広渡勲のスペクタクル(兵庫県立芸術文化センターの「こうもり」のこと)

『音楽の友』のグラビアに佐渡裕×広渡勲対談とコヴァルスキーのインタビューが出ていますが、先月の「こうもり」について、日経の批評にも、音友の記事にも上手く入れられなかったお話。

私個人の感想としては、マダムが一晩で百万円使ってしまう高級ホスト・クラブのようにキラキラでゴージャスな舞台&衣装よりも、晴さん(弁護士フリント)の驚異的に明瞭な日本語の発声よりも、ヒンクが俺の見せ場とばかりにソロを弾いた「ウィーン、我が夢の街」よりも何よりも、第3幕へのつなぎ方に感動したのです。

第2幕の仮装パーティの真ん中で休憩を入れるのは、広渡さんが栗山昌良さんに「ここで切るのがいいよ」と助言をもらった、スタッフ・クラブ/二期会方式で(訳詞も「泣き〜泣き、おわ〜かれ」など、聴き覚えのある二期会のものがベース)、そのため、2幕の巨大なシャンパン・タワーを撤収して、3幕の監獄(このオペラの3つの装置のなかで唯一、物の縮尺が正常なパースペクティヴに収まっている)を入れる時間を確保しなければいけないわけですが、その段取りが素晴らしいと思いました。

6時の鐘が鳴り、パーティがお開きになって幕が下りると、ざこばさんが酔っぱらいの体で舞台手前のエプロン・ステージ(銀橋[ぎんきょう])へ出てきて、お客さんをいじったりする、かなり長い一人芝居があります。これはまあ、「メリー・ウィドウ」の前例があり、予想通り。

そのうち、ピットの指揮者(佐渡さん)をいじりだすのも、前回同様ですが、「何か演奏して。六甲おろし!……は朝っぱらから近所迷惑やから、何か静かァなやつ」という風に、いちおう物語の設定を踏まえることで徐々に本筋を思い出しつつ、ピチカート・ポルカがはじまって、ざこば退場。ダ・カーポのあたりで、緞帳前がほんのり明るくなって、狂言回し役の二人のキャラクターのダンスが加わる。次にもう一曲、もうちょっと活気のあるトリッチ・トラッチ・ポルカを演奏するところで、左右の舞台袖から囚人の扮装の一群が出てきて、今度は同じ緞帳前でライン・ダンスをやって、夜が明けたように本舞台が明るくなって、曲が終わると、ダンサーの一群は、下手奥の牢屋へ一目散に退場。

という段取りでした。

囚人ダンサーの一群が、出てきたときの舞台袖ではなく、舞台の奥へ入っていくのを見て、ああ、なるほど、とものすごく感動したんです。

銀橋&客席(ざこばがお客さんに缶ビールを配る、というネタがある)という一番手前の小芝居ではじまって、オケ・ピットの演奏 → 緞帳前のダンス → 本舞台のお披露目という風に、こちらの視線が手前から奥へ20分くらいたっぷり時間をかけて、誘導される作りになっていたんですね。だから、ダンサーは両脇ではなく、舞台の一番奥へ捌けるのが、絶対的に正しい。これはすごい。スムーズに切れ目なくつながっていく長回しみたいな感じがしました。

舞台を映画のように見せる、というのは、たぶん広渡演出の基本で、「メリー・ウィドウ」のオープニングは往年のミュージカル映画のタイトルロールみたいになっていましたし、役者が銀橋へ出てくることによる、カメラのズーム・インに似た効果は、前半のエンディング(これでもか、というキンピカのど派手演出)のだめ押しで使っていましたし(ここで、誰が合図したわけでもないのに、客席から自然に音楽に合わせた手拍子がはじまるノリの良さは何なのか?!)、ロザリンデとアイゼンシュタインの時計の二重唱を銀橋で演じたのは、二人の細かい芝居を目の前で見せる場面、ということだと思います。(ご自慢の時計を取り返そうとするアイゼンシュタインと、それをかわすハンガリー夫人(実はロザリンデ)。1回、2回とトライして、今度こその3回目で夫人が大きく身をかわして、勢い余ったアイゼンシュタインが彼女の反対側に出て、二人の立ち位置が入れ替わる。喜劇ではおなじみの「型」ですけれど、こういうアクションをひとつずつちゃんとやってくれると、やっぱり嬉しい。)3幕への持っていきかたは、こうした見どころのアップとは逆に、手前の狭い絵から、カメラを次第に退いて、最後はクレーンを使ったロング・ショットで舞台全体を見せるようなイメージだったのだと思います。

ゼッフィレッリのような人だったら、こういう目の楽しみ(スペクタクル)の基本をわかった上で、「ドン・カルロ」のような複雑な筋のドラマに上手にあてはめていくから芸術(ハイ・アート)に分類してもらえているのであって、兵庫の「こうもり」でこういうことをやっても、人によっては俗悪である、などと言われてしまいながら消費されるエンターテインメントの潤滑油で終わってしまうわけですけれども、そして、それでいい、そういうものなのかもしれないし、だから、音楽雑誌にも新聞の音楽評にも、わたくしには力がなく、うまく書ける文脈が見つからないままで終わってしまったわけですけれども、

でも、こういうところがいい、と思ったのです。舞台を縦にも横にも前後にも、まさしく三次元に広く使っているから(そしてお客さんの視線をスムーズに誘導して巻き込んでいくから)、色々なものが入っても、大丈夫なんですよね。

あと、シャンパン・タワーを視界にドンと立ちはだからせて、ライトをキラキラと反射させておきながら、実はさらに「奥」があって、ハンガリーの夕景とか、花火とかがシャンパン・タワー越しに見える感じも、いいなあ、と思いました。

だって、こういうスペクタクルは、劇場でなければできないし、劇場ならではの楽しみじゃないですか。オペラ・ハウスを作った意味は、こういうことができるところにあるんじゃないかと思うんです。やっぱり、戦後すぐの頃の前後に薄い舞台で「本物の劇場」をみんなが夢みていた頃からやっていらっしゃる方のほうが、劇場の広さを活用する快感をわかっているということなのでしょうか。

(そういう意味でも、びわ湖ホールの四面舞台をフル稼働させることができる予算が組めない現状なのは、本当に勿体ないですよねえ。ヴェルディ・シリーズの頃は広い舞台を作ってましたもんね。)