片山杜秀と聴く「わんぱく王子の大蛇退治」

ザ・フェニックスホールのレクチャーコンサート。

わんぱく王子の大蛇退治 [DVD]

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「映画は音楽を嫉妬する」という今年のフェニックスホールのレクチャー・コンサートのテーマは、ひょっとすると逆ではないか、音楽が映画を嫉妬するのが普通で、「映画が音楽を嫉妬している」と考える音楽家がいたとしたら、それは、自分の映画への嫉妬を抑圧するやせ我慢なのではないか、という気がしないでもないですが……、それはともかく、片山さんのお話は刺激的でした。(沖縄出身の高良仁美さんが北海道生まれの伊福部作品を弾く趣向もあり、これは「爆奏」でございました。)

監督の演出に従って絵に音をはめる仕事をしていると鬱憤が溜まり、自分が全体をプロデュースできる作品に出会ったことで、そのストレスを一挙に解消したのが伊福部唯一のアニメ映画だ、という立論。

  • (1) 20世紀の作曲家たちは、映画のことを、従来のオペラやバレエに代わる存在として多大な期待を抱いていた。(20世紀音楽史の通念になりつつあり、これは岡田暁生でも言えること。)
  • (2) しかし実際にやってみると、映画の制作現場はオペラやバレエとは様子が違い、作曲家の立場はかなり窮屈。(これは映画と音楽の実際を知っている人がしきりに言うこと。)
  • (3) そのなかで、アニメ映画では、例外的に作曲家が聴覚効果を全面的に「支配」(という強い言葉を片山さんは使った)できる。(これが今回のレクチャーのキモ。)

話が三段構えで核心へ食い込むようになっていて、さすがに上手い弁論だなあ、と感心しました。

この三段構えの論法は、ラジオやテレビの仕事をやっていた大栗裕(楽譜が残っている作品は100くらいで、伊福部昭の映画300本には遠く及びませんけれど)が、ときには自分で台本を書いたりしながら、マンドリン・オーケストラの音楽物語にのめりこんだことの説明にも使えそうだと思いました。

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そして、もうひとつ、大事なポイントだと思ったのは、二次元のアニメーションに音・音楽が「命を吹き込む」という言い方。

具体的には、ディズニー(「ファンタジア」)を理想とするバレエ音楽のような作り方(菊地成孔流に言えば、映像と音楽の「強シンクロ」状態)が目指されており、そこに、低音の厚い伊福部独自のオーケストレーションがヴァイタリティを付与する、という片山さんの見立てでしたが、

《絵が音声によって「生きる」》

という風に一般化すると、かなり広がりのある視点であるように思いました。

人ではないものに語らせる「活喩法(prosopopoeia)」の話の一種なのかもしれませんし(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20111030/p1)、人形が太夫の浄瑠璃で生きる(活かされる?)文楽と比較すると面白いことかもしれませんね。

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人形浄瑠璃は、ディズニーアニメ風に絵と音をぴったり合わせるのではなくて、太夫や人形が「糸(三味線)にのる」のは良くないとされるらしいのですが(武智鉄二は、音曲を鳴らしつつ、そっちへ引っ張られずに語りきるのが義太夫の醍醐味だと考えていたみたい)、

そういう立ち入った難しい話はともかく、大正から昭和初期の人形浄瑠璃ブームは、昭和後期から平成のアニメへの熱狂と似ている気がするんですよね。どちらも、フィギュアに目が釘付けになっているようでいて、実は、義太夫や声優の艶めかしい「声」に萌えているところとか……。(声優というのは、男子が女性の声優さんに「萌える」という形になっているようですが、義太夫も、オッサンたちが女師匠に習うのが流行したんですよね、たしか。)

さわり

さわり

だから、鶴田錦史という女性琵琶奏者の数奇な人生は、人形浄瑠璃とはまたちょっと違うジャンルではありますけれど、大事な話なのだと思います。

あと、ストラヴィンスキーと言えば、北方の大地を畏れつつ肉体が痙攣的に躍動する「春の祭典」の一つ前のバレエは、操り人形に生命を吹き込む「ペトルーシュカ」ですし、モダニズムにおける機械仕掛け(=ビオ・メハニカ、いわば視覚表現における「カタコト」)と肉体の露呈(ヴァイタリティ礼讃)は、表裏一体ですよね。そして、機械に生命(アニマ)を吹き込み、あるいは、受肉させる儀式には、どうやら、「音(音響&音声)」が必要であるらしい。

アニメーションの音響設計は、なるほど実写映画とは違う領域へ足を踏み入れる入口なのかもしれませんね。

(大栗裕の場合は、アニメーションの仕事はしていないと思いますが、彼の書く譜面そのものが、美大を出たプロフェッショナルなデッサンではない、ヘタウマが魅力のイラストといった風情かもしれないな、と最近よく思います。)

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私自身は、何度観ても、人形の美とか、淡路島を回って文楽人形を買い求めるお金持ちの大旦那の情熱というのがダメで、谷崎潤一郎が「いわゆる痴呆の芸術」と傲然と言い放った義太夫の語りのほうに感動してしまうのですが。