると柴田南雄は考えていたようです。まあ、なんとなくそんなところかな、と今でも思えるかもしれない選択ですが、放送番組の企画案として、具体的な「言質」を取れたので、メモしておこうと思ったのです。

ただし、上の文章の記述を信頼するとしたら、「ヴォツェック」は「昨年の五月」=1952年の時点で、レコードが放送でかかるのが始めてであるような状態だったらしく、もちろんまだ舞台では上演されていません。(「ヴォツェック」の日本初演は1963年の日生劇場でのベルリン・ドイツ・オペラ公演。ベルリン・ドイツ・オペラは、このあと1970年には「ルル」とシェーンベルクの「モーゼとアロン」を日本初演。日本人歌手の手でこれらの作品が上演されるのは、さらにあとです。)

[追記] そういえば『名作オペラ・ブックス』というのがあったと思い出して確認すると、「ヴォツェック」の全曲録音は1951年のミトロブーロス指揮ニューヨーク・フィルが最初なんですね。1952年にNHKが使ったのはこのレコードだと思います。

余談ですが、ドイツのrororo(ROwolt ROtations ROmane)の文庫版オペラ・シリーズを訳した『名作オペラ・ブックス』は、基本史料が揃っていて便利だったのですが、今は売っていないんですね。そういえば、ドイツで膨大な蘊蓄つきで「読み替え」がさかんになったのは、町の劇場の学芸員が競ってぶ厚い解説書を作るマニアックでペダンティックな「オペラ語り」があってこそだったのではないでしょうか。

名作オペラブックス(26)ヴォツェック

名作オペラブックス(26)ヴォツェック

このシリーズは、巻末のホランドの「ディスコグラフィへの注釈」もマニアックで、日本では見かけない超辛口ぶりが、私は好きでした。「ヴォツェック」の巻のコメントは、推奨に値するレコードは未だ一枚も出ていないという前提で、こうなっています。

ここで以下の既出のレコード一覧表に多くの名前を挙げておくが、しかし彼らは必要で適切な演奏をとうてい保証してくれているわけではない。ベルク年にあたる1985年、20世紀の最も重要で、音楽史上最も功績の高いひとりの作曲家の生誕100年と没後50年を祝ったこの年に、彼の作品の世界的な水準での信頼に足る新しいレコードがひとつとして出なかったことは、全く特徴的なことである。

カルチュラル・スタディーズの人たちが色めき立ちそうな「本質主義」に依拠する「音楽史のカノン」は、戦後西ドイツの場合には、市井に棲息していたようです。カルスタが「アカデミズム」を批判するのは、やっぱり標的を間違えている気がするんですよね……。歌舞伎では、九代目や五代目が最高だったと昔の思い出ばかりを語る明治生まれの「団菊じじい」という言葉があるそうですが、ドイツのレコード・マニアが頑なに信奉する「カノン」にも似たところがありそうです。クラシック音楽の「保守」のイメージの発生源は、アカデミアよりも、むしろ、そこなのではないでしょうか。

閑話休題。

ベルク:ヴォツェック 全曲

ベルク:ヴォツェック 全曲

  • アーティスト: アバド(クラウディオ),グルントヘーバー(フランツ),ラファイナー(ヴァルター),ラングリッジ(フィリップ),ツェドニク(ハインツ),ハウクランド(オーゲ),シュラメック(アルフレート),ベーレンス(ヒルデガルト),ベルク,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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学生時代にrororoに目を通したりしてから夜行バスで東京へ行って、NHKホールでアバドの「ヴォツェック」を天井の席から眺めたことがあったような……。かなり最近まで、日本にいながらにして20世紀のオペラを「観る」という機会は本当に少なかったですね(アバドが「ヴォツェック」をやったのは1989年で、もう家庭用のヴィデオやLDが出回っていて、NHKがBSで海外の映像を次々放送しはじめていましたが)。長木誠司さんや岡田暁生は、オペラの映像を浴びるように観て、そのうえでヨーロッパへ留学して劇場に通うという形で、映像メディアありきでオペラ研究者になった最初の世代。楽譜とレコードから悶々としながらオペラを空想するのではなく、視覚的に欲望を充足する快楽が一般化した時代の追い風を受けて出てきた人たちということになるのかなと思います。マリア・カラスは声と写真から舞台を想像することしかできなかったけれど、ペーター・ホフマンやボンファデッリは、家庭で映像をリプレイして消費された人たちですね。
フェルッチョ・ブゾーニ

フェルッチョ・ブゾーニ

バラの騎士の夢

バラの騎士の夢

いかにも映像コンテンツになりやすそうな舞台・演出が今ではあっけないほど素直に受け入れられていたり、逆に、あたかも一回勝負であるかのような効果に照準を定めて偏執的なまでに作り込む倒錯したノスタルジー(カルロス・クライバーとか)が熱狂的に信奉された(されている)のは、80年代以後のメディア環境の下地があったからなのでしょうね。そのうち、クライバーとチェリビダッケのことしか言わない前世紀の遺物=「クラチェリじじい」という言葉が生まれてしまうかも(笑)。
ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92 / 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 [DVD]

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Amazonでもの凄い値段が付いていますが、NHKの何度も何度も再放送されたバイエルンの歌劇場オーケストラとの映像は商品化されていないんでしたっけ。

歌舞伎座を彩った名優たち―遠藤為春座談

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といいつつ、実際に「団菊」の舞台を見た人の話は無類に面白い。舞台は、終われば跡形もなく消える束の間のイリュージョンですけれど、だからこそ、語りと絵と写真と、演者の身体に刻まれた芸の記憶が、歴史を呼び戻す媒介になるわけですね。

[追記おわり]

「ペレアス」も、日本で初演されたのは1958年の秋、 [以下勘違いを訂正]デル・モナコによるオテロを含むNHKのイタリア歌劇第2回の直前です。「ペレアス」の初演は、都民劇場に指揮者(若き日のジャン・フルネ)とペレアス役のテノール(ジャック・ジャンセン)を招いて、あとは日本人が作っていますが、『音楽の友』の批評を読むかぎりでは、フランス語の原語上演で、皆さん、「楽しむ」というより、何か難しいものを押し頂くように鑑賞していたようです。

ところが、1952年の「夕鶴」にしても、1954年の「修禅寺物語」にしても、武智鉄二の関西歌劇団での仕事にしても、日本人が作ったオペラに対する論評では、作曲家の皆さんは、さかんに、まだ見たことのない、楽譜と音しか知らないベルクやドビュッシーを引き合いにだして厳しく論じているんですよね。

十二音技法についてもそうですが、1950年代の作曲家の皆さんは、経験が乏しいのに「耳年増」で、経験と情報のギャップからかえって饒舌になっていたようです。

当時の前衛系の音楽家の皆さまの高飛車な物言いに、これまでずっと反発を感じていたのですが、これは、(下世話な喩えですけれど、)童貞の男子中学生がセックスについて、あんなことやこんなこと(とはどんなことか(笑))に妄想を膨らませるみたいな心理だったのかもしれませんね。欲望を開花させる方法を見いだせないままに、何かがこじれていたのかも。しかも、「歴史的な使命」を背負ったかのような論調なので、逃げ場のない息苦しい感じがしてしまいます。

一方、「ルクリーシアの陵辱」は、柴田に言わせれば「ペレアスの穴埋め」に過ぎなかったのに相当な反響があったらしく、放送のあと、1953年中にラモー室内楽団が演奏会形式で取り上げて、翌年には二期会が舞台で上演しています。こちらは、異常に思えるほどオペラ界の反応が速いです。下世話な比喩を敷衍するのは自粛しますが、ちょっとしたきっかけで興奮状態になってしまうくらいに妄想と欲望が溜まっていて、それが創作オペラ運動や「コンテンポラリー」で「インターナショナル」でありたい前衛音楽運動を駆動していたということでしょうか。

日本の新作オペラのことだけを見るのではなく、その背景として、当時、海外の作品がどれくらい入っていたのか(まだ音や舞台が入ってきていない状態で想像だけが膨らんでいたのか)というデータを組み合わせると、戦後日本の音楽の見え方がぐっと立体的になりそうな気がしています。

[付記]

柴田南雄は「ルクリーシア」の分析を次のような所見にまとめています。

緻密に計算された構成という点が、この音楽の最も現代的な要素であろう。[……]その他細部に亘つて第一幕と第二幕との間に平行や対照の関係が網の目のようにはりめぐらされている。[……]また人物や事がらの音楽的表現として主動機が極めて巧みに用いられている。さらに音楽的に諸要素の統一が非常に強く行われている。[……]すべてこれらの構成上の計画は聴者に対しては意識の底で作用し全体の感銘を深めるのに役立つている。またこれは現代音楽の重要な特質でもある。[43頁]

この作品の一面の特徴ではあると思いますが、構成のバランス、モチーフのネットワーク、使用する音楽素材の統一、というのは20世紀的な楽譜の解読の常套句で、今読むと食い足りない印象を受けるのは否定できません。

それから、構成のバランスへの配慮と素材の統一が「意識の底で作用し全体の感銘を深める」というのは、シェーンベルクへ至るドイツの器楽の理念に引きつけすぎた解釈で、この作品が新古典主義の応用だということを柴田南雄は読み取れなかったように見えます。古代の血なまぐさい事件を醒めた「枠」に納めて、限定された語彙で語るのは、新古典主義風の「客観化」だと解釈したほうが、この作品の小編成楽団のあからさまに乾いた響き、台本の「コロス」を配置する二重構造とも辻褄が合うと思います。(柴田南雄も、言葉遣いはともかく、深刻な題材を抑えたトーンで語るノンフィクション・ドキュメンタリーの語法と理解したのかもしれない気配は感じられますが。)

「コロス」の語り(といっても普通に記譜されています)や舞台の所作に主導権を譲って、音楽を故意に抑えている箇所もあるようですし、小編成でのカラーリングを工夫したスコアでもあるようです。こういうフランス寄りの舞台作品は、柴田南雄ではなく、ストラヴィンスキーに詳しくて舞台や映画の音楽が得意な深井史郎のような人に解説を頼んだほうが良かったのではないでしょうか。

性に目覚めた悪ガキ中学生が医学書の挿し絵だけでも十分に興奮できるように(←だから、そういう比喩は……)、この文章が当時は十分に機能したのでしょうけれど、今読むと、やや無味乾燥でぎこちない印象が残るレポートです。(もしかすると、オペラの題材・内容に鑑みて、事実だけを伝える抑えた文体を保ったということかもしれませんが。)

[補足]

分析の話題が出たので、音楽の形式分析の基礎について、少し補足しておきます。

色々な説明の仕方があると思いますけれど、頭ごなしの暗記事項にしてしまうことなく論理的な筋道をつけて、なおかつ、抽象的で使えない空論にしてしまわない実用性を保とうと思ったら、音楽の形式に関するヨーロッパの伝統的な説明は、どのように作るかという詩学の方針としては、

  • (1) 全体と部分の照応説(主にドイツ系)
  • (2) 形式は素材を盛りつける器・枠だとする割り切った考え方(フランス、イタリアやアングロ・サクソン系などそれ以外)

に大別できるように思います。そして形式の価値づけ、いわば美学として、

  • (a) 全体の形式・構成を「意味」や「表現」として反省的に解釈・鑑賞するか(主に演奏会音楽)
  • (b) 何らかの「効果」をもたらす演出とみなすか(主に舞台音楽)

という別の判断軸が加わることで話が立体的に広がっていくのが、ヨーロッパの藝術音楽の形式論という分野なのだと思います。

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(1)と(a)を組み合わせると、「素材と全体が連動するように構築したものが音楽藝術作品であり、そのような作品を鑑賞・解釈するのが公開演奏会である」というベートーヴェン以来の交響曲や各種演奏会音楽で耳にタコができるほど繰り返されて、カルスタの人たちが悪しき「カノン」として目の仇にする徳目が発生します。

入野義郎や柴田南雄が師事した諸井三郎は、(ややヒンデミット風の機械論的解釈が入っているようですが)日本におけるこのような詩学・美学の代表格だったと位置づけられているようですね。彼らが、戦後、十二音技法を熱心に研究したのは、諸井流の詩学・美学を批判的に継承・発展する可能性をシェーンベルクに見たということなのでしょう。

入野義朗に比べると、柴田南雄は諸井に対しても、シェーンベルクに対しても、心酔している感じではなく、「時代の要請」だから学ばなければ仕方がない、という他律的・役割意識的な態度を示すことが多いようですが、それでも、上の引用にある分析の視点や、「意識の底で作用し全体の感銘を深める」という評価は、全体と部分の照応(「多様における統一」)という啓蒙期の古典主義美学以来のドイツ流の形式理解の圏内にある発言(世紀末の表現主義を経て、作品という「閉じた全体」の底に下意識の闇を想定する拡張モデル)だと思います。

(なお、ドイツ流の音楽形式論では、そのような部分と全体の照応モデルに対する異議申し立ての代表が、作品のあちこちにゴテゴテと断裂を作ったり、異物を挿入して、構造物の天井を吹き飛ばしたり、底を抜いたりするマーラーの交響曲だ、とされるようです。柴田南雄が、諸井流ドイツ派に籍を置きながら、そのドグマには一定の距離や齟齬を抱えていたように見えることと、彼がマーラーを偏愛したことは、平仄が合っているのでしょうね。)

グスタフ・マーラー――現代音楽への道 (岩波現代文庫)

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ドイツでヴェルディのオペラがバカにされたり、アドルノがストラヴィンスキーの新古典主義を時代へのお手軽な迎合だと批判するのは、実はそれほど深い洞察・慧眼というわけでもなくて、「建て前」(形式)と「本音」(内容)を分けて考えるような態度は不道徳だと言わんばかりの古典主義的な形式観の圏内の基準で、外国の現象を判断してしまっているのだと思います。

でも、フランス式庭園の幾何学的な人工美とか、バロック・ダンスの精緻なお作法を考えると、あそこに似合うのはバッハよりリュリだろうと思います。その器にどのような中身(リズムやメロディー)を盛りつけて、どのようなエクリチュールとハーモニーで飾るか、ということとは一旦切り離した別部門として、全体の姿・形を整えるデザイン・デッサンを考えた方が、ああいう風に中央集権の官僚化が進んでいる巨大な儀礼空間では、上手く物事が運ぶのでしょう。(2)と(a)の組み合わせです。

ただし、すべてがスタティックに鑑賞の対照になって、感性的なあじわい、観察者のセンスだけが問われていたわけでもなくて、王様が自ら踊ったり、芝居を観て、心躍らせたりもしたわけで、

ダンスの選曲や構成に、拍子やテンポ、表情のコントラスト、気分の変化が仕込まれているのは(A B A C A D...のロンドーがその典型)、音楽を対象化して眺めた場合の美的価値よりも、音楽に巻き込まれていった場合の効果の演出(上記(b))に力点がありそうです。(ショパンやシュトラウス一家のブルジョワ用ダンス・メドレーも、A B A B C D C D E F E F G A というように揺らぎつつ気分を次々変えていく構成になっていますし。)

それから、オペラ・アリアがどんどん大規模になって、「ルチア」や「ノルマ」のプリマ・ドンナのアリアは、シェーナからカンタービレを経て、軽快なカバレッタへ移行するのに10分以上かけたりしますが、あれは、声の様々な可能性を盛り込んで、歌い手の気持ちを高揚させると同時に観客の心を熱くさせて拍手喝采を誘う「演出」の定型なのだと思います。ハリウッドの映画撮影所がクライマックスの美男美女の大写しのキスシーンをばっちり「決める」ためにスタッフ、俳優の叡知を総動員するように、題材選びからリブレットから作曲・演奏に至る各部門の力を結集して、その頂点に選ばれたスターが鎮座するオペラの華。

(ワーグナーがアンチの人たちから悪辣だと言われるのは、いかにもドイツ系藝術論の文脈でドラマを考えているようなふりをして、口ではそういうことばかり言っているのに、実はそういうオペラ・アリアの演出形式を熟知していて、そのエッセンスをこっそり密輸入しているからですよね。プリマの「声」が独占していたオペラ劇場の王座を、ライトモティーフが絡まり合う壮麗なオーケストラが簒奪して、そのことで音楽藝術を散文的な近代社会から救済するプロジェクト。その野望のために既存の劇場の術策を総動員して、ニーチェをキリキリ舞いさせてしまったのですから、ワーグナーは罪作りだと思います。

あと、オーケストラをアリア風に盛り上げてしまうやり口をワーグナーから取り去ったら、アンチ・クライマックスの流転するハーモニーと語るような声と象徴的な身振りだけが残って、それだけでも随分と「ペレアス」に近づきますし、ドビュッシーがやろうとしたのはそういうことなのだろうと思います。矢代秋雄が、「ペレアス」の日本初演を目前にして『音楽の友』に書いた文章で、あれはもう50年前の作品で今聴いて新鮮な衝撃があると期待するのは過大評価だし、ドビュッシーの音楽としても、初期に属するもので、未熟なところがある、と書いています。ワーグナーを研究したうえで、ここをこうすれば自作を差別化できると目算して、コンセプト先行でとりあえず書いてみたのが「ペレアス」だったと考えた方がいいかもしれませんね。

「ペレアス」は、野望がそれと悟られないように静寂な象徴劇という外見を保っていますが、オペラ化権をゲットしたあとは、奥さんをキャスティングしようとしたメーテルランクをばっさり切って、ドビュッシーも、ワーグナーに負けない策略家です。このコンセプチュアルな実験作を、オペラ・コミック座のレパートリーに押し込むことに成功してしまっていますし。

舞台の上で起きることは、音楽の「形式」を含めて、すべてが幻影を生み出すための演出だ、くらいに思っておいたほうがいいんじゃないでしょうか。)

1950年代の日本の作曲家の皆さまのオペラ談義が、童貞クンの饒舌に見えてしまったり、今時のカルスタ諸君の批判がガキの独善に思えてしまうのは、音楽形式をめぐる議論がその後この程度には知恵と経験とワザを蓄積しつつあって、癇癪や摩擦やアレルギーなどの副作用を極力抑えた状態での「音楽の解剖」をできつつあるところまで来ているからではないかと思います。使える専門知識は利用して、形式化できるところは、やってしまったほうが経済的なんじゃないでしょうか。

(むしろ、物事を形式化できてしまう知性は切れすぎる刃になり得るがゆえに、そのことへの畏れを忘れてはいけない、という主張としては古くさいかもしれないカウンターを当てておくことのほうが、「ルクリーシア」の場合もすぐあとに書きますが音楽形式のそうした側面が問われる作品だと思いますし、より一般的なアカデミズム批判として本筋なのではないでしょうか。アカデミズム批判が、結局東大と東大生の主たる就職先である役人さんに利用されがちだ、というのもそういうことだと思いますし、戦後前衛運動で一番得をしたのはブーレーズだったわけでしょう。)

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20世紀の新古典主義は、目と耳に強烈な刺激を与える素材を使う一方で、そこに冷徹に「枠」をはめてしまう手法と言えると思います。猛獣が暴れ回っているのに、すべてはガラスの向こう側なので、全く恐くないから、格好のパーティの余興になる、というのが「ゲームの規則」。そういうやり方で、ストラヴィンスキーはロシアの野蛮をパリの目抜き通りのショウウィンドウに陳列することに成功して、ファリャは同じことをスペインに関してやるように求められたことでますます孤独を深めて、老い先短いヤナーチェクが、今まで溜め込んだ全財産をはたく大勝負に出て、バルトークはその功罪・清濁を合わせ飲んだうえで1920年代から国際市場に打って出て、そんな熾烈な場に一枚噛みたいと思って出てきたプロコフィエフは、結局、考えが甘かったと後悔してロシアへ戻ってしまう(プロコフィエフにとって、1920年代のパリと1930年代以後のスターリニズムはどちらが生き辛かったのか、案外、答えは簡単には出ないのではないでしょうか)、というのが1920年代なのでしょう。

ブリテンが、レイプと(その被害者の)自死という題材でも、事態を客観化する枠にはめれば舞台に乗せられると考えたのは新古典主義の一種の応用だと思いますが、一方で、「コロス」は、ストラヴィンスキーの「エディプス王」のコクトーの台本のように観客を攪乱する性質のものではなくて、むしろ、客席と舞台の仲介役と設定されているようです。この設定は、舞台に感情移入してほしいのか絵空事として舞台を突き放してほしいのか、一義的に決められない揺れる思いをそのまま舞台化したということでしょうか。ブリテンは、きっぱり決断しないし、迷う弱さを排除しないんですね。(「カミング・アウト」するかのかしないか、共感してほしいのか、して欲しくないのか、創作を通じて境界線上を揺れ続けるのが、ブリテンという人だったのかな、という気がします。)

メトロポリタン・オペラDVD ブリテン:歌劇『ピーター・グライムス』

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アレックス・ロスは、原作の少年愛を臭わせる部分をブリテンとピアーズがオペラ化の過程でカットする判断をしたのだと解説していますが……。1945年にこの作品が大成功して、「ルクリーシア」はその翌年の作品。
20世紀を語る音楽 (2)

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バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番&第2番&第3番

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  • アーティスト: ブリテン(ベンジャミン),バッハ,ハイドン,イギリス室内管弦楽団,ロストロポービチ(ムスティスラフ),ハーウィッツ(エマニュエル),グレアム(ピーター),アドニー(リチャード),ジェイムズ(アイファー),レンドル(アントニー),メイソン(デイヴィッド)
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そしてブリテンの主要作品は自身が指揮したレコードが出ていますが、イギリス室内管とのバッハを聴くと、指揮者としても一流ですね。

結果的に、ブリテンの玉虫色の処理が、1953年の日本で上演するには、刺激が強すぎず弱すぎず、新音楽の可能性を実感させる演目として、うまくはまったのかな、と思われます。このあとも、ブリテンのオペラは、日本であまり遅滞なく上演されているようですし、「ヴォツェック」とブリテンを並べると、人権を蹂躙された個人の悲劇を、感情を抑えた新音楽のトーンで舞台化するというラインが見えてきて、これが「暗い鏡(広島のオルフェ)」や「ひかりごけ」への道を開いたのかな、という気がします。(大江健三郎と芥川也寸志の「暗い鏡」が1960年にNHKの開局35周年特集としてラジオで放送初演される段取りをつけた担当プロデューサーは、最初に引用した柴田南雄の文章に出てくる「三善君」、1952年に「ルクリーシア」の放送を決めた三善清達その人ですし。)