愛国者スメタナ

「スメタナは民族自立を悲願とする愛国者であり、彼らの如き血塗られた歴史を持たない日本国の国民として、我々は、想像を絶する環境を生きた芸術家への讃辞を惜しまない。エリシュカ指揮・大阪フィルハーモニー交響楽団による「我が祖国」の名演に接し、日本国民は、チェコの大作曲家への尊敬の念を新たにしたのである。」

スメタナ連作交響詩「我が祖国」(全曲)

スメタナ連作交響詩「我が祖国」(全曲)

  • アーティスト: エリシュカ(ラドミル)札幌交響楽団,スメタナ,エリシュカ(ラドミル),札幌交響楽団
  • 出版社/メーカー: SPACE SHOWER MUSIC
  • 発売日: 2010/03/24
  • メディア: CD
  • クリック: 8回
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
あと、N響との演奏は、にこにこ動画にある。

今回のエリシュカ指揮大阪フィルの定期演奏会がそのような強い感動を呼び覚ましたのだとしたら、わたくしは、そのような素晴らしい演奏会のお手伝いができたことを誇りに思いますし、当然のことながら、わたくしにはそのような強い感動に水を差す気持ちは一切ありません。

一方、今回の曲目解説で、わたくしがスメタナを幕末の志士と比較したのは(「我が祖国」全6曲をオペラになぞらえたのもそうですが)、そのような「愛国交響詩」へのストレートな共感をそう簡単に奮い立たせることができない方々が、ひょっとしたら、いらっしゃるのではないか、そういう方々にも、それなりにこの演奏会を楽しんでいただけるために何かできることがありはしないか、そのような思いに根差しております。

チェコ民族の血塗られた歴史はさておき、スメタナ個人の生涯は、機を見るに敏な知識人(言うことは立派)、という類型を示唆しているようにも思える。これは、以前からわたくしが気になっていたことです。そこで、この機会に、スメタナとほぼ同時代人である岩倉具視や勝海舟のお名前を出させていただきました。

そしてこの二人の名前を出しながらわたくしが秘かに想定していたのは、リアルな勝・岩倉というよりも、野田秀樹が演じるべらんめえの勝海舟や、とりわけ、中村有志扮する一癖も二癖もありそうな岩倉具視です。(大河ドラマ「新選組!」ですね。)スメタナを三谷幸喜が芝居に登場させるとしたら、どんな配役になるだろう、というようなことをこっそり考えてしまっていたのです。

新選組血風録 DVD-BOX2<完>【DVD】

新選組血風録 DVD-BOX2<完>【DVD】

スメタナの聴覚障害が梅毒に起因することに言及しなかったのは、スメタナを偉く見せるため、というよりも、それまでの記述で十分にスメタナを「キャラ化」できたと判断して、やり過ぎ(遊びすぎ)を自粛した、というのが、執筆時の判断でした。

また、戊辰戦争の際、官軍は大阪商人から相当の軍資金を出してもらったと聞いています。わたくしの恩師の谷村晃は、大阪で金貸し業をしていた家(明治期には「谷村銀行」を名乗っていた)のご出身で、「明治維新」は大阪商人のおかげヤ、というニュアンスのことを生前に言っておりました。(大阪では、しばしば耳にするお話ですね。)そのような土地柄ですから、この地のオーケストラの演奏会で、「幕末の志士」という言葉を出した場合、ストレートに尊敬の対象と受け取られることはないであろう、とも思っていました。

このようなことを書きますと、愛国者としてのスメタナを尊敬していらっしゃる方々は、「スメタナ様を、借金まみれで東征した長州・薩摩のヤカラと同一視するのは失礼千万」とますますお怒りでございましょうけれども、わたくしは、かように、ヒロイズムを斜めからしか見ることのできない心のねじ曲がった人間なのでございます。

      • -

言うまでもないことではございますが、

19世紀後半の明治維新とロシア・東欧のナショナリズムと南北戦争等々を同時代の現象であると見るのは、近年、新左翼の残党と思しき社会科学者がさかんに主張する「想像の共同体」論の尻馬に乗るかの如きタワゴトであり、かようなタワゴトに対しましては、既に、憂国の志篤き水村美苗様によって、ベネディクト・アンダーソンの腐れ左翼ぶりが暴かれたことでもあり、既に賞味期限が切れております。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

わたくしのスメタナ観が、出し遅れの証文、「ナショナリズムの再検討」の出がらしの如きものでしかないことを、世間様は先刻お見通し。三文ライターの駄文でございます。

      • -

ちなみに、万に一つの可能性として、わたくしの如きゲス野郎が今回のエリシュカ・大フィルを論評することをお許しいただけるとするならば、

わたくしは、いかにも志の低いゲス野郎にふさわしき口ぶりで、

「エリシュカは、実直すぎて、「我が祖国」前半の劇音楽風の3曲とは、あまり相性が良くないように見える。彼のサウンドにはドヴォルザークを通して眺めたスメタナという感じがある。愛国歌を群衆が大合唱するような後半には、彼のキビキビした指揮がよく合うけれど。」

などと書いてしまうことでしょう。

しかしながら幸いなことに、ラドミル・エリシュカは、現在、我が国洋楽界が国賓待遇でお迎えしている80歳の大指揮者でございますれば、間違っても、わたくしのこのような言葉を活字にする媒体は、今のところないようです。心安らかに、巨匠の演奏をお楽しみいただければと思います。

実はわたくしは、演奏直後に、隣に座っていたお知りあいの方に、「結局、この曲って、戦時中に軍歌をフル・オーケストラに編曲した、みたいなものですよねえ」と口走ってしまったのですが、これはまさに、日本国が総動員ファシズム体制でないことにより辛うじて生かされているに過ぎない虫けらのごとき非国民の言い草でしょう。

でも、軍歌のオーケストラ編曲にも似た「我が祖国」が、わたしは結構好きなのです。ひねくれた方角からスメタナに関心を寄せる少数者が世の中にはいるのだということを、ご承知いただければ幸いでございます。

(そしてさらに余計なことを書き足すとすれば、

スメタナの生涯を調べるうちに私が思ったのは、チェコの建国神話にもとづく祝典オペラ「リブシェ」というのは、おそらく団伊玖磨が新国立劇場こけら落としに「建・TAKERU」を書くようなものなのだろう、ということでした。

「TAKERU」は、吉田秀和の「音楽展望」(彼は1幕だけで退出したらしい)をはじめとして、初演の評判は散々でしたが、「我が祖国」のように、百年後には、日本国を代表するオペラと位置づけられることになっている可能性だって、ないとは言い切れないですよね。「我が祖国」が嫌いではないわたくしは、団伊玖磨の祝典オペラにも興味津々です。再演の可能性はないんでしょうか?)

吉田秀和全集〈22〉音楽の時間(4)

吉田秀和全集〈22〉音楽の時間(4)