ベートーヴェンがシラー「歓喜に寄せて」をもとに作曲した4人の独唱と混声合唱、弦楽合奏、ハルモニアムジーク、軍楽隊による大交響曲 ニ短調

大植英次・大フィルの「第九」は、こういう風に表記したくなる演奏でした。(明日もあります。)

大植さんによると、初演時の楽器配置を、のちにメンデルスゾーンがゲヴァントハウスで演奏する際に調べた、とする資料があるそうで(具体的にどういう資料を参照されたのかは不明ですが、とりあえずの「見込み」として言えば、メンデルスゾーンの時代にはこの曲の初演を聴いた人がまだ存命だったりもしたはずで、ひょっとすると、記録に残ってはいない何らかの情報をメンデルスゾーンが得た可能性はあるかもしれません)、その情報をもとに、舞台下手のひな壇に木管・ホルン・打楽器、舞台上手のひな壇には、トランペット・トロンボーン・ティンパニー。弦5部も、ヴァイオリンが対向配置なだけでなく、指揮者正面がチェロでその奥に横一列のコントラバス、ヴィオラは1プルトずつをチェロの左右に振り分けておりました。そしてコントラバスの後ろの正面ひな壇一列目が4人ソリストで、その後ろに混声合唱合唱。

ずらずら書くと何だかわかりませんが、実際に演奏が進むにつれてわかってきたのは、

  • (1) 舞台下手=ハルモニアムジーク(木管とホルン)
  • (2) 舞台上手=軍楽隊(トランペット・トロンボーン・ティンパニー)
  • (3) 舞台正面=弦楽合奏(配置は特殊だけれど、第4楽章でレチタティーヴォから歓喜の歌を導く低音が「背骨」のように中央を占めるので、この曲の配置としては、案外、ありかもしれない)
  • (4) 舞台後方=声楽(独唱ならびに合唱)

ということですね。

NHKの中継だとわかりにくかったかもしれませんが、会場で聴くと、(1)から(4)の各グループの音は、左・右・手前・奥と4つにはっきり分離しています。舞台上に単一の音響体があるのではなく、4つのグループを対比して鳴らす、一種の「空間音楽」みたいな感じがしました。

第1楽章で、中央の弦楽合奏と左のハルモニアムジークが別の動機を演奏しているのを、右の軍楽隊が囃し立てるとか、第2楽章で左のハルモニアムジークに、右のティンパニーが茶々を入れる、というように、最初の3つの楽章は、ちょうど横長な歌舞伎の舞台みたいに、左・中央・右の水平方向に三分割されて、通常よりも横を広く使っている感じですね。

で、第4楽章になると、中央の「背骨」部分の低音楽器が演説をはじめたのを皮切りに様相が変化して、高いところから人間の声が降り注ぐ垂直軸がせり出してくるんですね。テノール独唱の部分は、トルコ行進曲が左のすみっこから聞こえてくると、本当に遠くから異国の軍隊が近づく感じで、これに、反対側からテノール率いる合唱部隊が応じる芝居の一場面みたいでした。(トランペットがトルコの一群とは反対側から聞こえるので、両軍睨み合うみたいなステレオ効果が生まれたりして。)

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木管を舞台左に置いてしまうと、どんなに小さく吹いても音が弦と溶けずに直接客席へ届いてしまいますし、反面、直接音なので、どんなに頑張って吹いても音が広がらずに細い音になってしまうなど、この配置は現代の感覚だと演奏者泣かせだと思います。初日は、実際に4楽章で「歓喜の歌」にファゴットがからむところで客席からはっきりわかるくらいズレてしまったりしましたから、FMで音だけ聴いているとかなりハラハラしたのではないかと思いますが、

客席で聴いている印象としては、緊張感溢れる演奏というよりも、オーケストラを小さくまとめるのではなく、いくつかのグループにバラして、通常の枠よりも広い場所へ音を解放する自由な音楽。そこへ合唱と独唱までもが加わるので、祝祭的なコンサートになっていたように思います。

むしろ、あまりにもにぎにぎしく晴れやかなので、よりによって朝比奈隆の命日に、これほど「しめやかさ」のない演奏でいいのだろうか、と思ってしまうくらいだったですが、そういう空気の読めなさ(読まなさ)が大植英次、ということでしょうか。

NHKの放送は、あとで録音しておいたのを聴くと、うまく「朝比奈三昧」のなかにはめ込まれていて、片山杜秀さんが場違いにならないように上手にコメントしてくださっていましたが、

大植さんの「オトナ」にならなさ具体は半端ではなくて、これは『レコード芸術』で金子建志大先生がたしなめる程度でどうにかなるものではない筋金入りだと、改めて思いました。

(金子先生の「ブラームス交響曲全集」評は、大植さんの解釈が自筆譜「だけ」に依拠して印刷譜での作曲者自身の校閲を無視しているわけではなく話は逆。当然のこととして印刷譜を読み、そこに一見奇妙な記載を発見したので自筆譜と照合する、という順序で育まれた「こだわり」があの第一交響曲第1楽章のpesante等々になっていると思われるので、先生の啖呵は、演奏を評価するか否か、好きか嫌いかとは別に、若干の言い過ぎ・勇み足を含んでいるのではないかと思うのですが、それはまた別の話。)

[追記 12/30]

2日目のほうがオーケストラのサウンドはなじんでいたように思いました。見た目はキワモノ的だけれども、細部へ色々なこだわりがあるのが2回聴いてわかってきました。

でも、これだけ横に広がる配置だと恐いですね。ちょっと油断するとズレそうになる。そういうことを含めて、一回限りの特別な音楽・演奏ということだと思います。

(オーケストラを両翼へ広く展開した結果、ちょうど物体の体積が同じでも表面積が増加したようなことになって、客席にダイレクトに届く音の種類が増したように感じます。音をオケの内側に隠したり、事前に調整してから外へ出すことができにくい配置なんですね。初日は、客席へ露出する「表面積」が多くて音の潤いが「蒸発」しがちだったように感じましたが、2日目は、ややしっとり気味の弾き方でそこを補正していたような印象を受けました。)

今回のコンサートは、音楽監督としてのファイナルイヤーの目玉企画のひとつであり、彼が音楽監督として「第九」を振るのは3度目にして最後。しかも、前の2回はフェスティバルホールであり、シンフォニーホールで振るのははじめて。さらに30日の演奏は、楽団として700回目であるらしい、等々、朝比奈隆の没後30年以外にもいくつもの「意味」が今回のコンサートには絡まっていました。

大植さんはそのことを知らないはずがないし、そういう意味づけを拒んでいるわけではないと思いますが、コンサートでそのあたりを積極的に強調する何かはありませんでした。(演奏後のアンコール等もなし。)[追記:実際には、朝比奈隆さんの写真を置いて指揮していたのだそうで、大植さんのなかで、今回の公演の意味を受け止める思いがあったことは確かなようですが。]

そして、(FM中継はされませんでしたが)最初に篠笛との共演によるバッハのアリアを急遽入れるということもありながら(今年の災害への思いを込めて、という趣旨です)、「第九」の演奏は、そのようにしてコンサートに絡みついてくる様々な「意味」を受け止めつつ「意味」に押しつぶされてしまわない何かを彼なりに探して、それが、「初演に戻る」というユニークな配置だったのかな、と思います。

大植さんの大阪フィル音楽監督の9年間は、ずっとこんな感じに、周りが期待する意味づけと、彼がやろうとすることがおそらくずっと水面下でせめぎあっていて、私たちが本番の舞台で目にするものは、ときにはかなりシビアだったかもしれないせめぎあいの結果なので、「大植英次の解釈は」とか「大阪フィルの演奏は」と切り分けて言うことのできない、「大植英次と大フィルのコンサート」とまとめて言うしかないものであり続けてきたように思います。

何ともややこしいユニットのファイナル・イヤーの大物企画として、こういうのも「アリ」だったんじゃないでしょうか。ベートーヴェンの音楽の破天荒なポテンシャルを思い起こさせてくれました。「第九」は、年末の恒例にするだけでなく、まだ色々な可能性をそこから汲み取りうる作品である、と。