今日は一日 朝比奈隆三昧(NHK-FM)

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

午前中を聴き逃して、伊藤恵さんのブラームスのコンチェルトの途中から聴きました。

ブルックナーやベートーベンの演奏で世界的な評価を受け、多くのファンに愛された指揮者・朝比奈隆さん。没後10年となるこの日、彼が残した多くの録音を聴きながらその功績をしのびます。

番組ではCD録音のみならず、NHKが収録した音源もオンエア!1993年に録音したもののこれまで放送されることのなかった朝比奈・大阪フィルのベートーベン作曲 交響曲第3番「英雄」を全曲放送します!

http://www.nhk.or.jp/zanmai/next/20111229asahina/index.html

上の告知にあるいずみホールでの「エロイカ」とか、カザルス・ホールのハイドン交響曲全曲シリーズでのアンコール前のスピーチとか、初めて聴くものもあり、最後のチャイコフスキーは、録音が私家版で配付されているとかつて誰かに教えてもらったような気もしますが、実際に聴いたのは初めてでした。最晩年の朝比奈さんの仕事は、本当によく記録されているんですね。

一方、北ドイツ放送響と60年代にやった「ローマの祭」は大変なことになっていましたが、大阪で日常的に朝比奈さんの演奏を聴いていると、しばしばこういう危なっかしい感じになっていたらしいんですよね。そこのところを、「鳴り物好き」という言い方で丸呑みしてしまう片山杜秀さんのコメント力。しかも、十時間以上ある番組の最後で、「鳴り物好き」という話題をブルックナーに絡めてもう一度出すことで、きれいに話がまとまってしまうのですからお見事でした。

大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」(できれば、某所にもアップロードされている1975年欧州大フィル・ツアーでの管弦楽版の演奏を流して欲しい気がしましたが)のあとで、「大阪の秋」国際現代音楽祭の話題になったところで、ポーランドの烈女と言いたくなる女性作曲家バツェヴィチの名前をピックアップするところには、批評家としての動体視力みたいなものを感じました。

バツェヴィチ:ピアノ・ソナタ第2番、ピアノ五重奏曲第1番&第2番

バツェヴィチ:ピアノ・ソナタ第2番、ピアノ五重奏曲第1番&第2番

  • アーティスト: ツィマーマン(クリスティアン),バツェヴィッチ,ダンチョフスカ(カヤ),シムチェフスカ(アガタ),グロブレフスキ(リシャルド),クヴィアトコウスキ(ラファウ)
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2011/04/20
  • メディア: CD
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放送で片山杜秀さんが言及していたツィメルマンはこのディスクなわけですが、わたくしもたまたまこの秋には、バツェヴィチのソナタと弦楽五重奏曲を一挙上演する演奏会をお手伝いする機会がありました。

聴いている人の頭の中が「??」になった瞬間に誰もが知っている服部良一の名前を出して、清水脩の名もついでに入れてしまっていましたし。

(「大阪の秋」で東欧からの出品が多かったのは、当時ドイツにいた松下眞一との絡みが大きかったように思いますが、確かに、朝比奈さんも、この頃、毎年のように中央ヨーロッパの楽団を指揮していて、いわば「土地勘」があったかもしれませんね。)

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私としては、イタリア・オペラが話題になったところで、進行役の山田美也子さん(あとで調べたら大阪音大声楽科のご出身とのこと)が、俄然口数が多くなって、ご自身の思い出をお話くださった場面が印象に残っております。「恩師」樋本栄さんのこと、そして、オペラを指揮する朝比奈さんを客席からご覧になったことがある、ということ……。

前にも書いたかもしれませんが、関西(西日本)のオペラといえば関西歌劇団だ、という時代があって、もとをたどれば、関西のオペラ・グループの旗揚げ(始動したのは1949年ですが「関西歌劇団」という名称が確定したのは1954年春)は当時の大阪音大の先生方が中心になっていましたから大阪音大との縁が深く、オペラをやりたいから大阪音大へ入るというのは、大学がオペラハウスを持つよりずっとまえから、あったことみたいなんですよね。

松竹(OSK)、宝塚、オペラというように、舞台歌手に憧れる女性の方々の選択肢が、それぞれの事情とお好みに合わせて複数あって、関西の民放には、関西テレビの宝塚の番組だけでなく、一時は、関西歌劇団の方々による番組がレギュラーであったようです。豊中市出身の山田さんがそういうのをどのように見ていらっしゃったのか、もっとお話をお伺いしたい気になってしまいました。

(舞台歌手に憧れて学校に入って、夢を実現した人もいるし、タレントとして芸能界へデビューした人もいますし、アナウンサーやナレーション、声優などとして「声」の仕事をしていらっしゃる人もいるし、別の形で音楽の仕事をすることになった人もいる。(NHK大阪で朝比奈さんの晩年の番組に携わって、イシハラホールが自主事業をやっていた時期のプロデューサーだった戸祭さんも神戸女学院と大阪音大で声楽を学んだ人でした。)音楽大学といわゆる「女性の社会進出」、というのは、あまりにも日常的に見馴れた風景なので主題化されませんが、学者の研究テーマになりそうですね。)

で、放送されたのは、武智鉄二という「関西が生んだ最大の道楽者」(いい表現ですね)の名前も出て来つつ、「Mi chiamano Mimi...」(という風に、歌手の人たちは持ち歌のことを歌詞の歌い出しの原語で呼ぶ)でしたが、

最晩年の白井鐵造が関西歌劇団を一度だけ演出したことがあって、そのときの演目も「ボエーム」でした(写真が残っています)。

関西歌劇団の本公演は80年代まで、原則として全部、朝比奈さんが指揮をしていて、ああいう人ですから、オペラはモーツァルトとヴェルディだ、とか言いまして、東京ではワーグナーを振ることもあったらしいですけれど、プッチーニ(特に「お蝶夫人」)も、お好きだったみたいなんですよね。

朝比奈隆が指揮する関西歌劇団のオペラ公演の録音も、本気で探せばどこかから必ず出てくるに違いないと思うのですが、現在「正統的なベルカント」とされている発声とは違うところがあって、日本語訳詞による上演です。昭和の関西のオペラの「体臭」みたいなものを強く感じさせるものなので、今の感覚で受け入れていただけるかどうか……。戦後のオペラ活動(と朝比奈隆)をもう一度本格的に捉え直すには、もう少し色々な条件を整えなければならないかもしれませんね。

(もはや朝比奈隆や関西から話が逸れますが、たとえば、バリトン歌手立川澄人のスター性もしくはタレント性とは何だったのか。二期会では「こうもり」や「フィガロ」といったカンパニーの看板演目の主役を張っていたわけですし、テレビ・タレントとして誰もが知っている人であり、出身地大分の県民オペラで「吉四六昇天」を成功させた立役者でもあるのですから話題は十分あるはず。ノンフィクション・ライターさんが評伝を立案していい人ではないでしょうか。)