[短い追記あり]
先週は下野竜也指揮・大阪フィルで慎重に丁寧に作った第二交響曲を聴いて、なるほどブルックナーはこういう近づき方をすればいいのかと色々教えられた気がしていたのですが、児玉宏指揮・大阪交響楽団の「ロマンティック」はブラス・セクションが勲章をたくさん下げた軍服姿で大いばりしているような演奏。欲望のおもむくまま、ワーグナーの楽劇のクライマックスシーンをダイジェストでつなげたような音がしていました。
児玉さんはものの分かった紳士である、という前提で今まで評価していらっしゃった方々はビックリされ、アタフタされたようなのですが、私は、むしろこっちがこの人の「本性」なのでは、と思い、面白く聴きました。
「やり過ぎ」という判断もあり得るのでしょうけれど、ブルックナーがワーグナーに憧れて、ああいう音が書けたらいいなあと思いながらも遠慮がちに作ったスコアを、本気でワーグナー風に響かせたらこうなった。いわば、ブルックナーが隠し持っている「男一匹」な欲望・願望を全部オモテに引っ張り出したらこうなった、という感じがしました。
昔はこういう風に闘争本能を感じさせるブルックナー演奏がありましたよね。
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そしてこういう演奏だと、「ロマンティック」という副題が、メルヘンチックな詩情・夢想ではなく、ハードコアな中世幻想のように思えてきますね。ヘーゲルなどが、ギリシァ・ローマを「古典時代」、キリスト教世界を「ロマン的な時代」と呼んでいたと記憶しますが、これは、その意味の「ロマンティック」なのかも。
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聖杯とか様々なイコンとかを、ほとんど正教会と区別がつかないくらいゴテゴテと飾り立てたキンピカの大聖堂のような音楽。
そして児玉・大阪響の「ロマンティック」を聴くと、ローマ法王が十字軍の総帥(いわば軍事司令官)になるのもわかる。カトリックが本気で戦闘態勢に入ると恐いかも、ですね。^^;;
色々と婉曲な言い回しで語らないといけないことになっているけど、結局みんな、ワーグナーのこういうところが好きなんでしょ、ということを、「新ドイツ派」の総帥フランツ・リストの生誕200年に堂々と言ってしまったブルックナーでございました。恐るべし。
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あと、ブルックナーの主題が「Ich komme hin」(第1楽章)等々と言っている、いわば、神と対話しつつ唱えているのだ、という児玉さんの見方(プログラムに書いてある)も、そう言われてしまうとそうとしか聞こえなくなる「信」の強い解釈だと思います。
「ワーグナー詩吟説」と相通じる話ですね。
「大野和士氏いわく、ドイツ人はワーグナーを聴く時、詩吟を聞くようにテキストを聴いている」
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児玉宏はファナティックである。皆さんきっと薄々感づいていたはず。(^^)
[追記]
そうそう、児玉版の冒頭のホルンはこれ。
Ich komme hin, wo Du nun bist !
やっぱり児玉宏のブルックナーはどえらいわ!/大阪交響楽団 定期: エンターテイメント日誌
( 私は行きます、貴方のいらっしゃるところへ!)
あと、聴いていて思ったのですが、おそらく児玉さんは第4楽章の大股で2回下がる3音のモチーフでも、何かの「言葉」を唱えていたんじゃないでしょうか。
で、あれこれ言葉を想像しながらこのモチーフを聴いているところへ、最後に第1楽章の「Ich komme hin, ....」が再現して重なると、めくるめく感じがする。
純音楽的な領域に留まらない音楽の聴き方というものがある。「新ドイツ派」とワーグナーはこういうのを梃子にして人々を巻き込んでいったわけで、ブルックナーのみならず、おそらくスメタナの「我が祖国」(今度大フィルがエリシュカ指揮でやります)なんかも、そういう文化圏から出てきたものなのでしょう。
そういうのは、歴史的知識として承知しているつもりだったのですが、21世紀に本気で実践する人に巡り会うことになるとは、と驚嘆したのでした。少し前の定期で「死と変容」を迫真の「男の音楽」にまとめたのはダテではない。