お説教とご祝儀、落語と漫才から日本の洋楽の位置を測る

[2/5 タイトルを変えました。柴田南雄「萬歳流し」についてのコメントを追加。]

前のエントリーで秋田實にたどりついてしまったので、落語と漫才について少しだけ。

漫才作者 秋田実 (平凡社ライブラリー)

漫才作者 秋田実 (平凡社ライブラリー)

藝能史の一般的な説明をもとに、非常に大雑把に区分けした見取り図を作ってしまうとしたら、落語は仏教説話から派生したとされ、絵解きのような一種の説法、あるいは、平曲や浄瑠璃などの語り物と親戚筋の藝能であるようです。

庶民芸能と仏教 新装版

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例えば節談[ふしだん]説教というのがあって、廣陵兼純さんというカリスマ的な語り手の説教は、信徒さんをぐっとひきつける話題をちりばめながらの講話がここぞという場面で緩急・抑揚の効いた「フシ」へ移行して、なるほど説教が落語や語り物と隣接していると思わされます。(おそらくこれは、伝統的な説教の型を踏まえながら、現代の聴き手をつかむ話藝を兼純さんが工夫した結果であって、落語や語り物の源流というより、逆に現代の落語や語り物から兼純さんが取り込んでいるものがあるのだと思いますが……。)

DVD 親鸞聖人750回大遠忌記念 節談説教布教大会 (<DVD>)

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内田樹さんのお友達として共著を出したりもしていらっしゃる釈徹宗さんにも、西本願寺の僧侶の立場から落語・節談説教への最近の注目具合に応対している著作があります。

おてらくご (落語の中の浄土真宗)

おてらくご (落語の中の浄土真宗)

一方、漫才のほうは遊行民の門付け藝が都市の演藝へ洗練されたとされ、砂川捨丸師匠が習った三河萬歳など、都市化以前の藝態を指すときには「萬歳/万歳」の表記を当てるようです。(「漫才」という表記は昭和に入って、吉本興業がモダンな「しゃべくり」を従来の演藝と差別化するために使い始めた新しい表記だそうですから、商標・商品名がジャンル名として定着したのに似たところがありますね。)

昭和の爆笑王 砂川捨丸 中村春代

昭和の爆笑王 砂川捨丸 中村春代

砂川捨丸師匠が最後に三河萬歳を茶化さずに素で歌っているので、オリジナルの萬歳とそれをくずした寄席藝を比較できる。
萬歳から漫才へ ルーツ篇

萬歳から漫才へ ルーツ篇

  • アーティスト: (オムニバス),玉子家円辰,鈴木源十郎,若松家正右衛門,早川伊之助,荒川家浅丸
  • 出版社/メーカー: 大道楽レコード
  • 発売日: 1996/02/11
  • メディア: CD
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尾張萬歳や大阪二輪加と軽口など、大阪萬歳のルーツとされる音源満載の素晴らしいCDですが、「滑稽説教」というのが入っていて、これは越前訛りの節談説教のパロディ。説教をマネする格式張った口調と素のしゃべりの口調の違いで、説教と萬歳のスタイルの違いがはっきりわかります。それにしても、大正期の萬歳の段階で、早口の「関西弁」でびっちり間を詰める掛け合いのスタイルは既に完成されていますね。レコード録音で間が詰まっている可能性はありそうですが、それでも、萬歳の掛け合いあるいは寄席の演藝の語りはもともとノリの良いリズムがあって、のんびりした古い藝が時代とともにスピードアップしたわけではなさそうに思えます。秋田實がエンタツと一緒に仕事をしはじめたのは昭和10年頃で、スピードやエロ・グロ・ナンセンスの時代の少し後。秋田台本による「しゃべくり」は、スピードアップというより、会話のテンポが安定して、整理されたように聞こえます。

(柴田南雄のシアターピース「萬歳流し」(1975)は秋田県横手の萬歳にもとづき、狭い音程を含む近世邦楽で言う平調子の押し殺し堪え忍ぶトーンの合唱が全体を包んでいます。これは、取材した横手の萬歳がそうだったのだから「ヤラセ」ではないけれど、いかにも都会人がイメージする「北の雪国」を作曲者の判断で「演出」しているようにも思われます。

捨丸師匠や彼が学んだという尾張や三河の萬歳は、おおむね律旋(狭い音程の揺れで色をつける場合があるにせよ)で、しかしながら合いの手のフレーズ以外では宮音に落ちないので、仏教歌や雅楽とは違う、独特の浮いた調子になっているようです。低い音域から上がってきて「ラシレミレ」と律のテトラコルドを安定させる押さえた声色の動きと、高めの音域で民謡風に明るく声を張る「ソラシラシラソミ」(←シがフラットすると都節になってしまいそう!)が引き合っているように聞こえます。この「せわしなく」「ややこしい」モードが大阪の寄席に合っていたのかもしれませんね。大栗裕が気に入りそうなフシです。

調べてみると、地方によっては小泉文夫が言う民謡のテトラコルド(「レファソ・ラドレ」)で、なおかつピョンコ節の跳ねるリズムで囃す萬歳もあるようです(「レ〜ドラ〜ドレ〜〜ミレ〜ドラ〜ドレ」等々)。これを三曲合奏でやると、いかにも幕末頃のお座敷藝に聞こえてしまいますね……。萬歳は、節回しの点でも、伝承の過程で様々にローカライズされ今日に至っているようです。)

寄席には、伊勢大神楽から放下藝が分岐したとされる江戸神楽(傘回しなど)もありますし、

神と旅する太夫さん―国指定重要無形民俗文化財「伊勢大神楽」

神と旅する太夫さん―国指定重要無形民俗文化財「伊勢大神楽」

ちなみに大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」の獅子舞囃子は、伊勢大神楽講社が今も伝承している道中囃子が大阪の祭礼へ伝わったものと考えてよさそうです。

家を回ってお祓いや祝い事をする門付け藝に由来する点で、漫才(萬歳)は太神楽の獅子舞、あるいは人形浄瑠璃の源流ともされる戎まわしなどに近い藝能だと見ていいのかなあ、とそのように私は理解しました。

天皇陛下万歳とお笑い漫才―伝統芸能の謎を解く

天皇陛下万歳とお笑い漫才―伝統芸能の謎を解く

そしてそうだとすると、ものすごく乱暴な図式化ではありますけれど、

  • 落語:説教から派生した仏教系の語り物
  • 漫才:門付け藝から派生した神道系のお祓い・祝儀

と考えていいのだろうか、というようなことを思ったのです。

落語には仏教説話から来た咄があるそうですし、お笑いだけではなく、人情話というジャンルもある。そこが、声を絞ってかきくどく語り物と落語との臨界みたいな領域なのかなあ、と思います。

説経節を読む (岩波現代文庫)

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一方、漫才は、エンタツ・アチャコ以来の「しゃべくり」であったとしても、基本的に賑々しく、お目出度いですよね。ボケとツッコミというタームがありますが、ボケ役を泳がせて、いじくるというような役割分担は、太神楽の舞における獅子と猿田彦の関係や放下藝における放下藝師とチャリ師(道化師)の関係、戎まわしの人形と人形遣いの関係に似ていると見ることができるかもしれません。

そうした役割分担を固定しないところが「しゃべくり漫才」のモダンで新しいところとされますが、ミクロに解析すると、役割が消失したわけではないですよね。(漫才師さんがピン(ひとり)でタレントや司会業へ転進することも多いですが、これは逆に、全出演者をいじる究極のツッコミ、もしくは、全出演者からつっこみを入れられるボケなのかも。漫才のトリックスターとしての性格が単独で純化した事例なのかもしれませんね。)

芸能全集<SP盤復刻>(漫才編)

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  • アーティスト: 漫才,一輪亭花蝶,花菱アチャコ,砂川捨丸,秋田Aスケ,島ひろし,芦乃家雁玉,リーガル千太,東喜美江,内海突破,西川サクラ
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エンタツ・アチャコのしゃべくり漫才は標準語っぽい「です・ます」の会話ではじまるのが特徴だと思うのですが、ここに収録されている「僕の家庭」を聞いていると、オチで嫁さんに言い返す啖呵を口移しするところでテンポが出てくると、従来の萬歳っぽい耳馴染みのある「関西弁」になりますね。モダンだといっても完全に「漂白」されているわけではない。しっかり繰られた言葉を立て板に水でダーッとしゃべる口調は萬歳から漫才へ様式・テクニックとして入ってきているのかな、と思います。

さてそして、そういう風に考えたときに、仏教学の末木文美士先生が、日本では神道(祖霊崇拝とケガレのハライ・キヨメの儀礼)が結婚式など現世の祝い事を受け持ち、仏教(瞑想と行による悟りを目指す)が葬式仏教と言われるように死という彼岸への旅路を受け持つ傾向がある、とまとめていたのを思い出しました。

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

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漫才の明るさは神道系のお目出度い祝福藝の現代版であって、落語が聴き手を仄暗く先の見えない虚構(「闇夜のカラス」とか)へ引き入れる手管は、仏教系の想と行(そこでは経典の「読み」が重視される)で現世の苦を乗り越えようとする志向と通底するところがあるのではなかろうか、と思ったのです。

社会は笑う―ボケとツッコミの人間関係 (青弓社ライブラリー)

社会は笑う―ボケとツッコミの人間関係 (青弓社ライブラリー)

エンタツ・アチャコ以来の「しゃべくり」を中心に据えて漫才を捉えることは、富岡多恵子や柄谷行人の文藝批評の形をとった左翼・革新系の大衆文化論とか、あるいは、昭和後期から平成にかけて爛熟したテレビのエンターテインメントから情報ネットワークにおけるコミュニケーションへ至るマス・コミュニケーション論(メディア論)やサブ・カルチャー論(「メタな嗤い」とか)に格好の素材を提供する反面、藝能としての落語と漫才の対比が見えにくくなるのではないか。あれは祝福藝を昭和モダニズムへアダプトした一形態であったと一回り大きな構図のなかに置くほうが、落語やその背後にある語り物文化との関係を見やすくなるのかもしれません。

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次に洋楽との関係を考えてみますと……、

二葉亭四迷が圓朝の落語を手本にして言文一致を練り上げた、とか、落語は明治以後知識人の受けが良く、漫才はカウンターカルチャー的なノリを感じさせるところがあって、洋楽(クラシック音楽系統のシリアスな)には漫才より落語のほうが相性が良いと思われているようです。

落語の咄そのものを素材とする洋楽作品の例は寡聞にして知りませんが、その背後にあると思われる中世以来の語り物を素材にしたり、語り物に着想を得た作例は枚挙にいとまがありません。筑前琵琶の鶴田錦史と武満徹の共同作業は、あまりにも有名ですよね。で、それだけではもちろんなくて、語り物にもとづく音楽劇など、舞台でも放送でも膨大にあったようです。

武満徹著作集〈4〉

武満徹著作集〈4〉

ノヴェンバー・ステップスで琵琶を「世界」(?)へ知らしめた武満徹と『無文字社会の歴史』の川田順三の往復書簡というのがありました。今読むと、残念ながらお互いの話が有効に響き合うやりとりだったとは思えませんが、文化人類学者との対話は、武満徹が「偉くなる」ためのひとつのステップではあったようです……。

そして各種藝能を視野に入れた音楽研究でも、語り物は、川田順三が口頭伝承論として様々な概念ツールを周到かつ堅実に用意したせいもあり、年代記と叙事詩が過去とどのようにつきあうか、「話す/語る/歌う」の類型論、声と文字のメディア論など広汎に枝分かれする一大領域になっているようですね。

口頭伝承論〈下〉 (平凡社ライブラリー)

口頭伝承論〈下〉 (平凡社ライブラリー)

武智鉄二が歌舞伎演出を再検討したり、朝比奈隆の関西歌劇団でオペラ演出を手がけたときの支えになったのも、人形浄瑠璃、とりわけ義太夫節についての知識と経験だと思います。(武智鉄二演出の「赤い陣羽織」で作曲家デビューした大栗裕も、生涯、「語り」に近いイントネーションで作曲する傾向があったと言えるように私は思っています。)

あと、オペラを啓蒙する企画として、オペラと落語を組み合わせる試みが、同時多発的にあちこちで行われているようです。そしてそのような試みに「おぺらくご」という語呂合わせのタイトルを付ける事例もひとつならずあると聞いています。

また、佐渡裕は、若い頃、コンクールだかで極限の重圧と闘っていたときに、枝雀師匠の落語を繰り返し聞いていたそうですね。闘う個人のメンタル・ケアに落語がいい、というのは、落語が仏教系だという視点を支持してくれているような気がします。落語は瞑想・修行に近い藝能なんですよ、たぶん。

落語は「古典藝能」だから、西洋の古典音楽と相性が良い。漫才はモダンな生きた藝能なので、「今」の先端のエンターテインメントとコラボしたほうがいいし、クラシック音楽とはノリが違う、ということでかなりのことは説明できてしまいそうにも思いますが、それだけではないところがありはしないか、と思うんですね。

(漫才/萬歳と祝福藝について、もう少し考えたいことがあるのですが、すぐには上手くいかないようなので、またいつか。)