[1/14 三人娘シリーズ第3作「大当り三色娘」の感想を追記]
三人娘(美空ひばり、雪村いずみ、江利チエミ)の映画が4本ともDVD化されているのは「お嬢」の絶大な人気のお陰だと思うのですが、
江利チエミ目当てで観た、と言うとマニアックすぎるでしょうか。
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大栗裕の仕事のなかで一番実体が掴みがたいのが放送音楽で、スコアだけが残って番組の内容がわからなかったり、放送局や放送日も不明だったりするものがあります。
で、大フィルの古い人のお話しを伺うと、江利チエミのミュージカルを大栗裕が書いたことがあるらしく、それとは別に、江利チエミが出演した番組の台本だけが残っていたりもします。どうやら、大栗裕が仕事で関わったメジャーな芸能人というと江利チエミらしいのです。
が、江利チエミというのが、もうひとつピンと来ないんですよね。テレビで子供の頃観たはずで、ホーム・ドラマみたいなのもあったような気がするのですが、急逝したことくらいしか、私には印象がありません。
ただ、確認すると亡くなったのは1982年2月13日ですから、大栗裕が亡くなる2ヵ月前ですね。享年45歳。これも何かのご縁でしょうか。今年で大栗裕と同じく没後30年ということになるようです。
ウィキペディアの説明によれば、この年の2月8日にホテルニュージャパン火災、2月9日に日航機羽田沖墜落事故……。江利チエミが亡くなったことと結びつけて考えたことはありませんでしたが、この2つは記憶にあります。
さて、そして江利チエミといえば「ムーン・リヴァー」ということで聴いてはみましたが、手掛かりがなさすぎるので映画を観ることにした次第です。
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「ジャンケン娘」は1955年の夏休み8月封切りで、この年の東宝観客動員No.1とのことですが、テンポ良く進んで、よくできた映画だと思いました。『平凡』の連載小説が原作とのことなので、配役は三人に当てたわけではなく、原作の設定に三人を割り振ったのかもしれませんが、江利チエミはボーイッシュなキャラクターなんですね。なるほど。
芸歴は美空ひばりが一番長くて、浪花千栄子(←これがもう最初の電話での登場から何から素晴らしすぎます)と親子の設定でガッツリお芝居をしますが、雪村いずみと江利チエミも既に当然レコード・デビューしていて、さらにその前からステージで歌っていたわけで、
まだテレビはNHKの放送がはじまったばかりの時代に、こういう少女歌手の方々はいったいどこでどういう風に「評判」を高めていたのでしょう……。
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翌年の第2作「ロマンス娘」のほうは、三人娘ありきで作られているせいなのか脚本がスカスカで、三人が高校の同級生仲良し三人組という設定は、アイドル映画だと思えばいかにもですが、既に何年もの芸歴があるお三方は、どう考えても「普通の高校生」の日常を知っているとは思われず、ちょっと無理があるようにも思いました。
「ジャンケン娘」のほうは、元芸者である旅館の女将の娘(美空)、京都の舞子(雪村)、彫刻家に自由放任で育てられたおてんばなお嬢様(江利)で、こっちの作りごとめいた設定のほうが、かえってやりやすそうですね。映画としても観やすかったし、三人を見せているだけではない映画としての要素も色々入っている感じ。
それから最後にジェットコースターが出てきて、たぶんこれは後楽園、と思い調べてみたら、後楽園のジェットコースターは1955年7月オープンで、これが日本初。流行ものを早速映画に入れたんですね。
1956年の「ロマンス娘」のほうでは、寿司屋(美空ひばりはここの娘という設定)で、江利チエミが「買物ブギ」の歌詞をなぞったり、「たよりにしてまっせ」と言ってみたり(本当に流行語だったんですね、映画の後半で森繁久弥がゲスト出演するのにちなんだ台詞なのでしょう)、そのあとエレベーターで「泥棒成金のケイリー・グラント」という台詞があったりして、この時代なりのトレンディ・ドラマだったということでしょうか。
1955年9月公開。このイメージを引きずっているということなのか、「ロマンス娘」の森繁久弥もシリアスな役柄です。隙を見つけて、アドリブではないかと思う小芝居でねばったりするところはありますが(笑)。
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冒頭の街中のロケ・シーンを観ていると、なるほど「もはや戦後ではない」のだなあ、と思ってしまいました。イーストマンカラー総天然色で、たぶん光量が要るせいなのか、全体に画面が異常なくらいに明るいこともあって、この頃の名監督のモノクロの「名画」とは印象が随分違いますね。
「ジャンケン娘」は映画の最後で、「ロマンス娘」のほうはこのあとのテレビへつながっていく感じかなあ、などと思いました。
ひとつ前の時代の笠置シヅ子が高峰秀子やエノケンと共演しているものは、戦前から続いている撮影所の映画という感じなので、このあたりから何かが変わっていくのかな、という気がしました。
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で、結局、三人娘のなかの江利チエミのポジションというのは……、「ジャンケン娘」のボーイッシュなショートカットが、花の中三トリオの森昌子の短髪へつながっていく、という理解でいいのでしょうか?
(本物の芸能界のことは、何をどう触ったらいいのか勝手が分からず、まだおっかなびっくりで眺めております。)
[追記1/14]
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輪島先生のレコード歌謡言説史を読み直すと、1960年代の「こんにちは赤ちゃん」以前には、「レコード歌謡=盛り場/放送音楽(ホームソング)=民衆の啓蒙」という図式があったと想定されていて、これでちょっとモヤモヤが解消した気がしました。シリーズ第2作「ロマンス娘」で演じられている役柄はホームソングが似合いそうな高校生なのに(この映画は、まるで「青い山脈」の服部良一の音楽をバックに野山を駆け抜ける原節子みたいなサイクリング・シーンで終わる)、三人娘の皆さんの歌は盛り場的なんですね。世間ずれした女の子が無理にセーラー服を着ているような感じ。
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第3作「大当り三色娘」(1957)の住み込みのお手伝いさん三人組、という設定のほうがしっくり来るように思いました。三人娘に「学校」は似合わない。(パッと明るい宴会芸みたいな神津善行の音楽も、こっちのほうがしっくり来る。)
「ジェームス・ディーン(1955年没)みたいな」という台詞があって、雪村いずみと宝田明のエルヴィス風ミュージカル・シーンがあって、ああ、そういう時代なのかと思いますし、
ただし「監獄ロック」は57年11月公開なので、「大当り三人娘」よりあと。エルヴィスは日本にいつどういう経路で入ってきたのか。この映画はかなり早い、ことになるのでしょうか。監獄ロック 没後30周年メモリアル・エディション [DVD]
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ゲスト出演の草笛光子(1933年生まれで三人娘より4歳上の先輩格、クレジットは「止め」)がテレビで歌う歌手で作曲家と恋愛結婚している設定は、実際この映画の翌年から井原高忠演出の「光子の窓」(NTV)が始まって、1960年には草笛光子が作曲家の芥川也寸志と結婚するのですから、まるで予言みたいですね。
娘三人とイケメン三人の恋愛模様を見ておりますと、ラブコメというのはのちのいわゆる「トレンディ・ドラマ」まで、基本的な筋立ては一緒なんだなあ、と思わざるを得ず、テレビの時代が目前まで迫っている感じがします。
恋愛へ突っ走る若者群像は、同時代的には「太陽族」であるようですね。台詞にも出てきますし、ラストシーンはクルーザー!日活100周年邦画クラシック GREAT20 太陽の季節 HDリマスター版 [DVD]
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それから、江利チエミが大阪弁なのは、(ストーリー上の伏線になってはいますが)そろそろ「ボケ役=大阪弁」というパターンが出てくる時代なのでしょうか。この「ボケ役=大阪弁」という図式の成立と展開こそ、わたくしは「創られた神話」として学術的に表象の分析をどなたかにしていただきたいものだと思っております。(笠置シヅ子の「天然」の関西訛りと、浪花千栄子の舞台で培ったプロの藝として関西言葉の立て台詞、あるいは、標準語であってもトボけた関西風味を醸し出してしまう当時の森繁久弥の喜劇人としての個性、そして、江利チエミのアイドルがキャラとして演じる大阪弁は、それぞれ機能が違うと思うのですが、それが当時どのように受け止められていたのか?)
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ただし、こういうのを観ていると、言説のレヴェルでは相変わらず「盛り場的」として「ホームソング」と対比させられていたかもしれないけれど、実体としては、徐々にジャズとレビューやミュージカル(「ショウビス」と言うのでしょうか)が分化しつつあって、「中間音楽」が単なる啓蒙ではなくなりつつあったのではないかという気もします。
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花輪一郎氏の回想記によると、NHKの「中間音楽」(ムード音楽、シンフォニック・ポップス)は、アレンジャーや指揮者に音楽学校を出たクラシック系の、NHK的な意味における「一流どころ」人を使う体裁になってはいたようですが、
現場が手本にしていたとされるコステラネッツやマントヴァニのイージー・リスニングはそれぞれCBSやBBCの放送ならではのスタイルで「啓蒙」だけでは読み解けないでしょうし、
ロバート・ラッセル・ベネットなどによるミュージカルのアレンジものが好まれてベネット自身も来日するし、東宝ミュージカルがはじまって、1963年の「マイ・フェア・レディ」日本初演のイライザは他でもなく江利チエミ。
戦前にガーシュウィンもエリントンも「アラビアの唄」も、とにかくレコードで広まる流行音楽はぜんぶまとめて「ジャズ」だったのが、戦後、占領軍のアーニー・パイル劇場とかあって、あれとこれは別物らしい、ということが見えて来つつあったはずで、「中間音楽」には、戦前の国民歌謡や戦時中の厚生音楽の系統の声の大きい上層部と、放送独自の可能性を探したい人と、ショウビス的に華やかなものをやりたい人たちとが、呉越同舟だったのではないかという気がするんですよね。
そして、輪島裕介さんが提示した図式(放送を主たる媒体とする「中間音楽」論は、戦前の伊庭孝も戦後の諸井三郎も「上からの啓蒙」として同質だった)についても、レビューやショウやミュージカルをめぐる言説をそこへ加えるとどうなるのか、図式の根本的な更新が必要になるのか、そうではないのか、誰かに検証して欲しい気がしております。
まず第1に、戦中・戦後の諸井三郎は(亡命先の北米文化産業を徹底批判したフランクフルト学派と同じで)いつまでたっても石頭な感じが確かにしますけれど、
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「東京行進曲」はそれよりずっと以前の話、映画がトーキーですらなく、ミュージカル映画ブームが到来する以前の「盛り場」の話なわけで、
「東京行進曲」を放送することへの伊庭孝の懸念は、
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言葉の上では「啓蒙」の語法ですけれど、問題になっている現象は、レコード歌謡と映画がタイアップして、そこへ公共放送という揺籃期のまだどこへ向かっていくのかはっきりしないメディアを一挙に巻き込んでしまおうとする動きだったわけですから、言葉遣いはどうであれ、時期尚早という判断があってもおかしくない気がします。伊庭孝が、大正期浅草オペラ時代の「民」の立場から公共放送の「官」の立場へ転向した、とか、実はこいつの地金は帝大生で、浅草オペラだって「民」の仮面を被った啓蒙に過ぎなかったのではないか、と疑うのも悪くはないですが、浅草オペラで散々苦労してショウビスの機微がわかっているからこそ、これはヤバいと歯止めをかけた、という解釈だって、成り立つ可能性はあると思うのです。
(基本的な前提として、昭和初期にレコードとラジオそれぞれの普及実態はどうだったのか。ラジオの送り手が「啓蒙」を目指していたとして、それではラジオは当時どこでどのように聴かれていたのか。
仮にラジオが黎明期に一挙に「家庭」へ普及して「国民的」なメディアになったのだとしたら、知識人が「俗悪」なコンテンツの放送を阻止しようとしたり、娯楽産業に従事する人がそのような知識人を「現実を知らない」と批判するのもアクチュアルな「文化論」だと思いますが、例えば、まだ受信機が高価で、聴取料を支払う正規視聴者が限定されていたのだとしたら、視聴者のニーズに合うかどうか、特定のコンテンツを放送するかしないか、というのは、「経営戦略」をめぐる党派争いですよね。「東京行進曲」問題は、ラジオというメディアをどうやって確立するかという「経営戦略」が問われているときに、過剰な期待を抱いた知識人と娯楽産業関係者がやや先走って「文化論」の空中戦をやっているのかもしれないことになると思うんですよね。
だから、言説を分析する予備情報として、もうちょっと周辺データが欲しい気がします。)
あと、かつてレコード歌謡が「盛り場」のものだったというのは、レコード歌謡が「盛り場」というレコードの出現もしくは産業化以前からあったものに依存していたということでもあるはずで、初期映画研究が見世物小屋の実態の解明などを通じて精緻化されたことを既に私たちは知っているのですから、「中間音楽」論を、啓蒙の論理でレコード歌謡に敵対するものであった、という粗い図式で括ってしまうのは性急ではないか、という気がするんです。
たとえばブロードウェイのようなミュージカルに由来する音楽は、現地で見ることの出来たごく少数の人以外はレコードや楽譜で部分的に切り売りされた情報だけを得ていたわけですよね。断片的な情報をつなぎ合わせて、それがだいたいどういうものなのかそれなりのイメージを抱くことができた人もいるだろうし、「これはヨーロッパ音楽のシステムに依拠した粗悪品に過ぎない」と思った人もいたはず。情報不足や認識不足が無残に露呈しているものもあれば、そこからの創造的な誤読や換骨奪胎が派生している事例もあるはずです。
こうした作例の実態については、ひとまず言説分析の範囲外だと言うこともできますが、
でもこれは、「厚生音楽」や「中間音楽」による「啓蒙」と言っても、清水脩とか諸井三郎のようにヨーロッパの藝術音楽の語法や文化的枠組みに依拠して考える人たちと、服部良一のように自分が習ったヨーロッパ流(正確にはリムスキー=コルサコフを教科書とするロシア流ですが)の理論でカヴァーできないものをそれなりに模索した人では、指し示すものが違った可能性があるかもしれないということになりそうです。
だとすれば、レコード歌謡批判の「言説」は30年間変化がない、というまとめで本当にいいのかどうか。それは文字面の上では間違っていない中立的なレポートかもしれないけれど、現在のタイミングでそこだけを取り出したレポードを出すことは、放送も舞台興行も全部を飲みこんで成長した20世紀後半のレコード中心の音楽産業の在り方を無批判に追認する結果をもたらしそうな気がするのです。
盛り場の見世物や20世紀型のショウビスに軸足を置く人たちの「中間音楽」やレコード歌謡をめぐる言説がどのようなものであったのか。少数意見ではあったとしても、それらは言説の「構造」の上では大事なポイントなのではないか。
放送vsレコード歌謡という昭和の2つのニューメディアの対立構図を過剰に強調することは、放送がレコード歌謡を迫害したというけれど、どちらもまだヨチヨチ歩きだった時代のことですし、少なくとも昭和期の日本の音楽産業やその拠点のひとつであった「盛り場」を考察するのであれば、私は、その声高な縄張り争いの向こう側に何があったのかということを知りたいです。
そういう都市の最先端風俗みたいなところは、帝大/東大生よりも、慶応ボーイのほうが伝統的に強いのかもしれませんが……。
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アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで (講談社選書メチエ)
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