サラリーマンのサラリーマンによるサラリーマンのための硬派な音楽論があってもよさそうなのに……

2つ前のエントリーで、色々なことがすっきり整理できたような気がしていたのですが、音楽美学なるもを標榜する有閑な方々は唖然とするほど察しが悪いらしいことが判明したので、少し補足します。

当たり前すぎる前提だと思って書かなかったのですが、わたくしは、サラリーマンな方々を全面的に尊敬している、という立場です。

ところが、どうやら大学人や美と藝術を語る方々のなかには、21世紀にもなって、いまだにサラリーマンをバカにしていい、という風潮があるらしい。オルテガの呪縛、アドルノ・シンドロームは、信じがたいほどに根深く、世代から世代へと伝承されているようです。これは酷い。

(サラリーマンが山の手の「いい家」の風俗であった時代の東京を撮り続けた映画作家を論じて、学園紛争の団交で「わたくしはサラリーマンだ」と言い切ったとされる人が東大総長になるようなご時世に、まだ、サラリーマンを見くだすような学者が棲息しているとは、びっくりです。国家反逆罪や人道に反する罪に問われても転向しない覚悟で俺はサラリーマンを蔑視する、というのなら見上げた根性ですが、ただ、ヌルイだけではないのか。)

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わたくしが、「サラリーマン的」という言い方で想定しているのは、ちょっと抽象的になりますが、マルクス主義風なのかもしれない生産・消費図式でいえば、生産者の立場と消費者の立場を時間割でクルクルと交替して、演じ分けるようなペルソナのことだ、と言えそうです。

ウィークデーは「会社」の生産活動に従事して、週末は消費生活を謳歌する、とか、9時から5時は「会社の人」で、アフターファイヴはオフタイム(&家庭サービス)というような切り替えが、日々刻々と行われるようなライフスタイル。

わたくしは、そういう風な生活をしたことがないし、できない(私を採用するような酔狂な組織は存在しない)ので、凄いなあと思うのです。

(このたび、テレビ業界独特のやり方で発行された「辞令」によって引退なさることになった島田紳助さん(タレントさんの人事が硬直していて、そろそろ異動の頃合いだったのでしょう、そういうときの汚れ役は今も昔も「目立つ関西人」であり、彼は基本的には「殴られ屋」として東京でお仕事を続けていて、その職務を全うされたのだという風に理解しております)が、昔、深夜のトーク番組(実は音楽番組だったはずだがトークが長い)で、「会社って、普段、どんなことしてるの」とサラリーマン経験のあるミュージシャンに質問しておりましたが、わたくしも、オフタイムの姿しか知らないサラリーマンの皆さまの会社のなかがどうなっているのか、会社が舞台のテレビ・ドラマのイメージしかないので、本当に、そこは「謎」です。)

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サラリーマンな方々の生活では、本当の内実は私にはわかりませんが、外的状況から推察すると、ある業種の内情を当事者としてよくわかっている一方で、「オフ」になると、それを全部忘れる、というような、極めてドラマチックなことが日々起きているとしか思えませんし、そのようにドラマチックなことを普通にこなすことができるように諸制度が整備されているのだとしたら、これは、すごい「文化」であると思うわけです。

単純労働ではないデスクワーク主体の採用が相当数あって、しかも、部署を定期的に異動して、社内のさまざまな部署を知るわけですから、その業種の内情に相当深くコミットしているわけですよね。それを全部、オフタイムには「なかったこと」にするのだから、そのような壮大なフィクションを可能にするオフタイムへの要求水準が高くなるのも無理はないと思うのです。

ワーキングタイムに、お客様やお取引先様への対応に細心の注意を払っている有能な方であればあるほど、オフタイムに接する他業種のサービスの善し悪しを見る目が厳しくなって不思議ではないし、「ここはこういう風に改善できそうなのに……。今応対にでたこいつは、別の部署へ異動させたほうがよさそうだ」等々、具体的な分析ができたっておかしくないのに、家族サービスのオフタイムは、笑顔でそういうことを腹に収めるのが世の「おとうさん」なわけですよね。すごい「人間力」じゃないですか。なるほど、我々とは比べものにならない待遇を得ていらっしゃるのは当然である、といつも思っております。

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さて、そしてそんなサラリーマン社会に対応するべく音楽業界がどのように設計されたかというと、ひとつは、音楽自体を「業務」として疑似会社化する可能性を探ること、もうひとつは、オフタイムのサービスに特化することなのは、今更、偉そうに言うまでもないことだろうと思います。

以前のエントリーで書いた、柴田南雄の「科学的方法」というのは、音楽の生産(作曲)や研究(音楽学)の効率化を、ほぼ会社のデスクワークと同等の手法で推進することだと思うのです。9時から5時まで、コツコツ情報収集すれば、曲が完成したり、作曲家論や音楽史概説が出来上がる、という事業計画ですね。

そして、どうやらここで「美学者」は、このような「音楽のデスクワーク」が主として楽譜を素材として進められたことに不満を漏らされることが多いようです。「そんなやり方はユーザー不在である」「どのように作られたか、を詮索しても、出来上がった音楽がどのように聞こえるか、わからないではないか」というわけです。

でも、百戦錬磨のサラリーマンの皆さまだったら、お客様への快適なサービス、生活を豊かにする夢の製品が、きわめて殺伐とした情報とデータの集積、細々とした仕入れと各方面へのネゴシエーションによって出来上がっている内情を先刻ご承知であるはずです。モノを作るには設計図が必要だし、設計図は、それだけを眺めたら、無味乾燥で夢や快楽と程遠いように思えるかもしれないけれども、「専門家」というのは、そのような設計図の先に完成品の姿が見えている、「絵が描けている」はずですよね。

楽譜(を万能視するつもりは毛頭ないですけれど、とりあえず)も同じことであって、乾いたデータ処理は、まともな人がやる場合は、それがどのような効果をもたらすか、ということを見据えてなされているはずです。

数十人、数百人、数千人が緻密に分業してモノを作る行程がどういうものなのか、ということが、「生産」の立場に身を置いたことがない人たちには理解できないらしいのです。何度説明しても、脳みそが絶縁体であるかのように、話が通じない。困ったことです。ひょっとすると柴田南雄が大学を辞めたのは、そのあたりの絶望的な非効率、そして仕事をこなせる自分のところに全部押しつけられる体質にうんざりしたのではないでしょうか。日本の音楽研究には「会社」としてダメダメなところがあった、と。

(メーカーさんなど「会社」のなかでも、設計部門とデザイン部門はソリが合わないのが普通である、みたいなことは漏れ聞きますが。)

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さて、それじゃあそういう「偉い学者さん」は「顧客」(「最も厳しいお客様であるあなた」)として丁重に対応させていただけばいいかというと、これも、実はあまりうまくいかないんですよね。

商品開発には、ユーザー・テストみたいな行程があるようです。実際に商品を試用してもらうこともあるし、ユーザー・インターフェイスの開発では、できるだけ具体的にプロフィールを特定した「モデル」を想定したシミュレーションを設計段階で行ったりもするようです。

で、せっかくあれこれ文句を言って下さるから、という理由で「美学者」の言うことを「ユーザーの声」として活用できるかというと、どうやら彼らの言うことは、ユーザーの平均値からすると相当に偏っている。サラリーマン社会は、お互いが「生産者であると同時に消費者」であるような場ですから、他業種間でも、ある程度、お互いの立場がわかって、支え合いつつ回っているわけですが、そういう「空気」が、学者にはわからんのですね。

(実際は「気」というような深遠な東洋哲学ではなく、似たような仕事をしているから相手の大変なところがわかる、というようなことだと思いますが、そういう具体的・経験的な事象を「気」と呼んで大仰に理論化するところが、学者の「空気の読めなさ」を逆説的に象徴してたりするのかもしれない(笑)。

そのような素っ頓狂な教説を、物珍しい文字列として消費する、という捻ったニッチな商売にも成立の余地があるくらいに、世の中というものは懐が深そうですから、「美学」もそれなりに機能しているのだとは思いますが……。)

タイトルの魔力―作品・人名・商品のなまえ学 (中公新書)

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日本の美学のトップクラスにはこれだけ面白く書く先生がいらっしゃるのだから、音楽論者もしゃんとしろ、ということですよねえ……。

逆に、東京大学という超一流企業に入社して、部長クラスになった人だからこれだけのことを書けるので、音楽業界は「会社」として格下だからグダグダである、ということなのでしょうか??

一方、吉田秀和さんは、上手に「ユーザー・モデル」のポジションにはまって、機能している(していた)のだと思います。何度かに分けてざっくり調べた感じでは、雇う側(出版社・編集者)に、「彼ならやれる」と思わせるような、一種の「資質」があったようですし、彼自身も、需要に応えるようにある時期から書く内容を変えたりして、意識的に自分をその方向へ持っていった形跡がある、とわたくしは考えております。

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ということで、前と同じ話を別の視点から言い直しただけ、みたいな話ですが、1960年代から柴田南雄と吉田秀和が音楽業界でぐっと伸びてきたように見える現象は、狭義の音楽論や学説史・研究史で説明するよりも、戦後日本のサラリーマン社会を背景に据えたほうが、説明が容易になるんじゃないか、というお話でした。

そして一連のお話は、学者と呼ばれた人たちが、この時代に、ちょっとボンヤリしすぎていたところがあったんじゃないか、という思いを込めながら進めているつもりだったのですが(そこが「世間ずれ」しない、愛すべき特性とされているのだとは思いますが)、どうやら、あまりにも話が通じていないようなので、今回は、アケスケに書かせていただいた次第でございます。

まさしく、ペーペーの平社員が「うちの会社は」と酒場でクダを巻いている図になってしまいましたが。^^;;わたくしの補足説明は、以上でございます。

(「若者の若者による若者のための音楽論」は無数に書かれ続けているのに、「中年サラリーマンの……」は、教養読み物になってしまって、本格的なものがないですよね。岡田暁生の『音楽の聴き方』や渡辺裕『歌う国民』は、おそらくその線を狙った発注だったのかも、とは思いますが……、著者の長くて偉そうな演説を読者がおとなしく拝聴するであろうという想定とか、読者を自分と同じように「うっかり××と思いこんでしまいそうになる」人物と想定するあたりに、弛緩して、読者を舐めたところが出ているのではないでしょうか? (「読者」は、なるほど音楽書を「オフタイム」にしか読まないかもしれないけれど、仕事の善し悪し=ちゃんとした「仕事」の結果なのかどうか、ということは、あからさまに言わないけれど、ちゃんと見抜くことができるだけの経験を日々の職場で積んでいる人たちであるはずです。)

それから、たぶん、「ドイツの器楽」は伝統工芸的に事業規模が小さすぎるから話がうまく通らないのであって、「会社としての洋楽業界」という話は「ラテン文化におけるオペラ」を中心に据えたほうが上手くいくんじゃないでしょうか。実はドイツの音楽学者はいちはやくそのことに気づいていて、LaaberのNeue Handbuchは、各章の最初にオペラを置く構成になっています。ドイツ人は「ドイツの器楽」が音楽の中心だなどという考えを歴史認識としては30年前に既に捨てています。(ドイツの器楽は、ローカルな伝統芸能をどのように伝承するか、というフェーズに入っているのだと思います。)だから、「音楽の国ドイツ」などという言葉は、「フジヤマ・ゲイシャのニッポン」と同じくらいおかしい。前世紀末からベルリンのオーケストラやオペラは、イタリアやイギリスやアルゼンチンの指揮者が仕切っているのだし、今頃になって「西洋音楽(実体はドイツの器楽)の黄昏」を嘆くのは、21世紀のぼんやりした外国人観光客が日本人の洋装を悲しむのと同じくらいアナクロなのではないでしょうか。

いずれにせよ、このような勢いに任せた書き方では不正確で漏れが色々あると思うので、さしあたり美学会の歴史と、そこへ音楽関係者がどのように関与してきたか、をますます知りたくなっている今日この頃です。)