「蝶々夫人」と日本の洋楽の和臭

こんなことをしている場合ではないのですが、「蝶々夫人」のDVDが予想外に面白くて、ヴォーカル・スコアを取り出し、読みふけってしまいました。

プッチーニ 歌劇《蝶々夫人》プッチーニ音楽祭 2004年 [DVD]

プッチーニ 歌劇《蝶々夫人》プッチーニ音楽祭 2004年 [DVD]

デッシー/アルミリアート夫妻の2004年初演百年記念の蝶々夫人は、歌は素晴らしいけれど、すべてを「虫の世界」にしてしまったモンティの演出が気色悪い、という評価になっているようで、同じプロダクションは日本でもあったようですが、

オペラ「蝶々夫人」 [DVD]

オペラ「蝶々夫人」 [DVD]

トッレ・デル・ラーゴの野外公演のほうは、ドミンゴの指揮が案外悪くないんじゃないかと思いました。

サウンドを溶かし込むのではなく、ポイントになる動きやメロディーやがくっきりしているので歌手が音を取りやすそうだし、どこがどうなっているのか、よくわかる。たぶん、ここは普通の短調で、ここから妙な日本の音階になって……というようなことをはっきり意識して振っているのだと思います。ドミンゴは歌手だし、サルスエラも歌ってしまうスペイン人だから、旋法の勘所には人一倍敏感なのかもしれませんね。

普通の演奏だと厚塗りの後期ロマン派に思えてしまう音楽の作りがくっきり見えた気がして、楽譜で色々確かめたくなってしまったのです。

      • -

プッチーニは「トスカ」で主演女優にたっぷり芝居をさせる音楽の書き方を極めて、「ボエーム」で多彩な人物を描き分けたり、人物を組み合わせる群像劇のやり方、音楽が個々の人物に合わせてコロコロ色合いを変えたり、一歩退いたところで雰囲気を作ったりという柔軟な書き方を工夫して、「蝶々夫人」はこの2つを受けた作品だったんですよね。

この順番で考えるとなるほどと思うところがあって、

「蝶々夫人」の最初にゴローがぶつぶつ言って、ピンカートンとの会話になって、そこにのそのそシャープレスが坂を上がってくる……というように人間が一人ずつ増えるのは、「ボエーム」のはじまりかたと同じ。(どちらも男ばっかりだし、さばけたやり手男の第一声にテノールの主役が絡んで、三人目が動きの鈍いバス、というキャラ設定も類似する。ヒットした前作をなぞるところから始めるのは、映画で続編を作るときなどにもありそうな手法ですね。)そして最後にヒロインが自らの身体に刃物を突き立てるに至る場面は、「トスカ」でスカルピアを刺し殺す場面の応用・進化形だと思って比較すると、色々見えてくるものがありそうです。実際に書いているうちに違ってくることはあったでしょうけれど、たぶんプッチーニのチームが「蝶々夫人」を計画したときには、「ボエーム」のあそこと「トスカ」のあそこをこう組み合わせて、というような目算があったのではないかという気がします。

で、これまでにない新機軸としては、もちろん舞台が日本だということで、パリのカルチェ・ラタンを描くのとは比較にならない特別な道具立てが必要なわけですが、

考えてみたら、このオペラをプッチーニが作曲していた最中には、まだドビュッシーの「版画」(1904年1月初演)も「海」(1905年初演)もマーラーの「大地の歌」(1911年初演)もありません。極東を描くといっても、プッチーニはいったい何を参考にしたのか。トルコもの以来の中近東とは風土も音楽も違いますし、 従来の日本ものとは差別化したかったはずで……。ドビュッシーが複数のモードを縦横に組み合わせた「夜想曲」(1901年初演)とか、ようやく初演された「ペレアスとメリザンド」(1902年初演、メーテルランクの戯曲のオペラ化権争奪(←いかにも著作権確立以後の現象ですねえ)にはプッチーニも絡んでいたらしい)とかを意識しながら試行錯誤して書いたのでしょうか?

改めて見直すと、冒頭がガチガチの「ハ短調」(楽典の本に出てくる「旋律的短音階」のお手本みたいに音階が滑舌良く上下に動く)なのは、最初に「標準語」の基準点を設定することで、このあと続々と出てくる「方言キャラ」を際立たせる効用がありそうです。

シャープレスのピンカートンへの説教が賛美歌をオルガンで伴奏しているような和声付けだったり、二人のヤンキーが国家をバックにして「America forever!」とイタリア・オペラなのにここだけ英語で叫ぶところで、既に国と国の対立を「キャラ」として描き分けようとしていることが予感されますが(いわばイタリア・オペラにおける「役割語としての英語」ですね(笑))、そういう風にキャラを立てる手法がチープでインチキくさい感じに傾きそうなところに登場する蝶々さんご一行のコーラスは、とっておきの増三和音(全音音階風に中心音のない無重力な感じがする)の連打。

実は、蝶々さんがキリスト教に改宗したことを怒鳴り込んでくる坊主のところも全音音階だったりして、このあたりの「意味」の付け方はいかにもポスト・ワーグナー世代ですけれど、これに先立つ結婚式の「O Kami, o Kami」という日本人には許し難いかもしれない歌詞のコーラスは五度圏の歯車をガチャンガチャンと回転させるように転調して、坊主が出てきたあとのドビュッシー風の全音音階には「オ〜〜、チョチョサン」のプッチーニ流シュプレッヒシュティメ(?)が重なって、場面が紛糾するとともに音楽のほうでも大技連発。「最先端」をご奉仕価格でオペラ顧客の皆さまへご提供する詰め合わせパックみたいな感じですね。

日本の旋律を本来の文脈と無関係に散りばめたとの批判がある作品ですが、このオペラは、日本「だけ」を植民地主義の異国趣味で不当に貶めているのではなく、作品全体を通じて、音楽語法的な環境が土台から多国籍化しているように思います。「標準語」風にかっちりソルフェージュできる長短調は、新しい人物が出てくるたびにどんどん揺らいで相対化されてしまって、蝶々さんとピンカートンの最後の二重唱は、そうした不安定な基盤の上で辛うじて花開く、荒波に揉まれた小舟のようなもの。

しかも第1幕の最後の長い長い二重唱は、確かに極めつきのメロディーではありますけれども、これが真実の愛なのかもしれないという風に思えるのは、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をプッチーニなりに消化して、どこまでいっても三和音に解決しない語法で書かれているせいなのですから、調性音楽の世も末だと思わざるを得ません。極東は、長短調と三和音で青春するミミ&ロドルフォ(@ボエーム)とは別世界。ヨーロッパから見た帝国主義時代の東アジアは、こんな感じだったんですね。

      • -

さて、そして日本の旋律の数々ですけれど、何の曲が使われているかという出典探しの先へ踏み込んで、この多国籍的な環境にそれぞれがどう組み込まれているか、ということが大事なように思います。

「蝶々夫人」の日本の旋律の扱いは、かなり多彩ですよね。

ナマの素材の味わいを活かす、ということなのか、ほぼ和声付けを放棄してユニゾンで出てくることもありますし、モチーフとして一部分が切り出されて和声付け=表情付けされている場合もありますし、イタリア流の大らかな節回し(実はイタリア・オペラには歌いやすいようにということなのか、ナポリなど南部の民謡の影響なのか、半音をほとんど入れないメロディーというのが結構ある)と五音音階の境目が曖昧なフレーズも出てきます。

そして、ざっと見た感じだと、プッチーニは「君が代」のような律旋(「君が代」の旋法解釈には諸説ありますが)と、狭い音程を含む平調子or都節と、大股な音程で動く民謡調などを、それなりに識別して扱っているように思われます。

もちろん、どこを面白い/利用できると判断するかの基準は恣意的といえば恣意的で、日本人から見れば手前勝手なヨーロッパ人の好き放題とも言えますが……、

たとえば、父の形見の短刀(=自死の伏線)の「シ〜〜 シラファ〜〜、ミ〜〜ミレシb〜〜ラ」というモチーフは、平調子or都節(ミドシ、ラファミ)の特徴的な身振りを感知して作った形跡があり、同時に、ポスト・ワーグナー風に解決しない和声をつけて、なおかつ、後半を5度下のゼクエンツにすることで単純なペンタトニックを回避していると言えそうです(最初に「シ」が出るのだけれど、そのあとすぐに「シb」も出てくる)。死に至る愛、このオペラのトレードマークはこれだ、というつもりで、プッチーニが(ひょっとしたらトリスタン和音などを意識しながら)入念に書いたモチーフなのだろうと思います。プッチーニが彼なりに日本の旋律を研究して、彼が考えたエッセンスみたいなものをこういう風に造形した、ということじゃないでしょうか。

      • -

そしてこの「短刀のモチーフ」の都節を5度移調してつなげる、というのは、大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」に出てくる獅子舞囃子と仕掛けとしては同じなんですよね。

大栗裕は、大学で管弦楽法の授業をするときに、プッチーニのスコアはオーケストレーションの勉強になるから、よく研究しろ、と言っていたようです。おそらくオーケストラで何度も何度も「蝶々夫人」や「ボエーム」を吹いて知っていたのだと思います。

プッチーニは日本の音楽のレコードを取り寄せて研究したと伝えられていますから、色々なものを聞くうちに日本にも「転調」に似たやり方があるらしいと感づいていたのか……。ひょっとするとその可能性もあるかもしれませんが、おそらくむしろ、プッチーニが書いてしまったモチーフの面白さを大栗裕が知っていて、大栗裕が大阪の獅子舞囃子をオーケストラ曲に使えると思えたのは、彼が単にいわゆる「日本の音感」を身に付けていたというより、プッチーニなどのエキゾチック・ジャパンのフィルタを通した日本音楽の聴き方(オペラやオーケストラと親和性が高いような)を会得していたからではないかという気がします。

音楽学校で正式に日本音楽とその取り扱い方を習うのとは違う「けもの道」のような回路ですが、オペラやオーケストラで面白い効果を発揮する日本旋律の書き方のコツみたいなものがあって、プッチーニの「蝶々夫人」は、日本でも、例えば劇伴音楽などの現場では、かなり参照されていたのではないかと思うんですよね。

たとえば、最後に蝶々夫人が死んで、逃れがたい運命みたいな感じの壮大なユニゾンがロ音に終始したのに重ねて、プッチーニはG-durのコードを鳴らすんですよね。このオペラは三和音で閉じていません。こういう感じのエンディングは、時代劇映画でものすごく既視感がある。黒いバックに白抜きで「完」の文字が大写しになるときにドバーッとフル・オーケストラが鳴る定番的なオーケストレーションの源流は、プッチーニなのかも。

そして大栗裕は天商の頃から映画撮影所に出入りしていたようですし、プッチーニを「いただき」したりする撮影所の感性を知っていたはず、と思います。

音楽学校のエクリチュールのトレーニングは、そういう「倭習/和臭」を抜くような訓練なのだと思いますが、大栗裕に限らず、伊福部昭と早坂文雄とか、清瀬保二と武満徹とか、音楽学校で「クサみ」を抜かれなかったが故の面白さがどこから来ているのか。「クサいニオイ」に耐えられない人にとっては近寄りたくない領域なのでしょうけれども、日本の洋楽における「倭習/和臭」の研究は必要で、プッチーニの「蝶々夫人」は、たぶん、作曲者本人があずかり知らないところで、有力な「ニオイの元」のひとつになっていた(いる)のだろうと思います。

日本の洋楽のどのあたりが「ニオう」か、ということは片山杜秀さんなどが色々論じて、当たりが付くようになりつつありますが、「ニオイの元」や成分をひとつひとつ特定するのはこれからの作業で、そういう「クサい」研究を音楽の学会が認めてくれるのか、というのは、いわゆる東洋音楽研究ともちょっと違う話だと思うので、どうなのか。何か仕掛けが要るのでしょうね。

そのあたりの可能性を開くような「蝶々夫人」論を誰かがポンと出してくれると色々やりやすくなりそうな気がするのですけれど。

お醤油は、和食で使っている分には普通の味付けですが、外国のスーパーで売ってるソイソースはエスニックな調味料で、いわば「ニオう」ものとして扱われている。外国人に違和感のないソイソースを開発するという国策もあり得るけれども、お醤油が「クサい」という和臭が文化的な事実として消えるわけではなく、クサい物には蓋をすればいい、というものではない。

ニュー・サウンズ・イン・ブラス 真島俊夫アレンジ Vol.1

ニュー・サウンズ・イン・ブラス 真島俊夫アレンジ Vol.1

飛天の舞

飛天の舞

ポップスの吹奏楽アレンジで世に出た真島俊夫(吹奏楽少年から吹奏楽専門の作曲家になったいわば純粋種な方)に「3つのジャポニズム」というヴァーチャルなキャラとしての「和」を純粋培養したような音楽があります。吹奏楽の人気曲。この曲は同時に、ここは火の鳥、ここはローマの祭り、ここはダフニスとクロエ、というように吹奏楽で好まれるオーケストラ曲のおいしいところを参照・下敷きにしているようで、日本の洋楽の「和臭」はこういう作品へ流れ着いたのだなあ、と思わされます。とっても「コスプレ」っぽいです。