Dramaturgをどう訳す?(平田栄一朗『ドラマトゥルク』)

[5/25 最後に、「戯曲」「劇」といった言葉をめぐる考察を付記。さらに、ベートーヴェンのヨタ話を追記。]

ドラマトゥルク―舞台芸術を進化/深化させる者

ドラマトゥルク―舞台芸術を進化/深化させる者

ドイツの劇場事情の一端がわかる本だと思うのですが、Dramaturg という言葉をそのまま「ドラマトゥルク」とカタカナ書きして、日本の劇場には存在しない職分である、ということにすると、なんだか、「ハウス・マヌカン」(死語)という言葉を流行らせた懐かしい手法を思い出してしまったりもしました。

Dramaturg は、日本語にならないのか?

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私が個人的にこの言葉を初めて意識したのは、たぶん、音楽学者ダールハウスの経歴に、「1953年にゲッティンゲンで学位取得。1950年から1958年までゲッティンゲンのドイツ劇場の Dramaturg、1960年から1962年にシュトゥットガルト新聞の編集委員を務めたあと、研究へ復帰。……」と書いてあるのを見たときだと思います。実際にドイツへ行ってみると、「今、音楽学の博士論文を準備しているあの人はどこそこの Dramaturg だ」という話を耳にしたりして、オペラの劇場で売っているぶ厚いパンフレットを Dramaturg が編集するらしいことがわかって、文芸部員みたいなものなのだろうと漠然と思っていました。(美術館や博物館に学位をもつ学芸員がいるように、劇場には文学や演劇学や音楽学の学位をもつ専門職員がいるのだろう、と。)

Drama は、ギリシャ語で「行動」(ドイツ語ならHandlung)の意味で、劇場における Drama を制作・組織することが Dramaturgie、そういう作業をする人が Dramaturg なので、Dramaturgie → 「劇作法」「作劇法」「作劇術」など、Dramaturg →「劇作家」ということで、ひとまずはよさそうです。抽象的に Drama の構成原理みたいな意味で Dramaturgie の語が使われることがあり、ここからさらに転じて、「都市のドラマトゥルギー」(@吉見俊哉)というような比喩的な言い方もありますが、それはまた別の話。

Dramaturgie という言葉を最初に印象的に使ったのはレッシングの Hamburgische Dramaturgie (「ハンブルク演劇論」と邦訳されている)で、テュルクは、1820年代のドレスデンのドイツ劇場で、今なら Dramaturg の職分とされる劇場の色々な仕事をこなしていたようです。(ウェーバーは劇場オーケストラの指揮者として、テュルクと、意見は必ずしも合わなかったようですが、色々やり取りがあったらしい。)劇場の演目、すなわち Drama は言葉(いわゆる「戯曲」)で制御されねばならないという演劇観/文学観の伝統があって、Dramaturg/Dramaturgie は、この言葉が使われはじめた当初は文学者(いわゆる「劇作家」)の職分だったようです。

あと、レッシングやシラーやゲーテは、劇場に啓蒙主義のメディア、いわば「民主主義の学校」の役割を期待していたようですね。劇場の出し物が単なる見世物(スペクタクル)であってはならないのだ、という考え方です。モーツァルトやベートーヴェンが、フランスのボーマルシェやプイイの戯曲をオペラの原作に選んだのも同じ劇場観を背景にしていそうですし、ワーグナーがお伽噺に「思想」や社会批判を混ぜたのも、劇場に道徳を求める人向きの作劇法 Dramaturgie ということになるのでしょう。逆に、「コジ」の「恋人たちの学校」という副題は、「劇場=民主主義の学校」という劇場観を前提としたうえでの、不謹慎で反時代的で痛快な挑発だったのかな、と思います。

(そして明治の日本は、近代化の一環としてこのような演劇観・文学観を輸入した。ドイツの「劇作家」がスペクタクルを戒めるのをお手本にして、我が国の芝居小屋を恥ずべき前近代だと考えて、演劇改良に取り組んだ、ということでしょうか。)

20世紀にアヴァンギャルドが言葉で制御できない行為を舞台へ乗せるようになって、そういう出し物を格式ある劇場でもやるようになり、旧来の職分が組み変わったときに、諸々の業務を請け負う劇場側のまとめ役が必要になって、彼らが Dramaturg という由緒ある名前を継承するようになったようです。もはや、劇場を文学者の言葉が制御する時代は終わった。新しい劇場における多種多様な人々の蠢きを Drama の名に値するアクションへとまとめ上げることができるのは、もはや、座付き作家でもなければ、役者でもなければ、小手先の術策で舞台を飾り立てる演出家でもなく我々だ、我々こそが、悪しき商業主義とも、イデオロギーの走狗としてのプロパガンダとも一線を画した「民主主義の学校」の番人なのだ、というプライドを感じさせる名乗りです。ドイツの劇場はほとんどが公立ですから、劇作(Dramaturgie)が詩人の栄誉であったレッシングやシラーの時代を連想させる言葉を使うのは、劇場を共和国ドイツの文化的シンボルとして運営するうえでも、ちょうどいいのでしょう。

(そして劇場の財政が苦しくなったときには、Dramaturg の万全の対応の助けを借りることによって、旧作の「読み替え」演出を、画期的で創造的な新機軸だと言いくるめる新方針が驚くほどスムーズに遂行できた。Dramaturg を侮ってはいけない、というのがドイツの劇場の鉄則なのでしょう。)

日本でもそうですが、他の国では、同じような職分が「制作=プロデューサー」と呼ばれるようです。でも、上の本の著者、平田氏によると、ドイツ流の Dramaturg という言葉には、我々は公共機関の職員であり、金策に振り回されがちな外国の「プロデューサー」とは違うのだ、という意識があるのだとか。ドイツ流の Dramaturg は、劇場の制作部員が自らを「劇作家」もしくは「作劇家」と仰々しく名乗っている、という語感があるのだろうと思います。

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私は、この本を「もうひとりの平田氏」、平田オリザ氏の書評で知ったのですが、[←この部分記憶違いでした]この本を読みながら「もうひとりの平田氏」、平田オリザ氏のことがずっと気になっていました。ひょっとすると、平田オリザ流の劇場構想は、「ドラマトゥルク」を各地に送り込んで、「芸術創造」の拠点を切り盛りさせることになるのでしょうか?

従来の体制を引き継ぎつつ穏健にやるとしたら「制作」、あえて直訳的に、いかつい感じの名乗りを生かすとしたら「作劇家」なのかなあ、という気もしますが。

[付記]

ただし、Dramaturg という言葉以前に、演劇・舞台パフォーマンスに関する日本語は、気にし始めると、どの言葉が何を指しているのか意外に曖昧かもしれませんね。「戯曲」という言葉は、「戯曲を書く/読む」という言い方を見かけるので、台詞とト書きをまとめた脚本、あるいはその形式で書かれたテクストのことを指すと思っていたのですが、「戯」と「曲」だから、文字の並びは、テクスト(文)の意味がなく、むしろ、Play に近そうです。

(ところが現在では、台詞芝居=言葉のドラマを想定しているテクストだけが「戯曲」と呼ばれて、音楽劇のなかでもオペラという日本では新参のジャンルの台本は、リブレットとカタカナで呼んで区別されたりしています。考えてみれば、これは不思議な習慣ですね。

オペラやオペレッタの台本は、ちょうど人形浄瑠璃の狂言に人形芝居ならではの「作り」があるように、音楽劇ならではの「戯」や「曲」を工夫する専門職なのに、専門職ゆえにジャンル特性を狙いすぎて「世界文学」としての普遍性に欠ける「いわゆる痴呆の芸術」にはまり込んでいるということなのか、いわゆる「戯曲」よりも低く見られているようです。純文学vs大衆文学とは別のタイプの、黙読中心主義とでも言うべき文学の格付けが作動していそうですね。)

谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫 緑 55-7)

谷崎潤一郎随筆集 (岩波文庫 緑 55-7)

谷崎潤一郎自身は、その「痴呆の芸術」を愛でていたわけですし、人形芝居の狂言や音楽劇の台本が「世界文学」を目指すべきか、というと、それは別の話になりますが。

それから、「劇」は激しく壮絶な状態を指し示す漢字であるようですが、Drama のほうは、人間の行動だから、身体を人前にさらして、身体性が露呈するニュアンスのほうが強い言葉なのかもしれない、と思います。歌舞伎役者の荒事は、「劇的」であると同時に、身体を張って dramatic ですけれど、「劇」な状態ではない「人間ドラマ」や、「人間ドラマ」ではない「劇」というのを想定できる程度には(「劇薬」という言葉もありますし)、意味の重ならないところがありそうです。

「劇作家」や「作劇家」というふうに漢字を並べると、なにやら、過激な(過劇な?)イベントを策謀しているかのようで、演劇人の血気盛んなメンタリティと妙なところで合致してしまいそうですが(たとえば、「劇作家」という言葉は気骨の人・木下順二のイメージにぴったりだと思えてしまったりとか)、そして「ドラマトゥルク」とカタカナにされると何が何だかわからなくなってしまうわけですが、Dramaturg の職分は、おそらくそれほど「劇的」ではなくて、むしろ、ヒトとヒトをつないだり、劇場へとヒトを巻き込み編成して、ヒトの行動をまとめあげる調整役なのだろうと思います。(啓蒙主義時代のレッシングやシラーは、旗を立てて民衆を導くタイプの、いわば「劇動の時代」の Dramaturg であったにしても。)

[さらに追記]

さて、そして劇場が「民主主義の学校」であったレッシングやシラーなど、文学者による Dramaturgie の時代精神を体現するドイツの音楽家といえば、ベートーヴェンでしょうか。

しかも、幸か不幸かベートーヴェンの音楽は、いきなりフル・オーケストラが「ジャジャジャジャーン」と襲いかかる第五交響曲とか、暴走馬車のように突進するワルトシュタイン・ソナタとか、鍵盤上を暴風雨が吹き荒れる月光ソナタや熱情ソナタなど、同時に「劇」の字が似合いそうな音楽でもあります。明治生まれの女性ピアニストが猛特訓で熱情ソナタをバリバリ弾いて音楽学校の助教授に迎えられるも、ウィーンで非業の死を遂げるというのは、まさに「劇的」な展開ということになりそうです。

でも、この「劇」な感じは、dramatic というより dynamic と言うべき特性かもしれませんね。ベートーヴェンの音楽には、力(dynamis)に満ちあふれて、拳を突き上げるようなところがあります。

(久野久の悲劇は、情報の乏しい後進国の「我流」とも言い切れず、諸井三郎はしきりに音楽の「力動性 Dynamik」を言っていましたし、音楽の本質を Dynamik に求めようとしてエネルゲティカーと総称される音楽理論家が20世紀初頭のドイツにいました。フルトヴェングラーの仄暗い演奏は、そういう時代思潮のなかから出てきた鬼っ子のようなものなのでしょう。)

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ベートーヴェンの音楽を dramatic と呼びうるとしたら、それはむしろ、舞台上で人物たちが対峙するように複数のアイデアが付き合わされていたり、もっと即物的には、オーケストラという雑多な集団のそれぞれの楽器に、しかるべき役割を巧妙に割り振ったり(エロイカ交響曲はその見事な例だと思います)、晩年になると、合唱幻想曲でピアノとオーケストラと合唱団を舞台の上に一緒に乗せて、さらに第九交響曲では、4人の独唱とトルコ風の打楽器やピッコロやトロンボーンまで動員して、「喜びは神々の火花」と歌い上げるところなのかもしれません。シラーの詩を使ったりして、まさに「民主主義の学校」です。そして、こんなわけのわからない混成部隊を上手にさばくのは、それこそ Dramaturg の職分でしょう。ベートーヴェンは、当時の「劇作家」の意味での Dramaturg と気脈を通じていたし、現代の劇場の制作部員としての Dramaturg の音楽版と呼ぶべき仕事をしていたとも言えそうな気がします。

演奏解釈としても、「dynamic ではないけれども dramatic」なベートーヴェンがありますよね。

クライバーの演奏は、清新で血しぶきが飛びそうに生き生きしてはいましたけれど、練習を見ていると、こうであって、それ以外ではない、というところへ演奏者を追い込んでいく「演出家」であったように見えます。客席に届く音はパラダイスだし、稽古でも彼は終始紳士的だけれども、内心は、余人に窺い知れないほどピリピリしていそうです。(だから、意図する結果が出そうにないときには、そもそもオファーを受けないし、練習がダメならキャンセルする。)こういうところは、むしろ、19世紀流のワンマン指揮者の最後という感じがします。

(西部劇やギャング映画で、相手の足下にピストルを打ち込んで、ピョンピョン跳びはねて踊らせるというのがありますが、クライバーは、そんな感じにわざと変なタイミングで指揮棒をひょいと突き出して、オーケストラを揺さぶる場面があるようです。彼の指揮で演奏するのは、かなりキツかっただろうと思います。)

むしろ、あっちこっちから楽器を見つけ出して、演奏法をああでもない、こうでもない、と文献で調べて、何のマニュアルもなしにそういう楽器を吹きこなす曲芸師のような連中が集まっている古楽の世界には、現代の意味での Dramaturg 的な才覚・職分をもつ人が必要とされていそうな印象があります。アーノンクールは、貴族だから人前に出ると立派な所作で体面を保ちますけれど、古楽でレパートリーを少しずつ広げていた頃は、手持ちの楽器や楽譜やメンバー集めで綱渡り的なやりくりがあったようです。コンツェントゥス・ムジクスの初期の話は、駆け出しの劇団に似ています。

そしてドイツ・カンマー・フィルが一時は指揮者なしで活動をしていて、パーヴォ・ヤルヴィととんでもないベートーヴェンを演奏できてしまっているのは、そういう古楽合奏の試行錯誤の良いところを取ってきたのではないか、という気がします。ああいう活動形態は、劇場の Dramaturg の受けが良さそうだし、きっと実際にその種のスタッフがあそこにはいるんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょう。

ドイツの劇場で Dramaturg と名乗る人たちが活躍しているとしたら、それに音楽で対応するのは、ああいう団体なのではないかという気がします。ゲルマン的な仄暗い力が隆起する Dynamik から、人と人とを円滑につないで構成される Drama へ表象文化の軸足をシフトする動きがドイツにあって、Dramaturg の活躍は、その下支えなのではないでしょうか。